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与論島への観光客誘致

                                                                   2008年12月15日
 
 与論島は鹿児島から南へ563km、沖縄本島の北23kmに位置し、周囲23kmの隆起珊瑚礁の島です。島はリーフに囲まれ、海は透明度が25~35mと非常に高く、色とりどりの熱帯魚やサンゴなど、命に満ちあふれています。島の魅力がNHKの「新日本紀行」で取り上げられ、与論島は一気にその名が全国的に知られるようになりました。 与論の海
 昭和51年から観光客が増え、60年まで10万人台を維持していました。その大半は夏場に訪れる、女性を中心とした若者でした。鹿児島を出航する船は、デッキまで人であふれ足の踏み場がないほど混雑していました。観光の目的は、日本で一番美しいといわれる与論の海で海水浴を中心としたマリンスポーツの体験でした。中でも「百合ヶ浜」は、潮流によりつくられた沖合に浮かぶ白い砂浜で、青い海と空に映え、人気のスポットでした。当時の宿泊は民宿が主流で、100軒ほどありどこも隆盛をきわめていました。第一次離島ブームは与論島がつくっていました。

 しかし61年頃から、リゾートホテルのオープンや航空会社の大型キャンペーンにより、観光客の流れは飛行機を使って短時間でいける沖縄に移っていきました。また米軍基地を抱えた沖縄は、国の優遇措置による航空運賃の低廉化や免税の措置が施され、観光客誘致が容易となりました。沖縄から先の宮古島、石垣島の開発と航空路線が整備され、本島と併せて魅力が増したことがあげられます。また、全国各地の空港から沖縄路線が開設され、行きやすくなり、沖縄に比べてアクセスの悪い与論島が、敬遠され観光客が減少する要因になっています。

 この度30年ぶりに与論を訪れる機会がありました。当時は年間の観光客が15万人で平成19年の約3倍の人が訪れていました。その内の8万5千人が6月から9月の夏場に集中しています。昨年の同期間は2万人であり、4分の1程度です。その他の期間は大きな落込みはなく、夏場の誘客が課題です。当時賑わっていた百合ヶ浜は昔のままの姿であり、観光客の来島を待っているかのように波が静かに寄せていました。

 今後の観光振興について、南町長と商工観光課の皆様と一緒に議論しました。町長は元観光関連産業に携わった経験があり、観光振興に大変造詣が深い方です。昔の良き時代を熱く語られ、こちらも燃えるものが込み上げてきました。観光客を復活させるためには、まず夏場の誘客をどのように図るかです。全盛期を支えたのは若い女性グループでした。与論の美しい海と砂浜の魅力をいかに情報発信し、商品企画に繋げるかです。 民俗村 メディアを使ったPRや航空会社とタイアップしたキャンペーンが必要と感じました。また、全盛期に訪れた人々は、団塊の世代を迎え、定年退職する頃になりました。当時は鹿児島からの船が主流であり、のんびりとした旅でした。時間的にも余裕のある世代であり、再度島に足を伸ばしてもらうためには、奄美群島を周遊できる船の切符の発売や、航空機の路線を拡大し沖縄との相互観光がしやすい状況を作ることが、観光客を増やすことにつながると思います。都会の人にとって与論島の自然と人情豊かなふれあいは、必ずや琴線にふれる思い出になると思います。

 与論島は今、学生のグリーンツーリズムやブルーツーリズムが人気を博しています。平成2年度は2校でしたが、21年度は18校が来島しています。交通手段は、ほとんどが沖縄経由で、飛行機と船です。沖縄までは大型機が飛んでおりアクセスは問題ありません。今後は滞在メニューを増やしたり、島の長寿の方々や子供たちと生活・文化に触れる交流を増やすなど、島民あげての取組みで、年間を通じての受け皿づくりが必要と感じます。

 滞在中に1組のご夫婦にお話を伺いました。37年前に新婚旅行で来た思い出の地を、再び訪ねる旅とのことでした。道路と家並みは変わったけれども、自然の海と人情の豊かさは当時のままであり、友人に是非勧めたいと語られていました。最近では都会から移り住む人も増えてきています。小説家の森瑤子さんは、与論島をイメージして多くの小説やエッセイを書いていますが、お墓は美しい白浜が望める高台にあります。きっと与論島の魅力に取り付かれた一人だと思います
 短い滞在でしたが、30年前と変わらない与論島の姿に安心しました。美しい自然が残る与論島ですが、しかしこれといった産業がない島にとっては、観光客誘致による経済効果の創出・維持が不可欠と感じました。
 久しぶりに訪れた与論島に思いを込めて短歌を作り、機上の人となりました。

      乙女らの
           騒ぎし夏は幾年ぞ
                      いまも変わらぬ
                               百合の白砂