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プロデューサーズコラム

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図書館のミッションー前鳥取県知事片山氏の講話

今日は朝からJRで宮崎に日帰りで行き、前鳥取県知事で現在慶応大学大学院教授をされている片山善博氏の講話を聞いた。県の首長経験者がなんで図書館を語るんだろうという単純な興味もあったが彼ならきっと面白い話が聞けるだろうという期待感のほうが大きかった。

図書館ミッション講座 さて今日の正式なタイトルは『Live! Library 人づくり・地域づくり 図書館のミッション』という少し長いものであったが冒頭片山教授が講和された。あのテレビでよく見る柔和なお顔を見ながら最前列に陣取って聞いたが話しの内容は結構厳しいものだった。気分の悪い方もおられるかもしれないが以下は片山氏の言葉だからご勘弁願いたい。

1999年から2期8年間知事を務める中で国の進める地方分権が量的拡大のみを重視し、質的改善に繋がっていないことが地域の疲弊をむしろ進めているのではないかと危惧した。公共事業と交付税の『先食い』であの夕張の破綻が生じた。今また合併特例債の『先食い』が始まろうとしている。800兆もの借金を抱える国がもはやそんな甘い支援が出来るわけがない。結局自治体の考える力が無ければ騙される。地域住民も、議会もチェック機能を失えば民主主義は成り立たない。『馴れ合いと学芸会』では本物の地方自治とは言えない。だから図書館は地域の知的自立支援を最大のミッションとしなければならない。図書館を見れば地方自治のレベルが分かる。図書館は地方自治のリトマス試験紙だ。

彼には6人のお子さんがいる。官舎住まいでは本も置けない。だから皆 図書館ミッション 地域の図書館にお世話になってきた。今もできるだけ図書館の近くに住むようにしている。図書館の運営を指定管理者に任せようとする最近の動きについて、片山氏は①収入アップ②コスト軽減③質の向上が図れる行政サービスはその対象と考えるが図書館には指定管理者制度は基本的に馴染まないのではないかと考えている。

昔は国が言う通り全国一律の基準で動けば済んだが、今は同じことをやってたら生きていけない時代だ。だから地域住民が自分で判断する能力が問われている。トークセッションに参加された同じ慶応大学の糸賀教授が米国の図書館のポスターを紹介された。『If information is a currency of Democracy, The Library is the bank』 とあった。もし情報が民主主義の通貨なら図書館は銀行だとする標語だが、これは米国の現役政治家の作だそうだ。教授のコメント『本物の銀行と違い情報の銀行は貸し渋りはしない。』は会場を大きく沸かせた。

100分のトークセッションを含め12:50~16:10まで途中15分の休憩があったがみっちり内容のあるシンポジウムだった。

 

11月18日の朝日新聞でツーリズム大学紹介

今朝の朝日新聞に11年目を迎えた九州ツーリズム大学が紹介されていた。ツーリズムという視点で地域素材を見直し、地域振興に繋げていこうとする取り組みはこの11年間で数々の成功事例を生み、現在九州各県及び日本各地で活躍する方々の中の多くがここの出身者と言っても決して言い過ぎではない。

新聞にもあるように鹿児島からも参加者が増え、南さつま市では主催する新産業創造委員会のメンバーを含め市内のこれからの担い手を毎月ここに送り込んでいる。私がおよそ2年前の『10の提言』で紹介したこの大学への受講者が徐々に増え始めたことは先日も書いた。今後県内の各地域がこの大学の本科生または聴講生として参加されることで、これまで見えなかった地域資源や今後の方向性も同じ学び舎の友との議論を通して見えてくるはずだ。そしてこの経験は必ず近い将来活きて来る。鹿児島市に住む私が幾ら声高らかにこの大学の意義や県としてのあり方を訴えても地域で動く”人”がいなければ地域は変わらない。この”人”は毎日地域の空気を吸い、土地の匂いを嗅ぎ、地域の人々との横の繋がりを持ってる人材だ。こんな”人”が地に足の付いた地道な活動の担い手だ。しかも”持続性のある”本物の活動でもある。

県は新しいPRポスターを作成した。『鹿児島県 本物。』のキャッチフレーズはなかなかいい。『本物』とは今あるものを、あるがままにという姿勢だからツーリズムの発想と同じだ。ただこれを”持続性”をもった動きにするには県内各地で活動を担う”ツーリズム人”の養成が伴なわなければ意味が無い。これがツー大に是非参加して頂きたいと考える所以だ。12月も講座が開催される。1日だけのつまみ食いでもいい。先ずは自ら体験することから始まる。 

アーネスト・サトウの 『A Diplomat in Japan』 を読んで

この本については何度も紹介されているとは思うが実に面白い本なので敢えて私の読後感も添えたい。

著者は1843年にロンドンで生まれ11人の兄弟の4番目として育つ。篤姫がまだ8歳の時分だ。カタカナでサトウと書くと日系かと錯覚するが英文字ではSATOWと書く英国人だ。兄弟が図書館から借りてきた1冊の日本の紹介本がきっかけとなって日本に興味を持ち、18歳の時にイギリス外務省の通訳生に応募して合格し、中国天津郊外から船に乗り上海を経由して、薩摩硫黄島の噴煙を見て、1862年9月に横浜港に降り立った。

 

1週間後に生麦事件が起こり、1863年の薩英戦争にも立ち会い艦上から薩摩を眺め、賠償金交渉にも関わり、それ以降大久保、西郷、小松、勝、木戸、岩倉などとも頻繁に会い、その記録を克明に残した。時に攘夷の白刃にも襲われ、罪人の首切り、切腹にも立ち会った。最初の日本滞在が1862年から維新が成った1869年までの6年半、2回目が1870年から1883年(天璋院篤姫死去の年)までの13年間、3回目が1895年から1900年までの5年間と、通算約25年間も日本に滞在した。まずこんな外交官は世界にも極めて稀だろう。彼はまた法曹の資格も得て1906年から6年間ハーグの国際仲介裁判所のイギリス代表でもあった。

 

最初の滞在を終えて日本を去るとき、勝は記念に彼の脇差しをサトウに渡している。薩摩の面々からも餞別や贈り物を貰っている。また皇室からは大きな蒔絵の用箪笥も届いた。日本の歴史上の重要な変革期に単に通訳としてだけではなく、幅広い国際感覚を日本に植え付けたことも評価されたんだろう。この本は彼が2回目の日本駐在を終え、1884年タイの総領事となってバンコクに赴任した際に日本時代に記した彼の日記に基づいて書かれたものだと言うが日本では生々しい維新前後の記録として戦前まで禁書扱いとなっていた。

 

この本の面白さは生活者の目線で日本及び日本人を見ていることで時を経た今でも十分通じるものがある。時代を超えた客観性というと大げさだろうか。教科書には書いてない、でも日本人として知っておかなきゃいけないと思うような事も多く載っている。当時の幕府の末期的状況の中での人物評、特に西郷との船上での出会いなどは今我々に伝わる西郷さんのイメージに近い。西郷との対比で大久保も描かれる。天璋院篤姫には直接会ってはいないが名前は出てくるし、薩摩藩士と何個遊びもやっている。しかもこの効用もちゃんと見抜いている。多分庶民感覚に優れ、人間的にもなかなか面白い人だったんだろうと想像する。彼の著作の中には『日本に於ける竹の栽培』や『薩摩に於ける朝鮮人陶工』などもあってアンテナの広さをうかがわせる。上下2冊の文庫版だが読み応えは十分だ。

 

バンコクからの報告 (終)

またまた報告が遅れてしまった。先日の現地からの報告に加え、以下を追加したい。

出店2日目は午後4時頃だったが昨年取材に鹿児島に来てくれた女優のJAJAさん、ガイドブック版元の『まるごとタイランド』の丸山氏もブースに来てくれた。タイでは一般的に女優と称する方々は日本より多いと思 JAJAさん うのでJAJAさんの人気ぶりがどんなものかと思ってはいたんだが、彼女が登場するとカメラ群が押し寄せ、さながら撮影会の雰囲気となった。お揃いのTシャツも用意したんだがこれの着用はプロダクションとの関係で難しく、また彼女自身がマイクで鹿児島を語ることも難しいことが分かった。そこで丸山氏と打ち合わせ、会場の司会者が鹿児島のことを彼女に質問し、それに答える形なら行けることが分かり、これに切り替えた。これは100%彼女のボランティアであって、スケジュールの合間をぬって来てくれたことに感謝!ブースの後壁には彼女が昨年鹿児島で撮影した写真の中から選んだ3点を拡大して貼った。これも極めて廉価での提供であり『まるごとタイランド』に感謝したい。

金曜でもあり夕方から結構客足が伸びた。ケサラポン嬢もペラ全開で飛ばして ロケーション くれた。勿論我々も見てるだけではなく、脇から手を伸ばして来る新規のお客に対応した。中に来月宮崎、鹿児島を回るという女性がいた。何でも日南にえらく高名な鍼・灸の専門家がいて、ここにアジアから人が集まるという。その帰りに鹿児島にも立ち寄るそうだ。特に食い物情報に関心が高かったので鍋物の話をしたらなかなか興味を持って聞いていた。右は2日目の手作り案内板。

さて夕食は『まるごとタイランド』の丸山氏、JAJAと我々3人の5名で市内中央の日本料理屋さん(トンカツが有名だがそれ以外もなかなか美味)で取ったが途中車に追突され、その処理に優に1時間は掛かった。JAJAさんは会場駐車場に車を置いて、何とバイクタクシーに跨ってやって来たんだと言う。これには驚いた。タイには認可を受けたバイクタクシーが営業しているが、朝夕の混雑時はこれが結構活躍する。私も10年前まで住んでいたが約束に遅れそうな時は車から降りてこのバイクタクシーに乗って約束の場所に駆け込んだことも何回もある。しかし現役の女優さんが同じ事をするなんて想像を超えていた。逞しい限りだ。バイクタクシーの値段は交渉だが多分20バーツくらいと思うが私がバイクの運転手なら逆に彼女に100バーツ払ってもいいと思った。聞けば翌日朝9:45から彼女の出るドラマがテレビチャンネル3で流れるという。これは出勤途上の為見れなかった。

さて今回日本食を2回、タイ料理を3回食べたが、やはりタイ料理が美味いのは当然だ。店により味も異なるが庶民的なもの、高級なもの、いずれも本当に旨い。最初にタイに行ったのは多分30年以上前の事だったと思うが、当時のタイ料理は臭いがきつく、辛過ぎて、なかなか近づけなかった印象が強いが、この30年で確実に進化してきた。国際化と言っても良いだろう。さつま料理も昔のままではいけない。時代に即した進化がないと見放されてしまう。勿論良いものは残していくことは当然だが。

ソムオーサラダ 今回この中で秀逸の1品を紹介したい。名前はソム・オーサラダまたはパメロンサラダと言う。ザボンのような大型柑橘類の実をほぐして、これにナンプラー(魚醬)、唐辛子、小エビのソテーを加えてかき混ぜたサラダなんだがこれが絶品だ。日本でも作れるんじゃないかと思うんだが有楽町、福岡のタイ料理屋でもこれが無い。柑橘類の種類が違うのかもしれないが本当に美味しい料理だ。今回3回のタイ料理で毎回これを欠かさなかったことは当然だ。

さて22日は現地鹿児島県人会の皆様との懇親会に参加した。有名なタニヤ通りにあって私もよく車を駐めていた高層駐車場の隣にある。今日は14,5名の皆さんがご参集らしい。先日来やりとりを交わしていた現地不動産関係に従事されている萩原会長はじめ、病院で働く女性もいれば、船の船長さん、ゴルフ場の社長、ホテルのお偉さん、食品工場の社長などとにかく皆さん幅広くご活躍中だった。私自身は薩摩生まれではないが異国で聞くお国言葉はまた格別だった。 尚 『よかとこ100選』もこの場で2セットお渡ししたが極めて好評でページを捲っておられた。お気に召したようで何よりだった。 (終)

 

 

バンコクからの報告

昨日付けで森田から詳しく報告させていただいたが私の印象も併せてお知らせしたい。

開会式 今回はシンガポールから内山氏、当地では以前一緒に仕事をしていたケサラポーン嬢にお手伝いを頂きながらどのブースより早く準備を開始した。1997年の通貨危機を乗り越え政治的には紆余曲折のタイだが経済の方面ではこの10年で街は以前より確実に発展し、以前工事を中断していたビルもすでに立派な建物に完成している姿を見れば近隣諸国を巻き込んでのタイバーツ圏は確実に成長している。日本のおよそ倍の外国人が訪れるこの国の魅力はまさにホスピタリティーの一語に尽きる。ここに最初に駐在したときに印象は『貧乏くじを引いた!』だったが1年もすればこの国の魅力にはまる。私はかねがね観光は人だと言っているがこの国に10数年前に住んでみてその事を確信した。今回もそうだ。このタイに世界に冠たるホテルが存在する理由はまさに人。この魅力に惚れるからクーデターがあろうと、通貨危機があろうと、SARS問題で団体旅行が鈍ろうと関係なく個人需要が支える。アジアの各航空会社が軒並み減便や撤退する中でタイだけは変わらず、むしろ2社体制になって九州に就航している事実は重要だ。

さて今回はJNTOのVISIT JAPAN TRAVEL FAIRに初の出展だ。勿論即結果が出るとは思わないが時間をかけて鹿児島の魅力を訴えれば間違いなく数年後には実る。会場で当地のテレビ番組が流れていた JNTOブースにて が何と鹿児島が約30分も取り上げられていた。これには驚いた。『SAY HI!』という旅行番組らしいが多分JNTOの協賛もあったんだと思うが良く出来ていた。来客のほとんどは今年でタイ航空就航15年にもなる福岡の地名はさすがに知っていた。長崎も別府も阿蘇も50%の認知度だと思う。でも当地旅行社のコースには鹿児島と宮崎だけが現在抜けている。今年当地で鹿児島の初のガイドブックも出た。JTBに聞くと丁度我々がバンコクに滞在期間中大手日系自動車のディーラー団体が九州に来ているらしい。鹿児島ももう一歩だ。

 会場で金魚釣りなどの屋台を担当している人に聞くともう20年も前から彼の会社は枕崎の焼酎メーカーの当地ディステュリビューターとして動いているとのこと。嬉しい話だ。私の知ってる鹿児島出身のホテルマンも顔を出してくれた。皆鹿児島のお役に立てるならと協力を惜しまない。

今日は2日目。1年前鹿児島まで取材に来てくれた女優のJAJAさんがわざわざお手伝いに我々のブースまで来てくれる。写真の添付は後刻としてまた詳しく報告したい。

 

北薩摩観光連絡協議会総会

今朝長島町役場横の長島町開発総合センターにて北薩摩観光連絡協議会総会が開催された。高速道路も薩摩川内まで延びたし1時間40分くらいで行けると勝手に思い込んだのが失敗で2時間10分かかった。つまり遅刻だ。

会議に途中から参加したがなかなか活発なご意見が出ていた。観光促進は一朝一夕に叶うものではなく、地道にメディアの協力・支援も頂きながら情報発信を継続することが肝要との阿久根市長のお話に私も賛成だ。私の方からも金だけでのイベントや観光振興は一過性で終わる。必要なのは実行するという強い意志と人材だとお話しました。今年長島町のホテル・旅館組合さんが1日だけとはいえツーリズム大学での研修を受講された。これからのマーケットを牽引するお客様がどんな考え方、価値観をもって観光地を選択し、評価するのかをあらかじめ知ることは結果的にコストセーブに繋がる。町長とも語りましたが海の幸での勝負もさることながら是非全国第三位の出荷額を誇る県産ジャガイモを活用した長島振興を一緒に考えましょうとお話しました。

途中黒瀬戸大橋手前のレストランで昼食を取ったが¥1,150の一番安い定食はタイの一匹そのままの煮付けに美味しい味噌汁だけのシンプルな内容だったがすごく旨かった。素材の新鮮さが違うんだろうなと思った。

復路長島町の2つの図書館を訪ねました。高鷲図書館は役場の隣の開発センター2階にありますが冷房の関係か扉が閉まっています。実は前回も同じように戸が閉められていましたが、これはいけません。開かれた図書館であるべきです。せめてガラス戸などにして開館していることが外から見えるようにすべきでしょう。でも中は以前よりは明るく、綺麗に整理されていたと思います。新刊も結構並んでいました。指江図書館の方はいつも明るく、眺めが良くて、頑張り屋の係の方がお勤めされています。長島のどこがよかとこ100選にふさわしいか、以前からお尋ねしていましたが改めて宿題とさせて頂きました。行人岳もあらためて行ってみましたが今日の景色はまた格別でした。野田郷、さつま町経由で16:30連盟に到着。結構な1日でした。

カメラを忘れ、美しい眺めを共有できないのが残念です。 

 

 

桜島観光推進セミナー

先週9日桜島の古里温泉にて首記セミナーが開催されました。以下の文章は講話に先立ち席上配布したものを一部加筆したものです。皆様の参考に供します。

2003年小泉前首相の観光立国宣言に基づき、今年の1月1日に観光立国推進基本法が施行されました。これまでの43年間の観光基本法から、どういう背景でこの新しい法律ができたのか、また今年6月29日の閣議ではさらに細かい観光立国推進基本計画も決定されています。全60ページを超えるこの計画に目を通せば、国がイメージする観光立国の姿も見えてきます。 国の歳入も厳しい状況の中で、これからの地域振興についてはこの計画の大枠を知ることがきわめて重要かと思います。

岐阜県の白川郷は1995年12月に世界遺産に登録されました。人口1,900人の町に年間140万人の人々が押し寄せています。道路は渋滞、ゴミは大量に残り、昔のイメージが損なわれる中で、宿泊者数も激減しています。持続性のある観光振興とはどんなものか、地域に住む人々が中心になって真剣に議論することが求められています。

行政はハード事業はお得意ですがソフト事業は不得手です。このソフトはそこに住む人にしかできません。 県では2011年の新幹線全線開通に向けて準備を進めていますがこれもハード中心、ソフトが付いて来ません。今のままではせっかくのハード部分が宝の持ち腐れになってしまう危険すらあります。 

今からの時代にふさわしい桜島観光振興を考えるときに必要なツールがツーリズムという考え方です。これは何も新しい考え方ではなく昔から我々が持っていたのですが急速な経済発展に伴う大量仕入れ、大量販売、大量送客が旅行マーケットを席捲していく過程で置き忘れて来た人間中心で、環境に優しい、持続性に富む、考え方とでも言えます。 

このツーリズムを桜島でどう生かすか、その手法の一つとしてグリーンツーリズムが考えられます。北海道長沼町は人口12,600人ですがここは平成16年『長沼町グリーンツーリズム特区』に指定され、なんと860軒の農家の内140軒が旅館業法に基づく許可を得て受け入れ体制を作り、昨年958名、今年は2,500名を超える受け入れが可能となっています。北海道全体で196軒の農家民泊がある中で、この長沼町だけで140軒です。

 鹿児島県は平成17年度で農産物の出荷額ベースで全国第二位です。グリーンなフィールドが豊かなこの地でこのグリーンツーリズムの花が咲かないはずがありません。要は江藤くまもとツーリズムコンソーシアム会長の言葉通り仕掛け人、仕事人、仕置き人、やる気と粘りを持った人材が地域の本当の宝だと思います。 鹿児島はハード面が他県に比べて恵まれていることから危機意識が薄く、知恵を絞るソフトに大きな遅れが生じています。今回のセミナーがかごしまツーリズムの火付け役となってくれることを願っています。  

                                                  終わり

 

シンガポール教育旅行セミナーに参加して ②

先ずもってお約束した現地からのレポートにならなかったことについてお詫びを申し上げたい。朝から晩まで目一杯のスケジュールで途中まで原稿を書いていたが発信できなかった次第。重ねて不履行をお詫びしたい。

さて27日は朝JTBシンガポール支店に挨拶した後、急に降り出した雨の中、県から出向の内山氏が働く CLAIR事務所 CLAIRの眺めの良いお部屋で今回の教育セミナーについて打ち合わせした。打ち合わせには内山氏の他福岡から来られた武田所長、宮崎から来られた早瀬さんが同席された。日本からの出向者が分担してアセアン10ヵ国とインドを担当されているようでなかなかご多忙の様子だ。 CLAIR打ち合わせ 昨年の同種のセミナーの内容が今一つだったとのコメントもあって、参加者は緊張気味。9月にはバンコクで日本向けエージェント対象に同種の企画があるようで、参加の打診もあったが詳細は後日とした。

その後雨の中歩いてJNTOシンガポールに行ったがアポ迄時間があるので近くで昼食を取った。聞くとビルの地下に蕎麦屋があるという。行くと何とかカウンターに座れたが正直味は3流だった。しかも表の見本料金と清算料金が違う。質すと清算が正しいと言う。そこで店の者を連れて外に行き私が正しいことを認めさせた。お値段は$6.5だから¥550程度だが黙って引っ込む手は無い。

JNTO打ち合わせ JNTO(日本国際観光推進機構) では所長のお話を聞いた。VJCの目標数値達成の為にもこのような取り組みは大いに結構だとお話を頂いた。一層気が引き締まる。

その後JTBに戻り会議室で各県のプリゼンの内容について打ち合わせと資料の確認、パソコン上での動作の確認を済ませ一旦ホテルに戻った。

さて今夜は7時にイーストコーストにあるジャンボレストランに行ったが関係者の姿が見えない。そこで内山氏に電話すると何と屋号は同じでももっと空港に近い店だと言う。運転手も分からないらしく私の携帯で店の場所を確認してやっと到着した。今夜は年に数度の大きなかごしまクラブの集まりだそうで、待っておら かごしまクラブ れた副会長はサウジアラビヤで14年過ごし、シンガポールでデザイン系の会社を起こされた国分出身の方、シンガポール人とご結婚された日本人女性は確か日置のご出身と聞いた。シンガポールの若い方もお集まりだ。聞くとそれ以外に近くのシャレーにバーベキュウー&寝泊りの形でたくさん集まっておられるらしい。鹿児島に行ったことのある人だけじゃなく日本文化に興味を持っておられる人も加わっていらっしゃるとか。 かごしまクラブ でも極めて楽しい雰囲気であっという間に時間が経過した。生憎会長がお仕事で参加できず夜私の泊まっているホテルにまでわざわざ足を運ばれ、夜10時半ごろお会いした。建設関係の会社を当地で起され早22,3年ほど経っている方らしい。皆来年1月の第15回の鹿児島/シンガポール交流会議を楽しみにしておられた。相当飲んでお別れした。 

シンガポール教育旅行セミナーに参加して ①

今日は朝8時半に福岡空港に集合、関係者合計7名にて空路6時間のシンガポールに降り立った。今日のシンガポールは小雨で丁度いい。一方福岡空港は夏休みのせいか大混雑で、乗ったSQ655便も満席の状況。 今回の参加者の内訳は久留米コンベンションビューローから2名、宮崎の高千穂から2名、JTBインバウンド担当2名、そして鹿児島からは私1人だ。

今日の福岡空港で東国原宮崎知事に出会った。台湾に向けてご出発らしい。いよいよ定期便発表が近まった感じだ。私は航空会社には先に宮崎に入ってもらい、3年半後に溝辺に来てもらえばいいと言ってある。先ずは南宮崎への乗り入れという既成事実が重要だ。人口から見ても、マーケットから見ても溝辺の利点は魅力的なはずだと思うが如何だろうか。

シンガポールコンラッドホテル 明日の当地かごしまクラブの皆様との交流もあってホテルはコンラッドホテルとした。このホテルは私が当地を去った1996年にオープンしたと記憶する。最初のGMはグアムで一緒に仕事をした人でマレーシアのクアラルンプールでも支配人をしていた。このホテルを選んだもう一つの理由をあげればそこに素晴らしい女性がいる事だ。その方はテレサチューさんと言う。この人は元々当地で有名なシャングリラホテルにメイドとして入社し、その後仕事を数々経験して世界的にも有名なホテルチェーンの要職をこなし、今やこの業界で知らない人はいないという、まさに最後のたたき上げ的人物だ。今日も玄関でお迎え頂き恐縮した。相変わらずの身のこなしだが何となく風格も出てきた素敵なおば様だ。 シンガポールコンラッドホテル

明日から具体的な当地活動が始まるが現地レポートというスタイルで皆様に2回に分けてご報告したい。

篤姫と充姫(ミツヒメ)

初めて聞く充姫という方は江戸生れの江戸育ちで延岡の内藤家第14内藤政順(まさより)に14歳で嫁いだ女性です。彦根藩主井伊直中の実子として生れ、内藤家に入り名を繁子と変えました。弟には桜田門外の変で暗殺された第13代井伊直弼がいます。充姫はキリがいい1800年に生れ1880年に亡くなっています。ですから篤姫が生れた時にはすでに35歳でした。篤姫が亡くなったのは1883年ですから篤姫の生涯のほとんどの期間を共有していたことになります。本人どうしが出会ったかどうかは分かりませんが篤姫の夫である家定の後継者問題では篤姫斉彬の意思を守り一橋派、井伊直弼は南紀派と分かれて対立、結局南紀派が勝利して14代家茂が誕生、ここに公武合体により和宮が下向すると言うストーリーが展開されます。 

一方参勤交代とはご承知の通り1年ごとに諸大名が江戸に参府する制度で、その間妻子は江戸に人質として留め置かれ、幕府に忠誠を誓わせる制度でありました。この制度自体は関が原の戦い以降自発的に始まり1635年の武家諸法度で制度として確立したようです。しかし200年以上も経過する中で制度疲労が生じ、1862年になると一時的ではありますが3年に1度に改められたようです。この制度緩和に伴いそれまで江戸に留まっていた妻子にも里帰りが認められました。 

篤姫同様子宝には恵まれなかったものの繁子は21年間夫と連れ添い、35歳の時に夫が死去し充眞院繁子と名前を変えましたがそのまま江戸に残り還暦を過ぎた62歳の頃参勤交代の制度変更に伴い生れて初めて国許日向の国へ帰ることになりました。当然天璋院と名前を変えた篤姫も帰りたかったはずです。その思いは宮尾登美子氏の小説の中でも十二分に伝わってきます。でも帰らなかった。帰れなかったんでしょう。それはまさに1862年家茂が和宮との婚儀を整え、1863年尊皇攘夷を約束する為229年ぶりの上洛の儀もあったからだと思います。夫を早々に亡くし、外圧が強まる中で将軍の制度そのものが危ぶまれる世の中に大きな不安を感じながらも何とか徳川家を守らねば、という篤姫の苦悩は多分NHKでも画かれることでしょう。

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夕刊に見たブータンの話

先日の夕刊に主婦の方がブータンについて書かれていました。もっと詳しく紹介して欲しかった思いもあって少しだけ私の経験を書いてみます。

 

ブータンは九州ほどの面積を持つ国で人口は約93万人と言われます。でも誰も正しい人口は把握できません。それはチベットなどからの越境者、難民がこの豊かな国に流れ込み、定住人口の把握が困難な事情によります。だから資料によっては人口210万人なんていう数字も出るほどです。以前聞いたところでは国連加盟にあたって条件の一つに概ね人口100万程度とあり、この条件に沿って人口を想定したらしいのですがあながち嘘ではないようです。空港のある街、パロに足を踏み入れる前、つまり飛行機が下降を始める際の機長のアナウンス『この国を初めて訪問されるお客様は驚かないで下さい。これがデュルックエアー(ブータン国営航空会社)の通常のアプローチです。』に慌て、同時に機体の急降下に驚き、窓の外に思わず救いを求めたい心境にかられるのですが、見える景色は山ばかり、その山肌をまだ急降下するんです。だから山の中腹以上に住んでる人間が何人いるのか誰も分からないんです。やっと川べりの小さな小さな滑走路に降り立つと正直『助かった!』と思います。この空港は後日JALの国際線パイロットの方にも確認したのですが世界の空港としては登録が無く、ブータン国営航空だけが有視界で降りる空港です。だから往路は天候回復まで最寄のカルカッタかダッカで待つことになります。

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鹿児島と宮崎

先日の新聞で両県の知事の初対談が報じられていました。南九州ブランドの共同構築、昭和40年代初めの両県を新婚旅行先とした団塊世代の再呼び込の共同戦線など今後の具体化が待たれるところです。

私も時々ではありますが宮崎を訪ねています。最近の県庁にはいつも観光客の姿が見られ、知事効果が全国的に及んでいるのも事実です。しかし団塊世代の再呼び込み作戦で県庁は訪ねても青島を訪ねる人はいるんでしょうか。廃墟の砦が鎮座する青島を訪ねた団塊世代は全員がっかりするはずです。家庭を持ち、責任ある社会人としてのスタート地点であった昔の青島はもはや存在しないと言ってもいいのではないでしょうか。ホテルが閉鎖され、所有する不動産屋も潰れ、管財人の方でいくつかの関心を持つ企業に売買について打診しているようですがあの遺物がある限り青島の再生は難しいのではないでしょうか。

更に気になるのは観光スタイルが団体から個人、小グループになった今、青島の参道入口の店の衰退と¥500の駐車料金です。青島にちょっと立寄りたいと思うマイカーのドライバーにとってあの¥500は高過ぎます。店に客が入らない分駐車料金で補おうとしているようです。呼び込みの方には申しわけないのですが私には青島に来るな、来るなと聞こえてきます。参道入口のボランティアガイドさんのブースも寂しそうではありませんか。

ジャカランダ でも敢えて今の青島に価値を見出すとすればそれは県立亜熱帯植物園ではないでしょうか。広さは大したことはありませんが入場無料(但し温室のみ¥200別)でこの季節なら青紫の花が綺麗なジャカランダが無料で見れます。このジャカランダの木は元々南アメリカ原産ですが9月~10月位になると南アフリカのプレトリアという都市に咲く5万本のジャカランダの花を見に行くツアーもある位です。 尚小振りではありますがこの木はフェニックスドライブインでも見れます。

東国原知事も先週の土曜日は青島でサーファーと語らいサーフィンを通した観光活性化を進めようと動いておられるようです。これは確かに一つの新しい宮崎の方向性ではありますが私はもっと足場をきっちり固める為にも宮崎らしい満足度とは何かを徹底的に議論することから始まるのではないかと思っています。今日の旅行マーケットから見れば今の青島に行く理由、泊まる理由が探せない状況です。昔の活況を取り戻すのか、諦めるのか、現状より改善を図るのか、放置か, 関係者の皆様の総意に懸かっています。

 

タイの洪水の想い出

タイに住む友人からの情報ではバンコクでは5日から雨が降り出し、特に7日の夕方からの雨は激しくて今年最初の洪水が発生したとか。多分今朝のバンコクで交わされる会話の中にこの洪水(タイ語でナム・トュアムと言います。)と言う言葉がたくさん聴けるのではないかと思います。

さてこのナム・トュアムは毎年雨季の入り(5月)と出(10月)に発生することが多いんです。ただでさえ海抜1~2mしかない土地ですし、市内を流れるチャオプラヤ川から運河を通って水が遡り、インフラの未整備もあって、あっという間に道路が冠水状態になります。春の行事で有名な水掛祭りも雨乞いの行事の一つですからタイにとって雨は困りモノではありますが必要なモノでもあります。日本の洪水とはちょっと違うのかもしれません。

私自身車を運転し、ナム・トュアムの中、家と携帯で繋ぎっぱなしで状況報告(万一途中で止まったら助けに来いと言うことですが、、)しながら、車のマフラーに潜望鏡みたいな特注排気口(確か町の鍛冶屋で1,000バーツだった)を付けて水を掻き分け掻き分け家に戻ったことを思い出します。日本人が多く住むスクンビット通りの交差点で本当に船(道路を船が行き交うんですよ)と衝突しそうになったこととか、、、、今や懐かしい想い出なんです。これってバンコクで生活しなくちゃ分からない事でしょう?

ナム・トュアムが始まると街では路面を隣より高くして家に水が入らないように 盛り土をする風景が見られます。そうすると隣も負けじと盛り土作業を開始するんですが次のナム・トュアムで綺麗に流され、互いに再びイーブンの条件に戻るんです。こんなことを毎年毎年繰り返します。タイ人の競争と協調のバランス感覚はこのナム・トュアムによって育まれるというのは言い過ぎでしょうか?

雨季は観光に適さないとほとんどのガイドブックに書いてありますが雨季にしか見れない風景も悪くないんです。ナム・トュアムの苦労話より雨後の綺麗な虹を喜ぶタイ人、それがタイの魅力だと私は思っています。

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