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かごしま旅情報

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里・上甑 甑島の旅

トンボロ(陸繋砂州)

行ったことのない場所に取材に行くときは、周りの人間にそれを言いふらすことにしている。「あそこからの夕焼けが綺麗だよ」「飲みに行くならどこどこがいいよ」等、運がよければ地元出身の人を紹介してもらえることもあるからだ。
今回も聞いて回ったのだがこれほど皆の意見が殆ど一致するのは初めてだった。
「キビナゴ旨いよ、魚がほんとに旨いから」
くしきの新港から高速船シーホークに乗り込む。上甑島の里港まで約50分の船旅だ。水深が深くなるほど藍色に染まる海を眺めているうちにすぐ到着。
 甑島は、鹿児島西岸沖約40キロの東シナ海に浮かぶ島だ。北から上甑島、中甑島、下甑島に分かれ、南北に約40キロ、天気予報の地図で見るより大きく感じる。一番高い山で下甑の尾岳の604メートル、上甑はそれほど高い山もなく、特に里のトンボロ(陸繋砂州)は有名である。

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姫が喜ぶ鹿児島の逸品



 姫が喜ぶ鹿児島の逸品

いよいよ始まりますNHK大河ドラマ「篤姫」。
薩摩から江戸に嫁入 りしたのは、何も篤姫だけではありませんが、故郷の味が恋しくなることってあ りますよね? 
篤姫は、江戸の味噌が口に合わず、鹿児島の味噌を“お取り寄せ ”していたそうです。
もしも、まだ江戸で篤姫が頑張っているとしたら、贈って あげたい鹿児島のお菓子を選んでみました!


ふくれ菓子
この、ぷくーっと膨れた褐色を見ただけで、鹿児島人なら誰でも分かる、ふくれ 菓子。
薄力粉と重曹、黒砂糖、卵などを使って家庭でも作れる郷土のお菓子です 。焼くのではなく、蒸して作られます。写真は、創業15年、○八ふくれ菓子店の ふくれ菓子、ひとつひとつ手作りの素朴な味わいがたまりません!
全国のデパートなどで行われる鹿児島物産展でも人気を博していること、 知ってます? 抹茶、ココア、黒砂糖、けせん、落花生などのふくれ菓子もありま すよ〜。
○八 まるはちふくれ菓子店 鹿児島市金生町7-21 TEL 099-227-5112
[営] 10:00〜19:00 地方発送も可能。http://www.maruhachi-fukure.com


和三盆のカステラ
押しも押されぬ高級砂糖、和三盆。このカステラには特に質がいいとされる“阿波和三盆糖”を贅沢に使用。甘さって、口の中に入れたら香るものなんだ、と発見。大人味のカステラ。
鹿児島で一番老舗の洋菓子店。新鮮な素材を使い、その旬の果物をふんだんにお菓子に取り込むことはシェフ曰く「当然のこと」。
見た目や量にも細部までこだわって作った宝石のようなケーキを見ていると、食べるのが勿体無い!
フランス菓子 一公 鹿児島市加治屋町16-1 TEL099-224-4737
[営] 9:00〜20:00(月曜のみ〜19:00)[休] なし



梅木商店の餅

お正月といえば餅。雑煮に入れたり網で焼いて醤油を垂らしたり、もちろんそ のまま黄粉をまぶしても。
元はこんにゃく屋さんだったが、餅、かからん団子やあくまきなども作るようになった。その昔ながらの素朴な風味が口コミで広がり、今では全国(!)から注文が届くのだとか。
保存料、着色料など一切使わない、懐かしい味わいをどうぞ。

有限会社梅木商店 南九州市川辺町平山6794 TEL 0993-56-0126
山形屋デパート、ドルフィンポート故郷市場でも販売、全国発送も可能。


栗黒丸
明治17年創業の和菓子店。熱心なファンの多い、知る人ぞ知る銘菓だったのだが、やはりというかとうとうというか、全国のお土産コンクールで理事賞を受賞。
栗の甘露煮をこれまた栗餡で包み、黒糖風味の羊羹生地で薄く包み込んだ和菓子。1日で完売してしまうほどの人気なのでお早めに!
薩摩菓子処 国分とらや本店 鹿児島県霧島市国分中央1-7-54 TEL 0995-46-1117
[営] 9:00〜18:00 [休] なし
国分とらや スイーツオゴジョ アミュプラザ鹿児島店 鹿児島市中央町1-1 TEL 099-206-2777 [営] 10:00〜21:00 [休]なし 全国発送も可能





篤姫はどんなものを食べていたの?

ー嘉永4年島津斉彬御家督御内証御祝膳ー

尚古集成館には江戸初期から明治前期にいたるまでの島津家伝来の料理関係の文書が100点以上も残されています。それを元に、島津興業と指宿 白水館の共同研究チームがその料理と味を再現しました。当時でいえば最高の料理だったに違いありません。その宴席には篤姫も招待されたことが記録に残っています。

仙巌園と指宿 白水館では大河ドラマ篤姫の放映に合わせ期間限定で2008年から上記の篤姫ゆかりの食事、嘉永4年島津斉彬御家督御内証御祝膳ー篤姫の食した料理ーを事前予約制で味わうことが出来る。
お値段は15,000円で、基本的には夜の和食の特別コース。ただし仙巌園ではお昼用に品数を少なめにアレンジした昼食用の「篤姫の食した料理」も10,000円で提供する予定。いずれも要予約。
同料理は篤姫の好んだ食材や錦江湾産の鯛など地元産の食材も盛り込んで作られており、篤姫が斉彬らの藩主就任祝いの宴席で食べた料理の雰囲気を味わいながら食することができる。

● 協力/「篤姫の食した料理再現」プロジェクト
● [問] 仙巌園 099-247-1551 指宿 白水館 0993-22-3131

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南大隅/照葉樹の森を訪ねて



 照葉樹の森へようこそ

「一枚の写真を見て、奄美か屋久島の森だと咄嗟に思ったのだけど、違った」
鹿児島県の観光会議で参加者が興味を持った場所があった。その写真には大隅の森が写っていたのだそうだ。
大隅半島を“自然”という視点から見たとき、連なる山々はとても深く、薩摩半島とは明らかに違う姿を魅せる。


 照葉樹の森が残っているということは、人の手が入らない自然が守られているということだ。開発が進むと落葉樹が増え、人工林は針葉樹林が多い。はるか昔、温帯に属する日本は、照葉樹の森に覆われていたはずである。

 大隅半島の南に、西日本最大級の照葉樹林があることをご存知だろうか。
稲尾岳、木場岳一帯の森林には、タブノキ、イスノキ、アカガシなどが古来の姿をとどめ、ルリビタキなどの野鳥、昆虫、サンショウウオなどの両生類が普通に生息している。
ここは、国から「森林生態系保護地域」「自然環境保全地域」「天然記念物」の指定を受けており“照葉樹の森”として、未来へ向けて残していく貴重な森として管理されている。







 誰でも気軽に散策できると聞き雨の降る中、管理事務所に向かった。
管理事務所は「稲尾岳ビジターセンター」として機能しており、照葉樹全体の情報センターの役割も果たしている。事務所といっても、たくさんの昆虫の標本や、本、森の生き物たちを開設したパネルなどがあり資料館に近い。一角には、木工細工を作れるスペースや森林学習を行うスペースがあったりと、十分勉強ができそうだ。ちなみにここには電気が通っていない。太陽光発電で必要な電力量を全てまかなっている。

 雨が降っているのが気になったが、合羽を着込み森に入った。特別に案内してくださったのは“照葉樹の森”管理事務所主任の東顕さんだ。「子供たちが遠足で来ると、『いつも同じ道歩いて飽きないの?』って小学生に聞かれます。全然飽きないよ~、って答えます」片道1時間以上の通勤時間も全く苦にならない。そんな東さんと歩くのは西口コース、片道1時間ほどで川の源流を目指す。
整備された山道はない、その代わりに、迷わないようオレンジ色の番号札がかけてある。清流に住むサンショウウオに出会えるだろうか。

 森に入って驚いた。写真でしか見たことのない屋久島の原生林を思い出した。
緑は雨に濡れしっとりと重く、苔むした石が幻想的な雰囲気を醸していた。突然羽ばたく鳥の羽音、足元を流れる川の音、虫や鳥の声。木の根っこに躓きながらもどんどん上流まで上る。「森の外は本降りになってきたみたいですね」。
確かに、耳をすませば雨の音がする。でも森の中は霧状の雨が漂っているだけだ、そうか、緑が傘になってくれているのか。空を見上げると幾重にも重なった木々の緑から、雨粒が数滴落ちてきた。
岩にふさふさした、緑色の毛皮のような苔が生えている。触ると赤ちゃんの柔らかい髪の毛のようで気持ちがいい。苔に触ってみたくなったのは生まれて初めてかもしれない。「これはヒノキゴケといって、別名“イタチの尻尾”です。触ると気持ちいいですよね」すかさずガイドが入った。「これは“ナルコユリ”、忍者が使う鳴子に花のつき方が似ているんです」。
名前が分かると途端に愛着が湧くから不思議だ。図鑑で写真と名前を比べても覚えられないのに、実際に見ると一発で覚えてしまう。「これはマムシ草の実です」「あ、そこの穴に蛇が住んでいるんですよ。ヒバカリっていう蛇で、小さいし噛まないし大人しいし毒もないのですが、鎌首をもたげる姿に迫力があるので、昔は、もし噛まれたら、命は“その日ばかり”だと思われていたからこんな名前が付いちゃいました」。日頃、街中でアスファルトの上しか歩かない人にとっては大冒険だろう。





サンショウウオの子供に出会えたのは源流に近くなってからだろうか、流れが淀んでいる岩陰に、5センチほどのサンショウウオがいた。
大人は20センチくらいなのだという。小さきものは皆美し、手足をバタバタさせながら泳ぐ姿が何とも言えず愛らしい。
種類は「オオダイガハラサンショウウオ」、奈良県の大台ケ原で最初に発見されたことでその名前がついた。子供は黒っぽいが、大人は美しいメタリックブルーの体色をしている。

 源流に到着した。下流の豊満な水の流れからは想像ができないほどのわずかな水が岩と岩との間で光っている。この一滴一滴が長いこと旅をし、森を潤し、川となり、海に注がれていく。いわば森の血液のようなものだ。
「この木を触ってみてください」東さんが指をさす、すべすべした木肌を触ってみた。ほんのり冷たい。「木の中に水が流れていて、これは他の木よりその管が表皮近くにあるんです。夏に触ると冷たくて気持ちがいいから、みんな触りたがって表面がツルツルになってしまって」と笑う。子供たちがはしゃぎながら競って木肌に頬ずりする様子が目に浮かぶ。木は根っこから水を吸い上げて、葉っぱで養分を作って…“私たちと同じように生きているんだよ”、教室ではできない授業を通して、大人も子供も何かを感じ取れたなら遠足は大成功だ。
今回はここで引き返したが、ここからまだ進めば稲尾岳の頂上に行くことができる、途中まで戻り、滝めぐりコースを歩いてみるのもいい。片道20分ほどで歩けるせせらぎの小道はもっと気軽、他にも、丘の道コースや木場岳登山コースなど体力や見たいものにあわせてさまざまな自然観察コースが用意されている。
なにせ、保全林の面積は1004ヘクタール、使い古された例えを使えば東京ドームが210個ほど入る。

 かつて日本にはこのような照葉樹の森がいたるところにあったはずだ。人々は、生き物の一員として森に畏敬の念を抱き、その恵みに感謝し、共存しあって生きてきた。その時代にはもう二度と戻れないだろうと考えたとき、私たちは、残されたこの自然の意味と価値をもう一度認識することができる。

鹿児島県照葉樹の森管理事務所

鹿児島県肝属郡錦江町田代麓久木野5166-647 電話090-7388-7470(衛星電話)


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豊潤の秋 鹿児島の秋/大口・湧水



 水ぬるむ春に田植え、抜いても抜いても生えてくる草に根気強く付き合う、夏。そして台風を気にしながらの早秋。立派に実った稲が頭を垂れるまでへの道程は容易ではない。 美味しい米を求めて、鹿児島県大口市に向かったのはちょうど夏まっさかり。

イメージ
 大口、伊佐地方の米の美味しさは、水の美味しさにある。大口市内から北へ10数キロクルマを走らせると奥十曽渓谷(左写真)がある。十曽川に沿って九州自然歩道があり、水が瀬を越える音を聞きながらさらに山へ向かうといくつもの滝を見つけることができる。白蛇の滝、行者の滝、おしどりの滝、冷水の滝と続く。
真夏にもかかわらず、冷たい水。透明度も申し分ない。熊本、宮崎に跨がる標高969mの国見山をはじめ、標高877mの宮ノ尾山などが連なる国見山地に蓄えられた豊富な恵みだ。

さて、右の写真は鹿児島県と宮崎県の一部に見られる、田の神様。“たのかんさぁ”と親しみをこめて呼ばれている。五穀豊穣を願っての田圃の神様は、稲刈りが終わると山を守る神様になるとも伝えられる。県内では、メシゲ(杓文字)と椀を手に持った田の神舞型の“たのかんさぁ”を多く見るが、現存する最も古いものでは、1705年(宝永2年)に建立された仏像型の田の神さまが今も田圃を守っている。
田の神





 “ライス郷井手口”の奥十曽渓流米が作られている田圃にお邪魔した。
大口・伊佐地方で作られる伊佐米は全国区で有名なのだが、鹿児島県内では意外にもあまり知られていない。
見渡す限りの田圃(たんぼ)の一部に、グワグワと賑やかなアイガモがせわしなく走り回っている。ご婦人ふたりは、草を抜いている。取り除くべきは、稲に擬態している稗(ひえ)。
さて、草取りを人間がしているのに、なぜにアイガモが必要なのかと疑問を持たれる方々も多いと思うが、田圃の中には稲の生育にマイナス要素となるものがいくつもある。人間が取り除くことが難しい害虫や雑草をアイガモたちが食べてくれているのだ。またアイガモたちが通ったあとの田圃の土は上手い具合に撹拌されて、土に空気が入り活性化にも役立っているのだ。このアイガモたちが実に可愛い。ご婦人達が、ぴーちゃんと声をかけると皆で一生懸命働く。そして昼休みになって食事に一旦引き上げると、彼等も自分たちの小屋で暫し一休み。豊かな土壌には、蛙が棲み、トンボが舞う。

ライス郷 井出口 鹿児島県大口市山野469 TEL0995-22-7264



湧水町

 湧水町には、環境省が選定した日本名水100選の“丸池湧水”がある。
鹿児島県では3つあるうちのひとつで、1日に2〜3万トンの水がいたるところから湧き出している。特筆すべきはその場所。JR栗野駅のほぼ真裏。これほどまでに交通の便のよい場所にありながらも、美しく整備された景観と、まるでそこに何もないように透き通っている池の水は、地元住民がはるか昔からその水源を大切に守ってきた証拠だ。実際に、栗野町のほとんどの生活用水をこの湧水でまかなっている。
湧水町は霧島連山の西、栗野岳の麓に位置することから伏流水も豊富。特に写真の丸池湧水はこんこんと湧き出ているところが、いつでも見ることができる。

湧水町は幸田の棚田米が有名だが、美味しい果物もたくさん穫れる。
今でも普通に使う“たわわ”という言葉。「かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが…」。吉田兼好の徒然草の一説である。枝がたわむほどの果物が木に生っている。その“たわわ”な情景に、思わず舌なめずりをしたくなるのは鎌倉時代の兼好法師も平成時代の現代人も一緒である。
 湧水町にある荒川重義農園で、思わず舌なめずりしたのはぶどうだ。農園に入る前からぶどうの甘い芳香が漂い、匂いだけでどれほどジューシーなのか分かってニンマリとしてしまう。農園のオーナー、荒川さんと奥様が家族総出で端正こめて作ったぶどうは、およそ10種類。山奥の涼しい敷地に入ると、ちょうど頭の高さに、濃い紫色の大粒のぶどうが零れんばかりに生っている。


 
 「まぁ、どうぞひとつ」と、荒川さんがもぎってくれたぶどうをひとつ口に入れた。汗をかき、のどを乾かしていた身体にじんわりと、ぶどうのジュースとその甘さが広がっていく。皮まで柔らかく、飲み込んでしまいそうだった。8月のお盆過ぎから9月の終わりまで、誰でもぶどう狩りが楽しめる農園だが、他の農園のように“何時間取り放題”ではない。収穫したら収穫した分だけ重さを量って代金を支払う。今年は大体1キロ(2〜4房)で約1200円。
7月の終わりから「いつ収穫できますか?」という電話が殺到するのも無理はない。ちなみに自分で狩らずに、購入することも可能で、全国発送も受け付けている。
農園までの道程、僅か数分だが、足下を見ていると季節の移り変わりが感じられる。取材に伺ったのは、8月の初旬だったが、湧水町の里山は、秋が訪れはじめていた。

荒川重義農園 鹿児島県湧水町木場1580
TEL0995-74-5726 営9:00頃から 休不定休(要問い合わせ)
*人気なのでお早めに。今年は敬老の日前後がピーク。 問い合わせてから行くのがベター。

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奄美大島/名瀬の歩き方



 飛行機の窓から見える、濃いエメラルドブルーの海が一瞬近くなったかと思うと
音もなく飛行機は小さな空港に降り立った。
「いもりんしょーれ」とは奄美の言葉で「いらっしゃいませ」の意。
空港のあちこちに飾られる南国の花たちに笑みがこぼれる。


 奄美の出身者であれば「名瀬の屋仁川通り」と聞いたら、何を思い出すのだろう。黒糖焼酎か、島唄か、はたまた美人の女将か。その通りは、昼は飲食店や雑貨屋が並ぶ商店街で、夕方になるとあちこちに明かりが灯る飲み屋街になる。 奄美随一の繁華街、名瀬市を歩く。

ホテルで夕食時にいただいた「あおまつ」という刺身の味が “魚は南より北の方が美味しいような気がする”という浅はかなイメージを払拭してくれた。
翌朝、奄美の魚事情を知りたくて、午前中の忙しい時間に、前川鮮魚店さんをたずねた。威勢よく働く皆さんに申し訳ないと思いながらも、ケースに並ぶ魚はどれも珍しく「これは何の魚ですか?」「この貝は?」と質問。
12キロの“クエ”の恐ろしい顔、“トビンニャ”という貝は飛ぶからそんな名前がついたこと、奄美では赤身より白身のほうが高級魚とされること、などなど、目から鱗の連続。







   永田橋市場でお茶していたおばあちゃんに出会った。笑顔が素敵だったので、名前を聞くと、「名前?いらん!」と返されたが、以前はたくさんの店が軒を列ね、賑やかだったそうだが、今は2・3軒が開いている状態。お茶をいただきながら、永田橋市場の今昔を聞かせていただいた。

 名瀬の中心地からクルマで10分のところにある大熊漁港(だいくまぎょこう)には、鯉のぼりならぬ“鰹のぼり”が上がる日がある。鰹が揚がった時の合図だ。その日獲れたばかりの鰹をその場で捌き、刺身にしてくれて販売している。500円で2人〜3人は食べられそうな量。“鰹はたたき”派の人にこそ食べてみて欲しい、新鮮でなければ味わえない美味しさ。

 ダルマ市場通りに、観光バスがとまる八百屋があるらしい!
「@やっちゃば」。島の野菜なら何でも揃う。そこで見つけた「野性の証明」。奄美で作られたトマトだが形が、小さなナスのよう。昨今の甘いだけのトマトとは一味違って、小さな頃に食べた、青臭くぎゅっと旨みのつまったトマトの味がした。
忘れてはならないのが、もはや高級品となってしまった島バナナ。台風に弱いことや栽培の難しさ、供給量が少ないことが、高値の理由だとか。吊るして黄色くなるのを待ち、触って少し柔らかくなってきていたら食べごろ。


 夕方になると、といっても夏の奄美は19時を過ぎてもまだ明るい。飲み屋街に明かりが灯り始めると、仕事帰りの老若男女が集い、宴が始まる。黒糖焼酎に地元の旨いもの、そして島唄。
奄美の島唄が沖縄のそれと違うのは、全て男女の掛け合いで唄が成り立っていること。よって、こちらのテーブルで誰かが歌い始めれば、あちらのテーブルの知らない人が唄に参加してくれたり、店主自らが唄い手だったり。その名の通りの「飲めや唄えや」が繰り広げられる。
写真は「居酒屋 ならびや」。新鮮な刺身、もずくの天ぷら、などの料理は観光客にも好評。地元の人に言わせると「置いてある黒糖焼酎の銘柄の数は名瀬で一番なんじゃないか?」。
また、面倒見のよいオーナーの和田さんを慕って、若い島唄の奏者がよく集まることでも有名だ。ただ、最近よく「時間がないが島唄だけ聞かせて欲しい」と、飛び込んでくる観光客が増えたことで少し迷惑をしている店もあるのだとか。居酒屋さんで聞かせてもらえる島唄は、あくまで宴会の席での楽しい時間だということを忘れてはならない。
 飲んで唄った次の日、名瀬漁港で行われるセリを見学しにいった。朝6時30分。見たことがない魚がたくさん並んでいた。
赤い、青い、大きい…名前を知らないのでそんな表現しかできないが、とにかくどれも美味しそうであることは間違いない。
キョロキョロと挙動不審に、セリを見守っていると、知らないおじさんが隣で説明をしてくれた。「魚に貼り付けてある紙は、1キロ単位の値段。これは1260って書いてあるから掛け算で値段が出るよ、それでその上に書いてあるのは決まった買い手の名前だ。見ていてご覧、多分あの魚は1キロ700円くらい…ほら当たった」。
セリを進めるお兄さんの声を必死に聞くのだが独特で意味を聞き取ることができない。しかもセリと言えば、男性的でワイルドなイメージだが、セリ落とそうとする人たちの半分は高齢の女性だった。


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奄美大島/小さな集落を訪ねて



 奄美の地図を広げると、読みの難しい地名がたくさんあることに気が付く。
スケジュールをきっちり決めて用意万端で行く旅もいいけれど、のんびり奄美の道を走って「おっ」と思ったところで途中下車。そんな旅も悪くない。


西郷南洲謫居跡
 西郷隆盛の島嫁、愛加那。龍郷町の住宅地内部にひっそりとたたずむように彼女の墓がある。すぐ近くに「西郷南洲流謫地跡」とあるのは、西郷と愛加那が短い新婚生活をおくった家。今は当時を忍ばせる資料館として、3代目にあたる当主龍さんが管理している。右の写真は西郷さんが出かける時に携帯していた枕。愛加那は、2人の子供を身ごもったが、全て西郷本家にひきとられ、この家に暮らして2ヵ月後に西郷も召喚、ひとり寂しくここで余生を過ごし、明治35年に65歳で亡くなった。

 国道を走っていると、小学校を見つけた。最近は物騒だから学校の見学は無理 だろうな、と思いつつ校舎を覗いたら、ちょうど給食を運んでいた生徒たちが元 気な声で挨拶をしてくれて、「どなたか先生はいらっしゃいますか?」と尋ねた ら校長室に案内された。  「ここ、秋名に赴任して2年になりますが、もう、それはそれはいいところです」。校 長先生がそう語る秋名小学校は創立130年の歴史を持つ。ここ秋名集落は奄美の中でも“特に昔ながらの奄美が残っている”と言われる。
そういえば毎年数多くの観光客が押し寄せる「平瀬マンカイ」や「ショチョガマ」などの豊作を願う祭りも、秋名集落の伝統行事だ。奄美では珍しく稲作が盛んな地域としても知られ、田園風景は一見の価値。
携帯枕





 村のほとんどを山林が占める住用村。天然記念物のアマミノクロウサギやルリ カケスなどたくさんの貴重な生き物が生息している。特に住用湾に広がるマングローブ原生林はその北限で、カヌー・ツアーが大人気。流れが非常に緩やかで、しかも浅いから初心者でも、というより小さな子供もお年寄りでもすぐにコツをつかんで楽しめる。
案内をしてくれたのは、奄美アイランドサービスのガイド、川村さん。植物の生態や鳥の鳴き声、奄美の観光案内など、冗談を交えつつも巧みで丁寧なガイド。「ほら、今あっちから聞こえたフィーフィーフィーって鳴き声。“月日星ホイホイホイ”と鳴いているように聞こえるから『三光鳥』と名前がつきました。今そこを横切った尻尾の長い鳥、あれです、あれ!」
満潮のときにはジャングルのようなマングローブの間を漕ぎ行き、干潮のときには干潟に上陸して砂に隠れた生き物をみせてくれる。シオマネキやトビハゼに大人も子供も時間を忘れて夢中になる。
「奄美は海の匂いがしないでしょう? 気が付きましたか? 海が綺麗な証拠です、潮の匂いっっていうのは基本的に魚介類の腐敗した匂いですから。奄美の海はそれがないんです。ここは海と川の水が混じる“汽水域”です。ですから実にいろいろな種類の生き物が見られます」2時間たっぷり、飽きることなどあるはずがない。

 加計呂麻は、奄美大島南部に位置する島。ダイビングのメッカで、いたるところにダイビング宿がある。そしてここは、「男はつらいよ」最終作「男はつらいよ/寅次郎紅の花」の舞台としてあまりにも有名だ。
瀬戸内町から加計呂麻島には、フェリーを利用するか海上タクシーと呼ばれる海を快走するタクシーを利用しなければ渡れない。映画では、女優の浅丘ルリ子扮するリリーさんが乗っていた。ちなみに海上タクシーを操縦していたのは田中邦衛さんでした。
 デイゴはあまり背は高くならず、横に広がりながら成長していくので、その白い木肌とあわせて独特の印象が残る。インドが原産といわれ、材が柔らかく加工しやすいことから漆器の材料としても使用される。濃く赤い花が特徴的だ。奄美ではたくさんデイゴの花が咲いた年には台風が多く上陸するというジンクスがある。

 奄美が美しいのは海だけではない。もちろん島の自然は宝物だし、食べ物も美味しかった。だが旅を終えて思い出すのは、奄美の人々の優しさだった。

   宝の食 宝の人 宝の島  奄美大島


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映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」舞台、知覧町を訪ねて



[ 映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」5月12日より全国東映系ロードショー ]



「みんな輝いていた少年たちだったのです」
 その視線の先には、嬉しそうに子犬を抱く特攻兵の写真が飾ってあった。
鳥濱明久さんは、特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんの孫にあたる。今は「鳥濱トメと特攻隊員の資料館」として復元された“ホタル館”の館長として、その歴史を伝え続けている。
 ホタル館は、昭和3年、知覧町に富屋食堂として創業し、昭和18年に“大刀洗陸軍飛行学校・知覧分教所指定食堂”として認定された。
行動範囲の限られる兵隊たちは、この富屋食堂に通うことを楽しみにしていたという。
女将であった鳥濱トメは、全国各地から召集された若い兵隊たちの母親代わりとして慕われていた。
 鳥濱明久さんは、戦後生まれ。特攻兵たちの姿を見たことはない。誰もがあの痛ましい戦争を忘れたかった時代、日本の高度成長期の真っ只中に生まれた明久さんは、毎日観音堂に参拝するトメの後姿を見て育った。
「その頃は、戦争のことを語りたがる人はあまりいませんでした。観音堂にお参りする人もほとんどなく、でも祖母は89歳になるまで毎日参拝し、献花をかかさず、亡くなった特攻兵の話をしてくれました。何度も聞いたので、名前を聞けば顔が思い浮かびますし、どんな方だったかずっと頭に残っています。でも、こうやって資料館を作って、語り継いでいこうとは思っていませんでした」
 特攻兵の遺族が訪れ、「トメさんの孫なら何か聞いていないか」と聞かれるたびに、頭の中に入っていた、祖母からの話が口からあふれ出したという。
知覧町には特攻平和会館があり、そこには特攻兵たちの写真や遺品、血書や寄せ書き、手紙などが展示されているが「特攻平和会館が男性的なら、富屋食堂は女性的なのです」と鳥濱さんは語る。


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西南戦争終決130年



[ 西郷隆盛の足跡を辿る ]

西郷隆盛銅像(城山)
 明治維新という歴史の大きな節目の渦にいた西郷隆盛。西郷隆盛が亡くなってから130年の今年、鹿児島県に残る西郷隆盛の足跡を辿った。

*西郷隆盛銅像(城山)
巨大な西郷銅像。台を含めると8メートルにもなる。昭和12年に安藤照によって制作されたもの。記念撮影スポットとして観光客がたえない。夜はライトアップされる。

*南洲神社
ある意味、鹿児島で一番の史跡なのではないだろうか。泣く子も黙る西郷隆盛の墓にはいつも花がたえない。西郷さん、今の日本は、薩摩はどうですか? そう墓前に問いかけたくなる。別府晋介、村田新八などもここに眠る。桜島のビュースポットとしても有名。
他に、NHK大河ドラマ「飛ぶが如く」では、ロケ場所としても使われた山川鰻温泉や月照上人との心中事件の際、月照は亡くなり、西郷はこの家で一命を取り留めた、蘇生の家。

終焉の地は「晋どん、もうここらでよか」。城山の洞窟に5日間籠もった後、西郷がそこからわずか300メートル、650歩、歩いたその時に、腰と大腿部を撃ち抜かれ、別府晋介の介錯により自害した。明治10年、西郷隆盛49歳、壮絶だったであろう男の生涯が幕を閉じた。
県内には西郷隆盛所縁の地がたくさんある。巻末の地図を参考に尋ねられてはいかがだろう。


南洲神社
西郷隆盛 誠実な生に共感

西郷隆盛はどんな人物だったか。長年、西郷研究をしているが、人となりを一語で表すのは難しい。
聖人君子を志し、幾多の辛酸を経て自己を磨いた人だから、凡俗には真の姿が見えにくい。同時代の慧眼の士の評を拝借すると、まず人物の大きさー幕臣中の切れ者、勝海舟は「天下に恐るべき者」として横井小楠と西郷隆盛の名を挙げた。
西郷については「相手の腹中に誠を置くその大胆識(胆力と知識)には恐れ入った。こちらの腹の底を見透かされているようで欺くことができなかった」と、肝の大きさと誠実さに兜を脱いだ。
海舟の弟子、坂本龍馬も沖永良部島に獄中の西郷を訪れ、品定めをした。
「釣り鐘のようだ。大きく叩けば大きく響く。小さく叩けば小さく響く」と語った。
 次に志操の高さー内村鑑三は「最後の武士」と評した。勇猛にして果敢、敵に寛大な仁将、身命を賭し志に殉じた生きざま『敬天愛人』の思想など、いずれの点でも「代表的な日本人」にふさわしい徳を備えた人間として記述した。
 さらに独特の風貌_平生は「黒いダイヤのような大きな瞳」(アーネスト・サトウの評)と慈愛に満ちた温容、ユーモアで人を和ませた。西南戦争で薩軍に加わった中津隊隊長の増田宋太郎は「一日接すれば一日の愛、十日接すれば十日の愛が生じる。どうしても先生のもとを去ることができない」と仲間と別れ、城山で西郷とともに散った。温容も一度、相手への不信の念や感興を催すと、威厳に満ちた表情に変わり、膝が震えて床までがワサワサと揺れるほどのエネルギーが充満した。まさに君子は豹変するのである。 


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