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草津の本陣跡を訪ねて (2-2終)

面白いことにあらかじめ本陣側から幕府に対し和宮滞在の際の昼食の素材を『御料理物宿々有無書上達書』という文書で回答していることです。この文書は大津宿から板橋宿までの全宿に提出が求められたようです。和宮は昼食のみで、ここには泊まっていません。彼女は隣の守山宿に泊まっています。ではここ草津の昼食で何を食べたのでしょう。答えは一汁四菜の献立で膳所(ぜぜ)藩の賄い担当と思われる西村藤八という人が何と京から江戸までの全行程の和宮の食事メニューを詳細に書き綴っていたのです。本陣の近くの草津宿街道交流館でこの時の一の膳、二の膳を再現した献立が公開(現在は特別展の為に展示されていませんが私はお願いして見せて頂きました。)されています。 和宮御膳1 岐阜市の加納宿でも昭和29年発行の『加納町史』で和宮が食したとされる一汁四菜の献立が明記されています。しかも今でも加納宿の料理店で再現されているようです。篤姫も多分同じようなものを食べて江戸に登ったんでしょうね。これって今鹿児島で研究中の篤姫御膳の参考になりませんか? (左及び下は和宮御膳) 

私が興味を持ったことは魚料理の項目で鯛を含め数種の魚の名前が書いてあるんですが但し書きがあるんです。『海の魚は当地では獲れないことから伏見大津から取り寄せます。季節のものでもあるので万一入手できないときは別の魚になります。』というような断り書きが入っています。これって今でも書いてますよね。実際には和宮が昼食を取った日は江戸方の精進日に当たった為魚類は出していません。  和宮御膳2  

和宮が下向の際、長い行列ですから一部はここ草津宿に泊まっています。この時の宿割『和宮様御下向の御宿割表』、つまり誰が本陣で、誰が副本陣、旅籠には誰が泊まる、、と書き記したものも残っているんです。随行員に番号が附してあってその47番目に観行院殿と書かれた方がおられますが、和宮の実母だそうです。お母さんは本陣では無く大黒屋弥助という副本陣でご休憩されています。和宮が道中詠んだ歌もありました。『落ちてゆく 身としりながら 紅葉の 人なつかしく こがれこそすれ』。和宮って江戸に行くことがよほど嫌だったんでしょうね。 (別の資料に『落 ち て 行 く 身 を 知 り な が ら 紅 葉 の人 な つ か し く こ が れ こ そ す れ』と書いたものがあります。私が読み取れなかったのかもしれません。)

 その他槍や刀が届かないように配慮された大きな桶のある広い湯殿、広大とも言える台所とズラリと並んだ釜戸群、殿やお偉方は表玄関から、下々は表板間と呼ばれる所から入ったことなど、大変参考になる草津本陣です。京都までお越しの際は是非新快速に乗ってわずか19分の草津駅、 本陣の旅籠 そこからゆっくり歩いても10分の本陣にもお立ち寄りください。とても1時間では足りません。尚月曜休館で入場料は¥200です。(終り)

(今でも素敵な旅籠ですよね。こんな街並みです。)

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