
自分と地域の繋がりは一体どこまで遡れるのだろうか。歴史の勉強が苦手だった僕も、歳を重ねる毎にルーツについて「知りたい」という気持ちが強くなっていく。平成17年4月に発行された山下正盛氏による「永吉(村)郷土史」に、永吉島津氏と大寺家の関わりが記載されていた。1613年に島津忠栄に従って鹿籠(枕崎)から移住したとある。恐らくそれ以降400年以上に渡り、僕の暮らす集落では近所付き合いが続いているのだ。 記憶という記憶を開発によって消し去る地域も少なくない中、 薩摩藩の郷中制度は今なお息づいており、貴重な立ち位置を自覚する毎日である。庭木や石垣の視線になって、先人に想像を巡らす機会も随分と増えてきた。
こうした歴史を重んじる地域性もあって、鹿児島では至る所で有形無形の遺産に出遭う事が出来る。私の暮らす日置市にある県文化史跡「亀丸城」に歴史に明るい友人と出かけた。風、土、雑草、素朴な生誕石。
教養がなければ「何もないね」と簡単に通り過ぎてしまう様な山城。僕もその一人だった。しかし友人は辺りを巧みに読み取る。土塁がそのままの状態で残っている事にいたく感動し「玉砂利が敷かれていなくて良かった」と息をのむように語った。人気が高い場所に用いられる演出とは違い、住民によって静かに守られているという『気配』にこそ価値があるのだろう。観光地化しては駄目なのだ。普段鹿児島で暮らす人にとっては、逆に解りづらい微妙な場面である。
ハリウッド的な派手なやり口に世の中が辟易している現在。世界は全く異なる文脈ー地域性の高い、小さな物語へと興味の対象を移し始めているように感じる。これまで「発信するのが苦手」と言われてきた鹿児島だが、風向きが変わった。毎日の何気ない行動が微弱な電波となって、感度の高い旅行客に確実に伝わり始めているのかも知れない。友人との「歴史を巡る旅」でそんな事を考えさせられたのであった。

おおてらさとし
1966年、鹿児島県生まれ。1990年に武蔵野美術大学デザイン学科卒業以降、フリーイラストレーターとして活動。2000年に東京から鹿児島県日置市に移住し、自然の恵みとデジタル技術の融合をテーマに創作活動を続けている。
http://www.ohtematic.com