トップページ > プロデューサーズコラム2008 > 祭り・イベント

2009年1月25日
北国では大雪注意が出される中、この時期薩摩半島の開聞山麓周辺や池田湖畔は、菜の花が満開となり、黄色い絨毯を敷き詰めたように鮮やかな景観が広がっています。
今年も南薩路に春を告げる「第28回いぶすき菜の花マラソン」が、大会史上最大の1万7千人の参加を得て、また、「第17回いぶすき菜の花マーチ」が、1万2百人の参加者で盛大に開催されました。2つの大会は全国でも指折りのマラソンとウオーキングの大会です。
この2つの大会が、これほどまでに大きく成長した
要因がいくつかあります。2つの大会のスタート時期は違いますが、その成長の軌跡は似通っています。まず大会のスタート時は、県外からの参加者はほとんどなく集客に苦労し、参加人数を確保するため観光関係者やその家族、市の職員を動員したとのことです。大会を重ねるごとにスポンサーの確保やメディアの露出も増え、全国的にその名が知られるようになり参加者が1万人を超え、全国屈指の大会に成長しました。
2つめは大会の主役は市民であり、推進母体も民間が中心に構成されていることです。イベントを開催するとなると、官に頼りがちになりますが、観光関連業者を中心にホテルの従業員やボランティアの団体が、大会スポンサーの旗や標識を立て、交通整理するなど大会の運営にあたっています。大会1週間前は、ホテルの関係者は自分の職場をかえりみず大会の準備にあたっています。マラソンにおいては、制限時間が過ぎても、最終ランナーが到着するまでゴールあけて待っており参加者は感激するとのことです。
3つめは沿道での市民のボランティア活動が、大会を支えていることです。特産のサツマイモやキャラメル、お茶などを提供しており、そのおもてなしの心は日本一と参加者から称えられており、そのことが口コミで広がり参加者増につながっています。昨年は大河ドラマ「篤姫」の人気で、今和泉地区にある篤姫の関連施設には、多くの観光客が押し寄せました。近くにある今和泉小学校の子供達の観光客に対する礼儀正しさが話題になりました。やはりこの2つのイベントで示されたおもてなしの心が、子供達にも伝わっていると思います。
4つめは、各ホテルの協力態勢が確立していることです。日頃から「オーナー会」や女将さんの集まりである「華の会」の結束の堅さには定評のある地域ですが、終了後ホテルの風呂を解放し参加者に疲れを癒してもらっています。参加者の多くがリピーターとなるのもこのような温かいおもてなしがあるからだと思います。
5つ目は海外からの参加者が増加していることです。特にマラソンは韓国からの参加者の伸びが顕著です。現在インバウンドは、旅行費用が為替レートに大きく影響を受け、観光客が激減しているのが実情です。しかしスポーツ大会となるとその影響は少なく、しかも国際親善にも役立つと考えます。今後とも定期便のある上海、香港の方々にもPRし参加者の増加を図っていくこと重要です。
今世界的な不況を受けて日本経済も先行き不透明感が浸透し、消費が低迷しており、温泉地もかなりのダメージを受けています。指宿温泉は、観光経済新聞社の人気のある温泉地の、第3位にランクされています。今後も二大イベントで培われたおもてなしの心を前面に出し、「観光いぶすき」をPRして誘客に努めてほしいものです。
2008年12月8日
バブル絶頂期に隆盛を極めた温泉地で、いま苦戦を強いられているところが多くあります。関東の「鬼怒川」、「熱海」、北陸の「片山津」、「山代」、関西の「白浜」、「雄琴」、九州では、「嬉野」、「雲仙」などが上げられます。いずれの地域も、全盛期は宴会を伴う団体宿泊が主流でした。しかしバブル崩壊後団体旅行は激減し、個人旅行が多くなると、その対応に不慣れな施設は敬遠され客足が遠のき、次第に温泉地自体が寂れていきました。
市比野温泉と宮之城温泉(かつては湯田温泉と呼んでいた)もご他聞にもれず、全盛期は男性が中心の宴会型宿泊が多く全国からお客さんが来ていました。しかし時代の変遷とともに旅行スタイルが変化したにもかかわらず、昔の経営スタイルを転換できず長い間苦戦を強いられている地域です。昔の活気を取り戻そうと努力している両温泉地の取組みについて紹介します。
一つ目は、今年
で5回目を迎える市比野温泉の「よさこい祭り」です。全国から集まった60チームが2日間にわたり競演し、こどもから92歳までの参加者がさまざまなコスチュームに身を包み、激しいパフォーマンスを披露する楽しい祭りが開催され、観光客も飛び入り参加するなど大会を盛り上げていました。
昭和4年にはみどりや旅館(現在も営業中)に与謝野鉄幹・晶子夫妻が宿泊しており、そのとき晶子が詠んだ歌の歌碑の除幕式が行われました。市比野温泉は、昔は鹿児島市の奥座敷として賑わっており、由緒ある温泉のひとつです。バブル崩壊後観光客が遠のいた街をもう一度活性化しよういう機運が高まり、商工会、観光協会、薩摩川内市などが中心となって地域活性化協議会を立ち上げ、廃屋の取り壊し、道路のカラー舗装化、河川の整備、スポーツイベントの誘致、宣伝強化などに取り組んでいます。
そのひとつがよさこい祭りの開催です。祭りも年毎に参加団体が増えており、今後の展開が楽しみです。周辺の「入来武家屋敷」、「倉野磨崖仏」、ラムサール条約に登録されている「いむた池」、「道の駅樋脇遊湯館」など地域の観光素材とグリーンツーリズムを組み合わせたニューツーリズムの定着が今後の誘客の課題です。
二つ目にさつま町湯田の「みやんじょ温泉竹ホタル」の取組
みです。湯田温泉は、市比野温泉と同様かつては、歓楽を主とする宿泊地として賑わっていました。旅行スタイルの変化や幾度の水害もあり、かつての温泉地としての活力は失われてしまいました。そこで地域の旅館経営者たちが、水害からの復興と川内川のホタル再生を願って始めたのが「竹ホタル」のイベントで、今年で3回目の開催です。
実行委員会のメンバーは、竹灯りイベントの先進地である大分県の日田温泉や竹田市の実施状況を見学し、そのスケールと美しさに身震いし計画を進めたといいます。おりしも宮之城地域は、鹿児島県で最大の竹の産地です。材料に使う竹は豊富にあり、しかも竹山にとって、古い竹を切ることが山の再生にも繋がることになるとのことです。
今年は湯田八幡神社から温泉街までの700メートルにわたって、7千本の竹灯篭が並べられ竹の切り口から温かみのあるオレンジ色の光が浮かび上がり、幻想的な光景を目のあたりにした観光客は感激していました。澄み切った夜空には星がきらめき、歩きながら幻想の世界に引き込まれる雰囲気です。点灯は地域の小中学生が協力していますが、その美しさに感嘆の声を上げるとのことで、その感激は地域を離れても、ふるさとを誇りに思うことにつながると信じます。また、地域全体での新しい取組みが、竹ホタルを鹿児島を代表する冬のイベントに育てることになると思います。
2つのイベントに共通して言えることは、推進組織は民間の方々が中心であることです。地域づくりで「自治体が何もしてくれない」という声を聞きますが、やはり地域づくりは民間のリーダーが引っ張っていくことが重要と思います。行政は「芽だし後押し」に徹すべきと思います。また、子供からお年よりまで多くの方々が関わる《参加型イベント》であることです。そのことが地域活性化の大きな力になり、持続可能な観光地づくりに繋がると考えます。周辺の歴史、生活、文化を取り込み回遊できる魅力ある地域になることが、泊まりたくなる温泉地に蘇ることになると信じます。
2008年10月27
坊津は、梅崎春生が自分の軍隊生活の経験をもとに、小説の舞台として取り上げた場所です。小説「桜島」の冒頭は「7月初、坊津にいた。往昔、遣唐使が船出したところである。その小さな美しい港を見下す峠で、基地隊の基地通信に当たっていた。私は暗号員であった。毎日、崖を滑り降りて魚釣りに行ったり、山に楊梅を取りに行ったり、朝夕峠を通る坊津郵便局の女事務員と仲良くなったり、よそめにはのんびりと日を過した。」で始まり、坊津の港の情景が伝わってきます。
一方、遺作となった「幻化」では美しい坊津の景観と人々の暮らしを次のように書いています。「道に行き交う人々は、名も知らない者ばかり。頭に荷物を乗せた女が通る。女学生、小学生が通る。長い釣竿をかついだ男が通る。夕方になったので、磯釣りを終わった土地の男だろう。芭蕉、フェニックスが生えている。町を通り抜けると、まただらだら坂となる。高くなるにつれて、風景はいよいよ鮮明に立体化して来る。湾内に小島がいくつか見える。島々のために港の入口がせまい。大きな船は出入りが出来ない。しかし水路の複雑さのために、密貿易には好適の港だったのだろう。五郎は足を止めた。そして道から斜面に降りていく。首を傾けた。」今も変わらない坊津の姿があります。
先日、「坊津やまびこ会」が主催する「まち歩き」に参加し
ました。坊津はかつて、日本三津とうたわれ、古来から仏教文化が伝来して栄え、また中世から続いた交易港として多くの船が出入りしました。まちのあちこちに当時を偲ぶ史跡が残っています。坊泊小学校の近くの高台にある「上人墓地」は四角形の珍しい墓であり、南北朝時代から明治維新までの勅願寺一乗院の歴代住職の墓所となっています。仁王像や石垣が残り当時の栄華を伝えています。また、まち歩きガイドさんの話によると、小学校は現在100名程度ですが、半世紀前は1000人を超える生徒が在学しており、運動会になると町民もこぞって参加し盛大に行われていたということで、坊津の当時の繁栄が偲ばれます。
真珠のような美しい入江の近くにある「双剣石」は、大小の剣を立てた姿に似ていることから名づけられた言われています。海底は白砂清澄で美しく、安藤広重もここの風景を描いています。近くには太公望を楽しませる豊富な漁礁にめぐまれ、釣り船でにぎわっています。最近特に増えたのが、澄み渡る珊瑚の海でのダイビングを楽しむ人達で、ダイバー向けのお店も充実しています。
「輝津館」は、中国や琉球の交易の軌跡、一乗院を中心とした坊津の仏教文化や漁に関する民族資料など、坊津の歴史を語るものが展示されています。また、ここから見る坊浦に沈む夕日は、必見に値します。横にある和楽園公園の中には、戦争中通信兵として滞在し、戦後この地を舞台にして小説を書いた梅崎春生の「人生幻花に似たり」の文学碑があります。小説「幻化」を読むと坊津の魅力が一段と深まると思います。
坊津はまた、酒造メーカーのCMの場所として登場したり、ショーン・コネリー、丹波哲郎、浜美枝が共演した「007は二度死ぬ」のロケ地にもなったことがあり、秋目の鑑真和上上陸記念碑近くの駐車場に「007撮影記念碑」が建立されています。坊津には旅情をかきたてる場所が多く残っています。また、ゆっくりと歩きながらいにしえ人の行き交った石畳や、石垣が残る路地を巡るのも坊津を知る一つの方法と思います。皆さんもぜひ一度訪ねて見てはいかがですか。
最後に坊津の魅力を彷彿させる「坊津旅情」(作詞 寺田鉄五郎)の詞を紹介します。
1.赤い帆あげた南蛮船の 坊の昔が懐かしや
おぼろ絵巻の昔の夢を 問えど語らぬ
なぜに語らぬ雲の野間 夢の坊津よいところ
4.坊の岬の灯台さえも 涙じめりの灯りをともす
遠い浮島 硫黄か屋久か 霞む黒島 霞む竹島 波の上
夢の坊津よいところ
7.昔栄えし面影とめて 偲ぶ名残の仁王様 入日金色
一乗院に 秋が逝きます 秋が逝きます さえざえと
夢の坊津 よいところ
(全11番)
参考資料 「坊津 まち歩きマップ」
2008年9月16日
全国商工会議所が公募した「平成20年度地域資源・全国展開プロジェクトの調査研究事業」で、霧島商工会議所の案件が採択され、その事業を推進する委員会に出席しました。霧島市は1市6町が合併し、県内で2番目の人口を誇る市です。市内には、国際空港と高速道路の5つのインターがあり、また、日豊本線や来年開通100周年を迎える肥薩線が通っており、アクセス的に大変恵まれた地域です。しかし県外の宿泊観光客は100万人前後でここ10年ほとんど増えず、苦戦を強いられています。
霧島市の観光の現状と課題について検証してみました。
1点目は、霧島の観光の魅力が消費者に浸透していないために、単発型の宿泊地になっていることがあげられます。日本有数の温泉があり、登山、トレッキング、歴史、食と多くの観光素材に恵まれながら情報伝達や連携が不十分であり、観光客に霧島の良さが伝わってないと思います。いまの観光は、滞在や交流を求める人が多くなっています。連泊して地域の良さを体験していただく仕組みを作っていかなければなりません。ホテル間を回遊するバスや、共同してインフォーメーションをするなど観光客の利便性を図りながら、体験を中心とした着地型観光を充実させることが必要です。
2点目は、伝統芸能や文化イベントをもっといかす取組が必要です。「きりしま九面太鼓」、「夜神楽」などは、週末には既存の施設で必ず観賞できるようにすることが観光客の定着に繋がります。また、「霧島国際音楽祭」は国際的にレベルが高く、知的興奮を伴うイベントであり、もっとPRし、県内はもとより全国からの誘客を図らねばなりません。来年は30周年を迎えます。「霧島国際音楽祭」が開催される町としての誇りとおもてなしの心を醸成するなど、地域あげての取組を強化し、行政サイドの資金的な援助も必要と考えます。
3点目は、若者を活かしたまちづくりが求められています。市内に2つの大学があり、またソニーや京セラの工場があり、若者が多く住んでいます。若者が自ら企画し、参画するイベントの創出が観光客を呼び込みます。北海道の「よさこいソーラン」はその代表的な祭りです。イベントを興すには、地域単位でグループを作り、そのフィナーレとして本大会を中心部で開催すれば、盛り上がっていくと思います。観光には「よそ者」「若者」「ばか者」の感性が必要です。
4点目は、来年100周年を迎える肥薩線の活用です。沿線には古い駅舎が残る「横川駅」や「嘉例川駅」があり、レトロ調の雰囲気は鉄道ファンだけでなく観光客を引きつける魅力があります。駅舎に、春には雛人形やこいのぼり、夏には風鈴、秋には鈴虫、冬にはクリスマスツリーや正月人形を飾るなどし、季節感を出すことで沿線の地域に観光客を呼び込むことが可能になると思います。来年は熊本から人吉までSLが走る予定です。地域連携を強化することで、誘客に繋がると思います。
5点目は、担い手の養成です。霧島市は7市町が合併してできた町であり、しかも観光地も広域になります。今はそれぞれの地域が頑張っています。しかしいずれは市全体が一体となった観光振興が求められてきます。少子高齢化が進む中で、交流人口をいかに増やして地域を活性化するかが問われています。広い視野での観光客の誘致が大事であり、地域全体をコーディネイトする人が求められています。
いま地域間競争は激化しており、観光は観光関連産業だけでなく、農林水産業、商業、工業、教育関連など多くの分野との連携が必須であり、まちづくりの根幹に位置づけるべき政策と考えます。霧島に課せられた課題は多く、新幹線全線開通までは残された時間は限られています。
2008年8月18日
8月8日~9日の2日間「第15回天文館まつり」が天文館公園で開催され、子供たちの創作ダンスの発表、カラオケ大会、篤姫コンテスト、神輿の巡回など多種のプログラムがあり、多くの市民で賑わいました。この祭りは、平成5年の大水害で未曾有の被害を受けた天文館の関係者たちが、街の活力を取り戻そうと始めた祭りです。飲食店の経営者、ホステスさん、防犯団体、町内会など多くの人がこの祭りを支えていると感じました。
日本の各地には、そこを代表する歓楽街があります。札幌の「すすきの」、仙台の「国分町」、東京の「歌舞伎町」「銀座」、横浜の「伊勢佐木町」、金沢の「香林坊」、岐阜の「柳ヶ瀬」、大阪の「みなみ」「北新地」、博多の「中洲」、長崎の「思案橋」など歌謡曲の中にもよく出てくる地名です。天文館もその名が全国に知られています。
旅の魅力は、訪れた地の料理屋で、郷土料理を味わいながら地元の人とのふれあいがあることです。また芋焼酎を片手にホステスさん達としばし語らい、それが鹿児島の文化にふれる機会となり思い出づくりとなります。
6月に天文館の接客マナーの向上に取り組んでいるグループの研修会に、参加する機会がありました。会では、従業員の接遇のアップを図るため鹿児島の歴史、文化、食などを積極的に学ぶ機会を増やしているとのことでした。ホステスさんたちは、研修で真剣にメモを取り、お客様をいかにして満足させようかと努力している姿勢が強く感じられました。
自らを磨き、お客様を魅了するためには、次のことが求められます。まず、自分の足で歩いて街の魅力を肌で感じ、住む町に誇りを持っていただきたい。中央駅
から偉人誕生地周辺、天文館、照国神社、黎明館、城山、南州神社までの歴史ロードを歩くことで、来店客に自分の言葉で鹿児島の観光の魅力を語ることができ、リピーターにつながります。
二つ目は、文学作品や絵に親しみ、鹿児島の文化度の高さを知り、お客様にぜひPRしてもらいたい。鹿児島にゆかりのある作家の資料を展示してある「かごしま近代文学館」、吉井淳二や海老原喜之助など郷土が生んだ画家の作品がある「鹿児島市立美術館」、県内の歴史が一目でわかる「黎明館」など魅力ある施設です。展示作品に観光客が知的興奮を感ずることで、滞在時間が増えると思います。
来店者に焼酎の割り方の極意を教えたり、おつまみに地元の旬の一品を付ければ、お客様が鹿児島の良さを一段と理解してくれるのではないかと思います。鹿児島流の飲み方で懇親が深まり、去りがたい雰囲気に観光客は旅情を感じます。天文館で働く人々は、観光客に鹿児島の魅力を語る伝道者の役割を持っていると考えています。
3年後に九州新幹線が全線開業し、博多と鹿児島中央間は1時間20分で結ばれます。多くの地域から観光客が訪れることが予想されますが、一方では日帰り観光客が増加し、宿泊客の減少につながるのではと懸念する声もあります。そのためには鹿児島市が宿泊したくなる街としての魅力づけが重要です。観光客の琴線にふれる街とは、知的興奮を伴う街であり、おもてなしの心が醸成された温かい街です。天文館がいつも元気であることが、活気ある鹿児島の経済のシンボルであり、その意味でも「高いステータスを持つ天文館の文化」を作り上げてほしいと思っています。
2008年8月11日
今年もお盆の季節が来ました。お盆は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行われる祖先の霊を祀る一連の行事です。一般に仏教の行事と認識されていますが、仏教の教義で説明できない部分も多く、日本在来の神道的行事に仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形ができたと考えられています。
鹿児島では新暦の8月15日にお盆を行うところが、多く見られます。会社を休んで故郷に帰る人も多く、国民的な民族移動が毎年あり、交通機関も混雑します。
県内では昔から先祖を敬う風習が根強く残っています。帰省した家族全員が墓の前でしばし手を合わせている光景がよく見られます。墓石に刻まれた先祖の名前を見て、子供たちが、自分の命が遠い時代から引き継がれていることを悟り、命の尊さを知る機会になるのではないでしょうか。今世の中では人を簡単に殺したり、親子同士の殺人事件が後を絶ちません。お盆を通して、親子の対話を増やすきっかけにしたいものです。
鹿児島では、お墓にいつも新鮮な花を飾り先祖を大事にする風習があります。お嫁さんが嫁いで来たときに、姑さんがお墓の管理のしきたりを説いているということで、伝統的にいつもきれいな花が飾られていることが理解できます。1月の「いぶすき菜の花マーチ」では指宿の墓の中を歩くコースが組まれており、参加者は墓の花にびっくりします。またガイドさんは、沿線の墓を見つけて、観光客にバスの中から説明してくれます。
一方全国的にはお盆に関連する行事が、大きな観光資源と
なっているところがあります。九州においては長崎県内で実施される「精霊流し」が有名です。他の地域では「灯篭流し」といわれるものです。初盆を迎えた故人の家族が、盆提灯や造花などで飾られた精霊船と呼ばれる船に故人の霊を乗せて、流し場と呼ばれる終着点まで運ぶ行事です。この行事が行われる時間帯は、長崎市内は各所で交通規制が行われます。さだまさしの曲「精霊流し」がヒットし、一段と観光客が増えるきっかけとなりました。
もうひとつは、富山市の八尾町で毎年9月1日~3日に開催される「おわら風の盆」も有名なお盆の行事です。おわらの歴史は古く、元禄の頃始まったもので、かつては8月の中旬に行われていたものが、町の人口が希薄になるその時期をさけて9月に移したものです。涼しげな揃いの浴衣に、編笠の間から少し顔を覗かせたその姿は幻想的であり優美です。それぞれの町で踊りが行われ、山々が赤くもえる夕暮れを過ぎると、家並みに沿って並ぶぼんぼりに淡い灯りがともると、祭りは最高潮に達します。3日間で十数万の観光客が訪れ、必見の価値があります。
鹿児島でもお盆明の16日に、神社の境内に老若男女が集まって、盆踊りをする光景がかつては多くありました。現在では町内会の祭りとして、公園やまちの広場で開催され、露店が軒を並べにぎやかなイベントに変わりつつあります。地域コミ二ティが薄れつつある中で、祭りのスタイルまでこだわる理由は無いように感じます。お盆の過ごし方も時代と共に変わって来たと感ずるこの頃です。
参考「フリー百科事典{ウィキぺディア}」
2008年6月16日
いちき串木野市で開催された「いちき串木野元気祭り」に参加しました。
この祭りは、いちき串木野商工会議所青年部が中心に、地域興しの一環として始めた若者の祭りです。3回目の開催ですが、今年は鹿児島商工会議所青年部の大会と合わせての祭りとなり、県下一円から若者が参加しました。
前段の青年部総会で「観光まちづくり」について講話する機会があり、多くの青年実業家が熱心に耳を傾けていただき感激しました。
祭には若者だけでなく子ども、お年寄りなど2000名あまりが参加し、さまざまなスタイルのショーや踊りに拍手を送り、提供された地域の食材を使った料理に満足そうでした。いちき串木野市は今「まぐろラーメン」でまち興しを展開しています。「さのさ祭り」に続く祭として「元気祭り」が成長することを期待しています。
ところで日本国内の祭りには、いろいろな形があります。伝統を引き継ぐ歴史的な祭りとして、「京都時代祭り」や「博多祇園山笠」、「鹿児島神宮初午祭」などがあります。東北4代祭りのように、4県の祭りを一定の期間に集中させ、観光客を呼び込んでいるものもあります。また「よさこいソーラン祭り」や「かごしま春祭大ハンヤ」などは市民参加型祭りです。イベント参加型の祭りが最近増えています。
イベント参加型祭りが多くなっている背景には、祭りによる地域おこしが主眼になっていることがあげられます。
祭りの開催について、地元マスコミを通じて前広に告知をして、PRしなければなりません。協賛の企業を求めることも、祭りの価値が高まり運営上役に立ちます。どの地域から誘客するかターゲットを絞ることも重要です。参加者を増やすため、子供、若者特に女性が参加しやすいイベントに配慮すべきです。また、服装に制限を加えず自由なスタイルで参加できるようにすることが、祭りを賑わいのあるものにします。
経済的効果をもたらすことが、地域のまち興しには重要です。旬の地元食材を使った料理のお店や、地域産物の即売ができるスペースを確保し、物販とPRを強化すべきです。祭りのほとんどがいままでは縁日の型にこだわってきましたが、時代も変化しており消費スタイルも多様になってきています。
地域に愛される祭りになることが、交流人口を増やすためには、欠かせません。
観光は地域総力戦であり、地域を巻き込んだ祭りの開催が、まちづくりに役立つと確信します。
2008年6月9日
指宿は、観光経済新聞社が毎年行う観光地人気ランキングで、常にトップテンに入る温泉地であります。 天然の砂蒸し温泉や、全国的に有名になったマラソン、ウォーキンク大会の開催による知名度の高さ、また温かいおもてなしが、観光客の支持を得ていると考えられます。
今年は大河ドラマ「篤姫」効果もあり観光入込客は伸びていますが、来年以降を考えると厳しい状況になると思います。個人旅行が主流になってきた現在、アクセスの整備、地域連携など多くの課題があります。また3年後には九州新幹線が全線開業し、指宿にとって新たな展開が求められています。
博多から鹿児島中央駅までは80分で、市内は日帰り圏内になりますが、指宿までは特急列車の運行が予定されており、2時間程度で結ばれます。指宿が滞在の拠点としての機能を強化することが、観光客誘致に繋がると考えています。
戦略の1つ目は、砂蒸し温泉を活用し、医療機関とタイアップした予防医学の最適地として指宿のPRをもっとすべきです。今国民の関心事は健康です。温泉保養都市としてのブランド化が必要です。
2つ目は、指宿駅周辺の再開発です。空き店舗を活用した「道の駅」の設置や、休日の歩行者天国の導入を図り、観光客が待ち時間に滞留する公共空間の整備が必要です。
3つ目は、JR最南端の駅「西大山駅」を基点に、開聞周辺を観光できるアクセスの整備です。レンタサイクルなどを配置し、ヘルシーランド、フラワーパーク、長崎鼻、開聞山麓、池田湖周辺を回遊できるシステムの確立が求められます。
4つ目は、対岸の大隅半島や種子島、屋久島との連携です。山川から根占のフェリーを利用し佐多岬、鹿屋バラ園、吾平山上稜などへの見学が魅力的です。また離島へは日帰りも可能であり、新幹線開業時は、周遊切符を導入し、より使いやすい形にすることが、誘客を可能にします。
5つ目は、食の活用です。指宿地域は温暖で、野菜、魚介類などが豊富であり、またお茶、花卉栽培、焼酎など県内有数の産地です。地産地消をはかり、観光客にも体験などを通して魅力を堪能してもらい、商品流通を促進すべきです。
観光はいまや地域総力戦の時代です。観光は、運輸業者、宿泊飲食業者だけでなく農林水産関連、工業、商業など多くの分野に波及効果があります。指宿地区はその要素を十分に持ったところです。
観光客は地域の魅力に引かれて旅に出ます。新幹線開業後は、指宿地区が滞在型観光の中心になることが可能であり、それが実現することを願ってやみません。
2008年5月26日
「大隅地域振興局」の地域づくりのセミナーに参加する機会を得ました。
プロデユーサーになって初めての講演でもあり、しかも小生が育った地域であり大変緊張をしました。
大隅地域は20数年前までは、団体旅行としては欠かせないルートでした。観光客は、大型バスで宮崎から日南海岸をめぐり、都井岬、志布志、鹿屋、佐多岬、山川、指宿と途中のドライブインで食事や買物を楽しみ、大隅半島の沿線の魅力を堪能しました。
その後バブルが崩壊し、団体旅行が減少し個人旅行に変わってきたことや、宮崎から鹿児島までの高速道路網が整備され、大隅半島はだんだんと観光ルートから取り残されてきました。
地域の努力不足というより、環境の変化やアクセスの整備によりもたらされた要因が大きいと考えています。
しかしここにきて、地域のニューツーリズムが注目をあびてきました。
グリンツーリズム、ブルーツーリズム、エコツーリズム、長期滞在、二地域居住などがその代表です。今田舎のくらしに関心を持つ人々が増えています。
従来の物見遊山的な観光、温泉での豪遊など金の消費から、個人の趣味や価値観を大切にする時間消費型の観光スタイルに変化してきています。
グリーンツーリズムは、団塊の世代を中心に関心が高まっており、特に教育旅行にはこれから欠かせない素材です。担い手の育成を図り、地域をまとめる人の存在が大事になってきました。
大隅地域は食材の宝庫であり、美しい砂浜、渓谷など自然にも恵まれています。
また、「お釈迦祭り」、「弥五郎どん祭り」、「流鏑馬」など鹿児島を代表する祭りがあります。
最近では「ねじめドラゴンボートフェスティバル」「エアーメモリアルin鹿屋」「鹿屋バラ園」もかなり知られるようになりました。ないものねだりはやめて、現在あるものに磨きをかけて、どの地域から、いつごろ、どの層をターゲットに誘客するか分析し、販促していくことが重要です。インターネットの急激な普及により、情報のよりスピーディさも必要です。
九州新幹線の全線開業まで3年足らずとなりました。
地域の魅力に惹かれて旅行者は訪れます。大隅地区のブランド力(地域力)が構築できれば、アクセスの不便を忘れて人は集まると考えています。
これからも、「大隅地域に光あれ」とエールを送っていきたいと思います。
2008年5月19日
5月10日~11日に開催された第15回超自然・屋久島ツーデーマーチに参加しました。
平成5年12月に屋久島の貴重な自然が「世界自然遺産」に登録されたのを記念して、翌年から始められたイベントです。
屋久島は「月に35日雨が降る」と言われますが、1日目はまさにそれを象徴するような大雨が、降りました。2日間で30キロを完歩しましたが、あらためて屋久島の大地に感動しました。全国から参加したウォーカーも、屋久島の大自然を満喫したことと思います。
これまでこの大会は、上屋久町の主催イベントであり、ほとんどのコースが上屋久町中心に設定されていました。観光客にとっては屋久島はひとつの島です。今年は合併記念として、屋久島の全体を歩くイベントして開催できたことに大きな意義があり、参加者も大幅に増えています。
さまざまな問題を乗り越えて、町の職員も一体となってこの大会を運営していました。
大会にゲストとして参加した女優の根本りつ子さんは、屋久島は東京から見ると憧れの地であると評していました。屋久島を舞台にした林芙美子の小説「浮雲」の中に、「明るい紺碧の海上に、密林の島が浮いていると言うだけでも、自然の不思議さである。」と言う一説があります。
屋久島は日本が誇る財産であり、これからもずっと自然を守りながら観光客を受け入れていく必要があります。
九州新幹線全線開業時は、「屋久島の自然遺産」が、鹿児島への観光客誘致の最大の誘因要素になると思っています。
全国で市町村合併が一段落した今、これからがあたらしい町づくりの本番を迎えます。少子高齢化や社会保障費の増大などで、各自治体は厳しい財政状況にあります。
交流人口を増やし、地域を活性化するためには観光振興は欠かせません。
これからの「屋久島町」が、観光でますます発展していくことを期待しています。