おじゃったもんせ 旬の鹿児島へ-観光地やイベント、温泉、旅館・ホテルに至るまで、鹿児島の観光情報満載です。

 

トップページ > プロデューサーズコラム2008 > 2008年12月



2008年を振り返る ―「地産地奨」の推進を―

 2008年12月22日 
           

  本年鹿児島の観光を振り返るとき、大河ドラマ「篤姫」の存在を抜きには sakurajima 考えられません。年間平均視聴率は、24.5%でありましたが、鹿児島では、ほぼ半数の調査でしたが、20%台は2回記録しただけで残りは30%を上回りました。最終回の視聴率は、43.1%となり地区の最高を記録し、関心の高さを示しました。

  ドラマのスタートにあたりNHKの関係者は、幕末ものでしかも主役が女性であり、視聴率を取ることができるか大変不安視する声が高かったとのことでしたが、回を重ねるごとに人気が出てきました。今まで大河ドラマに無関心であった女性層を惹きつけたことが、高視聴率に繋がったと考えられ、特に篤姫の生き方が支持を得たと思います。県民は新しい2人のヒロインとヒーロー(篤姫と小松帯刀)の誕生に、元気付けられたと思います。

  篤姫放映は、県内至るところに効果をもたらしました。宿泊観光客は、104%(10月までの主要ホテル調査)を超え、篤姫関連施設の入場者やシティビューの乗車人員は2桁の伸びとなり、また特産品の売り上げが伸びるなど、経済波及効果も多くの分野におよびました。
指宿ボランティア  また、観光振興を地域づくりの方策に掲げる自治体が増加したことは、新しい動きとして注目されます。ボランティアガイドの団体は26となり、ガイドさんも700名を超えるまでになりました。特に指宿今和泉地区では、約10万人の観光客を案内しています。今後は、ボランティアガイドさんの出番をどれだけつくっていけるかが重要であり、そのことが組織の維持とスキルアップに繋がると思います。今後の篤姫関連の資料についての常設展示の方針も決定され、観光ルートの定着に努めて生きたいと考えています。

 また、今年の大きな話題として「ねんりんピックかごしま」の開催があげられます。全国から選手役員1万5千人と、県民の参加を合わせると50万人が参加した大きなイベントとなりました。大会を支えた多くのボランティアや地域の人々が声援を送り、またおもてなしがすばらしく、参加者の共感を得ました。高齢者の参加ということで大会後の観光のみならず、鹿児島の特産品の売り上げに大きく貢献したとことが特徴としてあげられます。あるホテルでは、売店の売り上げが、1日で1ヶ月分を達成したとのことです。今、日本の高齢者は、比較的預貯金の額が多いというデータがあります。経済効果を考えると、観光客誘致策は、高齢者や女性の層をターゲットにすることが重要と考えます。

 今年は比較的好調に推移した鹿児島の観光でしたが、来年にむけてこの流れをどのようにつなげていくかが課題です。篤姫に続く歴史物語として、「島津斉彬生誕200年」、「集成館事業の世界遺産暫定リスト入り」、「肥薩線開業100年」などを題材に、来年の誘客に取り組む方針です。しかしここにきてアメリカの金融危機を受けた深刻な消費不振と急激な円高が大手自動車、鉄鋼、電機業界などを直撃し、減産や人員削減の拡大、業績の下方修正が相次ぎ、日本経済を取り巻く環境は、厳しくなってきています。このことが、国内旅行にも影響が出てきており、1月から3月までの大手旅行社のパック旅行の予約率は、前年同期を10%程度下回っています。決算期を迎える企業は、出張を手控えるなど需要低迷の予想をはらんでいます。また、比較的順調にきたインバウンドがここに来て、激減してきており、特に韓国からの観光客の落ち込みが懸念されます。ウォンの価値が半減しており回復には時間がかかることが想定されます。航空会社への運賃の値下げ交渉、現地ランド業者への支援、参加者へのノベルティの提供を行うなど誘致対策が急務です。

 ところで今年は、食品や産地の偽装が社会問題となりました。観光客にとっては、宿泊地の「食」がいちばんの楽しみであり、地域に来たことを実感できるいい機会となります。その意味でも、鹿児島は全国有数の農水産県であり、地域で取れたものを地域で消費する「地産地消」を推進することがイメージアップにつながり、観光客誘致に功を奏すると思います。そして鹿児島県が進める「本物。鹿児島」のブランドの定着にむけて、観光客にも強力にPRする必要があります。

 今年県内を回って感じたことは、地域の観光素材が商品とならずに眠っていることです。地元の人はその良さを感じなくても、他県の人から見ればすばらしい商品として捉えることになります。観光商品と売り出すためには、地域をまとめコーディネートする人材の発掘・育成が重要となっています。来年は地域の魅力を再発見し、「地産地奨」の取組みを強化することで、域内観光を重要課題として取り組んでいきたいと思います。

 10月に「観光庁」が発足し、観光振興の重要性が認識されるようになりました。観光振興は今地域総力戦の様相を呈してきました。多くの自治体が、観光によるまちづくりを標榜しており、地域が「訪れて良し、住んで良し」と感じられることが、交流人口が増え地域活性化に繋がると思います。来年も観光振興の一翼を担っていきたいと思います。

与論島への観光客誘致

                                                                   2008年12月15日
 
 与論島は鹿児島から南へ563km、沖縄本島の北23kmに位置し、周囲23kmの隆起珊瑚礁の島です。島はリーフに囲まれ、海は透明度が25~35mと非常に高く、色とりどりの熱帯魚やサンゴなど、命に満ちあふれています。島の魅力がNHKの「新日本紀行」で取り上げられ、与論島は一気にその名が全国的に知られるようになりました。 与論の海
 昭和51年から観光客が増え、60年まで10万人台を維持していました。その大半は夏場に訪れる、女性を中心とした若者でした。鹿児島を出航する船は、デッキまで人であふれ足の踏み場がないほど混雑していました。観光の目的は、日本で一番美しいといわれる与論の海で海水浴を中心としたマリンスポーツの体験でした。中でも「百合ヶ浜」は、潮流によりつくられた沖合に浮かぶ白い砂浜で、青い海と空に映え、人気のスポットでした。当時の宿泊は民宿が主流で、100軒ほどありどこも隆盛をきわめていました。第一次離島ブームは与論島がつくっていました。

 しかし61年頃から、リゾートホテルのオープンや航空会社の大型キャンペーンにより、観光客の流れは飛行機を使って短時間でいける沖縄に移っていきました。また米軍基地を抱えた沖縄は、国の優遇措置による航空運賃の低廉化や免税の措置が施され、観光客誘致が容易となりました。沖縄から先の宮古島、石垣島の開発と航空路線が整備され、本島と併せて魅力が増したことがあげられます。また、全国各地の空港から沖縄路線が開設され、行きやすくなり、沖縄に比べてアクセスの悪い与論島が、敬遠され観光客が減少する要因になっています。

 この度30年ぶりに与論を訪れる機会がありました。当時は年間の観光客が15万人で平成19年の約3倍の人が訪れていました。その内の8万5千人が6月から9月の夏場に集中しています。昨年の同期間は2万人であり、4分の1程度です。その他の期間は大きな落込みはなく、夏場の誘客が課題です。当時賑わっていた百合ヶ浜は昔のままの姿であり、観光客の来島を待っているかのように波が静かに寄せていました。

 今後の観光振興について、南町長と商工観光課の皆様と一緒に議論しました。町長は元観光関連産業に携わった経験があり、観光振興に大変造詣が深い方です。昔の良き時代を熱く語られ、こちらも燃えるものが込み上げてきました。観光客を復活させるためには、まず夏場の誘客をどのように図るかです。全盛期を支えたのは若い女性グループでした。与論の美しい海と砂浜の魅力をいかに情報発信し、商品企画に繋げるかです。 民俗村 メディアを使ったPRや航空会社とタイアップしたキャンペーンが必要と感じました。また、全盛期に訪れた人々は、団塊の世代を迎え、定年退職する頃になりました。当時は鹿児島からの船が主流であり、のんびりとした旅でした。時間的にも余裕のある世代であり、再度島に足を伸ばしてもらうためには、奄美群島を周遊できる船の切符の発売や、航空機の路線を拡大し沖縄との相互観光がしやすい状況を作ることが、観光客を増やすことにつながると思います。都会の人にとって与論島の自然と人情豊かなふれあいは、必ずや琴線にふれる思い出になると思います。

 与論島は今、学生のグリーンツーリズムやブルーツーリズムが人気を博しています。平成2年度は2校でしたが、21年度は18校が来島しています。交通手段は、ほとんどが沖縄経由で、飛行機と船です。沖縄までは大型機が飛んでおりアクセスは問題ありません。今後は滞在メニューを増やしたり、島の長寿の方々や子供たちと生活・文化に触れる交流を増やすなど、島民あげての取組みで、年間を通じての受け皿づくりが必要と感じます。

 滞在中に1組のご夫婦にお話を伺いました。37年前に新婚旅行で来た思い出の地を、再び訪ねる旅とのことでした。道路と家並みは変わったけれども、自然の海と人情の豊かさは当時のままであり、友人に是非勧めたいと語られていました。最近では都会から移り住む人も増えてきています。小説家の森瑤子さんは、与論島をイメージして多くの小説やエッセイを書いていますが、お墓は美しい白浜が望める高台にあります。きっと与論島の魅力に取り付かれた一人だと思います
 短い滞在でしたが、30年前と変わらない与論島の姿に安心しました。美しい自然が残る与論島ですが、しかしこれといった産業がない島にとっては、観光客誘致による経済効果の創出・維持が不可欠と感じました。
 久しぶりに訪れた与論島に思いを込めて短歌を作り、機上の人となりました。

      乙女らの
           騒ぎし夏は幾年ぞ
                      いまも変わらぬ
                               百合の白砂

新しい地域おこし-市比野温泉よさこい祭りとみやんじょ温泉竹ホタル-

 2008年12月8日       
           

  バブル絶頂期に隆盛を極めた温泉地で、いま苦戦を強いられているところが多くあります。関東の「鬼怒川」、「熱海」、北陸の「片山津」、「山代」、関西の「白浜」、「雄琴」、九州では、「嬉野」、「雲仙」などが上げられます。いずれの地域も、全盛期は宴会を伴う団体宿泊が主流でした。しかしバブル崩壊後団体旅行は激減し、個人旅行が多くなると、その対応に不慣れな施設は敬遠され客足が遠のき、次第に温泉地自体が寂れていきました。

 市比野温泉と宮之城温泉(かつては湯田温泉と呼んでいた)もご他聞にもれず、全盛期は男性が中心の宴会型宿泊が多く全国からお客さんが来ていました。しかし時代の変遷とともに旅行スタイルが変化したにもかかわらず、昔の経営スタイルを転換できず長い間苦戦を強いられている地域です。昔の活気を取り戻そうと努力している両温泉地の取組みについて紹介します。

 一つ目は、今年 市比野温泉 で5回目を迎える市比野温泉の「よさこい祭り」です。全国から集まった60チームが2日間にわたり競演し、こどもから92歳までの参加者がさまざまなコスチュームに身を包み、激しいパフォーマンスを披露する楽しい祭りが開催され、観光客も飛び入り参加するなど大会を盛り上げていました。
  昭和4年にはみどりや旅館(現在も営業中)に与謝野鉄幹・晶子夫妻が宿泊しており、そのとき晶子が詠んだ歌の歌碑の除幕式が行われました。市比野温泉は、昔は鹿児島市の奥座敷として賑わっており、由緒ある温泉のひとつです。バブル崩壊後観光客が遠のいた街をもう一度活性化しよういう機運が高まり、商工会、観光協会、薩摩川内市などが中心となって地域活性化協議会を立ち上げ、廃屋の取り壊し、道路のカラー舗装化、河川の整備、スポーツイベントの誘致、宣伝強化などに取り組んでいます。

 そのひとつがよさこい祭りの開催です。祭りも年毎に参加団体が増えており、今後の展開が楽しみです。周辺の「入来武家屋敷」、「倉野磨崖仏」、ラムサール条約に登録されている「いむた池」、「道の駅樋脇遊湯館」など地域の観光素材とグリーンツーリズムを組み合わせたニューツーリズムの定着が今後の誘客の課題です。

 二つ目にさつま町湯田の「みやんじょ温泉竹ホタル」の取組 宮之城竹あかり みです。湯田温泉は、市比野温泉と同様かつては、歓楽を主とする宿泊地として賑わっていました。旅行スタイルの変化や幾度の水害もあり、かつての温泉地としての活力は失われてしまいました。そこで地域の旅館経営者たちが、水害からの復興と川内川のホタル再生を願って始めたのが「竹ホタル」のイベントで、今年で3回目の開催です。
 実行委員会のメンバーは、竹灯りイベントの先進地である大分県の日田温泉や竹田市の実施状況を見学し、そのスケールと美しさに身震いし計画を進めたといいます。おりしも宮之城地域は、鹿児島県で最大の竹の産地です。材料に使う竹は豊富にあり、しかも竹山にとって、古い竹を切ることが山の再生にも繋がることになるとのことです。
 今年は湯田八幡神社から温泉街までの700メートルにわたって、7千本の竹灯篭が並べられ竹の切り口から温かみのあるオレンジ色の光が浮かび上がり、幻想的な光景を目のあたりにした観光客は感激していました。澄み切った夜空には星がきらめき、歩きながら幻想の世界に引き込まれる雰囲気です。点灯は地域の小中学生が協力していますが、その美しさに感嘆の声を上げるとのことで、その感激は地域を離れても、ふるさとを誇りに思うことにつながると信じます。また、地域全体での新しい取組みが、竹ホタルを鹿児島を代表する冬のイベントに育てることになると思います。

 2つのイベントに共通して言えることは、推進組織は民間の方々が中心であることです。地域づくりで「自治体が何もしてくれない」という声を聞きますが、やはり地域づくりは民間のリーダーが引っ張っていくことが重要と思います。行政は「芽だし後押し」に徹すべきと思います。また、子供からお年よりまで多くの方々が関わる《参加型イベント》であることです。そのことが地域活性化の大きな力になり、持続可能な観光地づくりに繋がると考えます。周辺の歴史、生活、文化を取り込み回遊できる魅力ある地域になることが、泊まりたくなる温泉地に蘇ることになると信じます。

『南さつま海道八景』と沿線を訪ねる (2)

2008年12月1日

  「秋目浦の定置網体験」を紹介します。秋目浦は、沖にビロー島(沖秋目島)が浮かぶ小さな湾で、正面岬と呼ばれる岩山が海上に突き出し、その付け根に向かって湾が形成された小さな入江です。秋目漁港から10分程度のところに、定置網は設置されています。  
 体験する人は、ライフジャケットに身を包み、手袋、雨靴など安全対策が十分立てられています。魚場に着くと、船上での個々の配置場所が指示され、漁師の掛け声で網を持ち上げていきます。網が上がるにつれて魚が泳ぐ姿を目の前で見ることができ、自然の海の醍醐味を感じます。網は意外に重く、漁師の苦労を肌で感じます。海面に近づくにつれて、網は魚の重みで一段と重くなります。漁師の方が大きな柄のついた網で、次々に魚をすくいあげていきます。1メートルを超すバショウカジキが4匹かかり、船上で大きく跳ねましたが、大きな槌で頭にとどめをさし処理していきます。網には、カマス、鯛、イカ、ふぐ、あじなど多くの種類の魚が入っています。
 帰りの船上で、獲れたての魚を料理してもらい、刺身の美味しさに感激しました。魚は次々に船のいけすに収容され、港に戻りすぐ翌朝の鹿児島の市場に出す準備が手際よく進められます。体験メニューには、港で取れた魚を料理し昼食として提供することになっており、体験学習の学生たちは磯料理に感激し喜んで食べるそうです。
 家庭の食卓に上る魚について都会の生徒たちに聞くと、水族館以外で泳いでいる魚の姿をほとんど見たことがないということでした。この体験は生徒たちに自然との触れ合いだけでなく、食育を考える良い機会になるのではないかと思います。

 秋目は天平の昔、唐の高僧鑑真大和上が苦難の末、ついに753年、渡日の一歩を記した地として有名で、近くには鑑真資料館があります。また「007は二度死ぬ」のロケ地にもなり、ジェームズボンド役のショーンコネリーと浜美枝が共演し、その記念碑が港の近くに建てられており、観光の途中に立ち寄ることができます。

 次に「笠沙恵比寿」を紹介します。野間岬に「海を学ぶ、海を遊ぶ、海の冒険館」として、オープンした体験型観光施設です。海をテーマとした博物館ですが、宿泊施設を備えており、新鮮な海の幸・山の幸を味わえるレストランとともに、好評を博しています。目の前の海を活用した、くじら・イルカウォッチングやエコツーリズムの体験ができます。くじら・イルカウォッチングは、近くの野間池港から漁船で約1時間のクルージングであり、海鳥の群れと一緒にくじらやイルカが迎えてくれます。また1メートルを超えるバショウカジキの豪快なジャンプに遭遇することがあります。
 エコツーリズムのメニューとしては、体験漁業のクルーズやリアス式海岸を巡るシーカヤックがお勧めです。施設のそばには、女性で初めて単独で無寄港の世界一周を達成した今給黎教子さんのヨットが停泊しています。また、野間岬から見る夕日は、絶景として必見の価値があります。
 「笠沙恵比寿」で宿泊したお客様は、ヨーロッパ風の雰囲気を醸し出し、東シナ海の豊穣な海で取れた魚貝類の新鮮さ、そしてそこで受けたおもてなしに感激し、次回の予約をして帰る人が多いということです。ぜひ皆さんも宿泊されてはいかがですか。

 今回2泊3日で、「南さつま海道八景」を巡りましたが、八景以外にも魅力あるポイントは多くあります。そば作り体験等ができる「いなほ館」、戦争や特攻隊員の関係資料を集め、見学者の涙を誘う「万世特攻平和祈念館」、サッカーやゲートボールなどのスポーツイベントに最適な「加世田運動公園」、鹿児島の郷中教育の原点となったと言われる「いろは歌」を作った、島津日新公を祭る竹田神社などがあります。「いろは歌」の教えは、現在にも通用する言葉が多く、しっかりと学びたいものです。
 
 これからの南さつま地域の観光にとって必要なことは、1点目は、個人型・滞在型観光に対応できるメニュー作りの充実です。2点目は、新幹線開業に備えて、地域間のアクセスをどのように確保していくかです。3点目は、海道沿線の案内板の設置や地域の物産を購入でき、食べることのできる施設の整備です。4点目は、エージェントが商品企画を造成しやすくするため、タイアップできる施設を増やすことが不可欠です。5点目は、宿泊施設の充実した地域と連携し、日帰り客の誘客をいかに図っていくかです。

 「南さつま海道八景」沿線は、手つかずの自然がいっぱい残り、忘れかけていた日本の原風景があります。鹿児島で最後に残された観光ルートと捉えています。今後の発展を期待してやみません。