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新幹線の集約列車運行による修学旅行の誘致

2011年8月29日
鹿児島県観光プロデューサー 奈良迫英光

 鹿児島県には22年、近畿圏(大阪府、京都府、兵庫県、奈良県)から43校、中国、四国地域から17校の合計60校が修学旅行で訪れており、学校別では高校が26校、中学校33校、小学校1校となっています。

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 近畿圏からの修学旅行の行先は、高校では、北海道と沖縄、中学校は、関東、沖縄がメインとなっています。大阪府下の公立、私立高校395校で見ると、行先としては北海道が117校、沖縄が76校、その他国内及び海外が188校で、九州方面はわずか14校にとどまっています。
 近畿地区公立中学校1,298校の行先は、東京ディズニーランドを中心とした関東地域が440校、沖縄が350校、信州方面が239校、九州方面が210校、その他59校となっています。

 九州方面では、新幹線で博多駅まできて長崎~佐世保方面がメインのコースとなっています。長崎方面に行く理由としては、新幹線集約列車による一括輸送が定着していることや、運賃・料金の割引があることが大きな要因です。行程としては、長崎市内での平和学習と班別自主行動、ハウステンボスの観光、松浦地区での農漁業体験が組み込まれ、学習、遊び、体験が同一県内で出来ることが行先選択の大きな要因となっています。

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 修学旅行では、いかに一括で目的地まで運ぶことが出来るかを学校から求められます。
 近畿公立中学校では、沖縄方面が飛行機を、関東と九州方面がJRの集約列車、中部方面が往復バス利用となっています。
 集約列車のメリットは、団体専用貸切のため他の一般客と混乗にならないことや、運賃と料金が半額になり、22年度は九州方面へは、中学校が127校利用しています。

 九州新幹線全線開業と東日本大震災による原発事故で、修学旅行の仕向地に変化が起きています。23年度は、当初の122校から、3月11日の東日本大震災の影響で、更に75校が九州方面へ行先を変更しています。24年度もすでに140校が申込みをしており、今後関東方面からの変更があるのではないかと思います。
 23年度は、行先を関東から九州へ変えた学校のうち、60校あまりが長崎に変更しています。今年度は、新幹線直通列車の鹿児島への団体枠が少なかったことや、旅費の範囲内で出来る地域として長崎が選ばれたのではと考えています。

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 県や各市町村、経済団体、観光連盟等が協力して、鹿児島への直通列車の増発や団体枠拡大に向けて、JR九州、JR西日本に要請しているところであり、25年度から学生の集約列車が実現するのではと期待しているところです。
 集約列車の運行が、行先選択の大きな要因であることは、紛れもない事実です。

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 今後鹿児島に修学旅行を誘致するためには、エージェントだけではなく担当の先生方に、鹿児島が最適地であることを認識していただくことが重要です。教育関連団体の組織を活用して学校に呼びかけ、招聘事業を実施し、鹿児島の魅力を知る機会を提供していきたいと考えています。
 まずターゲットとしては、関西から以西の中学校が対象となります。先日大阪府下の14校の中学校の校長先生による招聘事業を実施しました。鹿児島を初めて訪れた校長先生もあり、垂水漁港での漁業体験や知覧の平和学習、農家民泊先との懇談、維新ふるさと館等の見学を実施しました。25年度の誘致に向けて努力したいと思います。

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 一方教育旅行の誘致には、学校のニーズに応えるべくメニューづくりが欠かせません。その意味では平和学習は、鹿屋航空基地資料館や知覧の特攻平和記念館で対応でき、桜島の自然、内之浦宇宙観測所での科学、垂水漁港での漁業体験、そして鹿児島市でのまちあるきと歴史の勉強とメニューは豊富です。また、グリーンツーリズムの受入は県下全域に広がっており、今年は約10,000名の農家民泊の予約が入っています。県内全域で受け皿づくりが進んでいるのも他県との違いです。
 鹿児島は、全国屈指の農畜産県で多種の農産物が収穫され、自然の恵みと貴重な体験は生徒達に大きな感動を与えることと確信します。

 修学旅行は、学校が行先を決定すると数年続くのが普通であり、地域全部の学校が行先を変更することも良くあります。新幹線の安定的顧客にもなります。修学旅行の利点は、一度に多くの生徒が動くことです。不況時でも実施され、しかも2年前には決定して取り消しがなく、人員の減少が少なく、受入機関にとっては経営の見通しが立てられるなど安定した顧客といえます。

 一方では修学旅行の実施時期が重なるため、地元でのバスの確保が厳しくなるのも事実です。県バス協会、エージェント、学校、教育委員会などと連携し、スムーズな運行態勢を確立する必要があります。

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 修学旅行は1887年(明治20年)に始まり、日本の教育課程の中でずっと続いてきた一大行事であり、今後もなくなることはないと思います。子供達の思い出づくりの場として、大切にされる行事であり、温かく迎える環境づくりも重要です。新幹線による集約列車の運行を機に、関西から以西の地域では、行先を変更する学校が増えるのではないでしょうか。鹿児島が目的地に選ばれるよう官民あげてセールスを強化していきたいと思います。

山川~根占航路に県民あげて支援を

2011年8月22日
鹿児島県観光プロデューサー 奈良迫英光

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 2010年3月から休止していた山川~根占航路が1年5か月ぶりに再開しました。 この航路は、昭和40年代の前半から50年代の前半まで多くの新婚客で賑わい、タクシーの積み残しが出るほどの人気でした。その後新婚旅行は海外に変わりましたが、バブル崩壊の頃までは、団体旅行の欠かせないルートでした。観光客は大型バスで宮崎から日南海岸をめぐり、都井岬、志布志、鹿屋、佐多岬と大隅半島の沿線の魅力を堪能し、根占から山川に渡り指宿に宿泊するツアーが人気でした。
 一方では、宮崎から鹿児島までの高速道路網が整備され、大隅半島はだんだんと観光ルートから取り残されてきました。コースから外れたとは言え、大隅半島と薩摩半島の先端地域を結ぶ路線だけに、航路の休止が地域経済に与えた影響は大きいものがありました。

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 この度新造船「フェリーなんきゅう」(136トン)が運行し、大型バス2台と乗用車6台、旅客95人が同時に乗船出来るようになったことは、大変喜ばしいことです。
 この航路は、運行と休止が繰り返されたため、旅行エージェントから見れば忘れられた航路 になっているのが実情です。企画担当者から見れば、いつ廃止になるか不安で商品造成に取り上げることが少なくなっていたと語っていました。
 そこで県の大阪事務所と観光連盟では、この航路を活用し大隅地域の魅力を再確認してもらう目的で、中部、関西地区のエージェントとマスコミを招聘することになりました。指宿のホテルでは、関係者との懇談会を開催し、今後の誘客に繋がる企画の提案をする予定です。

 今、日本人の国内旅行は成熟し、旅行スタイルも変化してきており、地域のニューツーリズムが注目をあびてきています。グリーンツーリズム、ブルーツーリズム、エコツーリズム、まち歩きなどがその代表です。また、田舎のくらしに関心を持つ人々も増えています。従来の物見遊山的な観光、温泉での豪遊などから、個人の趣味や価値観を大切にする時間消費型の観光スタイルに変化してきています。田舎の良さを活用した旅が求められています。

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 大隅地域は海、山、川の豊かな自然がつくりだした食の宝庫であり、スローライフ、スローフードに最適な地です。「大隅産うなぎ」は日本一の生産量を誇り、志布志の「ちりめん」「はも」「鹿屋海軍航空カレー」は、地域グルメとして売りだし中です。内之浦の「えっがね祭り」も多くの人々が訪れるようになりました。

 グリーンツーリズムは、団塊の世代を中心に関心が高まっており、特に教育旅行に はこれから欠かせない素材です。担い手の育成を図り、地域をコーディネートする人の存在が大事になってきました。

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   また、最近オープンした「いるかランド」や「かのやばら園」「鹿屋航空基地資料館」「佐 多岬」など有名な観光地、施設がありながら、回遊性が確保できないために観光客の入込みは低迷しているのが現状です。内陸部にある「花瀬自然公園」や「照葉樹の森」は必見の価値があり、散策やトレッキングに最適のコースと考えます。航路の再開は、大隅半島と薩摩半島を回遊できることが大きなインパクトになります。

 新幹線の全線開業で鹿児島は大いに賑わっており、特に指宿地域は顕著な伸びです。伸 びている時ほど次の戦略を考えねばなりません。平成20年に「篤姫」の放映があり大きく伸びましたが、その後反動で落ち込みました。
 新幹線のブームが続いている間に次の企画を準備する必要があります。

 指宿に連泊させる方策としては、2日目は、大隅半島にわたる企画が考えられます。また、鹿児島市から垂水経由で大隅地域を観光して1泊し、翌日は内之浦、田代、佐多岬などを巡り山川に渡るコースも出来るようになりました。
 大隅地域を回る「無料レンタカープラン」も是非活用してもらいたいと思います。

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  県内を回って感じることは、大隅半島に行ったことのない県民が多いことに驚かされ ます。県民として、日本の原風景が至るところに残る大隅路をフェリーを利用してぜひ訪ねて、地域の生活・文化にも触れてほしい。必ずや新しい発見があると思います。

 この航路の魅力が浸透する日が来ることを信じてやみません。

美日常の、いいまちをつくる

2011年8月15日
鹿児島県観光プロデューサー 奈良迫英光

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 『富嶽三十六景』や『北斎漫画』で知られ、江戸時代に活躍した浮世絵師 葛飾北斎をご存じですか。晩年の北斎が4年間過ごしたのが信州小布施(現・長野県上高井郡小布施町)です。信州の北東部、善光寺と志賀高原のまん中、千曲川の東岸に位置する町です。

  小布施の町を20年ぶりに訪ねました。前回は一面雪の銀世界に覆われた時期でしたが、今はりんごや栗の木がたわわに実を付けており、秋の収穫に向けて農家の方々が手入れに忙しい時期で、あちこちでその姿が見られました。
 小布施は全国的にも極めて雨量の少ない地域で、扇状地で酸性の礫質土壌はりんごやぶどうなど味の良い果物と、色合いや風味に秀でた特産の栗を産出しています。「栗ようかん」は全国的なブランドとして確立しています。

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 現在は、果樹栽培が盛んな農村として、美しい自然環境に恵まれ、人間性豊かな地域社会を形成しており、先覚の残した文化遺産を継承、発展させ、「北斎と栗の町」「歴史と文化の町」として全国から注目されています。近年は「花の町」小布施のコンセプトを加え、人口1万1千人の町に年間120万人もの観光客が訪れています。

 小布施のまちを歩いて感じることは、「懐かしい」「ほっとする」「安らぐ」「癒される」ことなどです。歩道には、栗の木の丸太が埋め込まれており、木の感触が足に優しい安らぎを与えます。また、北斎館と鴻山館の脩然楼をつなぐ細道は、「栗の小径」と呼ばれ、樹木が生い茂り、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。少し町の外に出ると、道路の両側には果樹の並木が続き、遠方には信州の山々が美しくそびえて、美しい景観が広がっています。町の観光案内所の職員は親切であり、我がまちに誇りを持っているという印象でした。

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 地元NPO法人の調査によると、長野県内の観光客の平均リピート率は、小布施町が3.91と最も高く、上高地3.74、松本城3.21、黒部ダム1.95となっており、しかも半数以上が近辺の温泉地に前泊しています。観光による経済波及効果は105億円にもなっています。

 その小布施の町で出版社を営んでいる『文屋』さんが創立10周年を記念して『美日常のたより』を発刊されています。その創刊号の中に興味ある一節がありましたので紹介いたします。

 小紙の名前は「美日常のたより」です。「美日常」は小布施で生まれた言葉です。 みんなが「いいまちだねー」と心から思い、語り合えるまちをつくる。これは崇高な理念であり、やすやすと実現できるものではないと思います。
 出発は、ある疑問。

 「旅は日常から非日常への脱出」と言われます。小布施には日常と大きくへだたった非日常の場、たとえば全国的・世界的な遺産と認められるような文化や自然の資源はありません。ではなぜ、人口の100倍もの人が訪れるのでしょうか。いっとき隆盛を極めた"観光地"が衰退していくのはなぜでしょうか。小布施がそうならないためにには、そして日本の地域社会が、そこに暮らす人々、訪れる人々が幸福を感じられるまちになるためには、どうしたらいいのでしょうか。小布施人たちの、こうした疑問への回答につながる仮説として、「美日常」は生まれました。

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 「美日常」。「たいくつな日常」と「たいへんな非日常」のどちらでもない、「たおやかな日常」の営み。日常と非日常の中間にあるグレーな存在を「美日常」と呼んでみました。「美日常」の時空間を大切に育むことが、生活者と来訪者の満足が調和した独自性の高い生活文化・経済文化の創造には欠かせないと考えます。
 美しくない思い、美しくない言葉や姿勢に明確なノーと言うこと。「いま、ここ」の日常を礼賛しながら、明るく楽しく生きる。「いいまち」を目指して幸福に生きる生活者の日常は「美日常」であり、来訪者にとっても日常生活から一歩踏みだしたところにある「美日常」となる。「美日常」においてはじめて、双方の満足は調和し、好循環が末永く続く風土が生まれるのではないでしょうか。(文屋 代表 木下豊)

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 これからの観光地は、地域住民(生活者)の理解なくしては存続・維持することが厳しい。そしていかに美しい日常空間を創り上げるかが、まちにとって大切であることを問うています。乱立している看板の撤去や、建物の色や高さの制限など景観の保護も大切です。

 2010年10月1日に「観光庁」が発足しましたが、観光立国宣言では、「住んでよし、訪れてよしの国づくり」が基調となっています。
 観光は6次産業で、地域の多くの産業との関わりがあり、雇用創出など経済波及効果も大きいものがあります。訪れた観光客に地域の生活文化をふれさせることで、地産地消を推進し、地域経済が循環することになります。
 滞在して満足できるまちとは、掃除が行き届いた清潔な通り、花が咲き季節感を感じる路、知的文化をくすぐるゾーンなど歩いて楽しいまちです。そして何よりも人の温かさが必要です。

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 生活者と来訪者の双方が満足する美しい日常を創り上げるために、参考にしたい場所、それが小布施のまちです。ぜひ訪ねてみませんか。

参考:小布施観光案内帖:美日常のたより:小布施町ホームページ


お盆を故郷で

2011年8月8日
鹿児島県観光プロデューサー 奈良迫英光

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 夏休みに入り故郷への大移動が始まりました。九州新幹線が全線開業し、例年に比べて多くの人の往来が目立ちます。各地で行われるお盆の行事は夏休みと重なるため、今年は多くの人々が祭りや墓参りする姿が見られるのではと思います。

 先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、子孫が、報恩や追善の供養をする期間を「お盆」とよび、鹿児島では8月13日から16日までがほとんどです。特に人が亡くなって49日法要が終わってから最初に迎えるお盆を「初盆」または「新盆」と呼び、家の玄関や、お墓に白一色の提灯を立て、初盆以外のお墓には白と赤の色が入った提灯を立てるなど、特に厚く供養する習慣があります。

お盆期間に入ると
・13日の夕方には迎え火を焚き、先祖の霊を迎える。
・期間中に僧侶を招いたり、お寺に行きお経や飲食の供養をする。
・16日の夕方、送り火を焚き、ご先祖さまに帰ってもらう。

 キュウリとナスビに割り箸を刺して馬と牛に見立てた精霊馬を飾る地域もあります。
お盆は日本では、推古天皇14年(606年)に、はじめてお盆の行事が行われたと伝えられています。お盆の行事は、各地の風習などが加わり、宗派による違いなどによって様々ですが、一般的に先祖の霊が帰ってくるといわれています。

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 長崎では、毎年8月15日に「精霊流し」が行われます。初盆を迎えた故人の家族が、盆提灯や造花などで飾られた精霊船と呼ばれる船に故人の霊を乗せて、流し場と呼ばれる終着点まで運ぶ行事でお盆の行事のひとつです。

 鹿児島では、お盆明の16日に、神社の境内に老若男女が集まって、盆踊りをする光景がかつては多くありました。現在では町内会の祭りとして、公園やまちの広場で開催され、露天が軒を並べにぎやかなイベントに変わりつつあります。地域コミ二ティが薄れつつある中で、祭りのスタイルまでこだわる理由は無いように感じます。お盆の過ごし方も時代と共に変わって来たと感じています。  

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 鹿児島県は、人口一人当たりの生花の消費額が日本一です。お墓にはいつも新鮮な花を飾り先祖を敬い、昔から墓参りの習慣が定着していることが理解できます。

 指宿方面の方は県外の友人が訪ねると、指宿市街の高台にある「小田墓地公園」を案内することがよくあります。そこには整然と並んだ墓地に生花が飾られ、桜の時期は一段と美しい光景が見られます。地域の人が絶えず、新鮮で美しい生花を供えています。
 また、鰻池(うなぎいけ)周辺の集落では、朝、昼、夕方3回墓参りをし、掃除や花瓶の水換えをする習慣が根付いています。
 南薩地域では観光バスの中からお墓が見えると、バスガイドさんは、観光客に墓を大事にしている地域の生活・習慣などを説明してくれます。観光客は感激し、車中からお墓に手を合わせる姿も見られます。

 今日本では人を簡単に殺したり、親子同士の殺人事件が後を絶ちません。コンピューターゲームやテレビなどでバーチャルな世界が子供たちに浸透し、命の尊さが薄れてきているように感じます。

DSC_0345.jpg  お盆に帰省した家族全員が墓の前でしばし手を合わせ、語り合う姿は、厳粛な中にも温かさを感じます。墓石に刻まれた先祖の名前を見ながら、子供たちに自分の命は遠い時代から引き継がれていることの大切さを教えることが、自ら命の尊さを知る機会にもなります。

 東日本大震災では、多くの方々が犠牲になりました。心からご冥福をお祈りしたいと思います。 お盆という機会を捉え家族全員が故郷へ帰省し、親子の対話が増え、家族の絆が深まる機会になることを期待します。

                           参考「はてなキーワード」お盆より