おじゃったもんせ 旬の鹿児島へ-観光地やイベント、温泉、旅館・ホテルに至るまで、鹿児島の観光情報満載です。

 

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元気な女性、がんばろう男性―人生80年代を生きる―

2009年2月2日

                                                       
 日曜日の8時に県民をテレビの前に釘付けにした、NHKの大河ドラマ「篤姫」が終了しました。年間視聴率は、24.5%で、30.5%を獲得した96年の「秀吉」以来の人気を集め、鹿児島地区では最終回は、43.1%となり、地元での関心の高さがうかがえました。またドラマの影響で歴史に対して興味を持ち、郷土を誇りに思う人が増え、県民を元気にしてくれた番組でもありました。
 
 なぜこれほどまでに支持を得たのかを考えてみると、「篤姫」のひたむきな生き方が、多くの女性の支持を得たことがあげられます。また日本人が忘れかけていた「家族の愛」が描かれており、ホームドラマ風の演出とあわせて、解りやすいストーリーが、フアンを増やしたと思います。テレビの前で母と娘が談笑していた家庭が多かったと思います。やはり女性がブームをつくったといっても過言ではありません。

 ところで仕事がら研修会に講師として呼ばれる機会が多いので、中高年の方が参加している席で必ず質問することがあります。「退職後に誰(妻または夫、子供、友人)と旅行したいですか」と。
 男性の8割は妻と行きたいと手を挙げ、女性は子供(娘)、友人と続き、ご主人との旅行を希望するのは30%にも達しません。男性が妻への依存度が高いのに、女性の方が意外と夫との旅行を敬遠する傾向があります。理由を聞くと「夫と旅行に行っても楽しくない。朝は早く起きるし、昼間のショッピングの時間も退屈そうで家にいるときと何も変わらない」という答えが返ってきます。やはり非日常性を求める妻との認識のずれが、男性にはあるように感じます。
 
 観光業界で定期的に消費者の意識調査をしていますが、55歳を過ぎると男性は妻と、女性は友人達との旅を楽しむ傾向がでています。旅行先の決定にあたっても女性が主導権を握っています。
 ある女性情報誌の調査によると、妻が夫の定年後に困ることとして、自分の生活のリズムが壊れること、趣味やショッピングができなくなること、友人との交流が減ることなどをあげています。夫に望むことは、自炊ができるようになること、打ち込める趣味を持つこと、社会参加すること(仕事・ボランティアなど)などをあげています。現職時代同様家庭にいる時間を少なくすることを望んでいます。昔CMにありました。「亭主元気で留守がいい」と。
  
 男性は長年にわたって企業戦士として粉骨砕身働き、退職後はゆっくりしたいと思っている方が多いと思いますが、厳しい現実が待っています。年を重ねると男性は家にこもりがちになり、妻を頼りがちになりますが、女性は子育ても終わり、自己実現のための積極的な行動が多くなり、自分の趣味や友人との交流に楽しみを求めていきます。妻が出かけると「どこに行くのか、俺の昼飯はどうなっているのか」と愚痴をこぼす夫が多いと聞きます。

 ところで日本の平均寿命は、男性が約80歳、女性が85歳となり世界有数の長寿国となりました。定年後も約20年あります。それぞれが趣味や友人を持ち、家庭以外での楽しみを持ち続けることも大切と思います。またボランティア活動に積極的に参加し、長年の経験を生かし地域のためにつくすことで、生き甲斐づくりにもつながります。好奇心旺盛な方には一人旅をお勧めします。今女性の一人参加のツアーが好評です。
 日本は急激な高齢化社会が進み、年金問題や介護保険などさまざまなひずみがでています。元気でいることがなによりです。女性は元気です。男性の皆さん、がんばろうではありませんか。

2008年を振り返る ―「地産地奨」の推進を―

 2008年12月22日 
           

  本年鹿児島の観光を振り返るとき、大河ドラマ「篤姫」の存在を抜きには sakurajima 考えられません。年間平均視聴率は、24.5%でありましたが、鹿児島では、ほぼ半数の調査でしたが、20%台は2回記録しただけで残りは30%を上回りました。最終回の視聴率は、43.1%となり地区の最高を記録し、関心の高さを示しました。

  ドラマのスタートにあたりNHKの関係者は、幕末ものでしかも主役が女性であり、視聴率を取ることができるか大変不安視する声が高かったとのことでしたが、回を重ねるごとに人気が出てきました。今まで大河ドラマに無関心であった女性層を惹きつけたことが、高視聴率に繋がったと考えられ、特に篤姫の生き方が支持を得たと思います。県民は新しい2人のヒロインとヒーロー(篤姫と小松帯刀)の誕生に、元気付けられたと思います。

  篤姫放映は、県内至るところに効果をもたらしました。宿泊観光客は、104%(10月までの主要ホテル調査)を超え、篤姫関連施設の入場者やシティビューの乗車人員は2桁の伸びとなり、また特産品の売り上げが伸びるなど、経済波及効果も多くの分野におよびました。
指宿ボランティア  また、観光振興を地域づくりの方策に掲げる自治体が増加したことは、新しい動きとして注目されます。ボランティアガイドの団体は26となり、ガイドさんも700名を超えるまでになりました。特に指宿今和泉地区では、約10万人の観光客を案内しています。今後は、ボランティアガイドさんの出番をどれだけつくっていけるかが重要であり、そのことが組織の維持とスキルアップに繋がると思います。今後の篤姫関連の資料についての常設展示の方針も決定され、観光ルートの定着に努めて生きたいと考えています。

 また、今年の大きな話題として「ねんりんピックかごしま」の開催があげられます。全国から選手役員1万5千人と、県民の参加を合わせると50万人が参加した大きなイベントとなりました。大会を支えた多くのボランティアや地域の人々が声援を送り、またおもてなしがすばらしく、参加者の共感を得ました。高齢者の参加ということで大会後の観光のみならず、鹿児島の特産品の売り上げに大きく貢献したとことが特徴としてあげられます。あるホテルでは、売店の売り上げが、1日で1ヶ月分を達成したとのことです。今、日本の高齢者は、比較的預貯金の額が多いというデータがあります。経済効果を考えると、観光客誘致策は、高齢者や女性の層をターゲットにすることが重要と考えます。

 今年は比較的好調に推移した鹿児島の観光でしたが、来年にむけてこの流れをどのようにつなげていくかが課題です。篤姫に続く歴史物語として、「島津斉彬生誕200年」、「集成館事業の世界遺産暫定リスト入り」、「肥薩線開業100年」などを題材に、来年の誘客に取り組む方針です。しかしここにきてアメリカの金融危機を受けた深刻な消費不振と急激な円高が大手自動車、鉄鋼、電機業界などを直撃し、減産や人員削減の拡大、業績の下方修正が相次ぎ、日本経済を取り巻く環境は、厳しくなってきています。このことが、国内旅行にも影響が出てきており、1月から3月までの大手旅行社のパック旅行の予約率は、前年同期を10%程度下回っています。決算期を迎える企業は、出張を手控えるなど需要低迷の予想をはらんでいます。また、比較的順調にきたインバウンドがここに来て、激減してきており、特に韓国からの観光客の落ち込みが懸念されます。ウォンの価値が半減しており回復には時間がかかることが想定されます。航空会社への運賃の値下げ交渉、現地ランド業者への支援、参加者へのノベルティの提供を行うなど誘致対策が急務です。

 ところで今年は、食品や産地の偽装が社会問題となりました。観光客にとっては、宿泊地の「食」がいちばんの楽しみであり、地域に来たことを実感できるいい機会となります。その意味でも、鹿児島は全国有数の農水産県であり、地域で取れたものを地域で消費する「地産地消」を推進することがイメージアップにつながり、観光客誘致に功を奏すると思います。そして鹿児島県が進める「本物。鹿児島」のブランドの定着にむけて、観光客にも強力にPRする必要があります。

 今年県内を回って感じたことは、地域の観光素材が商品とならずに眠っていることです。地元の人はその良さを感じなくても、他県の人から見ればすばらしい商品として捉えることになります。観光商品と売り出すためには、地域をまとめコーディネートする人材の発掘・育成が重要となっています。来年は地域の魅力を再発見し、「地産地奨」の取組みを強化することで、域内観光を重要課題として取り組んでいきたいと思います。

 10月に「観光庁」が発足し、観光振興の重要性が認識されるようになりました。観光振興は今地域総力戦の様相を呈してきました。多くの自治体が、観光によるまちづくりを標榜しており、地域が「訪れて良し、住んで良し」と感じられることが、交流人口が増え地域活性化に繋がると思います。来年も観光振興の一翼を担っていきたいと思います。

与論島への観光客誘致

                                                                   2008年12月15日
 
 与論島は鹿児島から南へ563km、沖縄本島の北23kmに位置し、周囲23kmの隆起珊瑚礁の島です。島はリーフに囲まれ、海は透明度が25~35mと非常に高く、色とりどりの熱帯魚やサンゴなど、命に満ちあふれています。島の魅力がNHKの「新日本紀行」で取り上げられ、与論島は一気にその名が全国的に知られるようになりました。 与論の海
 昭和51年から観光客が増え、60年まで10万人台を維持していました。その大半は夏場に訪れる、女性を中心とした若者でした。鹿児島を出航する船は、デッキまで人であふれ足の踏み場がないほど混雑していました。観光の目的は、日本で一番美しいといわれる与論の海で海水浴を中心としたマリンスポーツの体験でした。中でも「百合ヶ浜」は、潮流によりつくられた沖合に浮かぶ白い砂浜で、青い海と空に映え、人気のスポットでした。当時の宿泊は民宿が主流で、100軒ほどありどこも隆盛をきわめていました。第一次離島ブームは与論島がつくっていました。

 しかし61年頃から、リゾートホテルのオープンや航空会社の大型キャンペーンにより、観光客の流れは飛行機を使って短時間でいける沖縄に移っていきました。また米軍基地を抱えた沖縄は、国の優遇措置による航空運賃の低廉化や免税の措置が施され、観光客誘致が容易となりました。沖縄から先の宮古島、石垣島の開発と航空路線が整備され、本島と併せて魅力が増したことがあげられます。また、全国各地の空港から沖縄路線が開設され、行きやすくなり、沖縄に比べてアクセスの悪い与論島が、敬遠され観光客が減少する要因になっています。

 この度30年ぶりに与論を訪れる機会がありました。当時は年間の観光客が15万人で平成19年の約3倍の人が訪れていました。その内の8万5千人が6月から9月の夏場に集中しています。昨年の同期間は2万人であり、4分の1程度です。その他の期間は大きな落込みはなく、夏場の誘客が課題です。当時賑わっていた百合ヶ浜は昔のままの姿であり、観光客の来島を待っているかのように波が静かに寄せていました。

 今後の観光振興について、南町長と商工観光課の皆様と一緒に議論しました。町長は元観光関連産業に携わった経験があり、観光振興に大変造詣が深い方です。昔の良き時代を熱く語られ、こちらも燃えるものが込み上げてきました。観光客を復活させるためには、まず夏場の誘客をどのように図るかです。全盛期を支えたのは若い女性グループでした。与論の美しい海と砂浜の魅力をいかに情報発信し、商品企画に繋げるかです。 民俗村 メディアを使ったPRや航空会社とタイアップしたキャンペーンが必要と感じました。また、全盛期に訪れた人々は、団塊の世代を迎え、定年退職する頃になりました。当時は鹿児島からの船が主流であり、のんびりとした旅でした。時間的にも余裕のある世代であり、再度島に足を伸ばしてもらうためには、奄美群島を周遊できる船の切符の発売や、航空機の路線を拡大し沖縄との相互観光がしやすい状況を作ることが、観光客を増やすことにつながると思います。都会の人にとって与論島の自然と人情豊かなふれあいは、必ずや琴線にふれる思い出になると思います。

 与論島は今、学生のグリーンツーリズムやブルーツーリズムが人気を博しています。平成2年度は2校でしたが、21年度は18校が来島しています。交通手段は、ほとんどが沖縄経由で、飛行機と船です。沖縄までは大型機が飛んでおりアクセスは問題ありません。今後は滞在メニューを増やしたり、島の長寿の方々や子供たちと生活・文化に触れる交流を増やすなど、島民あげての取組みで、年間を通じての受け皿づくりが必要と感じます。

 滞在中に1組のご夫婦にお話を伺いました。37年前に新婚旅行で来た思い出の地を、再び訪ねる旅とのことでした。道路と家並みは変わったけれども、自然の海と人情の豊かさは当時のままであり、友人に是非勧めたいと語られていました。最近では都会から移り住む人も増えてきています。小説家の森瑤子さんは、与論島をイメージして多くの小説やエッセイを書いていますが、お墓は美しい白浜が望める高台にあります。きっと与論島の魅力に取り付かれた一人だと思います
 短い滞在でしたが、30年前と変わらない与論島の姿に安心しました。美しい自然が残る与論島ですが、しかしこれといった産業がない島にとっては、観光客誘致による経済効果の創出・維持が不可欠と感じました。
 久しぶりに訪れた与論島に思いを込めて短歌を作り、機上の人となりました。

      乙女らの
           騒ぎし夏は幾年ぞ
                      いまも変わらぬ
                               百合の白砂

お盆に思う

2008年8月11日

  鹿児島の六月灯 今年もお盆の季節が来ました。お盆は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行われる祖先の霊を祀る一連の行事です。一般に仏教の行事と認識されていますが、仏教の教義で説明できない部分も多く、日本在来の神道的行事に仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形ができたと考えられています。
 鹿児島では新暦の8月15日にお盆を行うところが、多く見られます。会社を休んで故郷に帰る人も多く、国民的な民族移動が毎年あり、交通機関も混雑します。

 県内では昔から先祖を敬う風習が根強く残っています。帰省した家族全員が墓の前でしばし手を合わせている光景がよく見られます。墓石に刻まれた先祖の名前を見て、子供たちが、自分の命が遠い時代から引き継がれていることを悟り、命の尊さを知る機会になるのではないでしょうか。今世の中では人を簡単に殺したり、親子同士の殺人事件が後を絶ちません。お盆を通して、親子の対話を増やすきっかけにしたいものです。

 鹿児島では、お墓にいつも新鮮な花を飾り先祖を大事にする風習があります。お嫁さんが嫁いで来たときに、姑さんがお墓の管理のしきたりを説いているということで、伝統的にいつもきれいな花が飾られていることが理解できます。1月の「いぶすき菜の花マーチ」では指宿の墓の中を歩くコースが組まれており、参加者は墓の花にびっくりします。またガイドさんは、沿線の墓を見つけて、観光客にバスの中から説明してくれます。

 一方全国的にはお盆に関連する行事が、大きな観光資源と 長崎 精霊ながし なっているところがあります。九州においては長崎県内で実施される「精霊流し」が有名です。他の地域では「灯篭流し」といわれるものです。初盆を迎えた故人の家族が、盆提灯や造花などで飾られた精霊船と呼ばれる船に故人の霊を乗せて、流し場と呼ばれる終着点まで運ぶ行事です。この行事が行われる時間帯は、長崎市内は各所で交通規制が行われます。さだまさしの曲「精霊流し」がヒットし、一段と観光客が増えるきっかけとなりました。
 
 もうひとつは、富山市の八尾町で毎年9月1日~3日に開催される「おわら風の盆」も有名なお盆の行事です。おわらの歴史は古く、元禄の頃始まったもので、かつては8月の中旬に行われていたものが、町の人口が希薄になるその時期をさけて9月に移したものです。涼しげな揃いの浴衣に、編笠の間から少し顔を覗かせたその姿は幻想的であり優美です。それぞれの町で踊りが行われ、山々が赤くもえる夕暮れを過ぎると、家並みに沿って並ぶぼんぼりに淡い灯りがともると、祭りは最高潮に達します。3日間で十数万の観光客が訪れ、必見の価値があります。

 鹿児島でもお盆明の16日に、神社の境内に老若男女が集まって、盆踊りをする光景がかつては多くありました。現在では町内会の祭りとして、公園やまちの広場で開催され、露店が軒を並べにぎやかなイベントに変わりつつあります。地域コミ二ティが薄れつつある中で、祭りのスタイルまでこだわる理由は無いように感じます。お盆の過ごし方も時代と共に変わって来たと感ずるこの頃です。
                                                                      参考「フリー百科事典{ウィキぺディア}」

『住んで良し、訪れて良し』かごしまの魅力

2008年7月14日

移住セミナー  団塊の世代が大量に退職する時代を迎えて、都会から田舎に移住したり、2地域居住を望む人たちが増えてきました。

   先日「かごしま移住セミナーin東京」が開催され、参加者に対して基調講演を行う機会に恵まれました。今、都会の人々が田舎での定住を希望する背景には、次のようなニーズが考えられます。

 一つにはスローライフ、スローフードに形容されるように、静かな環境のもとで、本物の食の追及、健康の増進などを図りながら第二の活躍の場を求めている人が 語らい 増えていることがあげられます。
 二つめには、高度成長期に都会に出てきた人たちが、退職の時期を迎え、都会の雑踏をのがれて、かつて育ったふるさとのすばらしさを見直し、Uターンし故郷に住居を移す人が増えていることも大きな要因です。
また、季節や週末だけ帰ってきて田舎暮らしを楽しむ、二地域居住者も少しづつ増加しています。

 一方、受け入れ強化を積極的に推進しなければならない自治体の現状もあります。
 地方は、少子高齢化による人口の減少、地域の活力の低下、限界集落の増加による地域コミニティの崩壊など多くの課題があります。また、市町村合併により学校の統廃合も進み、旧来の地域の良さが失われたことから、卒業生仲間の交流を増やすことにより活力を取り戻したいという動きもあります。

  ぶどう収穫 都会からの移住を増やすために、鹿児島の温暖な気候、第二位の農業県が生み出す多彩な農産物、豊かな海がもたらす魚介類、庶民的な県民性など都会にない魅力を積極的にPRすることが重要です。
 また、海外や離島を含めた鹿児島空港の利便性、文化施設の充実、多い医療施設などハード部門の充実の宣伝も欠かせません。

 鹿児島に移住するにあたって、土地や住宅の安価な提供、団塊世代の生きがいづくりとして活躍の場を提供することも必要です。
 初めて鹿児島に住む人にとって、言葉の壁や地域コミニティへの参加など障害もあります。住民参加活動へのむりな強制や、共生・協働は弾力的に運用すべきと考えます。

 これからも鹿児島の魅力ある情報を幅広く発信し、定住、二地域居住を促進しなければなりません。各市町村は、積極的に受け皿づくりに努力することが活性化に繋がると思います。

桜島のすばらしさの再認識を

2008年7月7日

「我が胸の 燃ゆる思いにくらべれば 煙はうすし 桜島山」

桜島

  この歌は、筑前(現在の福岡県)の勤王志士・平野国臣の作です。自分の思いを、錦江湾に煙をはいて雄大にそびえる桜島と対比させ、その強さを表現しています。
桜島は鹿児島の観光のシンボルであり、城山の展望台に立つと目の前にその雄姿が真っ先に飛び込んできます。

 桜島はこれまで、幾多の噴火を繰り返し、大正3年の大爆発の時には流れ出した溶岩流で、大隅半島と陸続きになりました。
 桜島は、梅崎春生の同名の小説に取り上げられています。また林芙美子の「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の文学碑がある古里温泉は、彼女の母が育ったところです。

 ところで、桜島について県内の人は、その位置関係はよく解りますが、県外の観光客は鹿児島を訪れてはじめて、鹿児島市から近いことや、しかも時々噴煙を上げる活火山の麓に人々が住んでいることに驚きます。

 いま「篤姫」ブームで市内の関連施設は多くの観光客が訪れていますが、定期観光バスの乗車人員をみると、桜島まで足を伸ばす人は多くありません。やはり桜島の魅力が十分にPRされていないのではないかと考えています。対岸の鹿児島市と湾をはさんで、袴腰地区の賑わいをどのように創出し、渡りたくなる地域にするかが課題です。
 また、湯平展望台から見る鹿児島市の夜景は一級品です。週末にナイトバスを運行し、その感激を味わってほしいと思います。

 桜島には、噴火がもたらす火山灰にもめげず「桜島だいこん」や「世界一小さい桜島ミカン」が育ちます。収穫体験を観光として売り出すのも、観光客を増やす方法です。

桜島ミュージアム  「NPO法人桜島ミュージアム」(福島理事長)では、桜島の観光のあり方を中心としたまちづくりに取り組んでおり、成果が期待されています。

 噴火活動を続けている山の姿は生きた教材であり、しかも住民が近くで共生しており、観光素材としては、世界に類のないものです。
桜島 2


 桜島は天気の良い日は、7回その姿が変わると言われます。鹿児島市民は、借景としてその姿を毎日見ていると、感動を覚えないと思います。もし桜島がなければ、鹿児島市は味気ない街になるかも知れません。桜島のすばらしさを多くの県外客にPRするためにも、1年に数回は対岸に渡り、その魅力を体感してはいかがでしょうか。

大隅地域に光あれ

2008年5月26日

  「大隅地域振興局」の地域づくりのセミナーに参加する機会を得ました。
  プロデユーサーになって初めての講演でもあり、しかも小生が育った地域であり大変緊張をしました。

 大隅地域は20数年前までは、団体旅行としては欠かせないルートでした。観光客は、大型バスで宮崎から日南海岸をめぐり、都井岬、志布志、鹿屋、佐多岬、山川、指宿と途中のドライブインで食事や買物を楽しみ、大隅半島の沿線の魅力を堪能しました。

 その後バブルが崩壊し、団体旅行が減少し個人旅行に変わってきたことや、宮崎から鹿児島までの高速道路網が整備され、大隅半島はだんだんと観光ルートから取り残されてきました。
 地域の努力不足というより、環境の変化やアクセスの整備によりもたらされた要因が大きいと考えています。
 しかしここにきて、地域のニューツーリズムが注目をあびてきました。
 グリンツーリズム、ブルーツーリズム、エコツーリズム、長期滞在、二地域居住などがその代表です。今田舎のくらしに関心を持つ人々が増えています。
 従来の物見遊山的な観光、温泉での豪遊など金の消費から、個人の趣味や価値観を大切にする時間消費型の観光スタイルに変化してきています。
 グリーンツーリズムは、団塊の世代を中心に関心が高まっており、特に教育旅行にはこれから欠かせない素材です。担い手の育成を図り、地域をまとめる人の存在が大事になってきました。

 大隅地域は食材の宝庫であり、美しい砂浜、渓谷など自然にも恵まれています。
また、「お釈迦祭り」、「弥五郎どん祭り」、「流鏑馬」など鹿児島を代表する祭りがあります。
 最近では「ねじめドラゴンボートフェスティバル」「エアーメモリアルin鹿屋」「鹿屋バラ園」もかなり知られるようになりました。ないものねだりはやめて、現在あるものに磨きをかけて、どの地域から、いつごろ、どの層をターゲットに誘客するか分析し、販促していくことが重要です。インターネットの急激な普及により、情報のよりスピーディさも必要です。

 九州新幹線の全線開業まで3年足らずとなりました。 
地域の魅力に惹かれて旅行者は訪れます。大隅地区のブランド力(地域力)が構築できれば、アクセスの不便を忘れて人は集まると考えています。
 これからも、「大隅地域に光あれ」とエールを送っていきたいと思います。