02歴史

HISTORY
  • 東郷平八郎像(鹿児島市)
日本の転換期に大きな足跡を果たした鹿児島の歴史
  • 隼人塚(霧島市)
今からおよそ9500年前、鹿児島のシンボルである桜島が大噴火をおこしました。霧島市にある日本最古、最大級の縄文遺跡「上野原遺跡」では、そのときの火山灰で埋もれた住居跡が発掘され、当時から鹿児島県には人が住んでいたことがわかっています。また、8世紀ごろに書かれた日本でもっとも古い書物によると、鹿児島県を中心とする南九州に定住していた部族は、その昔「隼人(はやと)」と呼ばれ、他の地域と一線を画した独自の文化を育んでいました。霧島市には今も隼人という地名があり、鹿児島人のルーツを推しはかる史跡「隼人塚」が残されています。

※画像:隼人塚(霧島市)
  • 鶴丸城跡(鹿児島市)
鎌倉時代になると、武士の島津氏が勢力を伸ばし、中世から近世にかけては島津氏が南九州の全域を治めるようになります。日本の南の玄関口であった鹿児島には、16世紀には鉄砲やキリスト教といったヨーロッパの文化が伝えられ、特に鉄砲は戦国時代という時代背景もあって、またたく間に日本国中へと普及していきました。島津氏は中国と貿易をすることにより、たくさんの利益を得ていましたが、江戸時代に入って幕府から鎖国の命令が出ても密貿易が続けられていました。

※画像:島津氏が居城とした鶴丸城跡(鹿児島市)
  • 尚古集成館(鹿児島市)
江戸時代の終わり頃になると、ヨーロッパの科学技術をいち早く取り入れて産業をおこし、国を強くしようと考えた薩摩藩第11代藩主・島津斉彬によって、鹿児島には大砲や軍艦をつくったり、糸を紡いだりする近代的な機械工場がたくさん建設されました。
また、島津斉彬は、西郷隆盛や大久保利通といった能力のある若者たちを登用し、古い江戸幕府を倒して新しい時代をつくる先駆けになりました。

※画像:日本初の近代工場群・尚古集成館(鹿児島市)