トップページプロデューサーズコラム≫2008年03月

プロデューサーズコラム

« 2008年02月 | メイン | 2008年05月 »

2008年03月27日

お別れのご挨拶

 県内の皆様はすでにご存じですが、私はこの3月末日をもって退任することになりました。長いようで短い2年7ヶ月でした。

このコラムを県外でご覧の方々もいらっしゃるようで、出張の先々で感想をお聞きするチャンスにも恵まれました。自分の目線の狂いに気づかせていただいたのもこのような皆様方の何気ない一言でありました。心より御礼申し上げます。

私は『観光は人である』と赴任早々から提言の中でも訴えて参りました。マスツーリズムの時代から個の時代への移行、それに伴う新しいサイトフィーリングの時代であればこそ、私がどんなものの見方をしているのかを発信することが大切だと考えました。また同時に地域に住み、地域で働く人がどう考え、どう自然と向き合ってきたか、生活者としての目線での語りもこれからの観光には重要です。マイナスを言えば切りがない、でも都会にないプラス面に目を向ければ田舎にも可能性が見えてくる。この可能性をコミュニティービジネスに繋ぐ為に汗をかく人の輪、これが自律的観光、内発的地域振興の卵です。

今日さつま町から嬉しいご報告を頂きました。久富木地区の数軒の農家が農家民宿の認可を受けるという吉報です。特に地域保健所の協力が大きなバックアップになったとのお話でした。保健福祉部の皆様にはこの場をお借りして御礼申し上げます。さらに今朝一番には薩摩川内からもグリーンツーリズム振興に向けた実効性ある具体的な取り組みについてお話も聞いたところです。地域先行の時代です。ツーリズムの種蒔き人(大げさでしょうか?)として県内各地で語って参りましたが小さいながらも芽が出始めた思いです。地域の皆様、本当にありがとうございます。引き続き前に前にお進みください。小さな成功事例の固まりが新しい観光かごしまの本物の力です。他律的観光に持続性、発展性はありません。

お別れ 4月1日以降新しいプロデューサーが着任されます。経験も長く、鹿児島のことは私よりはるかによく分かった方です。今後のコラムにどんなストーリーが展開されるか、わくわくドキドキ、皆様と一緒に期待したいと思っています。皆様、本当にありがとうございました。

                                                     

                                                                                   

 

                                                                                                           其田秀樹

 

 

2008年03月21日

長島町でのラクレット!

阿久根のタイマッサージ 18日は長島町で獅子島航路活性化の会議があったので3号線沿いに車を飛ばした。途中阿久根の手前の民家に突然タイの国旗が翻っているので戻ってみると何とタイ古式マッサージの店だった。好奇心もあって玄関を開けるが鍵がかかっていて不在の様子。でも何でこんなところで店開いているんだろうか。ちなみに70分¥3,500だから悪くはない。機会あれば試したいと思いながら長島へ向かった。

会議が終わり翌日旧長島町で開催予定のラクレット研究会の件で役場の方との打ち合わせをして図書館を覗くとこれまでにない活況!お母さんと子供が絵本を読んでるし、おばさま方も本を読まれてる。係の方に挨拶してるとおばさま達が明日のラクレット作りに参加するんだと言われ、料理の本を手元に置いて事前勉強中だとか。

さて翌19日朝9時過ぎに今日の料理人吉田氏が到着。彼はヒルトンの総料理長も長く、その後欧州での経験も豊富でラクレットもよく知ってる達人。先ずは私が開催の趣旨を語り、若い女性陣に人気のある料理であること、これを使った仕掛け作りは今北海道でも準備中であること、海の幸と野の幸を使った新たな長島の売り込みのヒントを長島町の皆さんが探すきっかけ作りが目的であるとお伝えした。

長島ひおうぎ貝 事前に食材については100%地産地消を原則にしたいと役場にもお願いしていたので前日には役場の方と一緒に島の新タマネギも買ってきたが並んだ食材は柑橘類も豊富だし、ホタテに似た2枚貝のヒオウギ貝の自然の色には驚いた。勿論特産のブリ(鰤王)も3枚におろして準備してあった。

先ずは今日のメインのラクレットに使うその名もラクレットチーズを細かく切って貰う作業を数人で分担、そのまま試食して貰ったがそのままでも結構旨いチーズだ。次に柑橘類を使ってドレッシングを作り、これに長島町で作る醤油を加えて味を調えた。次にブリの 長島町ラクレット カルパッチョを作り、裏の加工場で蒸したジャガイモの準備ができた段階でいよいよラクレットチーズを溶かし始めた。本当は専用の機械もあるんだが今日は敢えて使わない。このラクレット、芋もチーズも熱々でなければ駄目だ。だから本場でも小皿で数回おかわりして食べる。チーズができあがって即試食に入ったが黒胡椒の粉をちょっと振ると味が一層引き立つ。若い方々を中心にこんな料理があったのかという声も上がり、おかわりも続いた。私もジャガイモを盛る作業に多忙でこのラクレットの写真を撮らなかったのが悔やまれる。この前後ブリのカルパッチョも大皿4,5枚に載せて食べて貰ったが好評ですぐ無くなった。

最後の料理は例のヒオウギ貝で、活きのいい貝を開いて中身を取り出し、そのままフライパンでニンニクと  長島町ラクレット 油で炒め、これにヒオウギ貝から出たスープを煮詰めて味を調えた。大皿に島産の天然アオサと千切りにして炒めたタケノコをベースに敷き、その上に熱々のヒオウギ貝を載せ、皿に煮詰めたスープをかけたこの料理、取材の報道関係者から料理名を聞かれたが私には分からない。でもすごく美味しかった。準備して貰った食材を全部使いたいとの吉田料理長の思いから生まれた創作料理だ。

この後意見交換会に入ったが観光協会長からは是非もう一度やって欲しい。ラクレットを長島町の宿での1品にできるだろうかとの声もあった。吉田氏も長島は海の幸が看板、ラクレットはこれに新たな魅力を添えるものであること、また私からこの料理はどちらかと言えば美しい風景を愛でながらのイベント用の料理 長島町ラクレット の方が似合うこと、とにかく熱々の状態をどう保つかが大切であること、芋煮会などの名前では人はこっちを向かない、島に域外からの人々を呼ぶきっかけになる料理であることを説明して皆さんで今後どう活用するか検討して欲しいとお願いして終えた。始まったら忙しい作業の連続で吉田氏もお疲れの様子だったが私的には面白いイベントだったと考える。

 

2008年03月20日

夢実現!牡蠣

19日の夕刻、友人から連絡があり、鹿児島にあの厚岸の牡蠣が入ったとの報告があり、急ぎ馳せ参じた。半信半疑で天文館の店に顔を出すと店主が白い発砲スチロールの箱から取り出したものは紛う方なき厚岸牡蠣だった。

厚岸の牡蠣 さっそく面前で牡蠣を開けて貰い、一皿に3個ずつ盛って期待に胸膨らませて食ってみれば確かに美味い。でも新鮮で旨いのに何か足りない。それは温度だった。勿論常温で保管されているのではないがもっと下げたほうがいい。そこで店主にあと2度程度下げて貰い、2皿目を食べた。さっきよりもっと旨い。でも更に2度下げて貰う事にして3皿目を待つ。この最後の牡蠣が今夜の最高だった。同じ牡蠣でも何で温度でこんなに味が違うんだろう。多分この3皿目の牡蠣が育った厚岸の海の温度なのかもしれない。上記写真にある通り私はケチャップをちょっとのせるのが好きだ。

でも店主に聞くと最近鹿児島でもこの時期牡蠣を希望するお客が増えているらしい。県外からの赴任者や出張者が増えてきたんだろうか。マーケットがあればそこに産業が生まれる可能性も出てくる。お願いすれば厚岸からでも取り寄せてくれる店があるなんて便利な時代になったもんだ。今夜はこの便利さを素直に喜んだ。

2008年03月17日

徳野貞雄教授の講話(蒲生町)を聞く

前後したが14日の金曜日、部内の女性から今日蒲生町に徳野貞雄先生がやってくると聞いた。開演は夜7時ということもあって連盟の仕事を終えて車で駆けつけた。 ちょっと時間があったので旨いと聞く蕎麦屋『にいな』に行くと灯りは点いていたがすでに店仕舞いで食べられなかったのが残念。

先生はツー大でもお馴染みの熊大教授で、最近NHKにもよく登場している。先生がNHKに出ると聞いた時先ず私が心配したのが頭だった。聞くと局側からも頭髪の見てくれを良くするようご指示があったそうだ。でも何度か先生の話を聞いていると本物の研究ってこんなもんなんだとちょっと尊敬の念も出てくる、なかなかのフィールドタイプ。野生動物的で時に荒々しいが最後は優しさがないとこんな研究はできないと思ってしまう。

さて本日の講話のタイトルは最近の著書のタイトル通り『農村(ムラ)の幸せ、都会(マチ)の幸せ』と題するもので数年に渡り蒲生町の漆集落や四国の中山間地域に入り込んでの研究活動をベースに、最近メディアで頻繁に取り上げられている所謂限界集落についてのフィールドワークだ。あんまり前に座ると熱が籠る話の最中、時に唾も飛ぶことを承知しているので中程に座った。

先生は自称文学部の農学者。一般的に農学者が農のインフラ、生産、流通を語るのに対し、先生の場合は徹底的に人に重点を置く。農村に住む人々が何を考え、何に生き甲斐を覚え、次世代へのバトンタッチ、つまり担い手作りの面で何に苦労し、何が問題と考えるか、徹底的な戸別ヒアリング作業を通して地域の問題を洗い出す。そしてその集落が真性の限界集落か仮性なのかを見極める。再生の可能性があればどうすれば負担が少なく、地域住民が核となって進められるか、これらを導き出す地域再生の伝道師でもある。ちょっと神懸かり的な紹介になったが私にはそういう印象が強い。大の愛妻家としても世間に通じているが自分が留守することを考えて自宅の立地も奥様の実家や姉妹の家に近いところに確保している位だから身内にも優しい人だ。

大隅半島の方でも集落の戸別ヒヤリングに入ったとの新聞報道を先日目にしたが、先生が絡んでの調査であることを私は直感的に感じた。コンピューターで自動的にはじき出した65歳以上が50%を超える集落=限界集落のレッテルを心底嫌う先生だ。コンピューターには分からないそこに住んでる人のものの考えを理解せずに限界集落などのレッテルを張ることは許さないという姿勢は感動的でもある。

しかし先生7時に始めて何と延々2時間半の長丁場。9時半に終わった講話の後は彼の著作を求める長蛇の列で、あっという間に売り切れた。講話の要所要所にこの本に詳しく書いてあると示される。そういう意味ではなかなかのセールス教授でもある。私は写真機も持たずただひたすら聞いておりました。最初は悲観的に聞こえる話も、最後は何となく勇気と元気を貰ったように感じる。やはり農村の伝道師なんだろう。蒲生町の皆様、長時間お疲れ様でした。感謝!

 

2008年03月16日

1年ぶりのノーティカを歓迎!

ノーティカ号 今日は台湾の基隆からマーシャル船籍のノーティカ号マリンポートに入港した。今回のクルーズは船長に聞くとバンコクが出発地だったそうだ。約400名の乗客はそのほとんどが欧米人なので皆、今流行のフライ&クルーズのスタイルでバンコクjに到着、アジアンクルーズを楽しんで確か北京で終了、再度フライトで帰国するそうだ。

以前知覧の方からせっかく外国から来られるのに事前の情報が無く、準備ができない。せめて1週間前に概要でも知らせて欲しいとの要望もあり先日部内に発破を掛けて1週間前にはお伝えできた。今回は半日観光7台、知覧3台のバスが動いた。でも船と市心を結ぶシャトルバスの手配が無く斡旋事務所がある『ふれあいぽーと』に来られたお客様からもお小言を頂いた。これは船側の問題だと思うがやはりサービスとして必要だろう。その分タクシーは一時不 ノーティカ号② 足の状態で利用度は高かった。

私はレセプションに立会い、船長、機関長、ジェネラルマネージャーの皆さんと意見交換した。昨年3月に同船が入港した際は谷山港であり、その際に私は次回は新港でお迎えするとお約束したがその通りになったこと、船長はクロアチアのご出身でマリンポートが年間約40隻弱の客船を迎えるのに対し、クロアチアは昨年が650隻で、欧州を中心に大人気であること、環境保全を考慮して年間受け入れクルーズを700隻に限定したことなど参考になる話だった。正直規模が違うがそれだけクルーズマーケットには可能性があるということでもある。

ノーティカ号③ バスの出発に際しバス乗務員とガイドさん達のブリーフィングも真剣で、横のテント内では物産の案内、少し離れて別のテントではさつま町の皆さん方による臼を利用した餅つきもあって船の機関長も杵を振っていた。私は一旦斡旋事務所に戻ると今日船内を案内してくれたツアーマネージャーの女性が案内カウンターで情報を聞いているところだった。銀行はすでに閉まっていることもあって何といっても先ずは最寄のATMに行かねばならない。そこに船で勤務する別の女性2人も来て、結局女性3人を乗せて私が近くのATMまで送り、更に天文館まで連れて行くことになった。道すがら聞くと1人は英国人、1人はスウエーデン人、1人はフランス人だった。船長も確か40数カ国の多国籍スタッフが乗船していると話してくれたが確かにそのようだ。勿論日本人も働いていた。船内装備は豪華な船だ。いつかゆっくり乗ってみたい船だと思った。

今日に加え明日はゴーリキー号、明後日は飛鳥Ⅱと初の3日連続での入港だ。マリンポートの本格的利用が始まったと実感した。

2008年03月13日

第1回九州観光ボランティアガイド大会in宮崎

第1回九州観光ボランティアガイド大会in宮崎 11日から12日にかけて宮崎で開催されたボランティアガイドの大会に参加した。鹿児島からも総勢60数名の参加を得て会場は各県の色違いのジャケットで埋め尽くされた。初日は舞台での夜神楽に始まり、推進機構田中会長のご挨拶に続き東国原知事のご挨拶を頂いたがさすがメディアの世界に慣れておられることもあって極めて愉快で面白い挨拶だった。県庁ツアーも37万人を超える人気で当日の朝も県庁を出る際におばさま軍団に取り囲まれ、記念写真となったらしいが、おばさま達の鞄の中のカメラを探しの様子など実に再現が巧みで、写実的な言葉の使い方が上手な人だと思った。

次にJTB清水常務の講話があったがこれも良かった。この中で『旅』という言葉の由来を『他火』とする仙台の民族研究家の話をされた。火は古来暮らしの中心で、己の火が揺らぐと人は旅に出て他人の火にあたり知恵と土産を持ち帰ったという。我が村の暮らしを豊かにするこの行動が旅の原点だ。これはよかった。仕事柄日本を飛び回っていることもあって世界遺産の白川郷の問題点、最近登録された石見銀山の優れた環境保全の為の車規制なども語られた。

パネルディスカッションでは各県の代表が揃ったが何と言っても篤姫第1回九州観光ボランティアガイド大会in宮崎 光ガイド会の吉留さんの語りは珠玉だった。会場からの質問にも余裕のある受け答えをされ会場内のほとんどの方から喝采を受けた。小柄な吉留さんだが会場では大きく見えた。その後懇親会も開催され各県ボランティアガイドの交流が活発だった。

2日目は広域交流の促進に向け事例発表が2件あり、質問も活発になされ、来年の開催地熊本への引き継ぎもあって、その後3つのコースに分 第1回九州ボランティアガイド大会in宮崎 かれて現地視察に向かった。私は西都原古墳群と周辺の記・紀の道(古事記、日本書紀の神話コース)めぐりに参加したが汗の出るような快晴とベテランボランティアガイドの皆様のおもてなしもあって、すこぶる内容の濃い研修だった。宮崎を後にする際には来年も熊本に一緒にというような声が交わされていた。これまで何となく不安だった自分の案内に自信が持てる大きなきっかけになった大会ではないかと思う。

 

2008年03月04日

厚岸の牡蠣を食す!

随分前に鹿児島で生牡蠣は食べられない?とフリーメールで問うと志布志にあると教えて頂き食べに行ったことがあった。今年はなかなか機会に恵まれず夜な夜な市内で牡蠣フライを食している。昨夜も一人牡蠣フライを食ってると桜島の畑でつい先日4トンもの桜島ダイコンを収穫したばかりの顔見知りの女性が来られテーブルを囲んで牡蠣の話になった。

実は先月の話だが土日を利用して思い切って北海道まで足を伸ばし、この時期一度は食べたいと思っていた厚岸(あっけし)の生牡蠣を食した。昔の同僚にこの町の出身者がいて、よく牡蠣の話を聞いていたこともあるし、今まで食した中で最北の三陸の牡蠣から更に北上して北海道、なかでも本場厚岸の牡蠣を何としても食したいという衝動もあった。限られた時間でもあるし札幌市内で牡蠣の店を探し、産地が厚岸であることを確認させて頂いて食ったが文字通り新鮮で旨かった。丁度隣に座った東京からのビジネスマンとしばし語らいながらの牡蠣とワインと酒の夜だった。残念ながら写真は撮っていない。

さてこの厚岸の牡蠣は先住民族のアイヌの人々も食していたらしい。厚岸(あっけし)という名称そのものがアイヌ語で牡蠣の多いところという意味だそうだ。しかしこの貴重な牡蠣も乱獲と森林の消滅でこれまで2回絶滅の危機に見舞われたそうだ。最近頂いた昭文社発行のPROSTという本にこのことが載っていた。最初は昭和初期でしばらくは宮城産の稚貝を養殖して繋いでいたらしい。その後昭和32年林野庁の事業として10年間でディズニーランド140個分の広さの土地に矯正施設の模範収容者の力も得て約1725万本ものカラマツを植え、一旦牡蠣の生育が戻ったところ再度昭和58年頃稚貝のほとんどが死んでしまうという危機に見舞われた。危機感を強く抱いた町民は自ら植林運動を再開し、併せて合成洗剤の使用を止めて石鹼に切り替えようという運動まで起き、97年には日本で初めての石鹼製品の助成制度も設けられた。生活排水にまで配慮して初めて牡蠣の生育環境が整うようになったということだ。だから札幌で食べると1個¥450の値段になるんだろう。でも東京のオイスターバーでもシアトルや豪州の牡蠣はほぼ同じ値段だから美味さで勝る厚岸の牡蠣は安いというべきか。

厚岸の牡蠣には2種類あって『厚岸牡蠣』と『カキえもん』だが純正厚岸産は『かきエモン』だろう。私も食してみたが軍配は小振りな『カキえもん』にあがる。次回は厚岸まで必ず足を伸ばそうと思う。札幌よりかなり安いはずだ。

 

copyright © 2007 鹿児島県観光連盟. All Righte Reserved