鹿児島の心を訪ねる

鹿児島は人を育てる土地であった。基本的に争わず、
しかし争うならば一太刀で倒すべき技を習得しているのも薩摩の男。
また、死者は敵味方の隔てなく篤くともらう。
筋をとおし、つねに前向きな対処をするその教えの下に、多くの偉人が育っていった。
変わらぬ川の流れを見ながら、この土地の懐の大きさを沁み込ませておこう。

その心こそ、オリジナル。
幕末から維新の時代に
一気に花開いた
鹿児島の志を訪ねる

島津斉彬写真
第28代藩主、
島津斉彬(1809〜58)。
幕末の四賢侯と呼ばれた。西郷隆盛を登用したことでも有名

多くの偉人が生まれ育った加治屋町


甲突川沿いの維新ふるさと館。ロボットや様々な演出で維新のドラマを再現した維新体感ホールが人気。「郷中教育」コーナーも新設され、注目を集めている

大隈重信像写真
加治屋町へは鹿児島中央駅から市内電車で天文館方面へ二駅目。もしくは駅前ナポリ通りを歩いても行くことができる。大久保利通像は電車通りの目の前にある

市街地を流れ、錦江湾に注ぐ甲突川。鹿児島市を訪れれば何度となく無意識に渡ってしまうその川沿いに、歴史上まれにみるユニークな一画がある。それは幕末から明治時代にかけて近代日本の創世に携わった多くの偉人たちが生まれ育た加治屋町というエリア。維新ふるさと館の周辺は西郷隆盛、大久保利通をはじめ、少し歩けば大山巌、村田新八、東郷平八郎など、あまりに有名な偉人たちの生誕の碑が残る一画なのだ。なぜ、このエリアから偉人たちが多く育ったのか? 維新ふるさと館の歴史解説員である福田賢治さんは、薩摩藩独特の教育方法「郷中教育」にその秘密がある、と語る。「学校に行くのではない、町ごとで先輩が後輩を指導する教育方法ですね。異業種交流のようでもあり、優秀な先輩が出れば、当然、仲間や後輩も刺激を受ける。西郷隆盛と大久保利通は、たまたま同じ界隈に暮らし、非常に仲が良かったようで、お互いがいいライバルだったといえます。西郷は島津斉彬に、また、大久保は島津久光に登用されましたが、そんな二人の大先輩を慕って、大山巌や東郷平八郎など多くの偉人たちが次々と育っていったのでしょう」。
そもそも藩主が多くの若者の意見を聞こうとする姿勢もすばらしいが、登用された後も仲間とともに難局を乗り切って藩主の期待に応えた二人が、いかに偉大だったかは歴史が証明しているとおりである。

加治屋町には偉人たちの碑が並ぶ

石碑写真01 石碑写真02 石碑写真03

【写真左から】
「東郷平八郎誕生地碑」「西郷隆盛誕生地碑」「村田新八誕生地碑」

鹿児島の「心の力」

南州顕彰館写真
西郷隆盛肖像画
西郷隆盛のすべてを知るならば南州顕彰館へ。その生い立ちや功績がわかりやすくジオラマで再現されている

鹿児島は全国に類を見ない、七百年もの長い間、島津家だけの手による統治が行なわれていた地である。例えば鶴丸城の建築には「人をもって城となす」といって天守閣を作らず、藩内を百十の「外城(郷)」と呼ばれるブロックに分け、半農半士の武士を住まわせるなど、情報の伝達、共有に大きな役割を果たす仕組みを作っていた。その中で力を注いだのが教育であり、それぞれの外城で郷中教育が発達した。また心身を鍛える示現流剣術では、争うことを避けることが一番の教えとされ、その代わり太刀を抜いたら一撃で仕留める強さや厳しさを鍛えた。そして「薩摩いろは歌」をとおして、薩摩人としての生きる”誇り“を返す返す復唱して、心の力としたのである。
心の力を得る――それは人としての復活でもあろう。鹿児島は、今も偉人の志を伝えている。町を歩き、ここの空気に触れることで、新しい自分に気づくきっかけになればありがたい。

東郷重徳氏写真
天文館のすぐ裏にある示現流東郷財団。理事長の東郷重徳氏


示現流の歴史資料を展示する他、体験もお願いすることができる。すさまじい気合とともに振り下ろされる木刀に空気が震える

DATA (詳細は施設名をクリックしてください)
維新ふるさと館/鹿児島市加治屋町23-1 TEL: 099-239-7700
示現流東郷財団/鹿児島市東千石町2-2 TEL: 099-226-1233
南州顕彰館/鹿児島市上竜尾町2-1 TEL: 099-247-1100

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