霧島・姶良 霧島神宮 建国神話の主人公である瓊々杵尊(ニニギノミコト)を祀った霧島神宮は、創建が6世紀と古い歴史を誇る神社です。 閑寂な老杉の濃い緑に包まれた参道・境内を抜けると、格調高い朱塗りの社殿の荘厳かつ豪華絢爛な姿があらわれます。建国神話の主人公である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を祀った霧島神宮は、創建が6世紀と古い歴史を誇る神社です。最初は高千穂峰と火常峰(御…
中薩摩 城山公園(展望台・自然遊歩道) 市街地の中心部に位置する標高107メートルの小高い山で、クスの大木やシダ・サンゴ樹など600種以上の温帯・亜熱帯性植物が自生する自然の宝庫です。 城山は市街地の中心部に位置する標高107mの小高い山で、クスの大木やシダ・サンゴ樹など約600種の温帯・亜熱帯性植物が自生する自然の宝庫です。遊歩道での散策も楽しめ、市民の憩いの場ともなっています。 展望台からは桜島をはじめ錦江湾や鹿児島市…
中薩摩 西郷隆盛銅像 没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけ製作し、城山を背景に仁王立ちする高さ8mの堂々たるモニュメントです。 江戸城無血開城や明治新政府樹立など明治維新に最大の功績を残した「西郷どん」ですが、突然職を辞めて鹿児島に帰郷。 その後、西南戦争で新政府軍と戦い敗北し、この城山の地で自刃しました。没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の「忠犬ハチ…
中薩摩 名勝 仙巌園 島津家第19代光久が造った庭園で、雄大な桜島と錦江湾をそれぞれ築山と池に見立てています。 【お知らせ】 新型コロナウイルス感染拡大を受け、仙巌園・尚古集成館では、下記期間休業となります。 感染者数の拡大傾向が続く場合は、休業期間を延長いたします。 [臨時休業期間]仙巌園・尚古集成館:令和3年1月18日(月)~1月31日…
中薩摩 石橋記念館・石橋記念公園・祇園之洲公園 石橋の架橋技術や当時の歴史をわかりやすく伝える「石橋記念館」、薩英戦争砲台跡のある「祇園之洲公園」 鹿児島市の中心を流れる甲突川には、江戸末期、肥後の名石工「岩永三五郎」指導のもと建造された5つのアーチ石橋が架けられていました。なかでも「西田橋」は、城下の表玄関として豪華に建造され、あの「篤姫」もお輿入れの時渡ったといわれます。150年の…
中薩摩 西郷隆盛終焉の地 西郷隆盛はこの場所で別府晋介の介錯によって最後を遂げたと言われています。 明治10(1877)年9月24日未明、城山を包囲した政府軍は一斉に砲撃を開始し、薩軍は、敵陣目掛けて岩崎谷を駆け下り、最後の抵抗を示しました。西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、別府晋介の介錯によって最後を遂げたと言われています。
中薩摩 維新ふるさと館 激動の薩摩の歴史を体感しながら学べる施設。 映像などを使った体験型展示を導入し、薩摩藩独自の教育方法である「郷中教育」などについてより楽しく学べます。 甲突川河畔にある維新ふるさと館は、幕末から明治維新に活躍した西郷隆盛や大久保利通などの出身地であり、「維新のふるさと」とも言える加治…
霧島・姶良 龍門司坂 旧大口筋の一部で、木田の高井田から毛上に通ずる石畳の坂です。西南の役の際は、西郷隆盛率いる薩軍がこの坂道を通って熊本へ向かいました。 旧加治木町に残る古道です。旧大口筋の一部で、木田の高井田から毛上に通ずる石畳の坂です。寛永12年(1635年)に着工し、その100年余後に完成したと言われます。石は近くの樋ノ迫山から切り出されたと伝えられ、石切場には、後に24代藩主となった…
霧島・姶良 西郷公園 迫力のある西郷隆盛像 無料で入れる公園は薩摩藩の別邸を彷彿とさせる門構えで、庭園や噴水を配した石畳の広場の周囲には、西南戦争を描いた53枚の錦絵をはじめ、西郷隆盛や明治維新に関する資料、軍服、西郷さんにまつわるエピソードなどが展示されています。 お土産店には、溝…
中薩摩 西郷隆盛洞窟 西郷が最後の五日間を過ごしたのがこの洞窟と伝えられています。 明治10(1877)年2月、鹿児島城下を出発した薩軍ですが、九州各地で転戦したのち、8月に解散。その後西郷隆盛の一行は九州の山間地を越えて鹿児島を目指し、9月1日、再び城下に戻り、城山に立て籠もりました。西郷が最後の五日間を過ごしたのがこの…
大隅 花瀬自然公園・キャンプ場・バンガロー村 公園内の花瀬川の川床は平滑な溶結凝灰岩の千畳敷の石畳で敷かれ、幅60m長さ2㎞にわがる石畳が美しいところです。 公園内の花瀬川の川床は平滑な溶結凝灰岩の千畳敷の石畳で敷かれ、幅60m長さ約2kmにわたる石畳が美しいところです。また、春は桜、フジの花の名所としてても知られており、毎年4月には花瀬公園まつり、8月にはやまんなか音楽会が開かれます。歴史的に…
中薩摩 徳重神社 島津義弘公の菩提寺であった妙円寺が明治2年の廃仏毀釈で廃寺になり、義弘公を祭神とする徳重神社となりま... 島津義弘公の菩提寺であった妙円寺が明治2年の廃仏毀釈で廃寺になり、義弘公を祭神とする徳重神社となりました。ここは、現在も続く鹿児島の代表的な伝統行事「妙円寺詣り」の舞台となっている神社です。関ヶ原の合戦に出陣した島津義弘公が西軍の敗北により…
中薩摩 尚古集成館 江戸時代に作られた薩摩切子や、工場として稼働していた当時の機械など、島津家伝来の資料を中心に収蔵・展示しています。 【お知らせ】 新型コロナウイルス感染拡大を受け、仙巌園・尚古集成館では、下記期間休業となります。 感染者数の拡大傾向が続く場合は、休業期間を延長いたします。 [臨時休業期間]仙巌園・尚古集成館:令和3年1月18日(月)~1月31日…
大隅 道の駅たるみず湯っ足り館 名物の60mの長ーい足湯や温泉、レストランでの新鮮なブリやカンパチを使った海鮮丼などが楽しめます。 目の前は雄大な桜島と錦江湾、対岸には霧島連山を臨む、絶景と癒しの道の駅です。 日本最大級かけ流しの足湯が人気で、垂水産の食材や鹿児島の特産品などが揃う物産館、お食事、温泉などが楽しめる観光施設です。レストランからは、気まぐれに現れるイルカの…
中薩摩 西郷南洲顕彰館・南洲墓地 1977年、西郷隆盛没後100年を記念して建設されました。西郷を祭った南洲神社や、西南戦争で戦死した2千人以上の人々が埋葬されている南洲墓地が隣接しています。 1977年、西郷隆盛没後100年を記念して建設されました。西郷の生涯・思想・業績などをわかりやすく紹介したジオラマやビデオをはじめ、西郷の衣服や西南戦争に関する資料などを展示しています。 その他、西郷を祭った南洲神社や、西南戦争で戦死した2…
南薩摩 今和泉島津家屋敷跡 篤姫ゆかりの地:宝暦4(1754)年、今和泉島津家としては初代となる島津忠郷が建てる。 宝暦4(1754)年、今和泉島津家としては初代となる島津忠郷が建てる。忠郷は当主となったとき、わすか3歳。そのため初めの執務期間は、鹿児島の大磯館(磯地区)であった。つまりその忠郷が領地の初入部となる際に、別邸が設けられたことになる。忠郷は…
中薩摩 大久保利通銅像 西郷隆盛、木戸孝允と並び明治維新の3傑と言われた人物で、明治政府の中心的役割を果たしました。 明治の風にフロックコートをひるがえす、大久保利通のモニュメントです。西郷隆盛、木戸孝允と並び明治維新の3傑と言われた人物で、明治政府の中心的役割を果たしました。銅像は、没後100年を記念して昭和54年(1979年)9月26日に中村晋也氏によ…
中薩摩 西郷隆盛蘇生の家 西郷隆盛が昏睡状態から覚めた時、共に入水した勤皇僧月照は、すでにこの世の人ではありませんでした。 月照は京都清水寺の僧で、開明藩主島津斉彬の意をうけた西郷とは特に親しい間柄だったのです。 1858年(安政5)井伊直弼の安政の大獄によって追…
中薩摩 若き薩摩の群像 1865年の薩摩藩英国留学生19名のうち薩摩藩出身の17名を銅像にしたもの。制作は昭和57年3月31... 1865年の薩摩藩英国留学生を銅像にしたもの。制作は昭和57年3月31日。高さ12.1メートル(台座9.49メートル)。制作者は中村晋也。