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明治維新の立役者 |
| 篤姫婚姻前後を支えた人物。文政十(1827)年、鹿児島城下の加治屋町に生まれ、下級武士として育つも、安政元(1854)年、藩主斉彬に取り立てられ、庭方役など側近として活躍する。篤姫婚姻後は、次期将軍に一橋慶喜を推す斉彬の指示を受け、篤姫宛の密書を届けるなど大奥工作の要人として篤姫と関わる。 |
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| 維新後は、徳川家存続のために奔走する篤姫から明治政府宛の長文の嘆願書を委ねられるなど篤姫との関わりは深い。人情派として親しまれる西郷隆盛のこと。篤姫にとっても頼れる兄のような存在だったかもしれない。西郷は今、桜島を雄大に見渡す鹿児島市の南洲墓地で眠っている。 |
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●南洲墓地 >>
鹿児島中央駅よりシティービューで約25分「南洲公園入口」下車 |
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幻の宰相と呼ばれた家老 |
| 篤姫と同じ年の天保六(1835)年、喜入(現鹿児島市)領主の肝付兼善の三男として生まれ、篤姫と同じく政情不安定な幕末維新期に生き、活躍する。 |
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| 吉利(現日置市)領主であった小松家の養子となり、小松帯刀清廉と改名した。島津斉彬のもとでは当番頭になっている。斉彬の死後の文久元(1861)年には側役に昇進して、大久保利通を重用し、同時に島津久光を補佐した。文久2(1862)年からは家老として、薩長同盟や王政復古、そして明治維新に尽力した。維新後は参与として版籍奉還を画策するなど、これからを期待される人材であったが、明治3(1870)年に病気のため、36才の若さで亡くなった。 |
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●小松帯刀屋敷跡 >>
天文館より市営バス26番線で約15分「かけごし」下車(徒歩 約5分) |
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