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かごしま旅情報

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鹿島・下甑 甑島の旅


 瀬々浦にあるナポレオン岩は、写真でみるより圧巻の大きさ。何しろ高さが127メートルもある。
横からみた姿が皇帝ナポレオンそっくりだったことから名付けられた。甑島に以前あった中学校の教頭先生が40年ほど前に言い出したのが始まりだとか。ナポレオン岩はその大きさゆえに、いくつもの眺望スポットがある。
専用の展望台から見たものは、右手にナポレオン岩、左手に集落、とそのコントラストが面白かった。瀬々浦港から見上げる姿も迫力満点。

 テレビドラマで話題になったDrコトーは、甑島の診療所がモデルになっているというのは有名だが、ドラマの中に出てきた「しんきろうの碑」が実際にあることをご存知だろうか。
下甑島青瀬で医師をしていた故平田清さんは、往診の途中の山道で、海の向こうにビル街のしんきろうを見た不思議な体験を歌に詠んだ。ちなみにここからもナポレオン岩を見ることができる。

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姫が喜ぶ鹿児島ー第2特集



[ 薩摩犬 ]

 姫は動物が好きです。宮尾登美子作「天璋院篤姫」によると、篤姫は犬が好きでしたが、夫である家定があまり好まなかったとのことで、猫を飼っていたそうです。
犬といえば、上野の西郷さんが連れている愛犬ツンは“薩摩犬”という犬種です。今は純粋な薩摩犬は残っていないのですが、その薩摩犬を復活させようと頑張っている方がいます。薩摩犬に会いに、薩摩川内市へ足を運びました!





「鹿児島をこよなく愛する、薩摩犬ブリーダー」
 主に猟犬として飼われていた薩摩犬。特徴は主人に忠実、やたらに吠えず動作が機敏という、最近のペットブームに疑問を感じている愛犬家にはぜひ会わせたい利口な犬だとものの本に書いてあった。
猟犬の特徴を持つ、と聞いていたので少し怖いイメージなのかと思いつつ、案内してくれたのは、薩摩川内市に住む箱川政己さん。頂いた名刺には、NPO九州エコ・グリーンヘルパーとあり、裏には、「薩摩川内がらっぱ共和国 大統領」「川内川流域連携ネットワーク 副会長」「薩摩川内特産品協会 副会長」…と続いていた。「あの…本職は?」とお尋ねすると「鹿児島好きのただの看板屋です」と仰る。
箱川さんが飼っている薩摩犬は現在2匹。他の種類の犬と交配を重ねてしまったために、純血な薩摩犬の系統はほぼ失われてしまったが、調査の結果、甑島の山中に薩摩犬が残っているとの情報を元に、2匹を捕獲、交配を重ねて、今までに約40匹の薩摩犬を里子に出したと言う。
 「ワンっ! ワンっ!」、主人の気配を察したのか、けたたましい犬の鳴き声が聞こえてきた。箱川さんは郊外の山を丸ごと買い取って、そこで薩摩犬を飼っている。本来山犬である薩摩犬を育てるのに絶好の環境だ。2匹の犬の名はタケ(メス)とサクラ(オス)。タケの方が年上で、サクラが年下、姉さん女房なのだという。それにしても、少し狼に似た獰猛な顔つきを想像していたので、タケの愛想のいい顔にメロメロになってしまった。ちぎれんばかりに尻尾を振ってじゃれて来る。サクラはまだ若いのが態度で分かる、どことなく顔も凛々しい。可愛い…。「山の中を散歩しましょうかね」、そういうと箱川さんはタケの首輪を外した、サクラはまだ若いから離さないが、タケは山を自由に走り回ることができる。

 そうそう、この山の中にはたくさんの河童がいる、といっても人形だ。川内川流域には河童伝説が現在でもたくさん残っている。そんな自然を残したいんですよね、と語る箱川さんの目の前の斜面を、タケが勢いよく駆け上っていく。「なぜ薩摩犬を復活させようと思ったんですか?」と聞くと、「戌年だからですかね…鹿児島も犬も川内も好きです」。

薩摩犬保存会 鹿児島県薩摩川内市東郷町斧渕260-10996-42-2128
* 薩摩犬を飼いたいという方の里親希望が多数寄せられています。ご希望の方は早めにご連絡を。


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さつま焼きの里を訪ねて/美山



 鹿児島市からクルマで1時間。電車では東市来駅から程近い場所にある“美山”。
他のどこにもないような独特の雰囲気を町全体が醸している場所である。
 緑多い閑静な住宅地の間に点々と「窯」の文字があり、「工房」や「細工」や「陶窯」「陶芸」もある。美山はさつま焼の里なのだ。


 その歴史を紐解くと、1598年頃、高い陶芸技術を持っていた朝鮮から、多くの藩が陶工たちを日本に連れ帰ったことから始まる。薩摩藩に陶工たちを連れ帰ったのは、千利休の弟子でもあった島津義弘公。

1867年のパリ万博では「日本国」とは別に「薩摩国」でさつま焼きの出展を行い、その焼き物の完成度に欧州の話題をさらったというさつま焼。
晩秋の美山で芸術を楽しみませんか?




荒木陶窯

「作ることが好きなんですよ、小さい頃から」 荒木陶窯ー荒木秀樹さんー
 取材に伺った日は、荒木さんが高校で陶芸の講師を1日中務めてきた日だった。土の塊をポン、とろくろの上に乗せて、柔らかく成型していく様が荒木さん自身、どこか楽しそうなだ。これまでも数え切れないほどの湯呑みを作ったはずなのに。思わず「なんだか面白そうですね」と、軽口を叩いてしまった。「面白いですよ~、こんなに面白いことで生きていけるのなら、これほどいいことはないというほどです」。そう嬉しそうに答えながら、ひとつ、またひとつ大きめの湯呑みが荒木さんの手から生み出されていく。
 荒木秀樹さんの先代は、厚生労働省が選出する「現代の名工」に選ばれたひとり、荒木幹二郎氏だ。それを継ぐ秀樹さんにプレッシャーがないわけがない。「まぁ、運命を受け入れてやろうかな、なんて思いました。でもいいとこのボンボンじゃ駄目だなと」その思いからか大学では彫刻を専攻し、研究生まで進んだ。25歳のとき鹿児島へ帰り、父幹二郎氏に師事、現在に至る。「刺激を受けることは忘れないようにしています、インスピレーションも他の作家も刺激が多くて、東京や海外へ行くとちょっと焦って、美山に戻るとのんびりする(笑)、そのバランスがいいですね。よい友達を作りたい、それが目標です」。
 とあるデパートで行われた個展のパンフレットには「これからも、自分に正直な作品を作っていきたい」とあった。飄々とした物言いと、しなやかな身のこなしに隠れた、荒木秀樹という陶芸家の“ひたむきさ”を垣間見た気がした。





未来薩摩圭介窯

 「常にアイディアを模索しています、“これ使えるかな”って」未来薩摩圭介窯―永吉圭介―  名前に惹かれて尋ねると、金髪にジーンズの男性が迎えてくれた。
「何だか未来的だね」。そう圭介さんの作品を評した友人の言葉の響きを気に入って窯に名前をつけた。
「ジャンルとしては“現代陶芸”です」
 何しろ経歴が面白い。父親はもともと美山の陶芸家だが、圭介さんの生まれは東京。
10歳のころに美山に引っ越して、大学は東京の写真学校に通った。広告制作会社に入り、商品開発に携わったりカメラマンのアシスタントを行ったりした。「ちょうど、遠赤外線が流行っていた頃で、セラミック関係の商品を扱っていました。それで、もともと実家が陶芸をやっていたこともあって周りからいろいろ聞かれて(笑)」 
それで、というわけではないが、平成8年に鹿児島で陶芸家として独立。6~7年前から“分子構造シリーズ”と題して作品を制作している。「東京で働いていたころ、20面体に出会ったんです。面白いなぁ、陶芸にいかせないかなと考えているうちにシリーズ化しました」。
作品にはオブジェが多く、中途半端が嫌で、びしっとしたものが好きだと語るその言葉通り、大きさも作りも妥協しない姿勢がみてとれた。
 夢は「自分が作った器だけを使うカフェを開くこと」。照れもなくそう語る圭介さんを見る限り、その夢が叶うのはそんなに遠い将来ではない、という気がした。





 沈寿官窯

「姿は重く、手にとって軽く」 沈寿官窯 -15代沈寿官―
 沈寿官の造る陶器は、見た目よりもずっと軽く、使いやすいものが多い。ギャラリーに展示された作品を手に取るといつもそう思う。この器には何を盛ろうか、どれとどれを組み合わせようか、長い時間眺めていても飽きない。いわゆる“高級感”はあるのに、訪れた客に優しく微笑みかける器たちがここにはある。
 ちょうど柿の実が熟した季節に伺ったら、たわわに生った木に達筆な手書きで「柿爆弾注意」の看板が下がっていた。柿爆弾?…と見ていると「ぼとっ!」。なるほど完熟の柿が落ちて破裂した。“小粋”こんなところにも15代の人となりがひとつ表れている。
「何事も急いでは駄目ですね、器を急いで作ると必ず失敗します」その言葉には真面目さがにじむ。釉薬も山から天然のものを獲ってきて使う。沈寿官の白薩摩に描かれる絵はとても色鮮やかだが、決して派手すぎることはない、品が良いのはもちろんのこと、自然の色の持つ優しさが反映されているのだろう。
 平成元年に立て直した工房は、ガラス越しに器の土作りから成型、仕立てまでを見学することができる。特に、息をつくのも躊躇してしまうほど細かな絵柄を描く筆を目で追っていると、その技に感嘆してしまう。庭の美しさも必見だ。
 日本が、この国が好きだという15代にそのわけを聞いてみた。それは、そのまま沈寿官の作品の良さを語る言葉につながる。「凛として、清潔で、強いからです」



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