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夢実現!牡蠣

19日の夕刻、友人から連絡があり、鹿児島にあの厚岸の牡蠣が入ったとの報告があり、急ぎ馳せ参じた。半信半疑で天文館の店に顔を出すと店主が白い発砲スチロールの箱から取り出したものは紛う方なき厚岸牡蠣だった。

厚岸の牡蠣 さっそく面前で牡蠣を開けて貰い、一皿に3個ずつ盛って期待に胸膨らませて食ってみれば確かに美味い。でも新鮮で旨いのに何か足りない。それは温度だった。勿論常温で保管されているのではないがもっと下げたほうがいい。そこで店主にあと2度程度下げて貰い、2皿目を食べた。さっきよりもっと旨い。でも更に2度下げて貰う事にして3皿目を待つ。この最後の牡蠣が今夜の最高だった。同じ牡蠣でも何で温度でこんなに味が違うんだろう。多分この3皿目の牡蠣が育った厚岸の海の温度なのかもしれない。上記写真にある通り私はケチャップをちょっとのせるのが好きだ。

でも店主に聞くと最近鹿児島でもこの時期牡蠣を希望するお客が増えているらしい。県外からの赴任者や出張者が増えてきたんだろうか。マーケットがあればそこに産業が生まれる可能性も出てくる。お願いすれば厚岸からでも取り寄せてくれる店があるなんて便利な時代になったもんだ。今夜はこの便利さを素直に喜んだ。

奄美にこんな店!最新事情

先週金曜日奄美市にて県の『奄美長寿・子宝プロジェクト』の今年度第二回目の会議が開催された。各委員の皆様と話をすればこの会議の前に喜界島を訪ねた方が2人いらっしゃった。どなたも喜界の魅力の深さはすごいとの認識だ。

さて県は平成21年度以降の通称奄振事業の継続に向けて国への働きかけを進めているが平成16年度から今年度までの今次奄振事業の最終年度を迎え、群島各地域が独自の地域資源を活かした産業創造により自活できるよう支援体制を組んで来た。群島の特徴である長寿・子宝の視点から独自の活性化を模索しようと保健福祉部によりこのプロジェクトが組まれ、各種モニターによる実証も済んで、いよいよ各地域の皆様による本格的取り組みの年となった。若干の地域格差を感じるが私は全地域が一斉に動くことこそ奇異に思う。危機感を抱いて早く動ける地域から動いたほうがいい。行政の勤務タームが2,3年というシステムの中で5年に渡る長期プロジェクトを継続することは正直難しい。こんな重要なプロジェクトの場合関係者の異動は据え置く位の覚悟がないといけないのではないだろうか。

amami kyoraumi koubow さて会議の報告は別の機会にして今回は奄美の新しい発見を2つほど紹介したい。先ずはAMAMI KYORAUMI KOUBOWというモダンなイタリア料理店だ。場所ばしゃ山村のすぐ手前で昨年オープンしたらしい。何と言っても作りがしゃれている。道路沿いには黒糖の精製工場が丸見えで鎮座する。もうもうと蒸気が道路まで押し寄せる。丁度トラックに山積みされたサトウキビが降ろされるところだった。この工場の隣がガラス張りの調理室、 amami kyoraumi koubow その向こうがレストランになっていてイタリアから持ち込んだピザ釜に火が入れてあった。店に入ると元々旧名瀬市の方でお菓子屋さんをやっておられた関係でケーキ、パン、地域特産品を加工したジャム、アイスキャンデーなどが並んでいる。それを過ぎればレストランという構造だ。よくレイアウトされていると amami kyoraumi koubow 感心した。完全なオープンキッチンではないが見せる店づくりというポリシーが貫かれている。ここでは鶏飯ピッザなるものも創作されている。生憎時間が合わずに1個¥100の饅頭とジャム類を買っただけだが試食したケーキ類(特に左写真の一番下)は美味しかった。もちろんここで作る黒糖2種類も味見したが合格だ。

さて次なるご紹介は『創作料理あきつ』だ。ここは旧名瀬市の閑静な住宅街にある普通のお家だ。ここでお昼を頂いたが郷土色豊かな素材と工夫があって、しかもお味もすこぶる満足いくレベルだった。リビングルームを利用して12~14名が一同に座れるようになっていたがクラシックが流れ、雰囲気も良い店だ。個々のメニューの解説は割愛するが烏賊スミの茶わん蒸しは特に絶品だったことだけ付け加えたい。全6品で¥1,370だったと思う。端数違ってたらお許しを!

創作料理『あきつ』 創作料理『あきつ』 創作料理『あきつ』

創作料理『あきつ』 創作料理『あきつ』     

さて奄美で行くいつもの店『ラグタイム』で心地よい音楽と酒を楽しんだあと、ホテルに帰る前に鶏飯の店『よろこび庵』に立ち寄ってうどんを食べた。大学の先生と一緒だったが、屋号を確認することもなく不思議に2人ともこの店で食べるつもりだった。本当はうどん、そばの店で暖簾にもそう書いてあるんだが私はいつも鶏飯丼を食っている店だ。でもさすがに今日はうどんを選んだ。その旨そうな、事実美味しかったんだが写真だけ御披露する。

                   奄美『よろこび庵』

喜界島は世界島! その②

前置きはさて置き、さっそく島の中で私の目線で捉えたお宝を紹介しよう。

喜界島の地下ダム まずは農産物加工センター隣にある地下ダムだ。外目は大きくはないががっちりとした建物の地下に300mを超える地下ダムが建設されている。隆起珊瑚礁でできた島は雨が降っても保水力が乏しく、これを地下に貯めて風力発電を利用して数か所から揚水し、田畑を潤す農業用灌漑施設として2003年11月に完成した。スケールが大きすぎてその全てを見ることはできないが地下に通じるトンネルがあり、説明のナレーションも流れる。大きなトンネルを歩いて行くと蛇口が設けてあり、水圧に耐えるガラスの向こう側は水で満たされている。当然蛇口を捻れば水が勢いよく出てくる。もっと奥までトンネルは続くんだが、なんとなくタイムトンネルに入っているような錯覚を覚えた。これは立派な観光資源だ。

次に喜界島の石垣の美しさを上げたい。島の南東に位置する阿伝集落には立 喜界島阿伝の石垣群 派な石垣が多い。しかもこの阿伝は立派に生きてる集落だ。台風被害を最小限に食い止めようと先祖代々築き上げた石垣は周囲の緑の濃さと調和した立派な観光資源だ。丁度観光で来られた若い女性2名も歩いていたが絵になる風景だった。この他地名を失念したが人の背丈の2倍にも達するような石垣も残っていた。この島には石垣がよく似合う。

三番目に巨木を上げたい。まずは島の南に位置する手久津久の巨大ガジュマルだ。ガジュマルの木は 喜界島のガジュマル 奄美群島どこにでもあるんだろうが私が以前一押しした徳之島のガジュマルも立派だったが季節にもよるのか葉の付き方がまばらで壮年期を過ぎた感は否めない。しかしここのガジュマルはその大きさといい、枝ぶりといい、見上げんばかりの迫力がすごい。ガジュマルはここだけではなく南東の蒲生にも群落があったがこれも樹齢850年という相当立派なものだった。道路沿いなのでせっかくの自然が白いガードレールで邪魔されているのが残念だ。 喜界島の巨樹フクギ もっと自然に配慮した設備はないものかと思う。これ以外にも畑の畔道にどっかりと腰を据えたガジュマルもお気に入りの木だった。これは巨木ではないが形が面白く、根の張り方が立派だった。道路沿いの民家にハスノハギというここが北限といわれる樹木も立派だし、先内という集落にあったフクギも巨木に相応しい立派なものだった。アカテツというとても硬い巨木も中里の民家にあって、倒木を切ったものが役場の入り口にも鎮座していたが、これも相当大きい樹木だ。なんでこんな巨木に成長するのか不思議な島だと思った。

喜界島のアサギマダラ 四番目は勿論蝶々だろう。今の時期『アサギマダラ』の集団越冬風景が見れる。車で通り過ぎると葉っぱのように見えるので見過ごすが時々羽を動かすので蝶と分かる。ここの道路に立つ標識がユニークでいい。私はあんまり蝶々には 喜界島の標識 興味を持つ人間ではないが蝶好きにはたまらない場所らしい。以前東北で採取した蝶の羽に個体番号を書き入れて放した人が同じ蝶をここで再度採取したという。自然界の不思議さを感じる話だ。真っ赤なポインセチアに蝶が乱舞する姿も写真で見たが綺麗の一言だった。

五番目はガーデニングだろう。これを目的に訪問したのではないのでお薦めのすべてを見たわけではな 喜界島の庭園 いが世界に通じる豊かさを感じる庭園があった。ガーデニングというと英国などが有名だが営々と手を入れて今に至る長い歴史は英国だけのものではない。喜界の庭園にも350年以上の樹齢を誇る蘇鉄もあって庭好き人間にはたまらない宝だろう。数年前ガーデニングの島喜界というキャッチフレ 喜界島の庭園 ーズを新聞で見たような気がするがこれは本物だった。この切り口で喜界島を見たとき、該当する箇所が多くて選択に苦慮することだろう。

昨年奄美を舞台にしたNHKのドラマ『ジャッジ』が放映され、その映像の美しさもあって好評だったと聞くが、どうもジャッジⅡの撮影も間近らしい。喜界島でも撮影が期待される。総論めいて恐縮だがこの喜界島にお住まいの皆様は経済的にと云うよりライフスタイルがリッチだ。その豊かさゆえ観光客を呼び込まなくとも生きていけるとの考えが強そうだ。よそ者がああしろ、こうしろと言うのはおこがましいとさえ思える。でもちょっとだけ域外の方々にお裾分けの気持ちもあっていい。ここの良さ 東経130度線 を知った国立大学の先生も立派な別荘を建てられてるし、牧場も併設された家もある。カントリーの音楽が流れても一向に不思議さは感じない。事実喜界島にある畳屋さんを訪ねたが表からは変哲の無い普通の畳屋さんだが一歩中に入って壁を見上げればカントリーのポスタが一杯に張ってあり、毎年の熊本でのカントリーフェスタは勿論、本場米国にも何度か通っている程のファンだとか。こんな隠れファンが島にあと一人いるようだ。北部の道路に黄色い2本線が斜めに引いてあるが何と東経130度線だった。立看板に説明に加えてクイズまで載せてある。心のゆとりだろう。

最後に喜界町図書館だ。この図書館は某企業の社長さんが寄贈されたも 喜界島図書館 の。総額2億2千万ほどかけて昭和60年にオープンした。特に郷土のコーナーは充実している。丁度蔵書整理の期間にあたりお休みだったが気安く開けて頂き係りの方と意見交換した。彼は図書館運営に情熱を持っていた。図書館が喜界島の交流人口拡大に果たす役割を認識されていた。こういう方は県内では珍しい。先見性豊かな方とお見受けした。頑張って!ここは色んなことができる可能性の高い島と見た。

 

 

 

 

喜界島は世界島! その①

喜界島空港 今までなかなか訪問のチャンスが無かった喜界島を先週訪ねた。鹿児島空港を定刻に出発したJAC機は定刻5分前に喜界島に到着した。小さな空港は昔住んでいたミクロネシアのロタテニアンの空港を思い出させる。

朝の1便が到着すると各社の新聞が降ろされ、ここからバイクで島内に配達されている。ここで今日の案内をお願いした役場の吉行さんに会った。喜界島は年間隆起速度が2mmという世界最高速を誇り、世界遺産候補に平成15年指定されている島だ。 喜界島百之台 最初に空港周辺を回ったがすぐ滑走路の傍に小ぶりだがゴルフ場もあった。この空港には昭和19年に海軍航空基地が置かれ、米軍の沖縄上陸後は沖縄に向かう特攻機の最後の整備、点検が主たる役割だったと碑に刻まれている。ここには黄色と赤の花弁が特徴の菊に似た通称特攻花大金鶏菊という南米原産の外来種で戦後持ち込まれたとする説もあるが)と呼ばれる花が5,6月には見事に咲き乱れる空港としても知られている。空港の傍にもすぐにでも泳げそうな綺麗な海岸が多い。

喜界島俊寛 俊寛と言えば三島の硫黄島と思うが、実はこの喜界島には昔から『坊主の前』と呼ぶ場所があり、その墓石の下から発見された人骨を昭和50年、国立博物館に持ち込み、鑑定して貰うと、その形相は現代人と大きく異なり、高貴な人物であったらしいとの判定を受け、同時に見つかった隅金具の付いた立派な木箱もあって、これが俊寛の骨ではないかと話題にもなった。

喜界町農産物加工センターも新しく出来ていて特産品、なかんずく柑橘類 喜界島すふーみかん は31種類もあるそうで私は緑色した花良治(ケラジ)ミカンすふと呼ばれる黄色いミカンが印象的だった。ケラジみかんは平成17年の学会で初めて報告され、含まれるガン抑制成分の効能が期待されている。またすふーみかんはなぜかそのお尻に可愛い丸い輪っかがあって、生まれつきのマークが面白い。少し試食してみればその柑橘特有の強烈な甘酸っぱさが印象的だった。

しかしこの喜界島、正直リッチな島だ。米とガソリンは外から持って来るようだがあとは何でも自給できる島ではないだろうか。黒糖、焼酎、白ゴマ、マンゴー、メロン、パパイヤ、パッションフルーツ。パパイヤなどは道沿いにも見られ、誰のものとも分からない自生もあってまさにミクロネシアの豊かさに通じるものがある。 

阿久根の枝垂れ梅と寒桜は見事!

先週から行きたかった阿久根大川の枝垂れ梅を出張明けの今日見に行った。先週天気をチェックした時は雨ではなかったはずだが今日は少し雨模様で残念。福岡に住んでいた時は毎年唐津にある野田堂の辻の枝垂れ梅を見るのを楽しみにしていた。だが『かごしま かとこ100選』の絵を見れば阿久根の梅はこれに勝るとも劣らぬ規模とも思え、しかと我が目で確認したかった。

阿久根表川内の枝垂れ梅 さてちょっとだけ探した阿久根の枝垂れ梅だが地元の方に聞くと先週がピークだったらしく、今日はすでに少し花が散り始めていた。でもやはり絵になる美しさだ。樹齢約100年の梅は当然だが、その後ろにある民家とのマッチングがすこぶるいい。なんと縁側には『かごしまよかとこ100選』四季の旅、196ページも開いて置いてあった。傍を流れる川を見れば水も澄んで魚が泳ぐ姿も見える。山紫水明とはこの事なり!単に風景だけじゃなく、ここに住む人が土地とどう関わって来たか、この美しい環境を守って来た先達にまで思いが及んでやっと地域が理解できるんだと思う。                                     

すぐ傍で特産品販売のテントも設けられ柑橘類、海産物など販売さ 阿久根表川内の寒桜 れていたのでさっそく買い物のついでに話を聞かせて頂いた。実は枝垂れ梅の手前に見事な桜が満開となっていて驚いたが、例年はこの桜(寒桜)が咲いて枝垂れ梅が咲くんだそうだ。しかし今年は梅が2週間ほど早く咲き始め、遅れて寒桜が咲いたらしい。だから寒桜は丁度満開状態で花は散ってはいなかった。それにしてもこの尻無川沿いに広がる里山は美しい。

ついでと言っては悪いが久しぶりに湯川内温泉にまで足を伸ばした。 出水『いわし屋』 上の湯はさすがにすこし寒いらしく下の湯に入ったが先客も3人ほどいた。壁向こうの湯船には奥さん方も入っておられるようで隙間から手が伸びてミカンの差し入れもありローカルムード一杯のいい湯だった。この後これも久しぶりに『いわし茶屋』でお昼を頂いた。昼は午後2時40分までの営業だがギリギリ間に合った。最後にを見に行ったが12,000羽を越す鶴達が餌を啄ばんでいて美しかった。北薩には季節感のある資源が多い。しかもレベルが高い。県民の皆さんももっと足を伸ばして欲しいものだ。

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溝辺町竹子(タカゼ)の巨石見学

先週の新聞で溝辺町の山奥に巨石があると知り、今日になったが行って見た。新聞では記者の方もこれを探すのに2日を要したとあるから、あらかじめ霧島市の観光課に同行をお願いした。市役所から車で約30 溝辺竹子の巨石 分で溝辺カントリーのコースを縁取るような山道に入るとまもなく、つい最近立てたと思われる小さな木の標識『据石ヶ丘の巨石』があった。ここから数分の山道なんだがコンクリートの簡易舗装とは思えないほどの大揺れの中進んで行くと山の頂上付近に出た。ここは車止めになっている。軽車両ならUターンも可能だ。ここから歩いて1分で目指す巨石があった。巨石と言うからにはそれだけ期待も大きかったんだがちょっと小ぶりな巨石というレベルだ。周囲を小さなといっても多分30~40kgくらいはありそうな石が何個か取り囲んでいる様子からして人の手が入っていると感じた。またこの(小ぶりな)巨石には基礎の部分が見て取れる。この上に大きな石が乗っかってることからすればやはり人的パワーが加えられた結果今の形に落ち着いたと思われるがどうだろうか。 溝辺の巨石

丁度霧島の山々と約90度の角度で櫻島が見える位置にあたり、これも何となく神懸り的な匂いがする。そう言えば来る途中、近くに高屋山陵を通って来たことを思えば、新聞にもあるように何となくこれとの関係も想像したくなるのは人情だろうか。市に聞くと昭和15年に国の調査も入ったとのことだがその結果は明らかではなさそうだ。

以前阿蘇の大草原の中にびっくりするような巨石群を見たことがある。近くまで道があるから誰でも行けるんだが土地に何度か通わないと土地の人はここに連れて行ってはくれない。でも確かに不思議な巨石群だった。阿蘇と比べることはできない規模ではあるが溝辺の小ぶりな巨石もその生い立ちへの想像に於いては互角と見た。 嘉例川駅105周年

さて帰りに裏道から嘉例川駅を訪ねた。表札を見れば何と今日は嘉例川駅の105回目の誕生日だった。でも周囲も普通と何ら変わらない雰囲気で寂しそうだった。目出度い日に来合わせたものだ。我等少数ながら、せいいっぱいその長寿を祝した次第。

 

南大隅町と佐多岬

根占図書館 新年第一回目の実踏として佐多方面を走った。本土最南端の佐多岬は誰でも知ってはいるが、それだけではなくもっと新たな発見を求めての実踏だ。先ずは南大隅町の役場を目指す。この隣には何と九州で最初の、日本でも4番目に設立された根占図書館がある。ここは明治16年(1883年)当地小根占の出身で日本初の測量会社『東京測量社』を起こした磯長得三が私設根占書籍館としてスタートした、今年で125年を迎える由緒ある図書館だ。現在の建物は百周年事業の一環として1982年に磯長翁の屋敷跡に建てられた新館だが結構広いスペースを持ち、資料費も財政厳しき中ではあるが確保されている。都市部の図書館では人気の新刊の購読を申し込んでも数ヶ月待ちの状況だが地域の図書館ではそんなに待たなくてもよさそうだ。

2階には資料館があるというので見せて貰ったがここにはあの中央駅前にある『若き薩摩の群像』の中の一人中村博愛の写真もあった。恥ずかしながら彼がここの出とは知らなかった。彼は1865年串木野羽島浦から他の18名とともに香港経由ロンドンに向かい、翌年渡仏して医学、語学を学んだという。彼は明治元年帰国後、藩の開成所で仏語の教授を務め、その後外交官として欧州の在外公館に勤務しオランダ、デンマークの公使も務めた。 またこの資料館には道の駅根占手前 根占郷土資料館 の大浜に明治29年、軍の電信局が開局され大浜~台湾間に日本初の海底ケーブルも日本の技術だけで敷設され、海外列強を驚かせたとの話も紹介されている。勿論その当時のケーブルの現物もちゃんと展示されていた。また平成9年には近くの遺跡から撃墜された零戦の20mm機関砲も掘り出され、その折れ曲がった姿もそのまま展示されていた。ここは宝の山だと思った。この南大隅町には『よかとこ100選』にも選ばれた雄川渓谷・滝もある。役場から遠くない地点にかくも素晴らしい自然が残っている。いいところだ。

佐多岬 さて佐多岬の本当の最南端にたどり着く道があると聞いて水中展望船さたでい号の案内所で聞くと潮の加減もあって片道2時間はかかるとのこと。やはり地元の方の先導無くしては危険だと思い断念した。いつもの道で佐多岬展望公園に向かうが途中入場券¥300(大人)と表示された看板が立っていた。終点の駐車場から歩いて抜けるトンネルの直前に料金所がありここで¥300を払う。トンネルから先の遊歩道は確かに以前 佐多岬展望塔 より木々の下枝が刈られ太陽も当たるようになっていたがレストランは廃墟のままだし、その先の展望台も別途¥200 払う価値があるかと問われれば疑問だ。でもここは日本の東西南北最端の地の一つでもある。他の3地区の整備と比べれば確かに見劣りすることは間違いない。また他の3カ所のいずれも記念撮影の場所までの入場料はかからない。唯一東端の納沙布岬にある民間の平和の塔(高さ97m)だけは土産品、食事の施設もあって大人¥900、子供¥500が必要だがエレベーター完備で根室半島や北方領土が良く見える施設になっている。佐多岬が今のままでいいとは思わない。ねんりんピックには自転車も種目にある。この機会に最南端を訪ねたいと思う方々も多いはずだ。3年後に迫った新幹線全通に向け、訪問者の期待に応えられる整備について国、地域行政、民間の速やかなアクションを促したい。

 

種子島とサポセン

25日から1泊2日で久しぶりに種子島に出向いた。それにしても今回の船は波が荒い関係かよく揺れた。熊毛地区所属長等研修会での講話には多くの県関係者が参加された。新幹線が2011年全通するが航空路線は鉄道より1年前倒しの2010年にも幹線が再編成され、地方路線も併せて再編成の動きがある。特に鹿児島の離島路線は新幹線の全通で影響が大きいと考える。この機に北部九州を含め主要都市との念願の直結も期待できることをお話した。だから交流人口の拡大に向け今準備を加速しないと間に合わない。今回関係者との懇親会、二次会、更には三次会までめずらしく痛飲したが新しい店、しかもIターン者がなかなかセンスのいい店を開いていた。日頃夜の空間が大切とお話ししているが西之表の動きは期待が持てると感じた。

さて翌日はかねて行きたかったU・Iターンサポートセンター(通称サポセン)を訪ねた。県内より県外で有名なこのセンターだが先ずはその事務所に驚いた。サンダース軍曹が天幕を捲って出てくるんじゃないかと思うようなテントの館だ。中に無線機こそ無いがパソコンのケーブルなどがあって一見して野戦基地だ。しかも強風でテントが煽られて騒がしい。でもこんな事務所だからこそ現場の臭いがプンプンしていた。石油ストーブが一個置いてあったがこれからまだまだ寒くなるとテント内での活動も大変だなと思う。このサポセンは2003年に活動を開始した。当初は移住者への空き屋情報提供をメインに活動してきたが今はより積極的に人口を増やすことで地域の活性化に貢献すると明確に目的に掲げている。数年前からサポセンの活動と実績を聞きつけた各地行政の視察も多いようだ。それらをこなしながら本業(?)の移住志願者に移住先輩として的確にアドバイスし、ケーススタディーを積み重ねてノーハウも構築できた。昨今では年間90数名に及ぶ移住・定住者を生んできた。団塊の世代もいるが30,40台の現役でしかも手に職を持つ人間が多く集まってきた。まま地域にとけ込めない事例もあるんだろうが私はその努力と成果は大いに賞賛に値するものだと思っている。地域と移住者を繋ぐ触媒というかインターフェース的な役割がここの機能だろう。でもこれほど成功している事例も他にあまり聞かないのはやはり誰がやってるのか、つまり人だと思う。会長は東京、事務局長も兵庫のご出身だそうだ。会長は元リフォームの会社経営、事務局長は脱サラして大浦町で営農を学び、この種子島で自ら畑仕事に勤しむ。ちょっと気むずかしい風な感じなんだが噛む程に良い味が出てくるアカデミックなお方だ。残念ながら会長に先んじてここに移住していた息子夫婦は最近宮崎の清武に再移住されたようでちょっと寂しいなあと本音も漏らされた。昨今の学校の統廃合も子供を抱える移住希望者にとって腰の引ける要因になっているんだそうだ。県もこういう地道ながら着実な成果を生んでいる活動をもっとしっかり見て欲しいと思う。

種子島とサポセン① さてすぐ傍にある南種子の図書館を覗いた。本屋さんの隣にあるというロケーションもめずらしいが図書館に入った途端に面が割れた。10月県の図書館総会での私の講話を聞かれた方だった。資料費も一時大幅な減額となった時もあったが現在何とか他地区に遜色ないレベルまで復活してきたと言う。ここで柳田理科雄という方の本に出会った。聞くと前町長のご子息で理系の解説本をたくさん執筆されている在京の方らしい。こんな出会いも地域の図書館なればこそなんだろう。                                  種子島とサポセン②

この南種子で昼食を取った。『磯乃茶屋』という初めての店だがメニューを見ただけで美味しさが伝わるような店だった。稲荷寿司2個付きで¥650のラーメン定食を食べたが、どうしてここのラーメン、豚骨に醤油仕立てを加味したなかなかのお味だった。近くの女性に運ばれてきた唐揚げ定食も見せて貰ったが次回はこれを食したいと思うほど綺麗だった。ここは味もさることながら見てくれもすこぶる優れたお店だ。

 

みんなのグリーンツーリズム研修会in出水

17日は県北出水でのグリーンツーリズム研修会に講師として参加した。この研修会は県農政部からの委託でNPOさつまが運営し、県内各地で開催され2月19日が最後だと聞いている。

出水のみかん園 さて出水は業務、プライベイトを含め何度も訪ねているが今回は研修会に先立ち竹崎農園さんにあらためて出水をご案内頂いた。概ねコースは東光山展望台(ここは必見)、平成9年の大水害を被った針原地区、井伊直弼殺害に関わったとの科で自刃した有村雄助の首実検の地、野間の関所跡、特攻の碑、特攻神社、鶴観察センター(まちの駅側)、 出水の鶴 荒崎の展望台、船と荷の出入りをチェックした旧番所跡、菅原道真が座ったとされる菅公石そして神酒造本宅だ。今の時期は鶴の飛来数も12,000羽を超えて空を悠々と飛ぶ様は圧巻だがこれだけで出水観光が終わったとすれば結局出水の極めて季節的かつ表面的な部分だけを垣間見ただけで終わることになる。 尚鶴観察センター隣のまちの駅には旧薩摩街道の地図や篤姫がらみの説明も受けられる。

この出水は鹿児島に於ける島津氏発祥の地でもあり、薩摩街道の要所でもあった。篤姫の将軍家へのお輿入れに際し、小説では大坂まで海路、そこから江戸に登ったとされているが、史実はこの出水市野田郷を経由して江戸に登ったらしく篤姫が立ち寄ったことが記された掛け軸も残っている。だからこそ来年早々のNHK天璋院篤姫のロケも麓地区の竹添邸と宮路邸で去る10月実施された。またつい最近収録を終えたばかりだが来年1月中旬過ぎには2回に渡り鶴瓶さんが出水を紹介することにもなっている。古くからの人と土地の関わりを少しでも知って頂くことが本物の出水を知ることでもある。

みんなのグリーンツーリズムin出水 さて夕方6時過ぎから遠くは水俣からも数名の参加を得て30名程度の規模で竹崎邸の和室を繋ぐ形で開催された。私の方からは10月県が新しい『鹿児島県 本物。』PRポスターを作成したが、この本物をどう捉えるかが重要であること。結論から言えばあるものをあるがままにという姿勢を基本とすることが大切だと説いた。水俣では水俣病をも地域の財産と捉え、逆にその長い苦しみをバネに、水とゴミと食べ物に世界で一番のこだわりを持つ地域としての新しい水俣を作っていこうとする動きが生まれ、今一度先人達の知恵に学ぼうという座学『地域学』の実践に結びついた。要は古くからその地で人がどう生きてきたのか、そして今も住んでる人たちが先人の教えを活かしながらどう生きているのか、生活者としての土地との関わりと次の世代への継承にどう真剣に向き合っているのか、その姿を見て貰う事だと思う。『あるものをあるがままに』とはけっして何もせずじっと傍観することじゃない。

みんなのグリーンツーリズムin出水 しかし夜はとても寒かった。竹崎さんの同級生達も手作り灯籠を準備してくれた。出水の出身で40年間関西に暮らしてきたご婦人による見事な手延べ蕎麦も振る舞われた。料理の中にダイコンなますがあった。土地柄か新鮮なキビナゴが入っていたが素晴らしい味で何度もおかわりした逸品だった。翌朝は高菜の漬け物を戴いた。これまた最高に美味な味だった。しばし忘れていた本物野菜の味だった。ごちそうさま!

 

初冬の風景とツー大

先週土曜日から月曜まで南さつま市の新産業創造委員会の一員としてツーリズム大学12月講座に参加した。土曜は朝9時半に福岡を出て約2時間で小国に到着。午後1時からの講義の前にご飯、味噌汁、豆腐の単品で昼食。豆腐がもっと美味しければいいのにと感じた。(実はこの豆腐を福岡で麻婆豆腐にしたんだがこれは結構旨かった。食べ方で印象が違うようだ。) 12月ツー大竹の湯

先月同様嬉しいことに我が鹿児島からは5人の参加だった。種子島からも来られている。今回は何と北海道からも3名の参加があった。農産物加工の分野での先進事例として小国の名前は北海道でも通じるらしい。近くの大分県大山町にも視察に行かれたがここも大いに参考になったらしい。

さて今日の朝刊でも限界集落の再調査が一面に出ていた。今回の講師でもあった熊本大学の徳野教授12月ツー大授業風景 これまでも村落に入り込み、戸別にチェックして限界集落と言われる村落が手の施しようのない真性限界集落か、支援すれば存続可能な仮性限界集落かを見極める詳細なチェックをされている。限界と言うレッテルを貼られただけでやる気をなくしてはいないか。軽々にこのような言葉を使うべきではないという立場だ。こんな地道な研究が本物の研究だと思った。正直口は悪いが核心を突く話に引き込まれる。だからグリーンツーリズムに対しても厳しい。上辺だけのグリーンツーリズムは都市が農村を食い物にするだけで農山村の真の振興に繋がらないと言い切る。観光型 、地域活動型、自然・農志向型など農山村が関わるグリーンツーリズムを基盤とした交流の形態毎にしっかりとした位置づけと、農山村の誰とどんな交流をするのかを都市側も明確にしないといけないと説く。

また流行の地産地消について東大特任研究員の船戸氏から、元々1980年代初期に農村の食生活改善と医療費削減を目的に地域農民に対して発せられた言葉がだんだんと消費者全般を対象に発せられるようになった経緯、イタリアでスタートしたスローフード運動がアメリカのハンバーグショップの進出による地域の味の消滅に対する危機感に由来している話など参考になる講話があった。地域の味を守ることが今でも運動の骨子らしい。

12月ツー大味噌の地獄蒸し さて実習は味噌作り体験だった。土曜日に小国産大豆5升を洗い、翌日米袋に入れて地元の方々が地獄と呼ぶ蒸気の自然噴気を利用した釜に入れ(写真左)、翌朝これを引き出して擂り粉木で潰し、米麹、麦麹、塩を入れて掻き混ぜ、小国産杉樽に詰めて半年寝かせるという作業だ。特に潰しの作業は体力が相当に必要で、とても1~2人じゃできる仕事ではない。昔から地域で一緒に作業したのも頷ける。日本の文化は発酵文化だと言われる。こんな共同作業が地域を結んでいたんだろう。昔 12月ツー大味噌作り は麦味噌が多かったそうだがいつの間にか米味噌が主流になった。これは日本陸軍に納入していた信州の米味噌が東京の家庭のスタンダードになったことに起因するのではというのが九大の石村先生の説だった。

1日湧蓋山の途中にある山小屋に泊まったが空気が澄んでいるのか満天の星空に驚いた。何十年ぶりかでこんなたくさんの星を見た。翌朝は案の定凍えるような寒さ。水も凍り湯たんぽの残り湯で顔を洗った。落ち葉を掻き集めて、釜に汲み入れた雨水を暖めて食器を洗った。この地域今年の紅葉は数年ぶりの当たり年だったそうだ。

再度人吉へ

昨日は南さつま市の新産業創造委員会の皆様と一緒に肥薩線しんぺい号に乗って人吉に行き、市役所の農業振興課の方から現在のグリーンツーリズムへの取り組みを聞き、更に市内に5軒ある農家民泊の一つを視察した。

11時40分のしんぺい号の乗車率は平日でもあり50%程度だと思った。前回人吉から逆コースでいさぶろう号に乗ったが同じルートでも方向が違うとそれなりに新たな発見もある。今の時期は紅葉もそれなりに美しい。真幸(マサキ)の駅は小振りで可愛い。それに比べると矢岳大畑(オコバ)の両駅は立派だ。やがて100年を迎えるこの肥薩線だが駅舎も何度か手を入れてSLの動態保存並の努力が払われているんだろうと思う。各駅停車のスローないさぶろう・しんぺ号による日本三大車窓や先人達による種々の工夫と仕掛けは一般の観光客でも十二分に楽しめる。

2011年春の新幹線全通を迎えたとき、中央駅から速度も増したNANOHANA号で指宿に向かい、帰りは中央駅からはやとの風で吉松、更にしんぺい号で人吉に渡り、旧SL阿蘇BOYで八代、新幹線で福岡(または以遠)という組み合わせ、または人吉から九州横断特急で別府というルートは旅好きの熟年には堪えられない醍醐味を提供することは間違いない。事実すでに先週別府から逆回りで鹿児島に戻って来た新産業創造委員会のメンバーもいた。

新幹線は単に今まで遠かった大都市だけを簡単に結ぶだけではなく、新しい周辺観光の促進に役立てないと意味がない。しかも県境を越えた広域観光だ。以前も言ったが2011年は韓国KTXのソウル・釜山線の全通の年でもある。朝食をソウルで済ませ、昼はビートルの船上か博多のラーメンで済ませ、鹿児島で沈む夕日を愛でた後にゆっくりホテルにチェックイン、薩摩料理と焼酎をじっくり味わう時代はもうすぐそこだ。だから遅くとも2009年までに準備を整えて、新幹線全通の2011年まで、実質1年数ヶ月の間を団体型から個人型への移行期間と捉えて訓練とレベルアップが必要だと言って来た。

2011年以降の県境、国境を越えた人の移動に伴いお客が選ぶ選択肢も増やす必要がある。その代表例が農家民泊だろう。人吉は平成17年にグリーンツーリズム推進協議会(会員20名)を立ち上げ、1年遅れて県が人吉・球磨グリーンツーリズム推進協議会を立ち上げた。農家の奥様方、市、県が一体となった動きは鹿児島でも可能なはずだ。人吉で最初の農泊を開業した上井さん、安心院の農泊にも何度も通い、あの中山さんに相当影響を受けたようだ。やはりツーリズムについてしっかりとした基盤の共有がないと単なる真似事に終わってしまいかねない。先月5カ所目の民泊が人吉市内に開業した。保健所から何度となくチェックが入るらしいが皆さん自分が当事者という意識でこれをクリヤーされている。目標10軒に向けて努力中だ。

尚同じ時間に曽於市の女性グループ代表9人も視察に来られていた。皆さん大規模専業農家の方々が中心だが曽於の大地でいつかは農家民泊も、、とお考えの方々だった。

ブルーツーリズムモニター (延岡市北浦町) その2(終り)

横島展望台 さて2日目は朝8時半に出発、車を連ねて約25分の横島展望台に行く。ここからは四国西端が見えるそうだが生憎雲がかかっているようで目を凝らすが見えなかった。やがて今から行く定置網を持つ船長さん(宇戸田さん)がやって来て定置網のイラストコピーを配って網の構造と特徴を面白く語ってくれた。やはり素人に興味を持たせる語りが絶対必要だ。船長はこの役回りが適役だと思った。この展望台から船長の定置網が3つ見えた。親から聞いてきた魚の回遊ルートに沿って張ってある。

この定置網に金庫網というゾーンがある。何でこんな名前なんだと船長に聞くと、魚の知能指数により簡単に取れるものと、なかなか取れないものとがあるようで、金庫網に入る魚はもう逃げられない構造だそうでIQの低い魚がここに入るんだそうだ。魚の話なんだが何となく人間世界の話にも聞こえて来るから不思議だ。俺も金庫網に入る類なんだろうなって、、、、

北浦町定置網体験 さて船長の持つ第十八繁栄丸に乗って10分で定置網に到着。さっそく船長と長男の2人で網を巻き上げた。だんだん網が狭まってくると網の中の魚が見えてくる。50~60cmの大型魚もいれば太刀魚、サバ、鯵などの大衆魚もいる。タイもいるし活きのいい水烏賊も結構入っていた。金目の魚は船長が先に生簀に移し、残りを家 北浦町定置網2 族一人一人が網で掬って生簀に移した。人間の手で触ると死ぬんだそうだ。だから手で触らずできるだけ手早く生簀に入れるのがコツだ。何でも活魚とそうでないものとは倍の価格の開きだそうだ。また烏賊は佐賀呼子まで出荷するんだそうだ。お茶かなんかでも似たような話を聞いた事を思い出した。港に戻りさっそく活きのいい鯵、サバを刺身にしてくれたが甘くて旨い。

北浦町定置網3 この2日とも天気も素晴らしく、全家族とも和気藹々の仲間となって楽しく過ごした。この北浦町をドライブすると道には猿が出てくる。まだまだ自然が豊かに残っている地域だ。最後に今回のモニターのアンケートを書いて、昨日作業した一夜干しをお土産に解散した。今回のモニターのよかった点は子供中心でスケジュールがゆっくり組まれていたこと、塩作りが体験できたこと、魚の捌き学習と干物つくり、定置網体験だと思う。逆に反省点は1日目の夕食に冷たい料理が多かったことだ。ここが改善されれば素晴らしいモニターツアーだと思った。

世の中グリーンツーリズムが盛んだが鹿児島は日本で第4位の水揚げを誇る県だ。このブルーツーリズムも今回を参考にすれば鹿児島でももっと地域性を組み入れた面白いプログラムが組めると確信して、再度あの時間のかかる国道10号線を南に下った。 錦江湾沿いの道路で何気なく目を海に移すと何とイルカ7,8頭が泳いでいた。話には聞いていたが運が悪いのかこれまで櫻島フェリーに乗っても遭遇したことが無かった。ラッキーな1日だった。

 

 

ブルーツーリズムモニター (延岡市北浦町) その1

23日が勤労感謝の日でもあったので金、土曜日の二日連休を使って延岡市の北にある北浦町でのブルーツーリズムモニターツアーに参加した。申し込みが遅かったこともあって心配したが何とか7家族27名の末席に1名加えて貰う事が出来た。今回を含め全4回のモニターらしいが全て催行できたらしい。

しかし木曜日の夜に宮崎に移動し、金曜日朝9時に宮崎を出たのだが国道10号線はなんとも歯がゆい道路だ。延岡まではたった85kmなんだが何と2時間半もかかる。むしろ延岡から北浦町までの道の方がいい位だがそれでも35分を要した。鹿児島県内の移動とは雲泥の差だ。国道がこんな状態だからJR日豊線はその強みを如何なく発揮する。延岡市内までだったら絶対JRが便利だ。でも更に国道388号で北浦迄向かうなら車で行くしか方法は無い。

北浦町ブルーツーリズムモニタツアー さて定刻1時に現地に到着してみると延岡市役所の皆さんが待っていた。7家族も時間通り揃ったが福岡市内、大分からも参加者がいた。これは多分月刊紙『みちくさ』に今回のモニターが紹介されていた関係だと思う。さて初日最初の研修は塩つくりだった。この地方はかつて揚げ浜式の塩づくりが盛んだった所。目の前には下阿蘇海水浴場が広がっている。日本のベスト10にも選ばれている程の綺麗な海水浴場だ。鹿児島でも結構製塩行程の見学はできるんだが自分 北浦町マイ塩づくり 達でマイ塩を作るような作業をさせてくれる所は残念ながら見たことが無い。北浦では塩についての一通りの説明の後、家族単位でコンロ、小さめのフライパン、コーヒーの濾過紙を使って塩を作った。これは感激モノだった。ここでは毎日50kgの塩を作っているらしいが製塩が間に合わないほど人気だとか。確かに二日間とはいえ朝から薪を燃やす煙が工場から立ち上っていた。

次の体験は魚の干物の作業だった。家族単位でバケツ一杯の鯵が用意 干物つくり され、これを指導員の包丁裁きを見ながら開いていく。最初は慎重にゆっくり作業を進めるが慣れるにつれてスピードが増す。1家族で多分40~50匹の魚を捌く。これだけ訓練すれば子供も段々手馴れてくるのが良く分かる。そしてこの海から作った塩(マイ塩も使うがこれだけじゃ足りない)を片面に塗って1,2時間重ねて寝かす。その後魚を1枚づつ取り出し、水で洗い、舌で表面を舐めて塩加減をチェックし、必要なら更に水で塩を洗い落とし、今度は網に1枚づつ開いた方を上に並 干物一夜干し べて、蝿などが来ないように同じ網の蓋を被せ、蚊帳を吊るような格好で空中に吊るして一夜待つ。この作業、最初は辛いが手順が分かるとなかなか面白い。婦人会の皆さんも来られ、ハモのすり身をその場で天ぷらにして振舞ってくれたが、これが最高に美味しかった。各家庭で味付に差異があるらしいが伝統の味を守っているんだそうだ。    (その2に続く)

バンコクからの報告 (終)

またまた報告が遅れてしまった。先日の現地からの報告に加え、以下を追加したい。

出店2日目は午後4時頃だったが昨年取材に鹿児島に来てくれた女優のJAJAさん、ガイドブック版元の『まるごとタイランド』の丸山氏もブースに来てくれた。タイでは一般的に女優と称する方々は日本より多いと思 JAJAさん うのでJAJAさんの人気ぶりがどんなものかと思ってはいたんだが、彼女が登場するとカメラ群が押し寄せ、さながら撮影会の雰囲気となった。お揃いのTシャツも用意したんだがこれの着用はプロダクションとの関係で難しく、また彼女自身がマイクで鹿児島を語ることも難しいことが分かった。そこで丸山氏と打ち合わせ、会場の司会者が鹿児島のことを彼女に質問し、それに答える形なら行けることが分かり、これに切り替えた。これは100%彼女のボランティアであって、スケジュールの合間をぬって来てくれたことに感謝!ブースの後壁には彼女が昨年鹿児島で撮影した写真の中から選んだ3点を拡大して貼った。これも極めて廉価での提供であり『まるごとタイランド』に感謝したい。

金曜でもあり夕方から結構客足が伸びた。ケサラポン嬢もペラ全開で飛ばして ロケーション くれた。勿論我々も見てるだけではなく、脇から手を伸ばして来る新規のお客に対応した。中に来月宮崎、鹿児島を回るという女性がいた。何でも日南にえらく高名な鍼・灸の専門家がいて、ここにアジアから人が集まるという。その帰りに鹿児島にも立ち寄るそうだ。特に食い物情報に関心が高かったので鍋物の話をしたらなかなか興味を持って聞いていた。右は2日目の手作り案内板。

さて夕食は『まるごとタイランド』の丸山氏、JAJAと我々3人の5名で市内中央の日本料理屋さん(トンカツが有名だがそれ以外もなかなか美味)で取ったが途中車に追突され、その処理に優に1時間は掛かった。JAJAさんは会場駐車場に車を置いて、何とバイクタクシーに跨ってやって来たんだと言う。これには驚いた。タイには認可を受けたバイクタクシーが営業しているが、朝夕の混雑時はこれが結構活躍する。私も10年前まで住んでいたが約束に遅れそうな時は車から降りてこのバイクタクシーに乗って約束の場所に駆け込んだことも何回もある。しかし現役の女優さんが同じ事をするなんて想像を超えていた。逞しい限りだ。バイクタクシーの値段は交渉だが多分20バーツくらいと思うが私がバイクの運転手なら逆に彼女に100バーツ払ってもいいと思った。聞けば翌日朝9:45から彼女の出るドラマがテレビチャンネル3で流れるという。これは出勤途上の為見れなかった。

さて今回日本食を2回、タイ料理を3回食べたが、やはりタイ料理が美味いのは当然だ。店により味も異なるが庶民的なもの、高級なもの、いずれも本当に旨い。最初にタイに行ったのは多分30年以上前の事だったと思うが、当時のタイ料理は臭いがきつく、辛過ぎて、なかなか近づけなかった印象が強いが、この30年で確実に進化してきた。国際化と言っても良いだろう。さつま料理も昔のままではいけない。時代に即した進化がないと見放されてしまう。勿論良いものは残していくことは当然だが。

ソムオーサラダ 今回この中で秀逸の1品を紹介したい。名前はソム・オーサラダまたはパメロンサラダと言う。ザボンのような大型柑橘類の実をほぐして、これにナンプラー(魚醬)、唐辛子、小エビのソテーを加えてかき混ぜたサラダなんだがこれが絶品だ。日本でも作れるんじゃないかと思うんだが有楽町、福岡のタイ料理屋でもこれが無い。柑橘類の種類が違うのかもしれないが本当に美味しい料理だ。今回3回のタイ料理で毎回これを欠かさなかったことは当然だ。

さて22日は現地鹿児島県人会の皆様との懇親会に参加した。有名なタニヤ通りにあって私もよく車を駐めていた高層駐車場の隣にある。今日は14,5名の皆さんがご参集らしい。先日来やりとりを交わしていた現地不動産関係に従事されている萩原会長はじめ、病院で働く女性もいれば、船の船長さん、ゴルフ場の社長、ホテルのお偉さん、食品工場の社長などとにかく皆さん幅広くご活躍中だった。私自身は薩摩生まれではないが異国で聞くお国言葉はまた格別だった。 尚 『よかとこ100選』もこの場で2セットお渡ししたが極めて好評でページを捲っておられた。お気に召したようで何よりだった。 (終)

 

 

『くろくま』食った?

『まず写真の掲載がないことをお詫びしたい。カメラを持たず食ってしまったからだ。胃の腑は超満足なんだが後悔しても始まらないミスだと反省しきりだ。』 という書き出しで始めたのは9月5日の事だった。しかし18日に再度食する機会を得て、上手くはないが数枚の写真を撮ったので掲載することにしたい。

くろくま』については情報と写真は見たことがあったが鹿児島名物白熊にあやかった適当な鍋物だろう、なんて軽く考えてしまっていたことがとんでもない誤算だった。聞くと県の職員の方々も結構食しておられるそうだが私の耳には感激の声が届かなかった。だから私が周囲のプッシュを受けながら今あらためてご紹介したい。

この料理は約1年ほど前に南洲館さんで考案・開発された鍋料理で、直径70cmもの大鍋を真ん中に据え、3人~8人で囲み、昆布とカツオをベースに7種類の野菜を3時間かけて煮込んだ特性スープをたっぷりと入れ、黒豚のシャブシャブを始め盛りだくさんの季節の野菜、豆腐、椎茸など地元採れの素材を食する くろくま もので南洲館の西元料理長の苦心の作だと聞いた。先ずは広間に鎮座する鍋に圧倒される。この上に蓋代わりに大きな竹編みのザルが被せてあった。この姿に客は圧倒される。この鍋は以前別の店で使われていたようだが店を閉める際に南洲館さんともう一カ所でこの大鍋を引き取られ、熊襲鍋と称する料理で使ってこられたらしい。熊襲鍋は海・山の幸いっぱいの豪華鍋だが黒豚は登場しない。だからこの『くろくま』が生まれたんだろう。白菜に代わりこの鍋では新鮮なレタスを使うところも女性に受けるはずだ。

中華料理人の陳建一さんも審査員を務めた第21回国民文化祭の『食の祭典"鍋"コロシアム』で総合優勝、つまり日本一に輝いたこの鍋、まだ食ってない方には是非食して欲しい。 くろくま まもなく始まるJR九州さんの佐賀 vs 鹿児島のキャンペーンでも『くろくま』が紹介されているようだ。佐賀の対抗鍋は嬉野温泉温泉ゆどうふだが私的には昔食った佐賀市内松川屋さんの松川鍋だろうと考える。これは旨い鍋料理だった。しかしどう考えても『くろくま』と互角に戦えるとは思えない。単に料理だけではなく南洲館さんのサービスの細かさも負けず劣らず光るからだ。まるで提灯記事みたいになったが良いことをめったに言わない私だけに周囲も書けと強力にプッシュする始末、たまにはいいだろうと精一杯記憶を辿った。

多くを語ると皆さんのお楽しみを阻害することにもなるのでこれ位にするが『くろくま』はまだ終わらない。一通り食するともう腹がはちきれんばかりなんだが、次にこの大鍋がラーメン用の大鍋に変身する。しかも麺の入れ方が芸術的だ。腰のある乾燥麺だがスープと見事に合っている。目を瞑れば串木野のまぐろラーメン くろくま を思い出した。ここで終わると思ってはいけない。次に『豚飯』というお茶漬け風味のご飯が出てくる。目を瞑れば奄美鶏飯を思い出した。小さいが胃の腑の別の所に綺麗に収まるのが不思議だ。ここで終わると思うとまた失敗する。デザートも準備されている。それも2種類の本場白熊だ。気が利くと言えばそれまでだがこの鍋を食すれば鹿児島がすべて分かる仕掛けになっているところが特許ものだ。最近べた褒めの食にお目にかかれないと思ったら何とこんなお膝元に宝があった。 

気になるお値段だが通常は2人に1本の乾杯ビール更に焼酎飲み放題まで付いて一人¥5,000だそうだが鍋とは別にお造り、小鉢類も含めてのお値段だ。感想に述べたとおりこれだけの内容豊富な鍋で満足度も高いし、ビジネス出張で来られる方々もこの鍋を食すれば奄美にも串木野にも、そして天文館のアイスパーラーにも行けた気分になれる、まさに今の鹿児島に相応しい洗練された鍋料理の見本とも言える料理だ。3名様からお受けするという。ご家族で腹を空かせて挑戦して欲しい1品だ。

 

 

今年の坊津岬祭り

昨年も行った坊津の岬祭りを今年も見に行った。今日の天気は昨年同様いい。今日のルートは県道20号線から19号に入り川辺町、枕崎経由、片道1時間半のルート。

坊泊中学校吹奏楽 到着すると4時半でまだ準備中。5時少し過ぎに坊泊中学校吹奏部の演奏でスタート。どう言う訳か現役男子生徒の姿が見当たらない。逆に学校のOB&OGが一緒に加わっていた。曲は正直私には馴染みの無い曲が多かった。いい曲だったとは思うがいま少し元気の出る曲を選んでもらったほうが良かった。

次に地元の婦人会の皆様総出の踊りが始まったが法被姿も凛々しくなかなか良かった。 坊津岬祭り これに続き祭り実行委員長の開会宣言に続き、南さつま市長の挨拶が始まった。私服姿の私を目ざとく見つけられ、プロデューサーも参加しているこの祭りを今後とも大いに盛り上げていきたいとのお話を頂き恐縮した。私は昨年この祭りが極めて南さつまらしい祭りであることに感激したこともあり、去年と出し物が変わった今年の祭りを少し心配しながら見に来たというのが本当のところだった。地元のバンドの演奏が始まったが曲が馴染みが無いことに加え演奏も歌も雰囲気にマッチしていなかったと思う。抽選会を挟んで宮井紀行のライブが始ま 坊津岬祭り宮井紀行 ったがこれはなかなか聞かせる曲が続いて期待以上の内容だった。

7時半から昨年もあった年に1回の双剣石ライトアップが始まった。でも昨年の正面横からの単純なライトアップではなく今年は背後からのライトアップで双剣石がポッカリと浮かんで見える手法で、昨年より良かった。残念ながら私の古いカメラじゃ何枚撮ってもボケてしまった。 坊津岬祭り中村みずき 続いて奄美から中村みずきさんの島唄が始まった。奄美の海と坊津の海の違いに驚いた彼女だったが坊津初登場の彼女の歌は良かった。これに続いて花火が始まったが昨年同様のメッセージ花火はやはりいい。でも提供企業が多く、企業名の紹介の長いことには少々閉口した。でも急がないスローな祭り、これでいいのかなとも思った。

露店は昨年に比べビールが並んでいたことはいいが逆に昨年あったキビナゴの塩焼きなどが無くなったことは残念。海の街坊津ならではの祭りだ。是非海の幸を肴にビールを飲みたいと思ったのは私一人じゃないだろう。

坊津岬祭り 総合的には昨年が90点とすれば今年は80点だった。岬祭りと命名するのであればやはりコータローには登場して欲しかった。事実コータローが出るのであれば福岡からのバス旅を企画したいと言ってきた旅行社もあった。それだけに中身の決定がもっと早く決まらないと旅行商品に仕立てることは難しい。島唄ファンも多いとは思うが域外の人からすれば岬祭り=岬めぐり=コータローをイメージすることは想像に難くない。加えて継続することが大切だ。コータロー氏と5年契約など考えられるのじゃないだろうか。これにより単発契約より安くすることは可能だと思う。聞けば彼の方も参加を打診してきたと言う。彼の頭の中でも自分の曲のイメージにぴったしの所が坊津と思っていてくれているはずだ。

この祭りはまさに地域の皆さんの祭りだ。同じ南さつま市にある大坂(だいざか)で12日開催された金峰2000年橋大坂納涼祭も竹灯籠が綺麗でなかなかよかったとのこと。南さつまはこの時期山の祭り、海の祭りが豊かに楽しめる地域だ。

 

 

東北の祭りはすごいぞ ② 終

先週は秋田の竿燈祭りの報告をした。秋田の少し殺風景な港を深夜出港して一路ねぶた祭りの青森に向かう。1日レンタカーで動き回り、祭りも最後まで見学すればもう体はクタクタに疲れていたが快適なベッドに横になり、次に目覚めればもう青森の港だ。台風も去って天気も良さそうだ。

奥入瀬渓谷 今日はバスで八甲田山奥入瀬を見た。もはや昨今のガイドさんの、テープを聞くような、教本に沿った語りに満足できないと講話の席でも話する私だが今日のガイドさんは違った。一見して超ベテラン、少なくとも年季30年は下らないと見た。通常の教本に沿った説明は標準語、生活者としての本音は青森弁と巧みに使い分ける。しかも方言の方が多い。つまり本音の語りだ。この話術、船の上で聞くプロの落語家より格段に上だ。こんなプロ中のプロのガイドさんがまだ第一線で活躍する青森はいい。休憩の際にガイド歴何年?って聞いたら笑って教えてくれなかったのもいい。毎年の功労者表彰でも鹿児島のガイドさん達が登場するが彼女達の技はどのレベルなんだろうかって考えた。以前鹿児島で観光バスに乗ったが標準語での案内だった。やはり方言の持つ価値は大きい。県の関係者には機会を捉えて是非青森観光バスのプロの話術を聞いてほしいと思った。

奥入瀬は確かに綺麗だが車が多過ぎる。十和田湖の水を水門を開閉して流す人工渓流だ。だから夜間から早朝は川は流れない。今後どこまで今の環境が守れるか心配だ。大分の宇佐院内にある岳切(たっきり)渓谷ってご存じろうか、奥入瀬は渓流を外から見て楽しむが岳切は幼児が足を踏み入れても安心な岩盤渓流の中を歩きながら清涼感に浸って自然を楽しむ。近場の自然の素晴らしさを再認識した。

青森ねぶた さて肝心のねぶたは青森の港からでも歩いて10分程度のところ、街を囲む長方形の街路に沿って22台の大型ねぶたが太鼓、ねぶた、跳人(はねと)の順で登場する。企業スポンサーの冠がついたものが多い。これは1台の制作・運行経費が2,000万もするからだそうだ。確かに写真写りはいい。同時期同じ青森の五所川原でもねぶた祭りをやるが青森が横に広がるねぶたに対し、五所川原は高さ22mにも及ぶ縦に長いねぶたが特徴だ。弘前は台数が60台を超えるねぷた祭りで賑わう。しかし前日の秋田の感動がどうも今日の青森では感じられない。この理由は何だろうか?それは跳人にある。山車はダントツ立派なんだがどうも跳人が思うほど跳ねないのが原因だ。ここに手を入れないとこれからの客は満足しない。 青森ねぶた祭り 青森ねぶた

ねぶたは七夕祭りの変形との事で、その起源については諸説あるが、短い東北の夏の眠たさを吹き飛ばす『ねむた流し』の説が私には心地よい。

以上1週間前の話で恐縮だがご報告まで。 

 

吹上町のホテイアオイが見頃!

正円池 かごしま よかとこ100選でも取上げられている吹上町正円池ホテイアオイ(別名ウオーターヒアシンス)が見頃を迎えています。可憐な薄紫の花が池いっぱいに咲く姿は特にこの雨季の季節に相応しいように思います。風の流れに身を任せるこの水草は漢字では布袋葵と書くようですが、元々は南アメリカ原産の植物。  これがなぜこの正円池に繁茂するようになったのかという経緯は定かではありませんが98,800㎡の池いっぱいに咲き乱れる姿は息を呑む美しさです。この時期、この方面に車を走らせるなら必見の地と言えましょう。池の周りには遊歩道も整備されています。

ついでと言うと失礼ではありますがここからそんなに遠くない川辺町にある清水の湧水も綺麗です。 昭和60年当時の環境庁が名水100選にも選んだこの湧水は1日6,000t。この内3,000tが町の上水道に使われています。またこの近くにある道の駅 清水の湧水川辺やすらぎの郷』では地元の野菜はもとより、川辺牛も販売されています。レストランでの川辺牛を使ったステーキ丼¥1,100はお薦めの一品。お肉の焼き加減もお好みです。米もいいし、肉も旨くて合格です。嬉しいことにこのステーキ丼には小鉢の他に冷奴、味噌汁も付いています。この豆腐がまた美味しいんです。私は別注で更に冷奴¥158をオーダーしてしまいました。敢えて言うならこのステーキ丼は写真写りがよくありません。もう少し色合い良く出せるともっといいのではないかと思います。

他にもメニューはたくさんあります。蕎麦は¥525なんですがここの麺は太くてちょっと食べ難そう。でもサバで出汁が取ってあり、カツオの魚肉まで入ったちょっと他には無い蕎麦のようです。この他このレストランの向かいにはお手軽なウドン、蕎麦の店が別にあり¥300で提供しています。今度はそちらでも食べてみたいと思います。

市内への復路県道35号線沿いにある山神の郷公園に行って見ました。ここは今年10月7日の夜約1万本もの松明が燈され、和太鼓やライブ音楽で賑わう『山神の響炎』が開催される所です。残念ながら普通の日に行くと変哲の無い山間地なんですが年に1回の夜のイベントに向けそろそろ準備が始まるのではないかと思います。でももう少し普通の日でも楽しめる仕掛けがあってもいいのかなと思います。

(正円池のホテイアオイは6月21日付けの南日本新聞でも掲載されました。)

 

夕刊に見たブータンの話

先日の夕刊に主婦の方がブータンについて書かれていました。もっと詳しく紹介して欲しかった思いもあって少しだけ私の経験を書いてみます。

 

ブータンは九州ほどの面積を持つ国で人口は約93万人と言われます。でも誰も正しい人口は把握できません。それはチベットなどからの越境者、難民がこの豊かな国に流れ込み、定住人口の把握が困難な事情によります。だから資料によっては人口210万人なんていう数字も出るほどです。以前聞いたところでは国連加盟にあたって条件の一つに概ね人口100万程度とあり、この条件に沿って人口を想定したらしいのですがあながち嘘ではないようです。空港のある街、パロに足を踏み入れる前、つまり飛行機が下降を始める際の機長のアナウンス『この国を初めて訪問されるお客様は驚かないで下さい。これがデュルックエアー(ブータン国営航空会社)の通常のアプローチです。』に慌て、同時に機体の急降下に驚き、窓の外に思わず救いを求めたい心境にかられるのですが、見える景色は山ばかり、その山肌をまだ急降下するんです。だから山の中腹以上に住んでる人間が何人いるのか誰も分からないんです。やっと川べりの小さな小さな滑走路に降り立つと正直『助かった!』と思います。この空港は後日JALの国際線パイロットの方にも確認したのですが世界の空港としては登録が無く、ブータン国営航空だけが有視界で降りる空港です。だから往路は天候回復まで最寄のカルカッタかダッカで待つことになります。

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鹿児島県立中種子高等学校を訪ねて

種子屋久観光連絡協議会総会に参加の為久しぶりに種子島を訪ねました。今回8時の船の乗船率はザッと見たところ65%程度か。定刻に新しい埠頭を離れ、波静かな錦江湾を快適に進み、定刻に到着。歩いて市内に入り昼は地元で有名な『憲ちゃんラーメン』を食べました。ここのラーメンは淡白ですがなかなかいい味を出しています。この道何十年と思わせる親父さんが作り、カウンター越しに渡す熱々のラーメンは少しだけ指入りラーメンですが美味しいですよ。見ると奥さんの口周りが赤いので聞くとマンゴーの食い過ぎだとか。夫婦連携も立派ないい店でした。

さて会議終了後今年1月発見された3万年前の狩猟の落とし穴『大津保畑遺跡』を見に行きました。全部で12基の土坑はいずれも直径150cm程度、深さ120cmのもので穴から上部30cmは動物が逃げないようにラッパ型をしています。生憎雨の中の為発掘現場に下りることは出来ませんでしたがロケットで有名な未来の島種子島は同時に遺跡の島としても名を馳せるのではないでしょうか。

さて今回の種子島訪問で正直一番楽しみにしていたことは中種子高等学校を訪ねることでした。私は昨年の新聞報道でこの学校の生徒さんが九州高校ディベイト大会で堂々3位に入ったことを知り、いつか指導の山口先生にお会いして、どういう風に指導されているのかを聞きたいと思っていました。島の生徒さん達が本土の並居る有名な伝統校にどうやって英語を通して立ち向かっているのか大いに興味があったからです。

指導の山口先生は一見おとなしそうな先生でとても熱血指導者には見えませんでしたが短期勝負型のチーム編成に優れた方とお見受けしました。この先生の性格がこの中種子高等学校のディベイトにも現れていると感じます。試合の模様は先生の撮ったビデオでも見せて頂きました。沖縄や福岡のディベイト伝統校は帰国子女等の活躍もあって一見すごいんですが心が伝わりません。一方中種子の生徒は自分の思いを伝えようと一生懸命さがよく伝わります。これなんですね。人を説得する技術は言葉のボリュームではありません。3分間の中での自分なりのパーフォーマンスなんです。これが優れています。 後藤校長先生も教頭先生も強力にバックアップされているのがいいですね。

今年も7月位に今年の議論のテーマが発表されるようです。中種子の生徒さんたちの活躍を期待します。