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地球上に体験をもって語ることのできる人はだれもいない130年前の西南戦争で、西郷さんは亡くなった。でも平安時代や鎌倉時代と違って、明治時代はそんな昔ではないし、どこかで現在味と身近さを持って接することができたらなあと思うこともある。そこで今回は、西郷さんをより身近に感じてもらえるようなゆかりの地をたっぷりご紹介。
とりあえず鹿児島市街地からは北に位置する吉野地区からはじめよう。まず、台地上の景勝地でもある寺山の「吉野開墾社」。この学校は、西郷さんが明治6年に新政府と対立し下野した後、設立した学校のひとつである。 ちなみに西南戦争の勃発にも深く関与する私学校の一部でもある。昼間は寺山の原野を開墾しカライモなどを植え、夜は学問修養に励むという、私ならばすぐに退学になりそうな学校だった。 西郷さんはしばしばここを訪れ、生徒たちといっしょに鍬をふるったという。現在は寺山遊歩道の途中に石碑が建立されている。 さて西郷さんは当時、現在の鹿児島中央駅裏付近にあたる武村に居を構えていた。そのため西郷さんは、収穫したカライモなどを馬に積み、寺山から降りてゆかねばならなかった。その証拠となる記念碑が途中にある。 「駄馬落の碑」と呼ばれるもので、石碑には「積荷は唐芋、引き手は西郷南洲翁」とある。この碑の建つあたりで、芋を積んだ馬が畑に落ちたというエピソードが伝えられている。馬からカライモを落としただけでも石碑になるのだから、やっぱり西郷さんはすごい。石碑からさらに坂道を下ってゆくと、実方集落に着く。ここは西郷さんの側近である桐野利秋と別府晋介が生まれ育った地域であり、誕生を示す記念碑も建つ。ふたりはいとこ同士、ゆえにそれぞれの誕生地も近い。 |
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