教えて!西郷どん

鹿児島の人なら誰でもご存じ西郷さん。 意外にも知らないことがいっぱいありました!
西郷さんの犬好きは広く知られていて、銅像にもなっている薩摩犬の「ツン」は有名です。

『飼っていた犬は「ツン」だけ?』
飼っていたのは一匹ではなく、多いときには十匹以上の犬を自邸に飼っていました。明治維新後に暮らした武村の屋敷の敷地が広いのは、たくさんの犬を飼うためだったからともいわれています。名前は「シロ」「クロ」「カヤ」など毛並みなどの見た目から名前を付けていました。珍しい名前としては、「攘夷家」という犬もいて、これは外国人にだけ吠える性質を持っていたからだといいます。

『どうしてそんなに犬を飼っていたの?』
これらの犬は狩りの際に役立てられました。時には犬の調教などに苦労もしたようです。国分郷士の山内甚五郎は、その際の指南役でしたし、弟の信吾こと従道から譲られた洋犬は懐かずに苦労したという話もあります。
釣りが好きだったようで奄美大島の屋入(現龍郷町)でも釣りをしたと伝わります。
また、手先の器用さも西郷さんの特徴で、沖永良部島では細かい作業が必要な烏賊餌木を漁民から求められて作っていたようです。また、狩りに使用する際の草鞋なども自分で編んでいたといいます。食べ物に関しては自邸において、味噌作りやしょうゆ作りにも精を出すなど意外な一面がありました。奄美大島では結婚するまで自炊もしていました。
明治10(1877)年9月24日の城山での戦いにおいて西郷さんは亡くなりました。
ただ、その際に首と胴体が時間を置いて別々に発見されたことから、西郷生存説が生まれることになりました。そのひとつが、西郷さんは火星に行ったというものです。死亡後ではありませんが、西南戦争も終盤になる頃たまたま地球に火星が大接近していて、通常よりもかなり明るく夜空に輝く日々が続いていました。そこで、それを見上げた人々が、その輝きのなかに西郷さんが見えるとうわさするようになったのです。
もうひとつは、ロシア皇太子が明治24(1891)年に来日した際に、鹿児島にも立ち寄りました。その際、わざわざ鹿児島に寄ったのは、ロシアに逃れた西郷さんが来るためだといううわさが広がりました。こうしたうわさは、人々の間に西郷さんは生きていてほしいという願いのようなものが背景にあったためかもしれません。
下級武士の家に生まれた西郷さんは、武士であっても農作業をすることが生活のなかで普通でした。特に薩摩藩では、武士が農業をすることを恥じとする考え方は薄く、大家族だった家計を支えるために、郊外の土地を開墾してさつま芋などの作物も生産していました。
また、若い頃の西郷さんは郡方書役助という農政に関する仕事に従事していたことから、農業には詳しかったようです。明治6(1873)年に新政府の仕事を辞して鹿児島に戻ってからは、自身を「武村の吉」と称して、それまで以上に農作業を楽しみとしていました。
また、明治8(1875)年に吉野開墾社を設立すると、その学校の畑がある吉野の寺山を訪れて、さつま芋づくりなどを行いました。吉野には、収穫物であるさつま芋を自邸へと運搬する際に馬の背中に積んださつま芋が坂道でバランスを崩して落ちたのを呆然と眺めていたというエピソードが残されています。地域の人々が拾ったために大丈夫でしたが、拾った人も最初は、落とし主が西郷さんとは気づかなかったようです。その場所には「駄馬落の碑」というものがあります。なんとも西郷さんらしいお話ですね。
鹿児島で3回、住む家が変わっている西郷さん。どの家でもたくさんの家族と暮らしていました。まず、生家である下加治屋町では、一番多い時で、祖父母と両親、弟3人と妹3人の11人の大家族でした。
次の上之園の借家では、奄美諸島への配流や京・大坂など上方での活動で留守がちでしたが、慶応元(1865)年にイトと結婚しています。
明治維新後に暮らした武の屋敷では、妻のイト、奄美から引き取った菊次郎、菊子、イトとの間の子である寅太郎、牛次郎、酉三、戊辰戦争で亡くなった弟の吉二郎の妻とその子供2人、小兵衛の妻とその子、沖永良部島でお世話になった川口雪逢と大家族で暮らしていました。
鰻。あと、豚肉です!
自身も大好物であった鰻。狩り帰りに鹿児島の八坂神社横の鰻屋を訪れ、猟犬にまで食べさせたという話があります。また、武の自邸であんこの入ったかるかんまんじゅうを食べたり、国分では今も伝わるお菓子に「角まんじゅう」と名付けたと言われていますので、甘いものも好んだようです。
実際の写真が存在しない西郷さんですが、残された衣服や親戚岩山トクさんの証言などからも当時の平均身長や体重からしてもはるかに巨体(推定で身長178㎝、体重110kg)で
あったことは知られています。それだけに体調管理については、東京にいる頃ホフマンというドイツ人医師からアドバイスを受けています。それは食事制限と運動だったので、特に
鹿児島に戻ってからは山野を駆け巡る狩りに出向くことが頻繁にありました。その際には温泉湯治も行い、体調管理に努めています。
焼酎はもちろんお酒は苦手だったようです。しかし奄美大島では大老・井伊直弼の一周忌に朝から酒を飲んだ記録がありますので、全く飲まなかったわけではないようです。ただ、煙草は大好きで、奄美大島に滞在中も煙草が切れたときに大久保から送られてきて喜んでいます。また、考え事をする際に煙管で目や頭の周辺を撫でまわすことを癖としていました。