近代史を築いた鹿児島

かつて150年以上も昔に、日本のどこよりも先んじて海外に眼を向けていた鹿児島の地。
歴代の藩主が登用した男たちは、藩を超えて日本を舞台に活躍し、
やがて幕末から明治維新、そして近代国家の礎を築く大きな足跡を残すことになる。
今、振り返る奇跡の歴史は、我々が突きつけられるだろう
第二の人生を照らす大きな希望に満ちている。
心震わせずにはおれないこの風土に、多くの関心が集まろうとしているのだ。

噴煙を上げ続ける
桜島を目の前に、
日本の近代史を築いた
町を散策しよう。


集成館事業の一環として商品化された薩摩切子。美しい色彩とボカシの技術が独特。1985年に復元された 。

海洋国家、鹿児島の魅力

黎明館ジオラマ写真
鹿児島県の歴史を総合的に理解するなら黎明館へ。豊富な資料を集め、幕末〜明治維新にかけてもわかりやすく展示してある。

海は文化を連れてくる。三方を海に囲まれた鹿児島は、古くから南につながる琉球、中国、はてはインドやヨーロッパまで交流があったことがわかっている。
鹿児島市役所の近くにある鹿児島県歴史資料センター黎明館。その展示への導入はまさに海洋国家、鹿児島を意識させる。奄美諸島、トカラ列島、そして屋久島・種子島から鹿児島の本土へとつながる海の道は、その遥か西洋の文化をも連れてくるカルチャーロードであっただろう。また、尚古集成館に展示された大航海時代の海図には、ジパングでもない「CANGOXINA(かごしま)」の文字が記されている! ザビエルの上陸が鹿児島であったように、当時の諸外国は日本ではなく、鹿児島という魅力ある東洋の地を目指して、錦江湾を進んで来たに違いない。そして海に面したこの地から、様々な近代化が日本へと広まっていくことになる。

歴史の奇跡に触れる場所

磯御殿写真
明治時代には島津家の本邸としても使用された磯御殿は、当時のまま保存され、一部が一般公開されている
島津牡丹展写真島津牡丹展写真
牡丹は島津家の家紋としても用いられ愛されてきた。「島津紅」と呼ばれる大輪の花が美しい

海に面したといえば、かつて薩摩藩主・島津家の別邸として作られ、その歴史を遺す名勝、仙巌園が有名だ。鹿児島市街から車で約20分、桜島と錦江湾を庭園に取り入れたかのように雄大で美しい借景を持ち、当時のまま残された御殿は通称「磯庭園」として多くの観光客が訪れる。そしてここは「近代日本発祥の地」。反射炉を作り、水力発電でエネルギーを生み出し、幕末から明治維新にかけて製鉄、造船、紡績といった基幹産業を興した場所だ。鎖国の 時代においても独自に手に入れた情報と、素晴らしい想像力を加えてオリジナル技術としてこの地で開花させた島津家の、代々の藩主が何を思い過ごしたのか、想像膨らむ場所でもある。その豊かな思想が維新の志士たちを育てる原点となったことは言うまでもなく、隣接する尚古集成館へ足を運べばその息吹をもっと強く意識する。

尚古集成館写真
実際に使われていた重機は重要文化財に指定。機械工場の雰囲気も再現されている
集成館写真02
中央でシンボル展示されているのは鉄製砲を鋳造するために作られた反射炉

 尚古集成館は、その建物自体が当時の機械工場の跡であり国の重要文化財だ。その中で展示される様々な技術の足跡を見れば、さらに鹿児島の果たした役割の大きさに 驚くことになる。近代化へいち早く着手した薩摩藩は、特に1851年に藩主となった島津斉彬の功績が素晴らしく、幕府や藩を超えた行動力で国家の未来を変えていく基点となった。幕末から明治にかけて鹿児島が輩出した人材は、西郷隆盛、大久保利通にとどまらず枚挙に暇がない。素晴らしい藩主の存在と、その思想を生かす弟子たちが新しい時代を切り開いた、歴史の奇跡が生まれた場所。ここで感じる気持ちの高ぶりが、自分たちにおいても新たな志の原点となるような気がしてならない。

DATA (詳細は施設名をクリックしてください)
仙巌園/鹿児島市吉野町9700-1 TEL: 099-247-1551
尚古集成館/鹿児島市吉野町9698-1 TEL: 099-247-1511
鹿児島県歴史資料センター黎明館/鹿児島市城山町7-2 TEL: 099-222-5100

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