西郷どんの島暮らし

西郷は二度奄美群島で暮らしています。
一度目の遠島は潜居という形で、安政の大獄により京都から逃れてきた勤皇の僧・月照と入水自殺を図るものの自分だけが死にきれず幕府から身を隠すことが目的。
二度目は一度目の遠島から許された直後に、藩の実権を握っていた国父・久光の命令に背いたための流罪でした。
ゆったりとした時間の流れる美しい島の風景とそれぞれの島で出会った人々は、その後の西郷の人間形成に大きく影響しています。
枕崎港
枕崎港
奄美大島・龍郷から召還された西郷が1か月弱の船旅からようやくたどり着いた本土の港。文久2(1862)年2月11日に、カツオ漁船で到着した。港近くの立志清右衛門宅に宿泊したと伝わり、現在は石垣のみが当時をしのばせてくれる。

〇所在地/枕崎市港町
〇アクセス/ JR 枕崎駅から徒歩約10 分 
〇駐車場/なし 
 
山川港
山川港
2度の奄美群島行の際に風待ちなどで滞在した港。琉球行きの船も寄港する天然の良港でもある。文久2(1862)年6月には滞在中に眼病を患いここで治療もしている。

〇所在地/指宿市山川 
〇アクセス/ JR 山川駅から車で約5 分 
〇駐車場/なし
 
屋久島(一湊)
屋久島(一湊)
遠島のため徳之島に向かう際、山川港から出発。一時黒島方面に流されたが文久2(1862)年6月18日一湊に到着。1週間ほど滞在したことが同じ罪で喜界島へ流された村田新八の日記にのこる。

〇所在地/屋久島町一湊
〇アクセス/宮之浦港から車で約15 分
〇駐車場/なし
 
文久2(1862)年2月に奄美大島に滞在中の西郷に召還状が届き、枕崎へと向かう際に10日間立ち寄った島。ここでは風呂に入れてもらった島民にお礼として財布を与えたという話が伝わる。
西郷と行動を共にし同じく遠島を命じられた村田新八が流された島。元治元(1864)年2月26日、沖永良部島からの召還命令が出た西郷は、この島に立ち寄り村田も上船させ鹿児島へ向かった。
安政5(1858)年の政局の変化で潜居を命じられた西郷。龍郷で安政6(1859)年から文久2(1862)年までを過ごした。
この時世話をした龍家の娘・愛加那と結ばれ、菊次郎と菊草の2人の子供を授かった。
西郷松
西郷松
奄美大島謫居を命じられた西郷は龍郷の阿丹崎に上陸。彼を乗せた船がとも綱をつないだと伝えられた「西郷松」があったが近年松枯れの被害を受けた。「りゅうがく館」にはその西郷松を利用して作られた西郷隆盛と愛加那の木像が入口に展示されている。

【りゅうがく館】
開館時間/9:00~22:00(日曜日は~17:00)
休館日/年末年始  電話/0997-62-3110
 
南洲流謫跡
南洲流謫跡
龍家の娘・愛加那と結ばれ、菊次郎を授かった西郷が、文久元(1861)年に自ら設計し移り住んだ新居の跡地にある。集落には、愛加那も使用したと伝わる井戸跡もある。

〇所在地/大島郡龍郷町龍郷
〇アクセス/奄美空港から車で約30分
〇駐車場/あり
 
南洲神社
南洲神社
西郷隆盛が潜居した龍郷ではなく、山を越えた芦花部に西郷を御祭神とする神社がある。集落の人々が尽力し鹿児島から分霊して、昭和15(1940)年に建立。

〇所在地/奄美市名瀬大字芦花部
〇アクセス/奄美空港から車で約50分
〇駐車場/なし
 
徳之島からさらに南に位置するこの島への遠島を命じられた西郷。当初吹きさらしの牢という過酷な環境に置かれていたが、島役人の土持政照の尽力により待遇も体調も改善する。それからは島の若者に勉強を教えたり、飢餓に備えて豊作時に穀物等を保存する「社倉法」を広めたりするなど、島民の尊敬を得た。またのちに西郷家の留守居役を果たす書家の川口雪篷と出会い、書や漢詩で交流を深めた。
南洲翁謫居の地
南洲翁謫居の地
和泊に到着し初めに入った牢屋は、風雨も吹き付ける2坪ほどのもので、西郷はこの場にて座禅を組み、どんどん身体が衰弱していく。それを救ったのが島役人の土持政照で、座敷牢を建設し、土持の家族も西郷の面倒を見ることになる。同敷地内には、西郷南洲記念館があり貴重な遺品や遺訓等が展示されている。

〇TEL:0997-92-0999
〇所在地/大島郡和泊町手々知名
〇アクセス/沖永良部空港から車で約15分
〇駐車場/あり
 
西郷隆盛上陸の地
西郷隆盛上陸の地
徳之島の井之川から遠島命令によって沖永良部島に到着したのは文久2(1862)年の閏8月14日。到着したものの、和泊の牢屋が完成していなかったため船牢で2日間を過ごしている。

〇所在地/大島郡和泊町伊延
〇アクセス/沖永良部空港から車で約10分
〇駐車場/あり
 
南洲神社
南洲神社
明治34(1901)年に建立され御祭神は西郷隆盛。同敷地には南洲文庫跡(図書館)や西郷隆盛像が建立されている。大正8(1919)年に架橋された社殿横の美しい石橋には南洲橋の名がつけられている。

〇所在地/大島郡和泊町手々知名
〇アクセス/沖永良部空港から車で約15 分
〇駐車場/あり
 
文久2(1862)年に遠島を命じられた西郷が最初に流された島。西郷のもとに、菊次郎と生まれたばかりの菊草を会わせようと奄美大島から愛加那が到着し、再会が叶った。しかし島津久光からさらなる沖永良部島への遠島命令が下り、再び家族との別れることになる。
西郷隆盛が寄寓した奥山家
西郷隆盛が寄寓した奥山家
沖永良部島へのさらなる遠島命令が下った西郷隆盛が、そこへ向かう船を待ったのが島の東側に位置する井之川集落。滞在宅跡には西郷が腰かけもの想いにふけったとされる松が残されている。

〇所在地/大島郡徳之島町井之川
〇アクセス/徳之島空港から車で約45分
〇駐車場/なし
 
岡前の西郷隆盛謫居地
岡前の西郷隆盛謫居地
徳之島に到着した西郷隆盛は岡前の松田勝伝の家に落ち着く。ここに留まったのは2か月に満たない期間だったが、住民との交流、砂糖政策に関する役人への進言や子どもたちへの教育の様子が今も大切に語り継がれている。

〇所在地/大島郡天城町岡前
〇アクセス/徳之島空港から車で約10分
〇駐車場/なし(岡前西郷公園を利用)
 
西郷隆盛上陸地
西郷隆盛上陸地
湾仁屋湊(湾屋)に西郷隆盛が到着したのは文久2(1862)年7月5日頃。鹿児島から屋久島、奄美大島を経由しての船旅であった。現在は徳之島空港の隣接地に記念碑が建つ。

〇所在地/大島郡天城町浅間
〇アクセス/徳之島空港から車で約3分
〇駐車場/あり
 

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