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歴史トリビア・天璋院篤姫

一枚の薩摩切子の写真がある。
美しい輝きを放つ絶妙なカットとフォルムを持つ藍色の酒器。
幕末の将軍家御台所の花嫁道具の一つと聞いた。
花嫁の名は天璋院篤姫。13代将軍・徳川家定の正室である。
薩摩藩第11代藩主・島津斉彬の養女となって江戸に輿入れ、若き未亡人となってからも徳川家を守り、江戸城明け渡しの活躍などよく知られるところだ。
はるばる薩摩から遠い江戸に嫁いだ篤姫、どのような思いで旅立ったのだろうか。その背景とは。その少女時代とは。
さまざまな想いが薩摩へ誘う。

藍色切子栓付酒瓶 江戸へ立つ際に持って行った婚礼品の中でも、ひときわ豪華な薩摩切子の対の酒器〈徳川美術館蔵〉。斉彬が特注させたと言われる。そのレプリカが「尚古集成館」に収蔵されている。写真提供:尚古集成館 ※掲載している画像については、尚古集成館の許可を得て、掲載しているものであり、無断転載、無断複写を禁じます。

島津氏の栄華が今も漂う城下町へ

鹿児島といえば桜島。城山を背景に錦江湾と桜島に面して市街地が広がる。その中心に外様大名第2位、72万石の薩摩藩の拠点「鶴丸城跡」がある。 篤姫は、島津家の分家である今和泉島津家の10代当主・忠剛の長女として鹿児島城下に生まれた。「屋敷跡」を訪ねてみると、周辺は島津家ゆかりの寺社が集まる閑静なたたずまい。西郷隆盛が眠る「南洲墓地」もこの近くだ。 海沿いに下って行けば「仙巌園」がある。「尚古集成館」には薩摩藩第11代藩主・島津斉彬によって推進された江戸時代の薩摩切子も展示されており、敷地内には工房とギャラリーもある。復刻されたその技術と輝きは、歴史のロマンを湛えて観る者を魅了する。幕末から維新にかけて薩摩が生んだ偉人は数多いが、中でも篤姫はピカイチ。切子の輝きのように薩摩の宝石といってもよいのでは。

花嫁はスパイ?篤姫の運命を変えた養父・斉彬との密約とは!

1835(天保6)年に生まれ、維新をはさんで1883(明治16)年に没するまで篤姫の生涯は波乱に富む。そのまま薩摩にいれば歴史の舞台に登場することもなく普通の人生を歩んだであろう篤姫の人生を変えたのは、薩摩藩第11代藩主・島津斉彬のある思惑。斉彬は水戸の徳川斉昭らと家定の後継の14代将軍に斉昭の子・一橋慶喜を就けることを画策、そのためには大奥における根回しが必要と篤姫を養女にして徳川家に送り込んだといわれる。宮尾登美子氏の小説「天璋院篤姫」やNHK大河ドラマでは、藩主の養女になったときから実の親子が主従関係になってしまう展開が、篤姫の複雑な心理描写とともに描かれていた。それ以降も公家の養女、御台所と身分立ち場が変わる度に精神的に自立していく篤姫。それは女としての幸せから遠ざかる人生への歩みでもあったのだが…。そんなことを考えながら、歴代当主が眠る島津家の墓地をお参りする。

篤姫の花嫁道具は西郷隆盛がコーディネート!二人の深い絆とは。

西郷隆盛。言わずと知れた薩摩のスーパーヒーローだが、藩主・斉彬に命じられて篤姫の婚礼道具の調達をしたことは意外と知られていない。薩摩の威信と財力を全国に知らしめるため、花嫁道具には莫大な費用が充てられ、西郷は京をはじめ諸国を駆け回って特上品を調達。おかげで金銀工芸品や織物、茶道具などに目が利くようになったといわれる。

「市立美術館」のそばに立つ西郷隆盛像 下級氏族の家に生まれたが、藩主・斉彬に引き立てられ、側近として活躍。篤姫が江戸に輿入れ後は篤姫付きの奥女中を通して情報収集、政治工作に奔走。後に新政府の参謀として江戸に迫った際には、篤姫から徳川家存続を願う嘆願を受けて、江戸城を無血開城した。西南戦争に敗れ自決、南洲公園内にある墓地に眠る。

日焼けが似合うおてんばのお姫様。

今和泉島津家は、本邸のほかに城下に5つの屋敷を持っていた。その一つ、海辺の浜屋敷は篤姫はじめ当主の子女が多くの時間を過ごしたところと伝えられる。本邸跡、その周辺を散策したあとに海岸沿いに下り、「石橋記念公園」や「八坂神社」を巡り、その先の「仙巌園」へ。健脚なら徒歩でも十分に回れるが、レンタカーやバスを乗り継ぐ方法もある。 錦江湾や桜島の雄大な眺めを一望する海岸線は圧巻。この景色を篤姫も眺めていたかと思えば、150年の時間は魔法のように溶けていく。大河ドラマではこの海を眺めながら、母から武士の妻としての心得を諭されていた少女の篤姫。どんな未来予想図を描いていたのだろう。

風光明媚な今和泉島津家の領地へ。松林をよぎる少女は…篤姫?

「薩摩今和泉駅」を隔てて、海側と山側に分かれる篤姫ゆかりの地。

鹿児島市内より列車で約50分の薩摩今和泉駅。江戸時代には今和泉郷の中心として栄えた。22代当主島津継豊の弟である忠郷によって再興された今和泉島津家は、この地の領主となった。それだけに、集落内には今和泉島津家ゆかりの史跡が数多く点在している。

今和泉小学校内にある手水鉢

今和泉小学校内にある手水鉢

海側に残る松林と石垣群

海側に残る松林と石垣群

豊玉媛神社

豊玉媛神社

篤姫にとっては実父にあたる忠剛や兄の忠冬が眠る今和泉島津家墓地や、その菩提寺であった光台寺跡(現在は一般墓地となっている)がある。また、現在の今和泉小学校や指宿商業高校の敷地には、今和泉島津家の別邸(本邸は鹿児島城下)があった。篤姫も幼少の頃、眺めていたであろう松林、他にも小学校内には、屋敷で使用されていた手水鉢や井戸跡などが保存されている。(小学校内の見学については問い合わせが必要。)

今和泉をあるく

※当ページは一定の調査を元に制作をしておりますが、歴史認識と人物評価には多様な考え方があるため、異なる認識をお持ちの場合にはご了承ください