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1年ぶりのノーティカを歓迎!

ノーティカ号 今日は台湾の基隆からマーシャル船籍のノーティカ号マリンポートに入港した。今回のクルーズは船長に聞くとバンコクが出発地だったそうだ。約400名の乗客はそのほとんどが欧米人なので皆、今流行のフライ&クルーズのスタイルでバンコクjに到着、アジアンクルーズを楽しんで確か北京で終了、再度フライトで帰国するそうだ。

以前知覧の方からせっかく外国から来られるのに事前の情報が無く、準備ができない。せめて1週間前に概要でも知らせて欲しいとの要望もあり先日部内に発破を掛けて1週間前にはお伝えできた。今回は半日観光7台、知覧3台のバスが動いた。でも船と市心を結ぶシャトルバスの手配が無く斡旋事務所がある『ふれあいぽーと』に来られたお客様からもお小言を頂いた。これは船側の問題だと思うがやはりサービスとして必要だろう。その分タクシーは一時不 ノーティカ号② 足の状態で利用度は高かった。

私はレセプションに立会い、船長、機関長、ジェネラルマネージャーの皆さんと意見交換した。昨年3月に同船が入港した際は谷山港であり、その際に私は次回は新港でお迎えするとお約束したがその通りになったこと、船長はクロアチアのご出身でマリンポートが年間約40隻弱の客船を迎えるのに対し、クロアチアは昨年が650隻で、欧州を中心に大人気であること、環境保全を考慮して年間受け入れクルーズを700隻に限定したことなど参考になる話だった。正直規模が違うがそれだけクルーズマーケットには可能性があるということでもある。

ノーティカ号③ バスの出発に際しバス乗務員とガイドさん達のブリーフィングも真剣で、横のテント内では物産の案内、少し離れて別のテントではさつま町の皆さん方による臼を利用した餅つきもあって船の機関長も杵を振っていた。私は一旦斡旋事務所に戻ると今日船内を案内してくれたツアーマネージャーの女性が案内カウンターで情報を聞いているところだった。銀行はすでに閉まっていることもあって何といっても先ずは最寄のATMに行かねばならない。そこに船で勤務する別の女性2人も来て、結局女性3人を乗せて私が近くのATMまで送り、更に天文館まで連れて行くことになった。道すがら聞くと1人は英国人、1人はスウエーデン人、1人はフランス人だった。船長も確か40数カ国の多国籍スタッフが乗船していると話してくれたが確かにそのようだ。勿論日本人も働いていた。船内装備は豪華な船だ。いつかゆっくり乗ってみたい船だと思った。

今日に加え明日はゴーリキー号、明後日は飛鳥Ⅱと初の3日連続での入港だ。マリンポートの本格的利用が始まったと実感した。

第1回九州観光ボランティアガイド大会in宮崎

第1回九州観光ボランティアガイド大会in宮崎 11日から12日にかけて宮崎で開催されたボランティアガイドの大会に参加した。鹿児島からも総勢60数名の参加を得て会場は各県の色違いのジャケットで埋め尽くされた。初日は舞台での夜神楽に始まり、推進機構田中会長のご挨拶に続き東国原知事のご挨拶を頂いたがさすがメディアの世界に慣れておられることもあって極めて愉快で面白い挨拶だった。県庁ツアーも37万人を超える人気で当日の朝も県庁を出る際におばさま軍団に取り囲まれ、記念写真となったらしいが、おばさま達の鞄の中のカメラを探しの様子など実に再現が巧みで、写実的な言葉の使い方が上手な人だと思った。

次にJTB清水常務の講話があったがこれも良かった。この中で『旅』という言葉の由来を『他火』とする仙台の民族研究家の話をされた。火は古来暮らしの中心で、己の火が揺らぐと人は旅に出て他人の火にあたり知恵と土産を持ち帰ったという。我が村の暮らしを豊かにするこの行動が旅の原点だ。これはよかった。仕事柄日本を飛び回っていることもあって世界遺産の白川郷の問題点、最近登録された石見銀山の優れた環境保全の為の車規制なども語られた。

パネルディスカッションでは各県の代表が揃ったが何と言っても篤姫第1回九州観光ボランティアガイド大会in宮崎 光ガイド会の吉留さんの語りは珠玉だった。会場からの質問にも余裕のある受け答えをされ会場内のほとんどの方から喝采を受けた。小柄な吉留さんだが会場では大きく見えた。その後懇親会も開催され各県ボランティアガイドの交流が活発だった。

2日目は広域交流の促進に向け事例発表が2件あり、質問も活発になされ、来年の開催地熊本への引き継ぎもあって、その後3つのコースに分 第1回九州ボランティアガイド大会in宮崎 かれて現地視察に向かった。私は西都原古墳群と周辺の記・紀の道(古事記、日本書紀の神話コース)めぐりに参加したが汗の出るような快晴とベテランボランティアガイドの皆様のおもてなしもあって、すこぶる内容の濃い研修だった。宮崎を後にする際には来年も熊本に一緒にというような声が交わされていた。これまで何となく不安だった自分の案内に自信が持てる大きなきっかけになった大会ではないかと思う。

 

奄美にこんな店!最新事情

先週金曜日奄美市にて県の『奄美長寿・子宝プロジェクト』の今年度第二回目の会議が開催された。各委員の皆様と話をすればこの会議の前に喜界島を訪ねた方が2人いらっしゃった。どなたも喜界の魅力の深さはすごいとの認識だ。

さて県は平成21年度以降の通称奄振事業の継続に向けて国への働きかけを進めているが平成16年度から今年度までの今次奄振事業の最終年度を迎え、群島各地域が独自の地域資源を活かした産業創造により自活できるよう支援体制を組んで来た。群島の特徴である長寿・子宝の視点から独自の活性化を模索しようと保健福祉部によりこのプロジェクトが組まれ、各種モニターによる実証も済んで、いよいよ各地域の皆様による本格的取り組みの年となった。若干の地域格差を感じるが私は全地域が一斉に動くことこそ奇異に思う。危機感を抱いて早く動ける地域から動いたほうがいい。行政の勤務タームが2,3年というシステムの中で5年に渡る長期プロジェクトを継続することは正直難しい。こんな重要なプロジェクトの場合関係者の異動は据え置く位の覚悟がないといけないのではないだろうか。

amami kyoraumi koubow さて会議の報告は別の機会にして今回は奄美の新しい発見を2つほど紹介したい。先ずはAMAMI KYORAUMI KOUBOWというモダンなイタリア料理店だ。場所ばしゃ山村のすぐ手前で昨年オープンしたらしい。何と言っても作りがしゃれている。道路沿いには黒糖の精製工場が丸見えで鎮座する。もうもうと蒸気が道路まで押し寄せる。丁度トラックに山積みされたサトウキビが降ろされるところだった。この工場の隣がガラス張りの調理室、 amami kyoraumi koubow その向こうがレストランになっていてイタリアから持ち込んだピザ釜に火が入れてあった。店に入ると元々旧名瀬市の方でお菓子屋さんをやっておられた関係でケーキ、パン、地域特産品を加工したジャム、アイスキャンデーなどが並んでいる。それを過ぎればレストランという構造だ。よくレイアウトされていると amami kyoraumi koubow 感心した。完全なオープンキッチンではないが見せる店づくりというポリシーが貫かれている。ここでは鶏飯ピッザなるものも創作されている。生憎時間が合わずに1個¥100の饅頭とジャム類を買っただけだが試食したケーキ類(特に左写真の一番下)は美味しかった。もちろんここで作る黒糖2種類も味見したが合格だ。

さて次なるご紹介は『創作料理あきつ』だ。ここは旧名瀬市の閑静な住宅街にある普通のお家だ。ここでお昼を頂いたが郷土色豊かな素材と工夫があって、しかもお味もすこぶる満足いくレベルだった。リビングルームを利用して12~14名が一同に座れるようになっていたがクラシックが流れ、雰囲気も良い店だ。個々のメニューの解説は割愛するが烏賊スミの茶わん蒸しは特に絶品だったことだけ付け加えたい。全6品で¥1,370だったと思う。端数違ってたらお許しを!

創作料理『あきつ』 創作料理『あきつ』 創作料理『あきつ』

創作料理『あきつ』 創作料理『あきつ』     

さて奄美で行くいつもの店『ラグタイム』で心地よい音楽と酒を楽しんだあと、ホテルに帰る前に鶏飯の店『よろこび庵』に立ち寄ってうどんを食べた。大学の先生と一緒だったが、屋号を確認することもなく不思議に2人ともこの店で食べるつもりだった。本当はうどん、そばの店で暖簾にもそう書いてあるんだが私はいつも鶏飯丼を食っている店だ。でもさすがに今日はうどんを選んだ。その旨そうな、事実美味しかったんだが写真だけ御披露する。

                   奄美『よろこび庵』

喜界島は世界島! その②

前置きはさて置き、さっそく島の中で私の目線で捉えたお宝を紹介しよう。

喜界島の地下ダム まずは農産物加工センター隣にある地下ダムだ。外目は大きくはないががっちりとした建物の地下に300mを超える地下ダムが建設されている。隆起珊瑚礁でできた島は雨が降っても保水力が乏しく、これを地下に貯めて風力発電を利用して数か所から揚水し、田畑を潤す農業用灌漑施設として2003年11月に完成した。スケールが大きすぎてその全てを見ることはできないが地下に通じるトンネルがあり、説明のナレーションも流れる。大きなトンネルを歩いて行くと蛇口が設けてあり、水圧に耐えるガラスの向こう側は水で満たされている。当然蛇口を捻れば水が勢いよく出てくる。もっと奥までトンネルは続くんだが、なんとなくタイムトンネルに入っているような錯覚を覚えた。これは立派な観光資源だ。

次に喜界島の石垣の美しさを上げたい。島の南東に位置する阿伝集落には立 喜界島阿伝の石垣群 派な石垣が多い。しかもこの阿伝は立派に生きてる集落だ。台風被害を最小限に食い止めようと先祖代々築き上げた石垣は周囲の緑の濃さと調和した立派な観光資源だ。丁度観光で来られた若い女性2名も歩いていたが絵になる風景だった。この他地名を失念したが人の背丈の2倍にも達するような石垣も残っていた。この島には石垣がよく似合う。

三番目に巨木を上げたい。まずは島の南に位置する手久津久の巨大ガジュマルだ。ガジュマルの木は 喜界島のガジュマル 奄美群島どこにでもあるんだろうが私が以前一押しした徳之島のガジュマルも立派だったが季節にもよるのか葉の付き方がまばらで壮年期を過ぎた感は否めない。しかしここのガジュマルはその大きさといい、枝ぶりといい、見上げんばかりの迫力がすごい。ガジュマルはここだけではなく南東の蒲生にも群落があったがこれも樹齢850年という相当立派なものだった。道路沿いなのでせっかくの自然が白いガードレールで邪魔されているのが残念だ。 喜界島の巨樹フクギ もっと自然に配慮した設備はないものかと思う。これ以外にも畑の畔道にどっかりと腰を据えたガジュマルもお気に入りの木だった。これは巨木ではないが形が面白く、根の張り方が立派だった。道路沿いの民家にハスノハギというここが北限といわれる樹木も立派だし、先内という集落にあったフクギも巨木に相応しい立派なものだった。アカテツというとても硬い巨木も中里の民家にあって、倒木を切ったものが役場の入り口にも鎮座していたが、これも相当大きい樹木だ。なんでこんな巨木に成長するのか不思議な島だと思った。

喜界島のアサギマダラ 四番目は勿論蝶々だろう。今の時期『アサギマダラ』の集団越冬風景が見れる。車で通り過ぎると葉っぱのように見えるので見過ごすが時々羽を動かすので蝶と分かる。ここの道路に立つ標識がユニークでいい。私はあんまり蝶々には 喜界島の標識 興味を持つ人間ではないが蝶好きにはたまらない場所らしい。以前東北で採取した蝶の羽に個体番号を書き入れて放した人が同じ蝶をここで再度採取したという。自然界の不思議さを感じる話だ。真っ赤なポインセチアに蝶が乱舞する姿も写真で見たが綺麗の一言だった。

五番目はガーデニングだろう。これを目的に訪問したのではないのでお薦めのすべてを見たわけではな 喜界島の庭園 いが世界に通じる豊かさを感じる庭園があった。ガーデニングというと英国などが有名だが営々と手を入れて今に至る長い歴史は英国だけのものではない。喜界の庭園にも350年以上の樹齢を誇る蘇鉄もあって庭好き人間にはたまらない宝だろう。数年前ガーデニングの島喜界というキャッチフレ 喜界島の庭園 ーズを新聞で見たような気がするがこれは本物だった。この切り口で喜界島を見たとき、該当する箇所が多くて選択に苦慮することだろう。

昨年奄美を舞台にしたNHKのドラマ『ジャッジ』が放映され、その映像の美しさもあって好評だったと聞くが、どうもジャッジⅡの撮影も間近らしい。喜界島でも撮影が期待される。総論めいて恐縮だがこの喜界島にお住まいの皆様は経済的にと云うよりライフスタイルがリッチだ。その豊かさゆえ観光客を呼び込まなくとも生きていけるとの考えが強そうだ。よそ者がああしろ、こうしろと言うのはおこがましいとさえ思える。でもちょっとだけ域外の方々にお裾分けの気持ちもあっていい。ここの良さ 東経130度線 を知った国立大学の先生も立派な別荘を建てられてるし、牧場も併設された家もある。カントリーの音楽が流れても一向に不思議さは感じない。事実喜界島にある畳屋さんを訪ねたが表からは変哲の無い普通の畳屋さんだが一歩中に入って壁を見上げればカントリーのポスタが一杯に張ってあり、毎年の熊本でのカントリーフェスタは勿論、本場米国にも何度か通っている程のファンだとか。こんな隠れファンが島にあと一人いるようだ。北部の道路に黄色い2本線が斜めに引いてあるが何と東経130度線だった。立看板に説明に加えてクイズまで載せてある。心のゆとりだろう。

最後に喜界町図書館だ。この図書館は某企業の社長さんが寄贈されたも 喜界島図書館 の。総額2億2千万ほどかけて昭和60年にオープンした。特に郷土のコーナーは充実している。丁度蔵書整理の期間にあたりお休みだったが気安く開けて頂き係りの方と意見交換した。彼は図書館運営に情熱を持っていた。図書館が喜界島の交流人口拡大に果たす役割を認識されていた。こういう方は県内では珍しい。先見性豊かな方とお見受けした。頑張って!ここは色んなことができる可能性の高い島と見た。

 

 

 

 

喜界島は世界島! その①

喜界島空港 今までなかなか訪問のチャンスが無かった喜界島を先週訪ねた。鹿児島空港を定刻に出発したJAC機は定刻5分前に喜界島に到着した。小さな空港は昔住んでいたミクロネシアのロタテニアンの空港を思い出させる。

朝の1便が到着すると各社の新聞が降ろされ、ここからバイクで島内に配達されている。ここで今日の案内をお願いした役場の吉行さんに会った。喜界島は年間隆起速度が2mmという世界最高速を誇り、世界遺産候補に平成15年指定されている島だ。 喜界島百之台 最初に空港周辺を回ったがすぐ滑走路の傍に小ぶりだがゴルフ場もあった。この空港には昭和19年に海軍航空基地が置かれ、米軍の沖縄上陸後は沖縄に向かう特攻機の最後の整備、点検が主たる役割だったと碑に刻まれている。ここには黄色と赤の花弁が特徴の菊に似た通称特攻花大金鶏菊という南米原産の外来種で戦後持ち込まれたとする説もあるが)と呼ばれる花が5,6月には見事に咲き乱れる空港としても知られている。空港の傍にもすぐにでも泳げそうな綺麗な海岸が多い。

喜界島俊寛 俊寛と言えば三島の硫黄島と思うが、実はこの喜界島には昔から『坊主の前』と呼ぶ場所があり、その墓石の下から発見された人骨を昭和50年、国立博物館に持ち込み、鑑定して貰うと、その形相は現代人と大きく異なり、高貴な人物であったらしいとの判定を受け、同時に見つかった隅金具の付いた立派な木箱もあって、これが俊寛の骨ではないかと話題にもなった。

喜界町農産物加工センターも新しく出来ていて特産品、なかんずく柑橘類 喜界島すふーみかん は31種類もあるそうで私は緑色した花良治(ケラジ)ミカンすふと呼ばれる黄色いミカンが印象的だった。ケラジみかんは平成17年の学会で初めて報告され、含まれるガン抑制成分の効能が期待されている。またすふーみかんはなぜかそのお尻に可愛い丸い輪っかがあって、生まれつきのマークが面白い。少し試食してみればその柑橘特有の強烈な甘酸っぱさが印象的だった。

しかしこの喜界島、正直リッチな島だ。米とガソリンは外から持って来るようだがあとは何でも自給できる島ではないだろうか。黒糖、焼酎、白ゴマ、マンゴー、メロン、パパイヤ、パッションフルーツ。パパイヤなどは道沿いにも見られ、誰のものとも分からない自生もあってまさにミクロネシアの豊かさに通じるものがある。 

阿久根の枝垂れ梅と寒桜は見事!

先週から行きたかった阿久根大川の枝垂れ梅を出張明けの今日見に行った。先週天気をチェックした時は雨ではなかったはずだが今日は少し雨模様で残念。福岡に住んでいた時は毎年唐津にある野田堂の辻の枝垂れ梅を見るのを楽しみにしていた。だが『かごしま かとこ100選』の絵を見れば阿久根の梅はこれに勝るとも劣らぬ規模とも思え、しかと我が目で確認したかった。

阿久根表川内の枝垂れ梅 さてちょっとだけ探した阿久根の枝垂れ梅だが地元の方に聞くと先週がピークだったらしく、今日はすでに少し花が散り始めていた。でもやはり絵になる美しさだ。樹齢約100年の梅は当然だが、その後ろにある民家とのマッチングがすこぶるいい。なんと縁側には『かごしまよかとこ100選』四季の旅、196ページも開いて置いてあった。傍を流れる川を見れば水も澄んで魚が泳ぐ姿も見える。山紫水明とはこの事なり!単に風景だけじゃなく、ここに住む人が土地とどう関わって来たか、この美しい環境を守って来た先達にまで思いが及んでやっと地域が理解できるんだと思う。                                     

すぐ傍で特産品販売のテントも設けられ柑橘類、海産物など販売さ 阿久根表川内の寒桜 れていたのでさっそく買い物のついでに話を聞かせて頂いた。実は枝垂れ梅の手前に見事な桜が満開となっていて驚いたが、例年はこの桜(寒桜)が咲いて枝垂れ梅が咲くんだそうだ。しかし今年は梅が2週間ほど早く咲き始め、遅れて寒桜が咲いたらしい。だから寒桜は丁度満開状態で花は散ってはいなかった。それにしてもこの尻無川沿いに広がる里山は美しい。

ついでと言っては悪いが久しぶりに湯川内温泉にまで足を伸ばした。 出水『いわし屋』 上の湯はさすがにすこし寒いらしく下の湯に入ったが先客も3人ほどいた。壁向こうの湯船には奥さん方も入っておられるようで隙間から手が伸びてミカンの差し入れもありローカルムード一杯のいい湯だった。この後これも久しぶりに『いわし茶屋』でお昼を頂いた。昼は午後2時40分までの営業だがギリギリ間に合った。最後にを見に行ったが12,000羽を越す鶴達が餌を啄ばんでいて美しかった。北薩には季節感のある資源が多い。しかもレベルが高い。県民の皆さんももっと足を伸ばして欲しいものだ。

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溝辺町竹子(タカゼ)の巨石見学

先週の新聞で溝辺町の山奥に巨石があると知り、今日になったが行って見た。新聞では記者の方もこれを探すのに2日を要したとあるから、あらかじめ霧島市の観光課に同行をお願いした。市役所から車で約30 溝辺竹子の巨石 分で溝辺カントリーのコースを縁取るような山道に入るとまもなく、つい最近立てたと思われる小さな木の標識『据石ヶ丘の巨石』があった。ここから数分の山道なんだがコンクリートの簡易舗装とは思えないほどの大揺れの中進んで行くと山の頂上付近に出た。ここは車止めになっている。軽車両ならUターンも可能だ。ここから歩いて1分で目指す巨石があった。巨石と言うからにはそれだけ期待も大きかったんだがちょっと小ぶりな巨石というレベルだ。周囲を小さなといっても多分30~40kgくらいはありそうな石が何個か取り囲んでいる様子からして人の手が入っていると感じた。またこの(小ぶりな)巨石には基礎の部分が見て取れる。この上に大きな石が乗っかってることからすればやはり人的パワーが加えられた結果今の形に落ち着いたと思われるがどうだろうか。 溝辺の巨石

丁度霧島の山々と約90度の角度で櫻島が見える位置にあたり、これも何となく神懸り的な匂いがする。そう言えば来る途中、近くに高屋山陵を通って来たことを思えば、新聞にもあるように何となくこれとの関係も想像したくなるのは人情だろうか。市に聞くと昭和15年に国の調査も入ったとのことだがその結果は明らかではなさそうだ。

以前阿蘇の大草原の中にびっくりするような巨石群を見たことがある。近くまで道があるから誰でも行けるんだが土地に何度か通わないと土地の人はここに連れて行ってはくれない。でも確かに不思議な巨石群だった。阿蘇と比べることはできない規模ではあるが溝辺の小ぶりな巨石もその生い立ちへの想像に於いては互角と見た。 嘉例川駅105周年

さて帰りに裏道から嘉例川駅を訪ねた。表札を見れば何と今日は嘉例川駅の105回目の誕生日だった。でも周囲も普通と何ら変わらない雰囲気で寂しそうだった。目出度い日に来合わせたものだ。我等少数ながら、せいいっぱいその長寿を祝した次第。

 

南大隅町と佐多岬

根占図書館 新年第一回目の実踏として佐多方面を走った。本土最南端の佐多岬は誰でも知ってはいるが、それだけではなくもっと新たな発見を求めての実踏だ。先ずは南大隅町の役場を目指す。この隣には何と九州で最初の、日本でも4番目に設立された根占図書館がある。ここは明治16年(1883年)当地小根占の出身で日本初の測量会社『東京測量社』を起こした磯長得三が私設根占書籍館としてスタートした、今年で125年を迎える由緒ある図書館だ。現在の建物は百周年事業の一環として1982年に磯長翁の屋敷跡に建てられた新館だが結構広いスペースを持ち、資料費も財政厳しき中ではあるが確保されている。都市部の図書館では人気の新刊の購読を申し込んでも数ヶ月待ちの状況だが地域の図書館ではそんなに待たなくてもよさそうだ。

2階には資料館があるというので見せて貰ったがここにはあの中央駅前にある『若き薩摩の群像』の中の一人中村博愛の写真もあった。恥ずかしながら彼がここの出とは知らなかった。彼は1865年串木野羽島浦から他の18名とともに香港経由ロンドンに向かい、翌年渡仏して医学、語学を学んだという。彼は明治元年帰国後、藩の開成所で仏語の教授を務め、その後外交官として欧州の在外公館に勤務しオランダ、デンマークの公使も務めた。 またこの資料館には道の駅根占手前 根占郷土資料館 の大浜に明治29年、軍の電信局が開局され大浜~台湾間に日本初の海底ケーブルも日本の技術だけで敷設され、海外列強を驚かせたとの話も紹介されている。勿論その当時のケーブルの現物もちゃんと展示されていた。また平成9年には近くの遺跡から撃墜された零戦の20mm機関砲も掘り出され、その折れ曲がった姿もそのまま展示されていた。ここは宝の山だと思った。この南大隅町には『よかとこ100選』にも選ばれた雄川渓谷・滝もある。役場から遠くない地点にかくも素晴らしい自然が残っている。いいところだ。

佐多岬 さて佐多岬の本当の最南端にたどり着く道があると聞いて水中展望船さたでい号の案内所で聞くと潮の加減もあって片道2時間はかかるとのこと。やはり地元の方の先導無くしては危険だと思い断念した。いつもの道で佐多岬展望公園に向かうが途中入場券¥300(大人)と表示された看板が立っていた。終点の駐車場から歩いて抜けるトンネルの直前に料金所がありここで¥300を払う。トンネルから先の遊歩道は確かに以前 佐多岬展望塔 より木々の下枝が刈られ太陽も当たるようになっていたがレストランは廃墟のままだし、その先の展望台も別途¥200 払う価値があるかと問われれば疑問だ。でもここは日本の東西南北最端の地の一つでもある。他の3地区の整備と比べれば確かに見劣りすることは間違いない。また他の3カ所のいずれも記念撮影の場所までの入場料はかからない。唯一東端の納沙布岬にある民間の平和の塔(高さ97m)だけは土産品、食事の施設もあって大人¥900、子供¥500が必要だがエレベーター完備で根室半島や北方領土が良く見える施設になっている。佐多岬が今のままでいいとは思わない。ねんりんピックには自転車も種目にある。この機会に最南端を訪ねたいと思う方々も多いはずだ。3年後に迫った新幹線全通に向け、訪問者の期待に応えられる整備について国、地域行政、民間の速やかなアクションを促したい。

 

種子島とサポセン

25日から1泊2日で久しぶりに種子島に出向いた。それにしても今回の船は波が荒い関係かよく揺れた。熊毛地区所属長等研修会での講話には多くの県関係者が参加された。新幹線が2011年全通するが航空路線は鉄道より1年前倒しの2010年にも幹線が再編成され、地方路線も併せて再編成の動きがある。特に鹿児島の離島路線は新幹線の全通で影響が大きいと考える。この機に北部九州を含め主要都市との念願の直結も期待できることをお話した。だから交流人口の拡大に向け今準備を加速しないと間に合わない。今回関係者との懇親会、二次会、更には三次会までめずらしく痛飲したが新しい店、しかもIターン者がなかなかセンスのいい店を開いていた。日頃夜の空間が大切とお話ししているが西之表の動きは期待が持てると感じた。

さて翌日はかねて行きたかったU・Iターンサポートセンター(通称サポセン)を訪ねた。県内より県外で有名なこのセンターだが先ずはその事務所に驚いた。サンダース軍曹が天幕を捲って出てくるんじゃないかと思うようなテントの館だ。中に無線機こそ無いがパソコンのケーブルなどがあって一見して野戦基地だ。しかも強風でテントが煽られて騒がしい。でもこんな事務所だからこそ現場の臭いがプンプンしていた。石油ストーブが一個置いてあったがこれからまだまだ寒くなるとテント内での活動も大変だなと思う。このサポセンは2003年に活動を開始した。当初は移住者への空き屋情報提供をメインに活動してきたが今はより積極的に人口を増やすことで地域の活性化に貢献すると明確に目的に掲げている。数年前からサポセンの活動と実績を聞きつけた各地行政の視察も多いようだ。それらをこなしながら本業(?)の移住志願者に移住先輩として的確にアドバイスし、ケーススタディーを積み重ねてノーハウも構築できた。昨今では年間90数名に及ぶ移住・定住者を生んできた。団塊の世代もいるが30,40台の現役でしかも手に職を持つ人間が多く集まってきた。まま地域にとけ込めない事例もあるんだろうが私はその努力と成果は大いに賞賛に値するものだと思っている。地域と移住者を繋ぐ触媒というかインターフェース的な役割がここの機能だろう。でもこれほど成功している事例も他にあまり聞かないのはやはり誰がやってるのか、つまり人だと思う。会長は東京、事務局長も兵庫のご出身だそうだ。会長は元リフォームの会社経営、事務局長は脱サラして大浦町で営農を学び、この種子島で自ら畑仕事に勤しむ。ちょっと気むずかしい風な感じなんだが噛む程に良い味が出てくるアカデミックなお方だ。残念ながら会長に先んじてここに移住していた息子夫婦は最近宮崎の清武に再移住されたようでちょっと寂しいなあと本音も漏らされた。昨今の学校の統廃合も子供を抱える移住希望者にとって腰の引ける要因になっているんだそうだ。県もこういう地道ながら着実な成果を生んでいる活動をもっとしっかり見て欲しいと思う。

種子島とサポセン① さてすぐ傍にある南種子の図書館を覗いた。本屋さんの隣にあるというロケーションもめずらしいが図書館に入った途端に面が割れた。10月県の図書館総会での私の講話を聞かれた方だった。資料費も一時大幅な減額となった時もあったが現在何とか他地区に遜色ないレベルまで復活してきたと言う。ここで柳田理科雄という方の本に出会った。聞くと前町長のご子息で理系の解説本をたくさん執筆されている在京の方らしい。こんな出会いも地域の図書館なればこそなんだろう。                                  種子島とサポセン②

この南種子で昼食を取った。『磯乃茶屋』という初めての店だがメニューを見ただけで美味しさが伝わるような店だった。稲荷寿司2個付きで¥650のラーメン定食を食べたが、どうしてここのラーメン、豚骨に醤油仕立てを加味したなかなかのお味だった。近くの女性に運ばれてきた唐揚げ定食も見せて貰ったが次回はこれを食したいと思うほど綺麗だった。ここは味もさることながら見てくれもすこぶる優れたお店だ。

 

みんなのグリーンツーリズム研修会in出水

17日は県北出水でのグリーンツーリズム研修会に講師として参加した。この研修会は県農政部からの委託でNPOさつまが運営し、県内各地で開催され2月19日が最後だと聞いている。

出水のみかん園 さて出水は業務、プライベイトを含め何度も訪ねているが今回は研修会に先立ち竹崎農園さんにあらためて出水をご案内頂いた。概ねコースは東光山展望台(ここは必見)、平成9年の大水害を被った針原地区、井伊直弼殺害に関わったとの科で自刃した有村雄助の首実検の地、野間の関所跡、特攻の碑、特攻神社、鶴観察センター(まちの駅側)、 出水の鶴 荒崎の展望台、船と荷の出入りをチェックした旧番所跡、菅原道真が座ったとされる菅公石そして神酒造本宅だ。今の時期は鶴の飛来数も12,000羽を超えて空を悠々と飛ぶ様は圧巻だがこれだけで出水観光が終わったとすれば結局出水の極めて季節的かつ表面的な部分だけを垣間見ただけで終わることになる。 尚鶴観察センター隣のまちの駅には旧薩摩街道の地図や篤姫がらみの説明も受けられる。

この出水は鹿児島に於ける島津氏発祥の地でもあり、薩摩街道の要所でもあった。篤姫の将軍家へのお輿入れに際し、小説では大坂まで海路、そこから江戸に登ったとされているが、史実はこの出水市野田郷を経由して江戸に登ったらしく篤姫が立ち寄ったことが記された掛け軸も残っている。だからこそ来年早々のNHK天璋院篤姫のロケも麓地区の竹添邸と宮路邸で去る10月実施された。またつい最近収録を終えたばかりだが来年1月中旬過ぎには2回に渡り鶴瓶さんが出水を紹介することにもなっている。古くからの人と土地の関わりを少しでも知って頂くことが本物の出水を知ることでもある。

みんなのグリーンツーリズムin出水 さて夕方6時過ぎから遠くは水俣からも数名の参加を得て30名程度の規模で竹崎邸の和室を繋ぐ形で開催された。私の方からは10月県が新しい『鹿児島県 本物。』PRポスターを作成したが、この本物をどう捉えるかが重要であること。結論から言えばあるものをあるがままにという姿勢を基本とすることが大切だと説いた。水俣では水俣病をも地域の財産と捉え、逆にその長い苦しみをバネに、水とゴミと食べ物に世界で一番のこだわりを持つ地域としての新しい水俣を作っていこうとする動きが生まれ、今一度先人達の知恵に学ぼうという座学『地域学』の実践に結びついた。要は古くからその地で人がどう生きてきたのか、そして今も住んでる人たちが先人の教えを活かしながらどう生きているのか、生活者としての土地との関わりと次の世代への継承にどう真剣に向き合っているのか、その姿を見て貰う事だと思う。『あるものをあるがままに』とはけっして何もせずじっと傍観することじゃない。

みんなのグリーンツーリズムin出水 しかし夜はとても寒かった。竹崎さんの同級生達も手作り灯籠を準備してくれた。出水の出身で40年間関西に暮らしてきたご婦人による見事な手延べ蕎麦も振る舞われた。料理の中にダイコンなますがあった。土地柄か新鮮なキビナゴが入っていたが素晴らしい味で何度もおかわりした逸品だった。翌朝は高菜の漬け物を戴いた。これまた最高に美味な味だった。しばし忘れていた本物野菜の味だった。ごちそうさま!

 

県最北端の島『獅子島』

週の中日ちょっと足を伸ばして県最北端の島『獅子島』を訪ねた。これまで長島には何度も足を運び、都度私の好きな針尾公園から伊唐島の先にその姿を見ていたが渡ったことは一度もなかった。

獅子島 今日は朝8時半に家を出て天長フェリーの出る諸浦港まで急いだが船の出る10分位前の11時に着いた。さっそく乗船手続きを済ませて車を積み込む。この天長フェリー『ロザリオ』号は330トンで形がユニーク。何となく海に浮かぶ空飛ぶ円盤みたいで、子供達はきっと喜ぶだろうなと思った。船の中もサロン風で綺麗だ。乗ることわずか20分で獅子島の片側(かたそば)港に着いた。港の前の小高い丘に獅子島中学校があるが教室の電気の点き方からすれば空いた教室もあるということだろう。

さてこの獅子島は約2億年も前に海底が隆起してできたらしく、島の至る所でファン垂涎の化石が出るらしいが雲仙天草国立公園に指定されていることもあって島からの持ち出しはご法度だ。来年2月3日は獅子島一周ウオーク(24km)が開催されるが早々と定員500名を超え、申し込みを締め切ったらしい。やはり化石ファンはこんなイベントを待っているんだろう。でも今の獅子島には若干の問題がある。それは食事場所だ。天長フェリーに事前に聞いて前日に予約の電話を3軒に入れたがことごとく断わられた。宿泊以外は相手にしないらしい。今日も片側港に着いて地元のお母さんに聞くと食事場所は無いと言われた。つまり日帰り客はお呼びでないということだ。やっと午後0時半ごろ幣串で電気の灯いた食事処に車を停め、腹ごしらえしようと戸を開けると家族でテレビ観覧中でダメだと言う。つまり個人客は相当心構えをして来る必要があるということだ。その場で何とかの世界はここには無い。

獅子島② 島を一周しているとなかなか絵になる村落を見つけた。村の入り口の道祖神が愛らしい。しかし歴史のある館が多い。皆川に沿って同じ方向を向き、概ね造りも同じように見える。今封切り中の椿三十郎が爪楊枝を口に挿して出て来ても違和感を感じない。多分日本の家屋の 獅子島③ 研究をされている方には興味ある対象になるんだろうと思った。また獅子島と呼ばれる所以にもなった獅子谷七郎を祭る神社も小さいながら存在感を示していた。

 

 

初冬の風景とツー大

先週土曜日から月曜まで南さつま市の新産業創造委員会の一員としてツーリズム大学12月講座に参加した。土曜は朝9時半に福岡を出て約2時間で小国に到着。午後1時からの講義の前にご飯、味噌汁、豆腐の単品で昼食。豆腐がもっと美味しければいいのにと感じた。(実はこの豆腐を福岡で麻婆豆腐にしたんだがこれは結構旨かった。食べ方で印象が違うようだ。) 12月ツー大竹の湯

先月同様嬉しいことに我が鹿児島からは5人の参加だった。種子島からも来られている。今回は何と北海道からも3名の参加があった。農産物加工の分野での先進事例として小国の名前は北海道でも通じるらしい。近くの大分県大山町にも視察に行かれたがここも大いに参考になったらしい。

さて今日の朝刊でも限界集落の再調査が一面に出ていた。今回の講師でもあった熊本大学の徳野教授12月ツー大授業風景 これまでも村落に入り込み、戸別にチェックして限界集落と言われる村落が手の施しようのない真性限界集落か、支援すれば存続可能な仮性限界集落かを見極める詳細なチェックをされている。限界と言うレッテルを貼られただけでやる気をなくしてはいないか。軽々にこのような言葉を使うべきではないという立場だ。こんな地道な研究が本物の研究だと思った。正直口は悪いが核心を突く話に引き込まれる。だからグリーンツーリズムに対しても厳しい。上辺だけのグリーンツーリズムは都市が農村を食い物にするだけで農山村の真の振興に繋がらないと言い切る。観光型 、地域活動型、自然・農志向型など農山村が関わるグリーンツーリズムを基盤とした交流の形態毎にしっかりとした位置づけと、農山村の誰とどんな交流をするのかを都市側も明確にしないといけないと説く。

また流行の地産地消について東大特任研究員の船戸氏から、元々1980年代初期に農村の食生活改善と医療費削減を目的に地域農民に対して発せられた言葉がだんだんと消費者全般を対象に発せられるようになった経緯、イタリアでスタートしたスローフード運動がアメリカのハンバーグショップの進出による地域の味の消滅に対する危機感に由来している話など参考になる講話があった。地域の味を守ることが今でも運動の骨子らしい。

12月ツー大味噌の地獄蒸し さて実習は味噌作り体験だった。土曜日に小国産大豆5升を洗い、翌日米袋に入れて地元の方々が地獄と呼ぶ蒸気の自然噴気を利用した釜に入れ(写真左)、翌朝これを引き出して擂り粉木で潰し、米麹、麦麹、塩を入れて掻き混ぜ、小国産杉樽に詰めて半年寝かせるという作業だ。特に潰しの作業は体力が相当に必要で、とても1~2人じゃできる仕事ではない。昔から地域で一緒に作業したのも頷ける。日本の文化は発酵文化だと言われる。こんな共同作業が地域を結んでいたんだろう。昔 12月ツー大味噌作り は麦味噌が多かったそうだがいつの間にか米味噌が主流になった。これは日本陸軍に納入していた信州の米味噌が東京の家庭のスタンダードになったことに起因するのではというのが九大の石村先生の説だった。

1日湧蓋山の途中にある山小屋に泊まったが空気が澄んでいるのか満天の星空に驚いた。何十年ぶりかでこんなたくさんの星を見た。翌朝は案の定凍えるような寒さ。水も凍り湯たんぽの残り湯で顔を洗った。落ち葉を掻き集めて、釜に汲み入れた雨水を暖めて食器を洗った。この地域今年の紅葉は数年ぶりの当たり年だったそうだ。

再度人吉へ

昨日は南さつま市の新産業創造委員会の皆様と一緒に肥薩線しんぺい号に乗って人吉に行き、市役所の農業振興課の方から現在のグリーンツーリズムへの取り組みを聞き、更に市内に5軒ある農家民泊の一つを視察した。

11時40分のしんぺい号の乗車率は平日でもあり50%程度だと思った。前回人吉から逆コースでいさぶろう号に乗ったが同じルートでも方向が違うとそれなりに新たな発見もある。今の時期は紅葉もそれなりに美しい。真幸(マサキ)の駅は小振りで可愛い。それに比べると矢岳大畑(オコバ)の両駅は立派だ。やがて100年を迎えるこの肥薩線だが駅舎も何度か手を入れてSLの動態保存並の努力が払われているんだろうと思う。各駅停車のスローないさぶろう・しんぺ号による日本三大車窓や先人達による種々の工夫と仕掛けは一般の観光客でも十二分に楽しめる。

2011年春の新幹線全通を迎えたとき、中央駅から速度も増したNANOHANA号で指宿に向かい、帰りは中央駅からはやとの風で吉松、更にしんぺい号で人吉に渡り、旧SL阿蘇BOYで八代、新幹線で福岡(または以遠)という組み合わせ、または人吉から九州横断特急で別府というルートは旅好きの熟年には堪えられない醍醐味を提供することは間違いない。事実すでに先週別府から逆回りで鹿児島に戻って来た新産業創造委員会のメンバーもいた。

新幹線は単に今まで遠かった大都市だけを簡単に結ぶだけではなく、新しい周辺観光の促進に役立てないと意味がない。しかも県境を越えた広域観光だ。以前も言ったが2011年は韓国KTXのソウル・釜山線の全通の年でもある。朝食をソウルで済ませ、昼はビートルの船上か博多のラーメンで済ませ、鹿児島で沈む夕日を愛でた後にゆっくりホテルにチェックイン、薩摩料理と焼酎をじっくり味わう時代はもうすぐそこだ。だから遅くとも2009年までに準備を整えて、新幹線全通の2011年まで、実質1年数ヶ月の間を団体型から個人型への移行期間と捉えて訓練とレベルアップが必要だと言って来た。

2011年以降の県境、国境を越えた人の移動に伴いお客が選ぶ選択肢も増やす必要がある。その代表例が農家民泊だろう。人吉は平成17年にグリーンツーリズム推進協議会(会員20名)を立ち上げ、1年遅れて県が人吉・球磨グリーンツーリズム推進協議会を立ち上げた。農家の奥様方、市、県が一体となった動きは鹿児島でも可能なはずだ。人吉で最初の農泊を開業した上井さん、安心院の農泊にも何度も通い、あの中山さんに相当影響を受けたようだ。やはりツーリズムについてしっかりとした基盤の共有がないと単なる真似事に終わってしまいかねない。先月5カ所目の民泊が人吉市内に開業した。保健所から何度となくチェックが入るらしいが皆さん自分が当事者という意識でこれをクリヤーされている。目標10軒に向けて努力中だ。

尚同じ時間に曽於市の女性グループ代表9人も視察に来られていた。皆さん大規模専業農家の方々が中心だが曽於の大地でいつかは農家民泊も、、とお考えの方々だった。

ブルーツーリズムモニター (延岡市北浦町) その2(終り)

横島展望台 さて2日目は朝8時半に出発、車を連ねて約25分の横島展望台に行く。ここからは四国西端が見えるそうだが生憎雲がかかっているようで目を凝らすが見えなかった。やがて今から行く定置網を持つ船長さん(宇戸田さん)がやって来て定置網のイラストコピーを配って網の構造と特徴を面白く語ってくれた。やはり素人に興味を持たせる語りが絶対必要だ。船長はこの役回りが適役だと思った。この展望台から船長の定置網が3つ見えた。親から聞いてきた魚の回遊ルートに沿って張ってある。

この定置網に金庫網というゾーンがある。何でこんな名前なんだと船長に聞くと、魚の知能指数により簡単に取れるものと、なかなか取れないものとがあるようで、金庫網に入る魚はもう逃げられない構造だそうでIQの低い魚がここに入るんだそうだ。魚の話なんだが何となく人間世界の話にも聞こえて来るから不思議だ。俺も金庫網に入る類なんだろうなって、、、、

北浦町定置網体験 さて船長の持つ第十八繁栄丸に乗って10分で定置網に到着。さっそく船長と長男の2人で網を巻き上げた。だんだん網が狭まってくると網の中の魚が見えてくる。50~60cmの大型魚もいれば太刀魚、サバ、鯵などの大衆魚もいる。タイもいるし活きのいい水烏賊も結構入っていた。金目の魚は船長が先に生簀に移し、残りを家 北浦町定置網2 族一人一人が網で掬って生簀に移した。人間の手で触ると死ぬんだそうだ。だから手で触らずできるだけ手早く生簀に入れるのがコツだ。何でも活魚とそうでないものとは倍の価格の開きだそうだ。また烏賊は佐賀呼子まで出荷するんだそうだ。お茶かなんかでも似たような話を聞いた事を思い出した。港に戻りさっそく活きのいい鯵、サバを刺身にしてくれたが甘くて旨い。

北浦町定置網3 この2日とも天気も素晴らしく、全家族とも和気藹々の仲間となって楽しく過ごした。この北浦町をドライブすると道には猿が出てくる。まだまだ自然が豊かに残っている地域だ。最後に今回のモニターのアンケートを書いて、昨日作業した一夜干しをお土産に解散した。今回のモニターのよかった点は子供中心でスケジュールがゆっくり組まれていたこと、塩作りが体験できたこと、魚の捌き学習と干物つくり、定置網体験だと思う。逆に反省点は1日目の夕食に冷たい料理が多かったことだ。ここが改善されれば素晴らしいモニターツアーだと思った。

世の中グリーンツーリズムが盛んだが鹿児島は日本で第4位の水揚げを誇る県だ。このブルーツーリズムも今回を参考にすれば鹿児島でももっと地域性を組み入れた面白いプログラムが組めると確信して、再度あの時間のかかる国道10号線を南に下った。 錦江湾沿いの道路で何気なく目を海に移すと何とイルカ7,8頭が泳いでいた。話には聞いていたが運が悪いのかこれまで櫻島フェリーに乗っても遭遇したことが無かった。ラッキーな1日だった。

 

 

ブルーツーリズムモニター (延岡市北浦町) その1

23日が勤労感謝の日でもあったので金、土曜日の二日連休を使って延岡市の北にある北浦町でのブルーツーリズムモニターツアーに参加した。申し込みが遅かったこともあって心配したが何とか7家族27名の末席に1名加えて貰う事が出来た。今回を含め全4回のモニターらしいが全て催行できたらしい。

しかし木曜日の夜に宮崎に移動し、金曜日朝9時に宮崎を出たのだが国道10号線はなんとも歯がゆい道路だ。延岡まではたった85kmなんだが何と2時間半もかかる。むしろ延岡から北浦町までの道の方がいい位だがそれでも35分を要した。鹿児島県内の移動とは雲泥の差だ。国道がこんな状態だからJR日豊線はその強みを如何なく発揮する。延岡市内までだったら絶対JRが便利だ。でも更に国道388号で北浦迄向かうなら車で行くしか方法は無い。

北浦町ブルーツーリズムモニタツアー さて定刻1時に現地に到着してみると延岡市役所の皆さんが待っていた。7家族も時間通り揃ったが福岡市内、大分からも参加者がいた。これは多分月刊紙『みちくさ』に今回のモニターが紹介されていた関係だと思う。さて初日最初の研修は塩つくりだった。この地方はかつて揚げ浜式の塩づくりが盛んだった所。目の前には下阿蘇海水浴場が広がっている。日本のベスト10にも選ばれている程の綺麗な海水浴場だ。鹿児島でも結構製塩行程の見学はできるんだが自分 北浦町マイ塩づくり 達でマイ塩を作るような作業をさせてくれる所は残念ながら見たことが無い。北浦では塩についての一通りの説明の後、家族単位でコンロ、小さめのフライパン、コーヒーの濾過紙を使って塩を作った。これは感激モノだった。ここでは毎日50kgの塩を作っているらしいが製塩が間に合わないほど人気だとか。確かに二日間とはいえ朝から薪を燃やす煙が工場から立ち上っていた。

次の体験は魚の干物の作業だった。家族単位でバケツ一杯の鯵が用意 干物つくり され、これを指導員の包丁裁きを見ながら開いていく。最初は慎重にゆっくり作業を進めるが慣れるにつれてスピードが増す。1家族で多分40~50匹の魚を捌く。これだけ訓練すれば子供も段々手馴れてくるのが良く分かる。そしてこの海から作った塩(マイ塩も使うがこれだけじゃ足りない)を片面に塗って1,2時間重ねて寝かす。その後魚を1枚づつ取り出し、水で洗い、舌で表面を舐めて塩加減をチェックし、必要なら更に水で塩を洗い落とし、今度は網に1枚づつ開いた方を上に並 干物一夜干し べて、蝿などが来ないように同じ網の蓋を被せ、蚊帳を吊るような格好で空中に吊るして一夜待つ。この作業、最初は辛いが手順が分かるとなかなか面白い。婦人会の皆さんも来られ、ハモのすり身をその場で天ぷらにして振舞ってくれたが、これが最高に美味しかった。各家庭で味付に差異があるらしいが伝統の味を守っているんだそうだ。    (その2に続く)

霧島市観光振興議員連盟総会

昨日は午後から霧島市国分に行き、市の観光振興議員連盟の総会前の時間を頂き講話する機会を得た。日頃車では来ているがJRを使っての訪問は初めて。なかなか快適な旅で車窓風景も素晴らしかった。観光列車と言っても十分だ。

さてこの市観光振興議員連盟は県下市町村議会の中で最初に設立された組織で現在33名の議員で構成されている。会場は市役所に併設の公民館だったがアクセスも至便で使い勝手が良さそうだ。聞けばこの市役所先日亡くなった有名な建築家の設計らしい。天日を多く取り入れようとの設計の為かガラスが多用され夏は結構冷房に負荷がかかるんだろうなと感じた。

15:30過ぎから講話を始め17:10まで語ったが県の現状と将来を語り、人口減に伴う経済的なダメージをどう挽回していくか、幾つかの手法を検討し結果的に交流人口の拡大を図る手法が極めて現実的であることをご理解頂いた。ただ霧島市の場合鹿児島地域経済研究所の推計人口と高齢化率を見れば他市町村と比較すれば現在時点と2025年時点ではわずか1,600人ぐらいの減だとされている。また高齢化率も2025年時点で県平均の32.3%と比較すれば26.7%と低い。これは多分に既存大手企業による労働人口の維持拡大による町の発展というシナリオに立脚しての推計だろう。以前夜の国分の町を歩いて見たことがあったが結構飲み屋も繁盛していたようだし、若者向きの店もあった。カラオケも安い。中心地への大型デパートの出店も重なって間違いなく発展のベクトルに乗ってると見える。

一方で霧島温泉の方は思うほど客足が伸びていないようだ。先日のnikkeiプラス1の行ってみたい温泉、大規模(年間入湯税1億円以上)温泉のカテゴリーで堂々の第4位に位置しているんだからマーケットの期待感は依然として大きいことは間違いない。これを更に高めるには価格以上の価値の創造に尽きる。期待以上の満足感だ。湯はすでに十分にいい、おもてなしの心も関係者の努力の継続もあって(例外はあるが)見劣りはしない。あとは食事の質の向上だ。パンフレットに掲載される価格の最安値を競うようなことはイメージの低下にしか繋がらない。そんな価格を設けても仕入れの現場では冷凍物しか手当てできず客の満足なんかとても得られない。以前にも言ったが昨日、今日、明日の客の中で一番重要な客は今日の客だ。宿泊産業の最大の特徴は朝を味わせる産業と言う。霧島の朝の演出はどうしてるんだろうか。まだまだできると思っている。

香港・深セン出張報告

先週12日から16日まで香港と深センに出張した。福岡に10月末から就航したドラゴン航空の香港直行 ドラゴン航空往路 便を利用したがほぼ満席の状況。勿論香港の方々も乗っている。やはり直行便の魅力だろう。所要時間は往路3時間20分、復路が丁度3時間だ。当地からは県観光課職員、連盟職員それに私の3人で、現地で県の香港事務所長、岩崎グループ台湾事務所長が加わった。約1年半ぶりの香港は活気が満ち溢れていた。その理由は中国本土からの投資呼び込みによる不動産、株の高騰だ。ホテルの値段も以前に比べると著しい値上がりだ。

私は以前にも泊まった事があるホテルだったが日本ならとても払う気にならないお値段に唖然とした。朝食は軽く¥3,000を超える。しかも楽しみにしてるNHKの朝ドラの写りは極めて悪く、映像も声も乱れてとても見ていられないレベルだった。これは他の部屋でも同じだったそうだ。別のホテルに泊まった関係者に聞くと1泊朝付きの部屋代が霧島や指宿の1泊2食よりはるかに高い。しかも部屋は狭く、シャワーなど身を縮めて入らないといけない狭さだ。このお値段でこのクオリティー? これで香港が回ってるなら海外から来た客はバブルに金を払っていることになる。免税店と称する店にも立ち寄ったが私が見る限りとても高い。価値と価格のアンマッチが今の香港だ。来年のオリンピック、2010年の上海万博までこの景気が続くと言うが本当だろうか。

旅行会社の話を聞くと皆様異口同音に景気の良さを語る。ある会社では社始まって以来の成績だとか。豪華な社員旅行、規程を超える臨時成果配分など結構な話なんだがどうもバブルを経験した日本からすればそんなに長く続くはずが無い、本当に大丈夫かと心配が先行する。 現地の旅行会社との打ち合わせの席でこんなに香港が好景気なら鹿児島の地上費をもっと上げさせてくれないかとまで言ってしまった。今の鹿児島の旅館、ホテルのサービスに100点を上げるつもりはないが、それでも香港のそれと比較すれば間違いなくレベルは高い。関係者は自信を持って欲しい。安売りは禁物だ。

さて今回の出張で深センまでの往復列車を利用したが香港の生活者のいい観察機会でもあった。いい点は年齢に関わらず、いや若い方々だと言い直したほうが正しいだろうが、老人に席を譲る姿を何度か見た。これはいい。悪いのは車内での携帯電話のマナーだ。とにかく呼び出し音が大きくうるさい。しかも呼び出しが長い。そして大声で話す。隣り合った人同士が会社、友人等と話す。座った人も立った人も実によく話す。これには往復の車中閉口した。ペースメーカーでも利用する人なんかとても電車には乗れたもんじゃない。一面人に優しさを示しながら他方では全く無関心、この2面性は一体なんだろうか。これが香港というかもしれないが私は嫌だ。

今夏さらに9月以降鹿児島にチャーター便を運行している香港航空の会長、CEOにも会った。このCEO、途中から突然英語に切り替えて話し始めたが、私がこれまで聞いた中国系香港人の英語としては最高のレベルだった。多分海外経験も長く、語学としてちゃんと修められた人なんだろう。この会社、鹿児島への関心は高いと感じた。

面白い話を聞いた。昔日本人観光客は香港に行くとマカオを代表的なオプションとして申し込んでいた。ところが今じゃ反対で羽田、関空から直行でマカオに行く日本人が香港をオプションとして買っているんだとか。今マカオは中国本土の好景気を背景に投資事業が活発で、世界的な大手ホテル業者が進出し、ホテル建設のラッシュらしい。香港のベテランホテルマン・レディーがどんどん引き抜かれているそうだ。これも結構な話のようで私には心配な話だ。

EGL新本社命名式① 15日には鹿児島の他の皆様とも合流して9名でEGL社の新本社ビル命名記念式典に参加した。実際の移転は来年2月23、24日だがビルの外壁はもう綺麗に出来上がっていた。この中の3フロアを使うらしい。何とこの式典に総勢 EGL新本社命名式② 500名が参加した。香港領事館や日系航空会社、日本の各都道府県の代表 や民間の皆様方が参加されていた。顔見知りの東京の大手ホテルチェーンの社長もいた。九州からも推進機構は勿論、長崎、熊本、宮崎の皆さん方の顔も揃っていた。ほぼ全員がバスに乗り、ペニンシュラホテル前のレストランでお昼の飲茶をご馳走になったが、ここのグラスの汚いことには参った。このレストラン、全くチェックがなっていない。他の方々のグラスの中にも汚れの目立つものがあった。発展する香港だがこれじゃいけない。

尚先に述べた香港航空始め業界関係者から来年度以降の鹿児島への取り組みについて明るい話題も聞いた。関係者には別途報告したい。 

 

亀ヶ岡はいい!

先日の日曜日、念願だった南さつまの亀ヶ岡の山上にある写真に小さく写る展望台に登りお手製の弁当を食った。 亀ヶ岡

通称亀ヶ岡と称される丘は標高もせいぜい380m程度だとは思うが大浦からも、海に沿って走る国道226からもマイカーで登れる、絶景の展望を誇る岡だ。実は今までも何度もここには来ているんだがいつも反対側の岩山の上に跨るか、更にその上の展望台に登ることが多かった。しかしこの亀ヶ岡の最大の宝はやはり写真の展望台だろう。しかも駐車場からせいぜい100m位歩けばたどり着ける位置だ。個人的には入場料払ってもいいとさえ思う。 

もしここがテレビドラマか韓国映画、しかも紆余曲折の後の恋の成就スポットにでもなればいいいんだが、、、、と日頃から割とまじめに考えている位だ。カメラは反対側の岩山からのズームもいいし、国道226からここを見上げるアングルもいい。またヘリから周辺をワイドに映し、2人の表情を、、、とカメラワークまでも考える。それほどのスポットだと思う。 

この展望台は4~5人は入れる広さだと思うが絵になるのはやはり2人だろう。だから先客がいれば少々遠慮した方がいい。駐車場傍には草を食む黒牛の姿も見える。こんな素敵な空間を持つ鹿児島はいい。日曜の昼時だがラッキーなことに誰もいなかった。勿体ない!本当に勿体ない絶景のスポットだ。

紅葉にはまだ早いが、、

先日さつま町~大口市~菱刈町を訪ねる機会を得た。途中藺牟田温泉下の湯の共同浴場に初めて立ち 藺牟田温泉下の湯 寄ったが¥100だし、源泉温度も高く、湯量も豊富でなかなか良い湯だった。藺牟田池の方に立派な施設 藺牟田温泉下の湯② もあるが古くからの良さを感じるにはこちらがお勧めかもしれない。朝は6時から何と夜は10時まで開いてるという。見ると住み込みでの管理のようだった。

途中山肌が少し赤くなっていたがハゼの木を中心に紅葉が始まっている。大口への途中曽木の第二発電所跡も訪ねた。この時期もう水没して見えないものと諦めてはいたんだが何と写真の通り立派な姿を水面に映し出していた。現在裏側から鉄骨で支える作業が展開中だ。途中大型土木工事も行われていることもあって細い道を大型トラックが結構な 曽木第二発電所跡 スピードで走ってくるのでマイカーの運転には十分注意を要する。しかしこの発電所遺跡はなかなか絵になる。私より早く女性のグループが来ていたがやはり期待以上の姿だったようで私が立ち去るまでまだ見ていた。ただこの展望所に至る途中の階段で長い紐が落ちてるのかなって思ったものが大きな、2m位の真っ黒な蛇だったのには驚いた。私は幼い頃から蛇はよく見てきたつもりだがこの歳になっても正直怖い存在だ。復路でも同じ蛇を見たが冬眠前とはいえその姿は痩せていた。この時期ここに立ち寄られる方はお足元に注意を!

菱刈町の役場と図書館で伊佐米の美味しい店を聞いたら数軒の名を上げてくれた。さっそく近いところにある『さつま路』という店に入り、丁度一緒に入店したカップルに何が旨いかと聞くと、ここは何でも旨いと答えたので¥650の蕎麦定食を注文した。定食に何が付いてるのか聞くと魚の塩焼きだと言う。これは不思議なセットだ。しかし出てきた鯵の塩焼きはなかなか新鮮で美味しかった。蕎麦も自家製麺ではないが腰もあり、当然米は旨かった。聞くとこの店の前のラーメン屋も地元で好評というが屋号は忘れた。 曽木第二発電所展望台前

この時期この方面は稲の刈り取りで賑わっている。道路沿いにコスモスの花も美しい。曽木の滝も覗いたがまだ客は多くはないが少しづつ始まった紅葉が佳境に入る11月中旬は見頃だろう。さつま町の鶴田ダム下流の工事も進んでいる。来年の5月のホタルの乱舞が楽しみだ。

 

あらためて知覧

昨日は福岡からの大切なお客様達が知覧にお見えとのことで、自宅を8時に出発、一路知覧に向かった。約45分で到着、役場に車を駐めさせて頂き、浮辺医院前の観光紹介所にて村永観光課長とボランティアガイドの瀬戸口さんと到着を待った。しかし定刻の9時40分を過ぎても来ない。電話するとさっき池田湖を出発したらしい。待つこと30分、やっと到着した。私も何度も知覧は訪ねてはいるがこの紹介所から小1時間かけてのフルコースを歩くのは初めてだった。しかし暑い、まだまだ真夏の日差しだ。

富屋食堂では明久氏の語りを聞きながら写真や展示物を見て、2階に上がってトメさんのビデオも見て平和会館にも立ち寄った。私は外で¥100ソフトクリームを階段に腰掛けながら食べて待っていたが若い女性3人も同じように腰掛けて食べ始めた。どこから来たのか、と聞くと高知からと答えた。種子・屋久も回ってというので1週間くらいかけて?と聞くと2泊3日だと言う。いったいどんな周り方で2泊3日になるのか更に聞いた。先ずは高知を朝6時に出発、フェリーで愛媛佐多岬の三崎から佐賀関まで渡り、ここから10号線を延々と下って夜7時に指宿市に到着して1泊、2日目は船で種子島、屋久島を観光して屋久島に泊まり、3日目は朝船で鹿児島に入り、バスで知覧を観光して、また北上、フェリーに乗って四国に渡り、深夜に高知に到着、今日は通常出勤だとか。2泊3日じゃなく2泊4日に近い何ともすごい行程だった。職場旅行みたいで若い方が多いからこんな行程でも大丈夫だろうが凄まじい日程を楽しそうにこなしている姿は逆に新鮮に見えた。旅行業者が介在するとこんな行程はまず作らない。それにしても頼もしい若人達だった。

さて昼食は武家屋敷内の高城庵にて取ったが昔の茅葺きの家での食事はどれも美味で好評だった。一の膳、二の膳とも季節感溢れ、蕎麦にしてもつけあげにしても客の箸の進み具合を見計りながら出す。客さばきなんて言葉は良くないが、手慣れていて、そつがない。最後の両棒餅と抹茶も女性陣には極めて好評だった。県内に武家屋敷は多々あるがこの雰囲気をそのまま残しながら食事ができるところを私は知らない。知覧の武家屋敷はこの高城庵があって更に価値が増すと思った。

聞くと28日はマリンポートに入港のサファイヤプリンセスの欧米人を中心としたお客様方約480名が知覧にも立ち寄られ、活況を呈したとの事。今後船がたくさん入港することを考えれば知覧は国際観光拠点としての認知が高まることは間違いない。知覧の国道を2台の大型トラックが黒牛を積んで川辺方面に向かって行ったが、この知覧に美味しい黒毛和牛を食べさせる店があってもいい。通過観光の拠点知覧ではなく滞在拠点としての知覧の姿も見えてきそうだ。お茶は勿論、紅茶でも最近国際的な評価を得た知覧だ。これからますます期待できると思った。

復路水族館の近くの埠頭でにっぽんを見た。サファイヤプリンセスに比べれば小振りで、少々歳も食ってはいるがこの大きさが丁度いいと熱烈なファンも多い。斡旋事務所の面々も頑張って薩摩揚げや焼酎を振る舞っていた。見ていると乗船しているミュージッシャンも8月の秋田・青森クリーズと同じ連中だし、レストランで働いていた顔なじみのスタッフもいた。きっとフィリピンから来ているシンディー嬢も乗ってるはずだ。しばらくすると作家の五木寛之氏がやって来て乗船した。神戸までBON VOYAGE!

 

バンコクからの報告 (終)

またまた報告が遅れてしまった。先日の現地からの報告に加え、以下を追加したい。

出店2日目は午後4時頃だったが昨年取材に鹿児島に来てくれた女優のJAJAさん、ガイドブック版元の『まるごとタイランド』の丸山氏もブースに来てくれた。タイでは一般的に女優と称する方々は日本より多いと思 JAJAさん うのでJAJAさんの人気ぶりがどんなものかと思ってはいたんだが、彼女が登場するとカメラ群が押し寄せ、さながら撮影会の雰囲気となった。お揃いのTシャツも用意したんだがこれの着用はプロダクションとの関係で難しく、また彼女自身がマイクで鹿児島を語ることも難しいことが分かった。そこで丸山氏と打ち合わせ、会場の司会者が鹿児島のことを彼女に質問し、それに答える形なら行けることが分かり、これに切り替えた。これは100%彼女のボランティアであって、スケジュールの合間をぬって来てくれたことに感謝!ブースの後壁には彼女が昨年鹿児島で撮影した写真の中から選んだ3点を拡大して貼った。これも極めて廉価での提供であり『まるごとタイランド』に感謝したい。

金曜でもあり夕方から結構客足が伸びた。ケサラポン嬢もペラ全開で飛ばして ロケーション くれた。勿論我々も見てるだけではなく、脇から手を伸ばして来る新規のお客に対応した。中に来月宮崎、鹿児島を回るという女性がいた。何でも日南にえらく高名な鍼・灸の専門家がいて、ここにアジアから人が集まるという。その帰りに鹿児島にも立ち寄るそうだ。特に食い物情報に関心が高かったので鍋物の話をしたらなかなか興味を持って聞いていた。右は2日目の手作り案内板。

さて夕食は『まるごとタイランド』の丸山氏、JAJAと我々3人の5名で市内中央の日本料理屋さん(トンカツが有名だがそれ以外もなかなか美味)で取ったが途中車に追突され、その処理に優に1時間は掛かった。JAJAさんは会場駐車場に車を置いて、何とバイクタクシーに跨ってやって来たんだと言う。これには驚いた。タイには認可を受けたバイクタクシーが営業しているが、朝夕の混雑時はこれが結構活躍する。私も10年前まで住んでいたが約束に遅れそうな時は車から降りてこのバイクタクシーに乗って約束の場所に駆け込んだことも何回もある。しかし現役の女優さんが同じ事をするなんて想像を超えていた。逞しい限りだ。バイクタクシーの値段は交渉だが多分20バーツくらいと思うが私がバイクの運転手なら逆に彼女に100バーツ払ってもいいと思った。聞けば翌日朝9:45から彼女の出るドラマがテレビチャンネル3で流れるという。これは出勤途上の為見れなかった。

さて今回日本食を2回、タイ料理を3回食べたが、やはりタイ料理が美味いのは当然だ。店により味も異なるが庶民的なもの、高級なもの、いずれも本当に旨い。最初にタイに行ったのは多分30年以上前の事だったと思うが、当時のタイ料理は臭いがきつく、辛過ぎて、なかなか近づけなかった印象が強いが、この30年で確実に進化してきた。国際化と言っても良いだろう。さつま料理も昔のままではいけない。時代に即した進化がないと見放されてしまう。勿論良いものは残していくことは当然だが。

ソムオーサラダ 今回この中で秀逸の1品を紹介したい。名前はソム・オーサラダまたはパメロンサラダと言う。ザボンのような大型柑橘類の実をほぐして、これにナンプラー(魚醬)、唐辛子、小エビのソテーを加えてかき混ぜたサラダなんだがこれが絶品だ。日本でも作れるんじゃないかと思うんだが有楽町、福岡のタイ料理屋でもこれが無い。柑橘類の種類が違うのかもしれないが本当に美味しい料理だ。今回3回のタイ料理で毎回これを欠かさなかったことは当然だ。

さて22日は現地鹿児島県人会の皆様との懇親会に参加した。有名なタニヤ通りにあって私もよく車を駐めていた高層駐車場の隣にある。今日は14,5名の皆さんがご参集らしい。先日来やりとりを交わしていた現地不動産関係に従事されている萩原会長はじめ、病院で働く女性もいれば、船の船長さん、ゴルフ場の社長、ホテルのお偉さん、食品工場の社長などとにかく皆さん幅広くご活躍中だった。私自身は薩摩生まれではないが異国で聞くお国言葉はまた格別だった。 尚 『よかとこ100選』もこの場で2セットお渡ししたが極めて好評でページを捲っておられた。お気に召したようで何よりだった。 (終)