肥薩線が2009年11月21日に100周年を迎えることは残念ながら我が県ではあまり知られていない。しかしお隣の熊本県では数年前から動き始め、具体的な成果としてあの一旦運行を終えたSLあそBOYが台枠、ボイラーの全面取替え、更には客車の改修を済ませて2009年に熊本~人吉間にまたまた登場することになった。大正11年生まれだから2009年だと人間様じゃ米寿の一歩手前だ。新幹線が開通すれば熊本までは福岡からはあっという間に到着する。このまま通過駅になってしまうのではとの全県的危機感が今徹底的なアナログ型列車の旅とこれを支える1市10町でのグリーンツーリズム型受入態勢の整備という方向で進んでいる。もう肥薩線100周年記念の立派なパンフレットも出来上がっている。
さて今月4日に初めて湧水町から人吉まで車で走ったが、何とたった35分で到着した。鹿児島市内から湧水町に行くより速いことに驚いた。そして人吉からこれも初めて『いさぶろう・しんぺい号』に乗ったが客の多さに驚いた。この『いさぶろう・しんぺい号』はなかなかいい。途中駅が少なく、スイッチバックの際の運転手の車内移動と運転が直接見れること、かつ各駅に停車、下車観光ができ、各駅が木造で歴史を物語っている。この点だけに絞ってみれば『はやとの風』より観光的には優れている。大畑駅にはループとスイッチバック、石積みの給水塔、石造り噴水があるし、この路線の最高地点矢岳駅にはSLが置いてある。ここには元々あのSL阿蘇ボーイ、SL人吉号が保存されていた。矢岳駅を出発、すぐに難工事の末完成した肥薩線最長の2096mの長さを誇る矢岳第一トンネルがある。このトンネルの入り口には人吉側が着工当時の逓信大臣山縣伊三郎、吉松側には当時の鉄道院総裁後藤新平の石額が掲げられています。矢岳第二トンネルの前に日本三大車窓と言われる大パノラマが展開して3つ目の駅は真幸(まさき)駅に到着します。ここもスイッチバックが設けられています。駅名が『幸せに真っ直ぐ』ということから女性には大の人気で駅舎には幸せの鐘があり、職場旅行の若き女性陣は一目散に鐘打ちに走ります。でもおじさんは恥ずかしくて叩きません。
ただ残念ながら今日のお客も終着駅吉松駅に到着するとトイレだけ使って、迎えのバスに乗ってまた人吉に高速で戻った。時にはここから真っ直ぐ霧島方面に向かうこともあるらしいが要は今の吉松は通過点になっているということだ。湧水町では新幹線全線開通後の主要なお客の流れを人吉経由と想定し、人吉との連動で受け入れ態勢の準備を開始した。
昔吉松には蒸気機関車が19輌も配置され、当時の人口の約2割が旧国鉄関係者で占められていた。旧鹿児島本線の矢岳越えの主要駅でもあったことから今の1輌だけ展示の蒸気機関車をもっと増やし、SL記念館も整備拡張し、現在の通過地点から滞在型観光地に変えていこうという発想だ。でも箱・モノだけでは到底お客は呼べない。熊本同様、ツーリズム型受け入れ態勢をどう連動して構築できるかが重要だ。その為には先ず人だ。次に役場、民間、NPOを束ね、そこに住んでる人が中心に動く組織作りだ。これが逆だと今まで通り組織の為の集まりで終わり、字面は残っても実態何もしない結果に終わる。広域連携も重要だがこれも今まで幾多の失敗例がある。だから湧水町だけでも動くという強い意気込みが必要だ。他力本願では絶対ダメだ。
福岡から(迄?)わずか1時間20分と時間軸が短縮されることはメリットだろうが、しかし過剰な便利さを不便と感じる客層は結構多いものだ。だからこの手のお客様は今まで掛けていた時間内で更に遠くを目指すことになる。それもこれまでなかなか行けなかったような場所だ。
つい先日の新聞に湧水町に残る14箇所の100年暗渠の写真が掲載されていた。これらも実際見るとなかなかレトロ調でいい。それ自体がストーリーを語りたくて仕方ないように感じられる。素晴らしい湧水もある。これを利用した豆腐の逸品も週3回程度主婦のグループが作っている。食ってみたが確かにこれは旨い。でも観光客には全く知られていない。旨い水も飲めない。ここの図書館は県内貸出率も確か一番だったはずだ。アートの森、牧場、栗野岳温泉、鶏の地獄蒸しは食べてはいないが旨そうだ。今でもいろんな宝がある町だ。これらを有機的に繋ぐのはやはり人だけだ。
しかし湧水町の『森のやかたゆったり館』のロッジに雨降りの夜、一人で宿泊するのは結構勇気がいる。早く朝がやって来ないかと早く寝ることにした。


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