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「西郷どん」ゆかりの地めぐり&うまかもん探し

明治維新150周年に、西郷どん。ディープな歴史にふれ、のんびり湯ったり鹿児島をめぐる旅へ。

薩摩川内 -SATSUMA SENDAI-

鹿児島と言えば桜島、温泉、グルメ、そして明治維新を支えた偉人たち。特に西郷隆盛は兎狩りや療養のため、県内の津々浦々を訪れていた。だから南薩から北薩まで、西郷どんの伝説が残されている温泉は数多くあり、そのどれもが名湯である。まずは薩摩川内を訪れる。

鹿児島 -KAGOSHIMA-

西洋風の外観とは裏腹に、大きな梁と柱で支える和風の構造が特徴の尚古集成館。オランダの書物だけを頼りに造ったという反射炉。目に入るものすべてが、薩摩藩の高い技術力と諸外国の影響を受けて育まれた独自の芸術性を感じさせるものばかりだ。歴史にうとくてもこれらの古い建築物をきっかけに、薩摩の歴史に興味が湧く。西郷隆盛銅像、西郷洞窟、南洲墓地…と西郷隆盛ゆかりの地を巡れば、気分は完全にタイムスリップ。全国から集った若者が、城山を駆け下りていく様が脳裏に浮かび、胸が熱くなる。仙巌園や南洲墓地からは桜島が見える。薩摩の歴史を見つめ続けてきた桜島が今も変わらずにそこにあるということの尊さを感じずにはいられない。

▼西郷ゆかりの地<1>「西郷隆盛終焉の地」と「西郷洞窟」

明治10(1877)年9月24日未明、立て篭もっていた城山を政府軍に包囲され、砲撃を受けた薩軍は岩崎谷を駆け下り、最後の抵抗を示したが、西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受けたため、別府晋介の介錯により自決したと言われている。

▼西郷ゆかりの地<2>「南洲墓地」

西郷隆盛を祀った南洲神社と隣接する南洲墓地には西南戦争で命を落とした人々が埋葬されている。戦没者の多くは全国から集まった10代~20代の若者であり、その数は2023名とされている。尊い命に手を合わせたら、桜島を望む絶景もぜひ堪能して。

▼西郷ゆかりの地<3>「仙厳園」

仙巌園は、万治元(1658)年に島津家19代・光久によって築かれた島津家の別邸。東京ドームとほぼ同じ広さ(約1万5000坪)の敷地には、桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた借景庭園が広がり、四季折々の花々が見る者の目を楽しませてくれる。庭園から望む桜島の雄大な姿も圧巻で、格好の撮影スポットとなっている。また、鹿児島の県木・クスノキを使った正門は明治時代に築かれたもので、NHK大河ドラマ「篤姫」や「西郷どん」のロケで使用されたことでも有名。

両棒(ぢゃんぼ)餅

両棒(ぢゃんぼ)餅-1

鹿児島の郷土菓子「両棒(ぢゃんぼ)餅」
2本の竹串を刺した鹿児島の郷土菓子「両棒(ぢゃんぼ)餅」。ほんのり甘い醤油風味と味噌風味の2種類の味を楽しめる。仙巌園のある磯地区の名物で、仙巌園の売店でも購入可能。

▼西郷ゆかりの地<4>「尚古集成館」

尚古集成館は、幕末に薩摩藩が建設した「機械工場」を利用した博物館。28代当主・斉彬が推し進めた日本近代化への軌跡や島津家の歴史を学ぶことができる。館内には反射炉のレプリカが展示され、当時の技術の高さをうかがえる。西南戦争や第二次世界大戦の戦火を免れ、当時のままの姿を残す外観にも注目してみよう。仙巌園と尚古集成館は「明治日本の産業革命遺産」の一つとして、世界文化遺産に登録されている。

 ▼独自の視点で楽しむ鹿児島の食

絶対に外せない!地元で人気の店
グルメは旅の大きな目的の一つだ。味にこだわるのは当然として、店の雰囲気や立地も店選びの重要な要素である。店主や地元客との距離が近い店ならなお良し。会話は料理をより一層おいしくする最高のスパイスだからである。それだけではない。お店のおすすめ料理やそれに合う焼酎を教えてもらえるのはもちろんのこと、地元の人におすすめの観光スポットなど旅に役立つ情報を聞くことだってできるのだ。鹿児島県民は地元愛が強い。観光客と地元客が半々の割合でひしめき合う屋台をハシゴすれば、地元のおいしい料理やお酒以上の収穫があるはずだ。

コラム:旅のキッカケに西郷どん

やさしい表現だと、優れた体格、悪く言うとメタボ体型なのが、鹿児島で一番有名な偉人の西郷隆盛。そんな西郷隆盛だが、飛行機や車などの高速に移動できる手段がない江戸時代にも関わらず鹿児島中に出没している。とにかく随所に足跡のあることが、鹿児島の人々から今でも愛され親しまれ、事実と虚構の中間のような逸話が数多く語られる理由ではなかろうか。西郷さんは温泉入浴が大好きだった。どこの温泉に入ろうかなと思ったときに、じゃあ西郷さんゆかりの温泉はどうかなと考えてみる。霧島市の日当山温泉や湧水町の栗野岳温泉、薩摩川内市の高城温泉に指宿市の鰻温泉と県内各地の主要な温泉地が出てくる出てくる。続いて、若き西郷さんのお仕事場所で考えてみる。藩主島津斉彬のもとで政治的な活躍をする以前の話で、農政に関する仕事に従事していた。いちき串木野市の羽島には、若き西郷さんが工事に関わったとされる溜池が残されている。さらに溜池工事で余った予算で建造したという堤防が港に現存している。日置市には、西郷さんが欄干に橋名を刻んだとされる橋がふたつもある。ただどれも正確な史料はなく、溜池の水神碑や欄干本体にも他の人物の名前はあれども西郷さんの名前はない。それでも地域の人々は大切に保存して、西郷さんが関わったことを信じている。安政の大獄から逃れるために潜居していた奄美大島にも、魚釣りをした場所や使ったかもしれない井戸など様々な話が伝えられている。とにかく、西郷さんは狩りや魚釣りや農作業や湯治や流罪などのために鹿児島中を移動しまくった。それは西郷さんにとって、ある時は趣味の旅でもあり、ある時は人生の旅であった。そんな西郷さんの旅をなぞることで、今までとは違った鹿児島が楽しめるかもしれない。

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