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ぶらりまち歩き/坊津散歩紀行

ぶらりまち歩き
鹿児島・気まぐれ散歩(みんなのツーリズム)

ぶらりまち歩き/坊津散歩紀行

案内人
案内人/東川 隆太郎(ひがしかわ りゅうたろう)

1972年9月3日、鹿児島市生まれ。鹿児島大学理学部地学科を卒業。
2001年NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会の設立に関わり、現在まで専務理事を務める。鹿児島の地域起こしを目的とする他の様々なNPO法人にも所属。温泉、近代化産業遺産、風景街道などをテーマにしたマップ作成や講演活動も行っており、ユーモアを交えつつも、本人はいたってまじめに地域の活性化を考えていたりする。2006年6月より南日本新聞夕刊に、地域資源の発掘を目的とした「世間遺産」を連載中。
NPO法人 まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会 専務理事
道守かごしま会議 専務局長
NPO法人 桜島ミュージアム 理事
NPO法人 NPOさつま 理事 など 



白糖方 ( はくとうほう ) 白糖方 ( はくとうほう )
沈溺諸霊塔 <br/>( ちんできしょれいとう ) 沈溺諸霊塔 ( ちんできしょれいとう )
 深浦造船所跡
 ぼ〜っとしたければ、とりあえず坊津でしょう。
今回も散歩がキーワード。最近は散歩をするにもその際消費されるカロリーが気になるものであるが、たまにはダイエットのことなど気にしないで、本気でなまけもののように散歩を楽しもうと足が向いたのが坊津だった。
とりあえず坊津の歴史をしっかり学習できる輝津館から出発。
独特の海が印象的な地形を眺めながら、ぼちぼち歩いていると、さっそく文化財に出会う。沈溺諸霊塔と呼ばれるもの。文化5(1808)年の11月、坊の港に入港していた船が沈没し、そのとき亡くなった61名を、天保10(1839)年になって供養のために建立されたものがこれである。隣に比較的新しいお地蔵さんが安置されていて、初めての人はこちらと間違えてしまうややこしさも魅力のひとつだ。
海をもう少し見たくて、海岸に沿った道を歩く。
この辺りは、28代島津斉彬が白糖を製造するために工場を設けようとしたが、急死により、建造に至らなかった場所である。だから、エピソードはあるものの何も遺構はない。ただ、異国船を警戒するために設置された台場の跡だけは確認することができる。
ふたつとも誰かに教えてもらわなければ、見過ごしてしまう歴史スポットだ。
坊の石垣 坊の石垣
下浜の井戸 下浜の井戸
坊のまちなみ 坊のまちなみ



地図
 
さらに海の近くまで降りていくと、今度はビジュアル的にも理解可能な文化遺産に出会う。
ひとつが深浦の造船所跡である。その名前の通り、浦が深く入組んでいることから、造船には具合の良い地形をしている。
ここでは、坊の有力者であった鳥原家が150トンの船を建造したとの記録がある。
もうひとつが下浜の井戸である。急斜面に囲まれ、水量の豊富な川には恵まれていない坊津では、水を確保できる井戸は貴重な存在だった。
日常生活において利用する人はほとんどいなくなったというが、水は石室のなかからコンコンと湧いていた。
この井戸のすぐ後ろには滝があり、そこには磨崖仏があるとの情報を得ていたが、まったく分からなかった。こんなに見つからない磨崖仏は珍しいかもしれない。
その滝を下ってゆくと、船戸神社がある。
もともとは岐神(くなど)道祖神と呼ばれていて、中国では境を守る神様だったが、ここでは漁業の神様して祭られているとのこと。
この地域の小字は「こさっどん」と呼ばれ、かつて法度などを記した高札があった場所だという。
ここまで行き着くのに距離はたいしたことないにもかかわらず約2時間もかかり、有名な密貿易屋敷はまだ先というくらい、ぼ〜っとした散歩になってしまった。裏を返せばそれだけ坊津は見どころが多いともいえるのかもしれない。

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