この本については何度も紹介されているとは思うが実に面白い本なので敢えて私の読後感も添えたい。
著者は1843年にロンドンで生まれ11人の兄弟の4番目として育つ。篤姫がまだ8歳の時分だ。カタカナでサトウと書くと日系かと錯覚するが英文字ではSATOWと書く英国人だ。兄弟が図書館から借りてきた1冊の日本の紹介本がきっかけとなって日本に興味を持ち、18歳の時にイギリス外務省の通訳生に応募して合格し、中国天津郊外から船に乗り上海を経由して、薩摩硫黄島の噴煙を見て、1862年9月に横浜港に降り立った。
1週間後に生麦事件が起こり、1863年の薩英戦争にも立ち会い艦上から薩摩を眺め、賠償金交渉にも関わり、それ以降大久保、西郷、小松、勝、木戸、岩倉などとも頻繁に会い、その記録を克明に残した。時に攘夷の白刃にも襲われ、罪人の首切り、切腹にも立ち会った。最初の日本滞在が1862年から維新が成った1869年までの6年半、2回目が1870年から1883年(天璋院篤姫死去の年)までの13年間、3回目が1895年から1900年までの5年間と、通算約25年間も日本に滞在した。まずこんな外交官は世界にも極めて稀だろう。彼はまた法曹の資格も得て1906年から6年間ハーグの国際仲介裁判所のイギリス代表でもあった。
最初の滞在を終えて日本を去るとき、勝は記念に彼の脇差しをサトウに渡している。薩摩の面々からも餞別や贈り物を貰っている。また皇室からは大きな蒔絵の用箪笥も届いた。日本の歴史上の重要な変革期に単に通訳としてだけではなく、幅広い国際感覚を日本に植え付けたことも評価されたんだろう。この本は彼が2回目の日本駐在を終え、1884年タイの総領事となってバンコクに赴任した際に日本時代に記した彼の日記に基づいて書かれたものだと言うが日本では生々しい維新前後の記録として戦前まで禁書扱いとなっていた。
この本の面白さは生活者の目線で日本及び日本人を見ていることで時を経た今でも十分通じるものがある。時代を超えた客観性というと大げさだろうか。教科書には書いてない、でも日本人として知っておかなきゃいけないと思うような事も多く載っている。当時の幕府の末期的状況の中での人物評、特に西郷との船上での出会いなどは今我々に伝わる西郷さんのイメージに近い。西郷との対比で大久保も描かれる。天璋院篤姫には直接会ってはいないが名前は出てくるし、薩摩藩士と何個遊びもやっている。しかもこの効用もちゃんと見抜いている。多分庶民感覚に優れ、人間的にもなかなか面白い人だったんだろうと想像する。彼の著作の中には『日本に於ける竹の栽培』や『薩摩に於ける朝鮮人陶工』などもあってアンテナの広さをうかがわせる。上下2冊の文庫版だが読み応えは十分だ。


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