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プロデューサーズコラム

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2007年12月27日

種子島とサポセン

25日から1泊2日で久しぶりに種子島に出向いた。それにしても今回の船は波が荒い関係かよく揺れた。熊毛地区所属長等研修会での講話には多くの県関係者が参加された。新幹線が2011年全通するが航空路線は鉄道より1年前倒しの2010年にも幹線が再編成され、地方路線も併せて再編成の動きがある。特に鹿児島の離島路線は新幹線の全通で影響が大きいと考える。この機に北部九州を含め主要都市との念願の直結も期待できることをお話した。だから交流人口の拡大に向け今準備を加速しないと間に合わない。今回関係者との懇親会、二次会、更には三次会までめずらしく痛飲したが新しい店、しかもIターン者がなかなかセンスのいい店を開いていた。日頃夜の空間が大切とお話ししているが西之表の動きは期待が持てると感じた。

さて翌日はかねて行きたかったU・Iターンサポートセンター(通称サポセン)を訪ねた。県内より県外で有名なこのセンターだが先ずはその事務所に驚いた。サンダース軍曹が天幕を捲って出てくるんじゃないかと思うようなテントの館だ。中に無線機こそ無いがパソコンのケーブルなどがあって一見して野戦基地だ。しかも強風でテントが煽られて騒がしい。でもこんな事務所だからこそ現場の臭いがプンプンしていた。石油ストーブが一個置いてあったがこれからまだまだ寒くなるとテント内での活動も大変だなと思う。このサポセンは2003年に活動を開始した。当初は移住者への空き屋情報提供をメインに活動してきたが今はより積極的に人口を増やすことで地域の活性化に貢献すると明確に目的に掲げている。数年前からサポセンの活動と実績を聞きつけた各地行政の視察も多いようだ。それらをこなしながら本業(?)の移住志願者に移住先輩として的確にアドバイスし、ケーススタディーを積み重ねてノーハウも構築できた。昨今では年間90数名に及ぶ移住・定住者を生んできた。団塊の世代もいるが30,40台の現役でしかも手に職を持つ人間が多く集まってきた。まま地域にとけ込めない事例もあるんだろうが私はその努力と成果は大いに賞賛に値するものだと思っている。地域と移住者を繋ぐ触媒というかインターフェース的な役割がここの機能だろう。でもこれほど成功している事例も他にあまり聞かないのはやはり誰がやってるのか、つまり人だと思う。会長は東京、事務局長も兵庫のご出身だそうだ。会長は元リフォームの会社経営、事務局長は脱サラして大浦町で営農を学び、この種子島で自ら畑仕事に勤しむ。ちょっと気むずかしい風な感じなんだが噛む程に良い味が出てくるアカデミックなお方だ。残念ながら会長に先んじてここに移住していた息子夫婦は最近宮崎の清武に再移住されたようでちょっと寂しいなあと本音も漏らされた。昨今の学校の統廃合も子供を抱える移住希望者にとって腰の引ける要因になっているんだそうだ。県もこういう地道ながら着実な成果を生んでいる活動をもっとしっかり見て欲しいと思う。

種子島とサポセン① さてすぐ傍にある南種子の図書館を覗いた。本屋さんの隣にあるというロケーションもめずらしいが図書館に入った途端に面が割れた。10月県の図書館総会での私の講話を聞かれた方だった。資料費も一時大幅な減額となった時もあったが現在何とか他地区に遜色ないレベルまで復活してきたと言う。ここで柳田理科雄という方の本に出会った。聞くと前町長のご子息で理系の解説本をたくさん執筆されている在京の方らしい。こんな出会いも地域の図書館なればこそなんだろう。                                  種子島とサポセン②

この南種子で昼食を取った。『磯乃茶屋』という初めての店だがメニューを見ただけで美味しさが伝わるような店だった。稲荷寿司2個付きで¥650のラーメン定食を食べたが、どうしてここのラーメン、豚骨に醤油仕立てを加味したなかなかのお味だった。近くの女性に運ばれてきた唐揚げ定食も見せて貰ったが次回はこれを食したいと思うほど綺麗だった。ここは味もさることながら見てくれもすこぶる優れたお店だ。

 

2007年12月20日

図書館のミッションー前鳥取県知事片山氏の講話

今日は朝からJRで宮崎に日帰りで行き、前鳥取県知事で現在慶応大学大学院教授をされている片山善博氏の講話を聞いた。県の首長経験者がなんで図書館を語るんだろうという単純な興味もあったが彼ならきっと面白い話が聞けるだろうという期待感のほうが大きかった。

図書館ミッション講座 さて今日の正式なタイトルは『Live! Library 人づくり・地域づくり 図書館のミッション』という少し長いものであったが冒頭片山教授が講和された。あのテレビでよく見る柔和なお顔を見ながら最前列に陣取って聞いたが話しの内容は結構厳しいものだった。気分の悪い方もおられるかもしれないが以下は片山氏の言葉だからご勘弁願いたい。

1999年から2期8年間知事を務める中で国の進める地方分権が量的拡大のみを重視し、質的改善に繋がっていないことが地域の疲弊をむしろ進めているのではないかと危惧した。公共事業と交付税の『先食い』であの夕張の破綻が生じた。今また合併特例債の『先食い』が始まろうとしている。800兆もの借金を抱える国がもはやそんな甘い支援が出来るわけがない。結局自治体の考える力が無ければ騙される。地域住民も、議会もチェック機能を失えば民主主義は成り立たない。『馴れ合いと学芸会』では本物の地方自治とは言えない。だから図書館は地域の知的自立支援を最大のミッションとしなければならない。図書館を見れば地方自治のレベルが分かる。図書館は地方自治のリトマス試験紙だ。

彼には6人のお子さんがいる。官舎住まいでは本も置けない。だから皆 図書館ミッション 地域の図書館にお世話になってきた。今もできるだけ図書館の近くに住むようにしている。図書館の運営を指定管理者に任せようとする最近の動きについて、片山氏は①収入アップ②コスト軽減③質の向上が図れる行政サービスはその対象と考えるが図書館には指定管理者制度は基本的に馴染まないのではないかと考えている。

昔は国が言う通り全国一律の基準で動けば済んだが、今は同じことをやってたら生きていけない時代だ。だから地域住民が自分で判断する能力が問われている。トークセッションに参加された同じ慶応大学の糸賀教授が米国の図書館のポスターを紹介された。『If information is a currency of Democracy, The Library is the bank』 とあった。もし情報が民主主義の通貨なら図書館は銀行だとする標語だが、これは米国の現役政治家の作だそうだ。教授のコメント『本物の銀行と違い情報の銀行は貸し渋りはしない。』は会場を大きく沸かせた。

100分のトークセッションを含め12:50~16:10まで途中15分の休憩があったがみっちり内容のあるシンポジウムだった。

 

2007年12月18日

みんなのグリーンツーリズム研修会in出水

17日は県北出水でのグリーンツーリズム研修会に講師として参加した。この研修会は県農政部からの委託でNPOさつまが運営し、県内各地で開催され2月19日が最後だと聞いている。

出水のみかん園 さて出水は業務、プライベイトを含め何度も訪ねているが今回は研修会に先立ち竹崎農園さんにあらためて出水をご案内頂いた。概ねコースは東光山展望台(ここは必見)、平成9年の大水害を被った針原地区、井伊直弼殺害に関わったとの科で自刃した有村雄助の首実検の地、野間の関所跡、特攻の碑、特攻神社、鶴観察センター(まちの駅側)、 出水の鶴 荒崎の展望台、船と荷の出入りをチェックした旧番所跡、菅原道真が座ったとされる菅公石そして神酒造本宅だ。今の時期は鶴の飛来数も12,000羽を超えて空を悠々と飛ぶ様は圧巻だがこれだけで出水観光が終わったとすれば結局出水の極めて季節的かつ表面的な部分だけを垣間見ただけで終わることになる。 尚鶴観察センター隣のまちの駅には旧薩摩街道の地図や篤姫がらみの説明も受けられる。

この出水は鹿児島に於ける島津氏発祥の地でもあり、薩摩街道の要所でもあった。篤姫の将軍家へのお輿入れに際し、小説では大坂まで海路、そこから江戸に登ったとされているが、史実はこの出水市野田郷を経由して江戸に登ったらしく篤姫が立ち寄ったことが記された掛け軸も残っている。だからこそ来年早々のNHK天璋院篤姫のロケも麓地区の竹添邸と宮路邸で去る10月実施された。またつい最近収録を終えたばかりだが来年1月中旬過ぎには2回に渡り鶴瓶さんが出水を紹介することにもなっている。古くからの人と土地の関わりを少しでも知って頂くことが本物の出水を知ることでもある。

みんなのグリーンツーリズムin出水 さて夕方6時過ぎから遠くは水俣からも数名の参加を得て30名程度の規模で竹崎邸の和室を繋ぐ形で開催された。私の方からは10月県が新しい『鹿児島県 本物。』PRポスターを作成したが、この本物をどう捉えるかが重要であること。結論から言えばあるものをあるがままにという姿勢を基本とすることが大切だと説いた。水俣では水俣病をも地域の財産と捉え、逆にその長い苦しみをバネに、水とゴミと食べ物に世界で一番のこだわりを持つ地域としての新しい水俣を作っていこうとする動きが生まれ、今一度先人達の知恵に学ぼうという座学『地域学』の実践に結びついた。要は古くからその地で人がどう生きてきたのか、そして今も住んでる人たちが先人の教えを活かしながらどう生きているのか、生活者としての土地との関わりと次の世代への継承にどう真剣に向き合っているのか、その姿を見て貰う事だと思う。『あるものをあるがままに』とはけっして何もせずじっと傍観することじゃない。

みんなのグリーンツーリズムin出水 しかし夜はとても寒かった。竹崎さんの同級生達も手作り灯籠を準備してくれた。出水の出身で40年間関西に暮らしてきたご婦人による見事な手延べ蕎麦も振る舞われた。料理の中にダイコンなますがあった。土地柄か新鮮なキビナゴが入っていたが素晴らしい味で何度もおかわりした逸品だった。翌朝は高菜の漬け物を戴いた。これまた最高に美味な味だった。しばし忘れていた本物野菜の味だった。ごちそうさま!

 

2007年12月13日

県最北端の島『獅子島』

週の中日ちょっと足を伸ばして県最北端の島『獅子島』を訪ねた。これまで長島には何度も足を運び、都度私の好きな針尾公園から伊唐島の先にその姿を見ていたが渡ったことは一度もなかった。

獅子島 今日は朝8時半に家を出て天長フェリーの出る諸浦港まで急いだが船の出る10分位前の11時に着いた。さっそく乗船手続きを済ませて車を積み込む。この天長フェリー『ロザリオ』号は330トンで形がユニーク。何となく海に浮かぶ空飛ぶ円盤みたいで、子供達はきっと喜ぶだろうなと思った。船の中もサロン風で綺麗だ。乗ることわずか20分で獅子島の片側(かたそば)港に着いた。港の前の小高い丘に獅子島中学校があるが教室の電気の点き方からすれば空いた教室もあるということだろう。

さてこの獅子島は約2億年も前に海底が隆起してできたらしく、島の至る所でファン垂涎の化石が出るらしいが雲仙天草国立公園に指定されていることもあって島からの持ち出しはご法度だ。来年2月3日は獅子島一周ウオーク(24km)が開催されるが早々と定員500名を超え、申し込みを締め切ったらしい。やはり化石ファンはこんなイベントを待っているんだろう。でも今の獅子島には若干の問題がある。それは食事場所だ。天長フェリーに事前に聞いて前日に予約の電話を3軒に入れたがことごとく断わられた。宿泊以外は相手にしないらしい。今日も片側港に着いて地元のお母さんに聞くと食事場所は無いと言われた。つまり日帰り客はお呼びでないということだ。やっと午後0時半ごろ幣串で電気の灯いた食事処に車を停め、腹ごしらえしようと戸を開けると家族でテレビ観覧中でダメだと言う。つまり個人客は相当心構えをして来る必要があるということだ。その場で何とかの世界はここには無い。

獅子島② 島を一周しているとなかなか絵になる村落を見つけた。村の入り口の道祖神が愛らしい。しかし歴史のある館が多い。皆川に沿って同じ方向を向き、概ね造りも同じように見える。今封切り中の椿三十郎が爪楊枝を口に挿して出て来ても違和感を感じない。多分日本の家屋の 獅子島③ 研究をされている方には興味ある対象になるんだろうと思った。また獅子島と呼ばれる所以にもなった獅子谷七郎を祭る神社も小さいながら存在感を示していた。

 

 

2007年12月11日

初冬の風景とツー大

先週土曜日から月曜まで南さつま市の新産業創造委員会の一員としてツーリズム大学12月講座に参加した。土曜は朝9時半に福岡を出て約2時間で小国に到着。午後1時からの講義の前にご飯、味噌汁、豆腐の単品で昼食。豆腐がもっと美味しければいいのにと感じた。(実はこの豆腐を福岡で麻婆豆腐にしたんだがこれは結構旨かった。食べ方で印象が違うようだ。) 12月ツー大竹の湯

先月同様嬉しいことに我が鹿児島からは5人の参加だった。種子島からも来られている。今回は何と北海道からも3名の参加があった。農産物加工の分野での先進事例として小国の名前は北海道でも通じるらしい。近くの大分県大山町にも視察に行かれたがここも大いに参考になったらしい。

さて今日の朝刊でも限界集落の再調査が一面に出ていた。今回の講師でもあった熊本大学の徳野教授12月ツー大授業風景 これまでも村落に入り込み、戸別にチェックして限界集落と言われる村落が手の施しようのない真性限界集落か、支援すれば存続可能な仮性限界集落かを見極める詳細なチェックをされている。限界と言うレッテルを貼られただけでやる気をなくしてはいないか。軽々にこのような言葉を使うべきではないという立場だ。こんな地道な研究が本物の研究だと思った。正直口は悪いが核心を突く話に引き込まれる。だからグリーンツーリズムに対しても厳しい。上辺だけのグリーンツーリズムは都市が農村を食い物にするだけで農山村の真の振興に繋がらないと言い切る。観光型 、地域活動型、自然・農志向型など農山村が関わるグリーンツーリズムを基盤とした交流の形態毎にしっかりとした位置づけと、農山村の誰とどんな交流をするのかを都市側も明確にしないといけないと説く。

また流行の地産地消について東大特任研究員の船戸氏から、元々1980年代初期に農村の食生活改善と医療費削減を目的に地域農民に対して発せられた言葉がだんだんと消費者全般を対象に発せられるようになった経緯、イタリアでスタートしたスローフード運動がアメリカのハンバーグショップの進出による地域の味の消滅に対する危機感に由来している話など参考になる講話があった。地域の味を守ることが今でも運動の骨子らしい。

12月ツー大味噌の地獄蒸し さて実習は味噌作り体験だった。土曜日に小国産大豆5升を洗い、翌日米袋に入れて地元の方々が地獄と呼ぶ蒸気の自然噴気を利用した釜に入れ(写真左)、翌朝これを引き出して擂り粉木で潰し、米麹、麦麹、塩を入れて掻き混ぜ、小国産杉樽に詰めて半年寝かせるという作業だ。特に潰しの作業は体力が相当に必要で、とても1~2人じゃできる仕事ではない。昔から地域で一緒に作業したのも頷ける。日本の文化は発酵文化だと言われる。こんな共同作業が地域を結んでいたんだろう。昔 12月ツー大味噌作り は麦味噌が多かったそうだがいつの間にか米味噌が主流になった。これは日本陸軍に納入していた信州の米味噌が東京の家庭のスタンダードになったことに起因するのではというのが九大の石村先生の説だった。

1日湧蓋山の途中にある山小屋に泊まったが空気が澄んでいるのか満天の星空に驚いた。何十年ぶりかでこんなたくさんの星を見た。翌朝は案の定凍えるような寒さ。水も凍り湯たんぽの残り湯で顔を洗った。落ち葉を掻き集めて、釜に汲み入れた雨水を暖めて食器を洗った。この地域今年の紅葉は数年ぶりの当たり年だったそうだ。

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