シニアになっても十分な人生を創造することができると、
企画・実践したアイデアをもって全国を飛び回る。
新たな”志”を持って、第二の人生を意義ある生き方をしてもらうために
鹿児島での研修道場『団塊新生道場』プランを計画中。
鹿児島の旅ではあらためて歴史の重みというのを感じました。歴史にかかわった多くの偉人たちがいて、それを今も尊敬している人たちが脈々といらっしゃる。この土地が日本の歴史の中で一点の楔を打ったことは確かだろうと思います。西郷隆盛の偉業はもちろん、また歴史に名前は残していないけれども偉人たちを支えた人たちが、一緒に暮らした地域、その風土というのが感じられたことが大きいですね。 この場所で人間が育ち大事を成し遂げたことを、皆で紐解いてみる。それは立ち止まって自分を見つめなおすとき、これからの自分の指針にするというときに大きな意味があると思うのです。自分が生きてきたことと照らし合わせながら、過去、日本を動かしてきた人や風土と、時間を超えて対面することができる場所。カタチで見せれるものではないけれど、人や空気、想いと出会える。鹿児島は、そういう心の刺激を提供できる場所ですね。今、混迷している社会の中で、どこかでもう一度扉を開く、新しい自分づくりというときにこそ、この力が必要なのだと実感しました。私たちが失いかけていたことの、いくつかが鹿児島に今もあると思うんです。
今回、私が再発見したのは、鹿児島が、アジアというか世界に向けた日本の玄関口だったというのが強烈に感じられたということです。西郷隆盛という人物を見出したのも、一言で言えば「鹿児島が世界を見ていた」というのが一番大きかったんじゃないでしょうか。世界とつながる、世界の情報をいち早く察知して自分たちでやってみようという姿勢が風土にあって、またそれに向かっていくリーダーがいたという素晴らしさですよね。プロデュースしたのは島津斉彬という藩主ですが、これだけの人材を輩出したというのは鹿児島をおいて他にない。西郷隆盛が時代を駆け抜けていったのも斉彬の先見の明があったということですし、斉彬をかりたてた想いもまた、鹿児島が世界に向けて扉を開け、学ぼうとしたいろいろな必然性が重なった結果だと思うんです。だからこそ鹿児島から維新の風が吹いた。私たちも、その背景や姿勢をもう一度学ぼうということですね。 海を舞台にした交流で琉球やアジアとつながるということは、黒潮が、文化や時代の空気を鹿児島に運んできたようなものですね。「黒潮」の言葉もそうですし、鹿児島は「黒」の文化だと思います。深く構えて重心を低くしたところから生まれてくる色。世の中は今、カラフルさに恋しているけれど、この深みのある黒という色は鹿児島が大事にすべき色だと改めて思うのです。
古賀氏は尚古集成館や黎明館で、展示された膨大な鹿児島の資料を前に多くの情報に耳を傾け、示現流東郷財団では木刀を手に指南を受けた