おじゃったもんせ 旬の鹿児島へ-観光地やイベント、温泉、旅館・ホテルに至るまで、鹿児島の観光情報満載です。

 

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草津の本陣跡を訪ねて(追記)

先週の2回に分けたレポートでご報告の草津本陣ですが、新しい発見がありました。 

篤姫は嘉永6年(1853年)10月に江戸に向けて鹿児島を出発していますが、やはり10月6日にこの草津宿に宿泊していた記録が見つかりました。伏見から到着となっていますから間違い無く江戸への途上と思われます。この時は2つある本陣の中の『九蔵本陣』に泊まったそうですが、この本陣は今は残っていません。でも先日私が報告した『田中七左衛門本陣』のすぐ近くだったそうです。宿帳には『薩州御姫君様御泊り』となっているようですからこの本陣で食事を出していますが残念ながらメニューの記録は残っていません。先にご報告の和宮の下向の際の対応と比較すればやはり温度差があったということでしょうか。

尚この件は草津宿街道交流館のご協力によるものです。

 

鹿児島県立中種子高等学校を訪ねて

種子屋久観光連絡協議会総会に参加の為久しぶりに種子島を訪ねました。今回8時の船の乗船率はザッと見たところ65%程度か。定刻に新しい埠頭を離れ、波静かな錦江湾を快適に進み、定刻に到着。歩いて市内に入り昼は地元で有名な『憲ちゃんラーメン』を食べました。ここのラーメンは淡白ですがなかなかいい味を出しています。この道何十年と思わせる親父さんが作り、カウンター越しに渡す熱々のラーメンは少しだけ指入りラーメンですが美味しいですよ。見ると奥さんの口周りが赤いので聞くとマンゴーの食い過ぎだとか。夫婦連携も立派ないい店でした。

さて会議終了後今年1月発見された3万年前の狩猟の落とし穴『大津保畑遺跡』を見に行きました。全部で12基の土坑はいずれも直径150cm程度、深さ120cmのもので穴から上部30cmは動物が逃げないようにラッパ型をしています。生憎雨の中の為発掘現場に下りることは出来ませんでしたがロケットで有名な未来の島種子島は同時に遺跡の島としても名を馳せるのではないでしょうか。

さて今回の種子島訪問で正直一番楽しみにしていたことは中種子高等学校を訪ねることでした。私は昨年の新聞報道でこの学校の生徒さんが九州高校ディベイト大会で堂々3位に入ったことを知り、いつか指導の山口先生にお会いして、どういう風に指導されているのかを聞きたいと思っていました。島の生徒さん達が本土の並居る有名な伝統校にどうやって英語を通して立ち向かっているのか大いに興味があったからです。

指導の山口先生は一見おとなしそうな先生でとても熱血指導者には見えませんでしたが短期勝負型のチーム編成に優れた方とお見受けしました。この先生の性格がこの中種子高等学校のディベイトにも現れていると感じます。試合の模様は先生の撮ったビデオでも見せて頂きました。沖縄や福岡のディベイト伝統校は帰国子女等の活躍もあって一見すごいんですが心が伝わりません。一方中種子の生徒は自分の思いを伝えようと一生懸命さがよく伝わります。これなんですね。人を説得する技術は言葉のボリュームではありません。3分間の中での自分なりのパーフォーマンスなんです。これが優れています。 後藤校長先生も教頭先生も強力にバックアップされているのがいいですね。

今年も7月位に今年の議論のテーマが発表されるようです。中種子の生徒さんたちの活躍を期待します。

 

 

奥薩摩のホタル船

偶然昨年と全く同じ日になったが今夜さつま町のホタル船に乗った。ホタルの舞は気温、風、満月でないこと、暗さなどが条件になるらしい。今夜は概ねこの条件に合っているように思った。

船は8時の予定なのでアビール館で船旅の前の腹ごしらえ。うどんも蕎麦も¥350~。おにぎりも1ヶ¥50~だから嬉しい。私は初めての店ではまず麺類から攻めることにしているので蕎麦にした。なかなかいいが結果はうどんの方がいい味だった。だいたい麺自体うどんの方が旨い。おにぎりは概ねOKだが、いま少しいい米を使った方がいい。後刻船から下りてボランティア用のおにぎり弁当を頂いたが、正直ボランティア弁当の米の方が数段上だった。

さて昨年の今日は多分船が6艘位出たことを記憶するが今夜は2艘のようだ。知り合いのさつま町役場の方の話だと昨年に比べるとかなり少ないとのこと。勿論そう聞いていたし、昨年7月以降も当地を訪ね災害の現状を目の当たりにしていただけに私の評価はゼロシーリング。つまりホタルの成育環境の壊滅的状況からどこまで復興したかで評価したかった。結果は合格、昨年の1/50位までは戻っていたという印象、でも期待以上の復興に満足しました。

川の右岸はかなりホタルが飛んでいます。一方左岸の損傷が思ったより激しく、竹林などに代わり部分的とは言いながらコンクリートの護岸工事が進んでいるようで来年以降のビオトープの回復がどこまでできるのか心配。昨年は頭を右に左に忙しく動かしていたが今年は右だけに集中。

船の運航は6月3日までとなっています。相変わらずボランティアでの運営は立派です。町長の奥様も保険手続き担当で一生懸命ご説明頂きました。21時、アンケートもきっちり書いて宮之城を後にしました。

                                                                      

 

ラクレット食べた。

何と県外であのラクレットを食べました。しかもジャガイモは鹿児島産なんです。6人で熱々を食べましたが極めて好評!鹿児島のデパートでは残念ながら手に入らないラクレットチーズも幸運に発見。150gで¥750程度。

ラクレット でもチーズを溶かす器械はありません。そこで緊急のレセピーを考えました。ジャガイモは大きめのものは半分に切って約20分位茹で、塩を入れて、さらに茹で、やわらかくなったら湯を捨てて、胡椒を入れて水分を飛ばし、皮を剥き、耐熱皿に載せて、ラクレットチーズを削って芋に乗せ、あらかじめ熱くしていたオーブンに入れ、上の熱で5~6分、溶け出したら出来上がり。焦げ付かないように注意のこと。

先日ラクレットを出してると聞いたドルフィンポートのレストランを訪ねると、もう出していないと言われ、一旦諦めかけただけに今回の県外でのラクレット、しかも鹿児島のジャガイモを使ってのラクレット、最高でした。当然お代わりしましたよ。こんな美味しい料理をなぜ日本第三位のジャガイモの出荷県で食べられないんでしょうか。

草津の本陣跡を訪ねて (2-2終)

面白いことにあらかじめ本陣側から幕府に対し和宮滞在の際の昼食の素材を『御料理物宿々有無書上達書』という文書で回答していることです。この文書は大津宿から板橋宿までの全宿に提出が求められたようです。和宮は昼食のみで、ここには泊まっていません。彼女は隣の守山宿に泊まっています。ではここ草津の昼食で何を食べたのでしょう。答えは一汁四菜の献立で膳所(ぜぜ)藩の賄い担当と思われる西村藤八という人が何と京から江戸までの全行程の和宮の食事メニューを詳細に書き綴っていたのです。本陣の近くの草津宿街道交流館でこの時の一の膳、二の膳を再現した献立が公開(現在は特別展の為に展示されていませんが私はお願いして見せて頂きました。)されています。 和宮御膳1 岐阜市の加納宿でも昭和29年発行の『加納町史』で和宮が食したとされる一汁四菜の献立が明記されています。しかも今でも加納宿の料理店で再現されているようです。篤姫も多分同じようなものを食べて江戸に登ったんでしょうね。これって今鹿児島で研究中の篤姫御膳の参考になりませんか? (左及び下は和宮御膳) 

私が興味を持ったことは魚料理の項目で鯛を含め数種の魚の名前が書いてあるんですが但し書きがあるんです。『海の魚は当地では獲れないことから伏見大津から取り寄せます。季節のものでもあるので万一入手できないときは別の魚になります。』というような断り書きが入っています。これって今でも書いてますよね。実際には和宮が昼食を取った日は江戸方の精進日に当たった為魚類は出していません。  和宮御膳2  

和宮が下向の際、長い行列ですから一部はここ草津宿に泊まっています。この時の宿割『和宮様御下向の御宿割表』、つまり誰が本陣で、誰が副本陣、旅籠には誰が泊まる、、と書き記したものも残っているんです。随行員に番号が附してあってその47番目に観行院殿と書かれた方がおられますが、和宮の実母だそうです。お母さんは本陣では無く大黒屋弥助という副本陣でご休憩されています。和宮が道中詠んだ歌もありました。『落ちてゆく 身としりながら 紅葉の 人なつかしく こがれこそすれ』。和宮って江戸に行くことがよほど嫌だったんでしょうね。 (別の資料に『落 ち て 行 く 身 を 知 り な が ら 紅 葉 の人 な つ か し く こ が れ こ そ す れ』と書いたものがあります。私が読み取れなかったのかもしれません。)

 その他槍や刀が届かないように配慮された大きな桶のある広い湯殿、広大とも言える台所とズラリと並んだ釜戸群、殿やお偉方は表玄関から、下々は表板間と呼ばれる所から入ったことなど、大変参考になる草津本陣です。京都までお越しの際は是非新快速に乗ってわずか19分の草津駅、 本陣の旅籠 そこからゆっくり歩いても10分の本陣にもお立ち寄りください。とても1時間では足りません。尚月曜休館で入場料は¥200です。(終り)

(今でも素敵な旅籠ですよね。こんな街並みです。)

草津の本陣跡を訪ねて (2-1)

義父の49日で滋賀に行き、前から行きたかった草津本陣を初めて訪ねました。草津は東海道、中山道という旧5街道の中の2つの主要な道路の分岐点だったこともあって1597年に最初の本陣が創建されています。本陣とは簡単に言うと昔の公家・大名ご用達高級旅館です。最盛期には本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠は70軒余を数えたとか。日本中の230もの大名、藩主の定宿に指定されていますからその活況のほどは十分想像できますよね。あの浅野内匠と吉良上野介が9日違いでこの宿に泊まっていることも面白い話です。また近藤勇他31名の新撰組もここに泊まっています。  草津本陣

この本陣に誰が泊まっているかを告知する目的で各大名が自分で持ち込む関札(せきふだ)という木版(縦1m30cm、横40cm程度)を入り口に掲げたそうですが今残っているものだけ見ても松平、細川、毛利、今川、近衛などがあり往時を忍ばせます。『宿(やど)』と称する場合は泊まる方が食事の材料と料理人を自ら持ち込み、『(とまり)』という時は本陣側で料理を出し、『(やすみ)』は本陣でお昼休みを取るという区分になっていたそうです。島津もここを利用していたようで島津のお殿様がご休憩中だという当時の張り紙も残っています。 島津(佐土原藩)

 現存の本陣は正式には『田中七左衛門本陣』といいます。大きなお屋敷で部屋数は正確には覚えていませんが多分15位でしょうか。はっきり覚えているのはトイレが5つもあったということです。最大のトイレはお殿様のトイレで上段雪隠(せっちん)と呼ばれています。畳敷き2畳の広さの真ん中にトイレがあり、正面に掛け軸があり、お香も焚かれていたといいます。1回用を済ませるたびに取り出して処理していたと書かれています。掛け軸を眺めながら皆様何を考えていたんだろうかと考えてしまいました。

 ここの本陣の歴史を紐解けば1839年に島津の支藩だった日向国佐土原城主島津忠徹(ただのり)が江戸への参府の途上、ここで亡くなっていたということが分かります。当時は跡目相続については当主の生きている間に決めて幕府の了解を得る必要があったようで、佐土原藩は死亡の事実を幕府に隠し、ご遺体を70日間この本陣に残し、その間に跡目を決めて幕府の了解を得たという秘話も残っています。 

篤姫がらみでちょっとした発見!皇女和宮は文久元年(1861年)徳川家14代の家茂との婚礼に江戸に向かう途上の10月22日にここに立ち寄っています。京から江戸まで距離の短い東海道ではなく中山道を通る25日をかけた旅でした。この時の随行員は何と26,000名でこの草津宿を通過するのに4日もかかったと言われています。当時嫁入りは東海道ではなく中山道を通るのが通例だそうです。宮尾登美子氏の小説には篤姫も京を発ちここ草津を通って木曽路に入り約13日で江戸に入ったと書いてあります。体力の差なんでしょうか篤姫(1日約39km)は和宮(1日20km)の倍の速度で進んだことが分かります。和宮が江戸城に入って篤姫に正式に挨拶するのに時間がかかったとの記載が小説にあったように記憶していますがただでさえうら若き16歳の華奢な和宮、しかも25日もかけての長旅、さぞやお疲れになったことだと思います。 (2-2に続く)

 

トカラ視察を終えて(その3ー終り) 悪石島、宝島

船は小宝島での検診を終えるとすぐに悪石島に向けて北上、約1時間20分で到着。当初は20:30位の予定でしたが各島の検診が早めに終わって、予定より1時間半以上も早く到着。まだ明るいんです。そこでさっそく悪石島小中学校を視察、ここは急峻な悪石島の高い位置にあり、観測場所としては最適かもしれません。ここも生徒数の問題は他島と同じで9名とか。でも体育館も立派だし、運動場の広さも十分だ。やはりここが天文観測の最適の場所の一つかもしれない。

この島は温泉が2つと砂蒸しが1つあります。見に行きましたが特に砂蒸しの背後にあるまさに急峻な絶壁とも言える岩壁から噴出す硫黄の傍で、不思議に咲くさつきの一種の『マルバサツキ』がとにかく綺麗です。花の色は白か薄紫で、こんな可憐な花がこんな悪条件とも思える岩壁に這うように群落を成して咲く姿は、精一杯の抵抗と存在を誇示しているようでした。ここのすぐそばに湯泊温泉がありますが今日は他の船客もいて相当の混雑状況。でも温度もいいし疲れを取るには最高でした。露天もありますが清掃が悪く気持ちよく使える状況ではなかった事が残念。この他に海中温泉というものもあるようですが条件次第のようなので今夜は諦めました。

 夕食はフェリーとしまの側での地元料理のバイキング。正直どれもこれも美味い料理で驚きました。ここでもサシミが出ましたが平島のサシミ同様極美味。この他飛び魚と玉ねぎの南蛮漬、飛び魚のつけあげ、つわぶきの料理が素晴らしく、特につわぶきはこれまでの最高だった。もって帰りたいほどのいい料理だと思いました。これに島野菜のサラダ、豚汁、ミカン、リンゴ類のデザート、最後のご飯も白米と五穀米があり共に旨く、たくわんの漬物も美味しいものでした。他のお客様も一緒と言うこともあり打ち解けあっての楽しい夕べは忘れられない思い出となりました。一部の人達は地べたに車座を作って食べていました。   

ここに平成7年に学校の先生として赴任し、島の男性と結婚して住み着いたというまだ若い女性の方の話を聞きました。鹿児島市内の生まれでありながらこんなに長く住み、年を重ねるごとに島への愛着が増すという話はとても感銘を受けました。これは島の自然の素晴らしさだけがその要因とは思いません。いい自然もあれば厳しすぎる自然もあるからです。私は本土では失われた島ならではの小さなコミュニティーに生きる人と人の結びつき、支え合い、絆の強さが主な背景ではないかと考えます。島で生まれた人が先天的に持つと思われるこの特性を本土生まれのそんな若い方が簡単に身に付けられるとは思えません。何らかのインターフェース的役割を旦那さんが果たしておられるんだと思います。

 船べりで食事していると着陸前の飛行機のような光が一直線に走るんですが、よく視ればこれは急峻な坂を登り下る車のヘッドライト。これだけでも見る価値はあると考えます。 再度船内で飲み会をやり24:00終了。船内で東京から来た宇田川さんという人と話し込んだんですが何と彼は船の愛好者で鹿児島の離島船もほとんど乗ってる。しかも何回もリピートしてるからすごい。彼とその友人はあの子宝島で温泉一番乗りのグループなんです。この十島航路は2000年から毎年乗ってるんだって。ご本人様は電車の運転手さん。学校卒業する際に船会社を探したそうだが夢実現せず、電車に変わったとか。でも気持ちは変わらず以来鹿児島の船に乗ってくれている。ありがたいお客様だ。こんな人がトカラの本物のファンだろう。

トカラ視察を終えて(その2) 平島、諏訪瀬島、小宝島 

次の平島でのお勧めは大浦展望台。平島が他の島に比べ西に位置することからこの展望台からは残り6島全てが見通せる絶好のスポットとなっています。更にここには樹齢1,000年とも言われるガジュマルがあると聞き歩いて行ってみました。 平島の1000年ガジュマル なかなかの枝ぶりが見事です。ここで村長に差し入れていただいた新鮮な『とろ鰹』の味は今まで食べた刺身の中でも最上級。鰹も身がしまっていてもう肉は食べなくてもいいとさえ思う次第。 平島の『とろ鰹』

約50分の船旅で到着の諏訪瀬島はなかなか綺麗なところですね。綺麗な形の山と広く広がる裾野の美しさは十島全島でもなかなか見られません。今は使われないヤマハの滑走路もありますが三島の硫黄島で見た同じヤマハが設けた滑走路に比べてとても保存状態が良く、今にでも使えそうな感じなんです。近くにある今やもう廃墟と化したホテルもすでに手を入れて再建できるレベルを通り越して廃屋に近い存在になっているのは実に寂しいことです。何とか 諏訪瀬島の滑走路 この滑走路の再利用を考えられないでしょうか。トカラの中間に位置する島だけに意味があるような気がします。ここの東海岸に位置する作地温泉は秘境中の秘境温泉ですが通常は行けません。次回の楽しみに取っておきます。 

ここで明日の天候を考えて当初の予定が変更になり1時間40分掛けて悪石島を超えて小宝島に先に向かいます。島は小ぶりで40分もあれば歩いて見れます。船客も我先に降り始め、皆温泉に向かいます。もう植 小宝島のアダン 生も奄美に近く海岸端にはアダンの木々も多く繁茂しています。ここの温泉は港から歩いても10分程度。泥がブクブクする、まるで別府の地獄めぐりのような感じの情景を見て海岸に向かえば白く濁った温泉が右手に見えてきます。しかし熱すぎます。とても入れません。もっとも資料の写 小宝島の湯泊温泉 真を見れば人が入っていますから入れる時もあるんでしょう。この温泉の反対側のちょっと小高いところに湯船が2つあり、ここは入浴大丈夫です。あのいつも下船の早い男性3人組は今は最後の1枚を脱ぎ捨て入浴直前の状態でした。確かに彼らはやること、なすこと早いんです。しかし今回の寄港地でこの小宝島の港は波が入ってくるのか、船が停泊中も上下に大きく揺れ少し怖い感じがしました。明日は天候が悪化する可能性が高いだけに先回りしたものだと思います。

トカラ視察を終えて(その1)口之島、中之島

14日夜から16日まで年に1回の通称レントゲン船(村営船フェリーとしま)に乗ってトカラ列島7島を廻って参りました。これまで何度も計画を立てながら天候その他の理由で伸ばさざるを得ない状況が続いていただけに今回に期する思いは殊の外大きかったと言えます。船は定刻23時に出航、一路最初の寄港地口之島を目指します。 小宝島のフェリーとしま いつもは各島に15~20分程度しか停泊せず荷物の上げ下ろしと島関係者の上下船を手際よく済ませるそうですが今回は大きなレントゲン車2台を積み込んでいます。島民の健康管理に年1回こんな形で巡回してるんだそうです。だから各島に1時間~2時間程度停泊するんです。船が着くと島に住んでる住民の数もだいたい分かるという仕掛けです。

船に乗っての第一印象は変わった人間が乗ってる船だということです。今回の検診に関わる人々は別にしても、資料を机に置いて議論し合う学者風と思える4人組集団、長い傘を持ったいつもTシャツ姿の若者とそれに類する集団、パソコンと携帯を常時モニターする得体の知れない2人組(食事がいつも他の人より早いんです。)、男3人組で下船はいつも一番乗りの一見してトカラリピーターと思われる集団。県の関係で島々の家畜の検診に廻る獣医師集団、40歳過ぎと思われる女性だけのグループで手に古本屋で見つけてきたような黄色く変色した部厚めの本『トカラ列島』(正確には読み取れませんでしたが)を手にして動き回る集団。カーテンを閉めたままいつになっても起きてこない寝たきり人間、まともな集団は九電のグループと我々くらいじゃなかったのではないでしょうか。勿論久々にこの機会に島に戻るような方々も見られます。商売関係と見られる方も当然いらっしゃいました。でもこういうタイプは船の中では目立ちません。

さて初めて訪問した口之島ですが昨夜出航後の飲み会と寝起き直後、しかも朝食前ということもあってボンヤリした頭でのままで上陸。以前三島に行ったときに思わずそのお姿に笑ってしまった全島はりねずみのような竹林とまではいきませんがやはり竹の多い島でした。でも竹島のように延びていないんですね。地を這うような竹とでも言えましょう。 セランマ温泉 ここのセランマ(瀬良馬)温泉も覗いてみましたが以前に比べ湯量が減り気味なことが気になります。でも露天風呂の湯温は適当でした。入ってみたかったのですが時間がありません。隣の中之島の山が富士山みたいな形でとても綺麗です。2009年7月22日の皆既日食の下調べの為に学校や公園もチェック。

次の中之島ではトカラウマの牧場で初めてトカラ馬を視ました。黒く小柄ながら色艶がよく、私にはやさしそうな目に見えました。他の島でも見ましたが牛1頭に白い、鷺のような鳥が1羽(時に数羽)がペアを組んでる姿は不思議でした。天文台では館長さんのお話もお聞きしました。我々にはわかり易くご説明頂きましたが専門筋にもきっちりとお答えされる学究肌の方でした。各島の学校を廻れば教員数の方が小中生徒数を超える学校が多い事に驚きます。中之 中之島小中学校 島小中学校も聞けば生徒数が8名とか。来年中学3年生が卒業しても新入生の予定は無いそうで島の生き残りを賭けた大きな問題になっています。今話題のユビキタス社会、いつでも、どこでも、誰でも、の原則が離島ということで実現できない矛盾、格差をここに強く感じるのは私だけでしょうか。また島にある2つの温泉のひとつ東区温泉も見学しましたがなかなか湯加減も良く口之島を含め2回のチャンスを逸した無念さは大きなものがありました。他の下船組みは入浴された方も結構いらっしゃったと思います。 中之島東区温泉  

 

ヒリーさんの100選案内と丸尾のS荘

日曜日はまたまた北部九州から友がやってきました。聞くと昨夜は栗野岳温泉の自炊棟に泊まったとか。美味しいものを食いたいとの話でさっそく加治木で待ち合わせしました。 好きな加治木饅頭屋さんはお休みでしたがラーメンもキビナゴ寿司も大丈夫。結局キビナゴ寿司を食べることにしました。相変わらずの美味しさに舌鼓を打ち、いつものコースで加治木をご案内。先ずは加治木図書館ですが何とここではテレビの撮影中。見ると外国人の方が、あのかごしまよかとこ100選と加治木饅頭のパンフレットを手に持ちカメラに向かって語 加治木図書館 っているではありませんか。この方がKYTレポーターのヒリーさんで同行の女性の方は加治木町の税務課職員だと後で聞きました。皆さん、地域の図書館が県の観光紹介の素材になるなんて考えたことありますか?12日午前中にはMBCの『ふるさとかごしま』で県が進めるPR戦略に沿って地域資源の再発見が語られ、この中でも加治木が登場しました。私は撮影途中で失礼し、滝、龍門司坂、さえずりの森公園を見学して霧島に向いました。

第13回鹿屋エアメモリアルと体験搭乗に参加して

12日は朝早くから準備して鹿屋に出かけました。昨年往復はがきで応募して見事に落選した体験搭乗に今年はチャンスがやってきたからです。聞くと昨年は雲が低く、視界が悪かったようですから例え当選したにせよ満足できなかったかも。

今日の天気は上々です。定刻よりかなり早く着いたので前も視察した基地の資料館をもう一度見学します。入場無料で、しかも設備はいいし、もっと利用して欲しいところですよね。丁度クラブツーリズムの大型バスも着いて30人位のお客様を2グループに分け、各班に自衛官の方が付いてご案内されていました。

kanoya さて今日の一番機に搭乗となった私ですが受付のあと、荷物預かり、機器によるボディーチェック、更に搭乗前にはブリーフィングがあり、機内での写真撮影はコックピットのみであり、機内設備などに関しては一切の撮影が許可されないことなど細かく説明を受け、その後、前後を誘導班のお兄さん方に挟まれてロープを全員で握ってエプロン(駐機場)に入ります。何となく幼稚園生に戻ったような雰囲気なんですね。恥ずかしいような、懐かしいような、仕方ないような、、、見れば結構いいおじさんやおばさん方が多いんですよ。こういうの好きなんでしょうね。

今日の搭乗機は固定翼機です。あの不審船哨戒で有名になったP3Cというエンジンが4つも付いた飛行機です。さて機内に上る階段はあのYS-11と同じように機内からスルスルと伸びて地上に接する形。でも耐久性の問題から一度に2名しかダメだそうです。結構中は広く旅客機みたいです。各種コンピューターみたいな機械があって、見るのも避けなきゃなんて思ってしまいました。

この飛行機は正副2名のパイロットがいますが機長はその真ん中後ろに座っている人だそうです。 kanoya 3人で出発前のチェックなど大層忙しく、その合間に説明までしてくれます。見る間に滑走路に出てスルスルと走り出し離陸。今日の高度は300mと聞いていましたが高度計は450mを指し、海上に出ると右に旋回、一路櫻島を目指します。少しガスがかかっていましたがだんだん見えてきました。市内上空を経て砂州で繋がった知林ヶ島上空を経て指宿市街、開聞岳手前で旋回、再度知林ヶ島を過ぎて着陸。約30分位だっ  たかと思います。 

同行の隊員に聞くと今日の正パイロットは41歳、副は32歳、機長は44歳だと。ちなみに以前テレビで見た女性パイロットは鹿屋にはいないそうです。でもヘリコプターにはいるとのこと。 (左の知林ヶ島への砂洲、綺麗でしょう?)

途中窓から後ろを見ると2番機が近くを飛んでいます。もっと後ろを見ると3番機もちゃんと同じルートで付いてきます。下から見るとどんなに見えるんだろうかと考えました。

 

ラクレットって知ってますか?

ラクレットって小さな鼠のような名前に聞こえるかもしれませんが、実はスイスの郷土料理なんです。私は長島の風景が大好きです。ここの赤土で採れるジャガイモの収穫が最盛期に入っている今の風景は綺麗なんですが何か足らないんです。それは食です。長島と言えば海峡アジに代表される新鮮な海の幸を思い浮かべる方が多いのは当然です。でもジャガイモの産出額で全国第三位の鹿児島、その代表格の長島でのジャガイモ料理は全く有名ではありません。確かに煮っ転がしに始まり、『じゃがたこ』という長島オリジナル料理も創作されています。でも今ひとつ何かインパクトに欠けませんか? 
                                                                    
そこでこのラクレットを提案したいと思います。茹でたジャガイモに熱々のラクレットチーズをかけただけのスイスでは誰でも知ってる有名な料理なんです。椀子そばのように何回もお替りするんです。そこに白のワインでもあれば最高でしょう。思い返せばもう30年位前になるんだと思いますが初めてスイスで口にしたこのラクレットの味が忘れられず、福岡で勤務していたときもスイスの航空会社やスイス出身の方とお話しする機会があれば必ずこのラクレットの話をしたものです。 
                                          
鹿児島に来て忘れかけていたラクレットですがつい最近以前スイスで仕事をしていたシェフに出逢い、ラクレット食べたいねと言ったのですが彼曰く鹿児島で最初にラクレットを出したのは自分だと。今ドルフィンポートのさるレストランで出してると言うではありませんか。

タイの洪水の想い出

タイに住む友人からの情報ではバンコクでは5日から雨が降り出し、特に7日の夕方からの雨は激しくて今年最初の洪水が発生したとか。多分今朝のバンコクで交わされる会話の中にこの洪水(タイ語でナム・トュアムと言います。)と言う言葉がたくさん聴けるのではないかと思います。

さてこのナム・トュアムは毎年雨季の入り(5月)と出(10月)に発生することが多いんです。ただでさえ海抜1~2mしかない土地ですし、市内を流れるチャオプラヤ川から運河を通って水が遡り、インフラの未整備もあって、あっという間に道路が冠水状態になります。春の行事で有名な水掛祭りも雨乞いの行事の一つですからタイにとって雨は困りモノではありますが必要なモノでもあります。日本の洪水とはちょっと違うのかもしれません。

私自身車を運転し、ナム・トュアムの中、家と携帯で繋ぎっぱなしで状況報告(万一途中で止まったら助けに来いと言うことですが、、)しながら、車のマフラーに潜望鏡みたいな特注排気口(確か町の鍛冶屋で1,000バーツだった)を付けて水を掻き分け掻き分け家に戻ったことを思い出します。日本人が多く住むスクンビット通りの交差点で本当に船(道路を船が行き交うんですよ)と衝突しそうになったこととか、、、、今や懐かしい想い出なんです。これってバンコクで生活しなくちゃ分からない事でしょう?

ナム・トュアムが始まると街では路面を隣より高くして家に水が入らないように 盛り土をする風景が見られます。そうすると隣も負けじと盛り土作業を開始するんですが次のナム・トュアムで綺麗に流され、互いに再びイーブンの条件に戻るんです。こんなことを毎年毎年繰り返します。タイ人の競争と協調のバランス感覚はこのナム・トュアムによって育まれるというのは言い過ぎでしょうか?

雨季は観光に適さないとほとんどのガイドブックに書いてありますが雨季にしか見れない風景も悪くないんです。ナム・トュアムの苦労話より雨後の綺麗な虹を喜ぶタイ人、それがタイの魅力だと私は思っています。

NHKでの区立千代田図書館の報道に接して

今夜のNHKテレビのニュースで取り上げられた東京の千代田図書館の話をご覧になりましたか?平日午後10時まで開いているという日本で初の図書館です。特に周辺の食い物情報まで案内してくれる図書館サービスもご覧になりましたか?

これまでにない図書館のこんなサービスについて私は一昨年の『10の提言』ですでに提案しています。また各地で地域の皆さんと語るとき、必ずこの地域の図書館の役割についてもお話しています。 また先日も少し書きましたが私がガイド役で友人を案内すれば必ず地域の図書館をコースに含めます。

現在の日本では人口約41,000人で図書館1館があります。福岡県では約39,000人で1館(室)です。では我が鹿児島はどうでしょう。昨年4月の段階で62の図書館と32の図書室があります。これを県の人口で割ると何と18,100人で1館(室)なんです。これって県のホームページの居住環境のデータにも出ていません。団塊の世代の取り込みに各県とも力を入れていますが彼らが都市部から地域に住居を移すとき情報へのアクセス環境を含む地域サービスのレベルをとても重要視します。自然環境の良さだけでは彼らは動きません。病院への距離も重要でしょうがこれに加えて今や教育施設から生活施設に生まれ変わりつつある図書館などのサービスのレベルも大切な判断材料のひとつではないでしょうか。

今年二十歳の吹上浜砂の祭典を観て

今年めでたく第20回目を迎えた吹上浜砂の祭典の前夜祭と翌日の開会式に行って参りました。前夜祭は関係者を対象としたイベントです。生憎夕方から雨模様で心配したのですが、かせだドームには関係者の皆様も大勢揃われ、実行委員会会長である川野市長のご挨拶、伊藤県知事のご挨拶でスタートしました。

私も昨年から南さつま市の新産業創り推進委員会の委員を務め、この関係もあって今年の砂の祭典のPR&アドバイザーとして市長から委嘱状を頂いたこともあり観光連盟の各チャンネルを通じて情報発信に力を入れて参りました。 砂の祭典『前夜祭』 だんだんと暗くなりライトアップされた砂像は一層重量感を増していきます。ハイライトは何と言っても音と光のファンタジーでしょう。少しテンポが速いかなと思う部分もありますが花火もあって見ごたえあるショーでした。 砂の祭典 市民ミュージカル『海彦・山彦ものがたり』も見ましたが、声も良く出て、なかなか素人とは思えない出来栄えだったと思います。聞くと海幸彦は現役のお医者さんだとか。上手いですよね。山幸彦も顔も紅潮するほどの熱演でした。子供達もはっきとした語りでなかなかのものでしたよ。これは相当練習したんだと思います。 運良くホテルが確保できましたので泊まり、一人飲み屋で地域経済に多大なる貢献をさせて頂きました。

三股『しゃくなげの森』を訪ねて

以前から行ってみたかった宮崎県三股町しゃくなげの森を訪ねた。志布志から1時間で行ける距離だ。途中椎八重公園というのがあって4月30日までつつじ祭りをやってると言う。後で写真を見るとなかなか綺麗な公園だ。高峠の件があるのでまだ早いと勝手に思い込んだのがいけなかった。ここは花盛りだったようだ。来年まで持ち越しだ。更に長田峡という清流と滝の公園も綺麗だった。

さてお目当てのしゃくなげの森の話はこれまでも聞いていた。 三股 『しゃくなげの森』 池辺さんというここの代表の方が奥様に贈った最初の花がしゃくなげで、それから数十年かけて約18,000坪の敷地内に世界のシャクナゲ500種類、30,000本を植え、約2キロの遊歩道沿いにこれでもかと言う程の美しさを陳列した、日本最大級のシャクナゲ園と言うキャッチフレーズだ。 三股 『しゃくなげの森』

私は福岡の自宅でこれまでもしゃくなげを数本植えてGW期間中に咲く花の見事さを愛でていたが、数年たつと枯れてしまい、何度となく専門書をチェックしながら挑戦してきただけにこの植物への興味は人並み以上と言ってもいいだろう。だから九州内のほとんどのしゃくなげ園に足を運んできた。

志布志のお釈迦祭り (其田編)

私も昨年から少しだけ関わっている志布志のお釈迦祭りに初めて行ってみました。28日の天気は快晴、途中高峠のツツジを見て来ましたがまだ正直5分咲きの状況で、山の上はまだまだ。 高峠のつつじ でも家族でお弁当を広げる風景やグループでのバーベキューもあったりでなかなか良い所ですね。でもここに至る直前、鹿大農学部演習林の道路右側に林立する背の高い木々の姿、あれはいいですね。惚れ惚れしますね。

 

さて予定より早めに志布志に到着、以前何かで読んだ志布志小学校の近辺の蕎麦屋を探したのですがどこにもそのような店は無く、ポラリスホテルの社長に聞くと大崎方面にちょっと戻ったところに昔からの蕎麦屋があるといいます。さっそく行ってみました。屋号は『信州そば(はま)』。お品書きを見れば蕎麦には2種あって希望で使い分けると書いてありました。うどんも含め全て手打ちだとか。昼はセット¥780で蕎麦かうどんにかやくご飯が付きます。正直言いましょう。私は両方食ってみましたがうどんの方が私には合っていたようです。でも間違いなく両方とも美味いと思います。社長に感謝!