鹿児島県教育旅行ガイドブックVer2
18/52

18KAGOSHIMA EDUCATIONAL TRIP GUIDE BOOK平和学習多くの特攻隊員が飛び立った鹿児島。若い彼らが残した手紙や想いにふれ、命の尊さや平和の大切さについて考える。太平洋戦争末期、本土防衛の最前線となった鹿児島の戦争遺跡や資料館を訪れ、戦争の悲惨さや平和について深く学ぶ。2PROGRAM1Peace learningThemeTheme料館を訪れ、戦争の悲惨さや平和について深く学ぶ。2T2T2Theme2heme2hemeThemeT2T2heme2T2ThemeTおもな学習テーマ1T1T1Theme1heme1heme1T1heme1T1ThemeTおもな学習テーマ「特攻」から平和の大切さと命の尊さを学ぶ。鹿児島県内には、特攻隊員たちの遺品や資料を展示している施設があります。愛する家族や友人に宛てて綴った手紙や当時の姿などから、彼らが残した想いに触れ、平和の尊さや命の重み、そして大切な人への感謝の想いを改めて感じる学びにつなげます。特攻作戦について鹿児島県に特攻基地が多い理由太平洋戦争末期、日本は「沖縄は絶対守るべき防衛の第一線」と考えていました。米軍主力が沖縄南西にある慶良間列島に上陸した1945年3月、最前線である沖縄を守り、劣勢を挽回するための最後の手段として、特攻作戦が始まりました。特攻とは、重さ250kgの爆弾を付けた飛行機にパイロットが乗ったまま、敵の船に体当たりして沈没させる攻撃のことで、パイロットは必ず亡くなるという必死条件の作戦でした。特攻作戦では、鹿児島のほか宮崎や熊本、当時日本の統治下であった台湾などからも出撃していますが、本土最南端であったことから鹿児島には知覧基地をはじめ万世や鹿屋などの基地が多くありました。特攻基地こそ南九州に集中していますが、特攻隊員は全国各地から召集されました。現在の高校生から大学生と変わらない年代の5,852名の若く尊い命が失われました。

元のページ  ../index.html#18

このブックを見る