霧島・姶良 和氣神社 和気清麻呂を祀った神社。坂本龍馬夫妻の新婚旅行の地でもあります。 今から千二百余年前の奈良時代、道鏡に都を追われた和気清麻呂は、再び都に呼び戻されるまでの日々をこの周辺で過ごしたと伝えられています。その和気清麻呂を祭った神社で交通安全、学問、建築の神として御利益があるといわれています。近くに清麻呂が入った…
大隅 神徳稲荷神社 鹿屋市役所の西300mほどのところにあります。 鳥居がガラスで出来ているところが魅力です。 ガラスの鳥居とトンネルのように連なる木の鳥居がある鹿屋の新たなスポットです。 鹿屋市役所の西300mほどのところにあります。 鳥居がガラスで出来ているところが魅力です。
中薩摩 鶴丸城跡(鶴丸城御楼門) 昭和28年9月7日に県の史跡に指定されました。 鹿児島(鶴丸)城は、慶長6年(1601)頃に、のちに島津家第18代当主・初代藩主となる家久が建設に着手した島津氏の居城です。居館(現:県歴史資料センター黎明館・鹿児島市城山町)の正面中央には、御楼門がありましたが、明治6年(1873)の火災…
霧島・姶良 霧島神宮 建国神話の主人公である瓊々杵尊(ニニギノミコト)を祀った霧島神宮は、創建が6世紀と古い歴史を誇る神社です。 閑寂な老杉の濃い緑に包まれた参道・境内を抜けると、格調高い朱塗りの社殿の荘厳かつ豪華絢爛な姿があらわれます。建国神話の主人公である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を祀った霧島神宮は、創建が6世紀と古い歴史を誇る神社です。最初は高千穂峰と火常峰(御…
中薩摩 西郷隆盛銅像 没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけ製作し、城山を背景に仁王立ちする高さ8mの堂々たるモニュメントです。 江戸城無血開城や明治新政府樹立など明治維新に最大の功績を残した「西郷どん」ですが、突然職を辞めて鹿児島に帰郷。 その後、西南戦争で新政府軍と戦い敗北し、この城山の地で自刃しました。没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の「忠犬ハチ…
大隅 荒平天神 県道68号線沿いにある海に突き出た島のような岩山上(天神島)に神社が建立されている風光明媚な場所。 県道68号線沿いにある海に突き出た島のような岩山上(天神島)に神社が建立されている風光明媚な場所です。学問の神様、菅原道真公が祀られています。潮の満ち引きや時間帯、季節によって様々な表情を見せてくれます。拝殿まではロープを頼りに急な階段を登…
南薩摩 射楯兵主神社(釜蓋神社) 釜の蓋を頭にのせ、鳥居から拝殿まで落とさずに行くことができれば願いが叶うとも言われている話題のパワースポット。 入り江の岩礁が突き出た所に鎮座する釜蓋神社の御祭神はスサノオノミコト。武の神様で厄除け、開運にもご利益があり、芸能人やスポーツ選手も訪れる話題のパワースポットです。釜の蓋を頭にのせ、鳥居から拝殿まで落とさずに行くことができれば願いが叶うとも…
南薩摩 知覧武家屋敷庭園 母ヶ岳の優雅な姿を取り入れて、麓一帯を庭園化した美しい町並みで、古来「薩摩の小京都」とたたえられています。 領主島津久峯が、藩主の参勤交代に伴って江戸から戻る道中で接した京の文化を持ち帰ったとされる。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、また同時に国の「名勝」に指定された7つの庭園は、母ヶ岳を借景に、築山泉水式1つ、枯山水式6つの庭園。約27…
南薩摩 龍宮神社 海の守り神や浦島太郎と乙姫様が出会った場所として知られ、縁結びのご利益がある神社として人気です。 長崎鼻は薩摩半島の最南端に突き出た岬。海越しに眺める開聞岳の山容も美しく、天気が良い日は屋久島や硫黄島まで見ることができます。また、浦島太郎が竜宮へ旅立った岬とも言い伝えられています。別名「竜宮岬」ともいわれ、豊玉姫(乙姫様)を祀った龍宮神…
霧島・姶良 曽木発電所遺構 曽木の滝の1.5キロ下流に、今でも明治の面影を強く残している曽木発電所跡があります。 曽木の滝の1.5キロ下流に、今でも明治の面影を強く残している曽木発電所跡があります。曽木発電所は、明治42年に竣工し、その出力は当時国内でも最大級のものでした。創設者は野口遵で、牛尾大口金山に電力を供給するために明治39年に曽木の滝の水力を…
中薩摩 花尾神社 島津家初代の忠久の父母、源頼朝と丹後の局や、丹後の局が厚く帰依した僧永金などが祀られています。 島津氏の藩祖忠久が建立した伝統と歴史をもつ花尾神社は、うっそうとした森林に囲まれ、両側の苔むす老大木、緑と対照的な朱塗りの華麗な権現造の社殿は、別名「さつま日光」と呼ばれ、島津藩主の先祖である源頼朝公と、忠久公の母・丹後局を祀ってあります。…
大隅 吾平山上陵(あいらさんりょう) 吾平山陵は緑が美しく、川の水もきれいな所で、大隅半島屈指のパワースポットとして、注目を集めています。 吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ)は、地元で「あいらさんりょう」という呼び名で親しまれています。鹿児島県下の神代三山陵の一つとされており、全国でも珍しい岩屋の陵(塚墓)で、神武天皇の御父君と御母君の御陵です。500mほど続く参道は、…
大隅 諏訪神社 並立鳥居 殿の構造や二基の並列鳥居は全国でも珍しく貴重なもので、左の鳥居から入って、右の鳥居から出る習わしです。 殿の構造や二基の並列鳥居が珍しい神社です。 対になっている鳥居が縁結びにご利益があると言われているそうで、近年カップルに人気が高まっている神社です。 左の鳥居から入って、右の鳥居から出る習わしもあるそうです。
南薩摩 枚聞(ひらきき)神社 薩摩一の宮といわれるように島津藩主の崇敬も厚く、本殿は県の重要文化財にも指定されています。 860年従四位に位された大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)ほか8柱を祀っています。古くから交通・航海の安全や、漁業守護の神として人々の厚い信仰を集めてきました。薩摩一の宮といわれるように島津藩主の崇敬も厚く、本殿は県の重要文化財にも指定さ…
霧島・姶良 龍門司坂 旧大口筋の一部で、木田の高井田から毛上に通ずる石畳の坂です。西南の役の際は、西郷隆盛率いる薩軍がこの坂道を通って熊本へ向かいました。 旧加治木町に残る古道です。旧大口筋の一部で、木田の高井田から毛上に通ずる石畳の坂です。寛永12年(1635年)に着工し、その100年余後に完成したと言われます。石は近くの樋ノ迫山から切り出されたと伝えられ、石切場には、後に24代藩主となった…
中薩摩 大汝牟遅神社 ニニギノミコトが霧島に降臨した後、しばらく宮居されたと言われる場所で、樹齢800年を超える大楠(千本楠)があります。 創建は不明ですがニニギノミコトが霧島に降臨した後、しばらく宮居されたと言われる場所です。明るい赤塗りと彫刻の美しい宮で、古事記に記されている貝のモニュメントもあり、毎年元旦に吹上浜の砂を盛った貝をお供えします。500年の歴史がある流鏑馬も毎…
中薩摩 黒神埋没鳥居 1914年(大正3年)の大爆発により、高さ3メートルもあった腹五社神社(黒神神社)の鳥居が笠木だけ残して埋没し、人の背丈以下になっています。 1914年(大正3年)の大爆発により、完全な島だった桜島と大隅半島が陸続きになりましたが、その際埋もれてしまった鳥居です。高さ3メートルもあった腹五社神社(黒神神社)の鳥居が笠木だけ残して埋没し、人の背丈以下になっています。その時の噴火では…
中薩摩 照國神社 城山の麓にある島津家28代斉彬公を祀る神社で、夏の六月灯や初詣には大勢の参拝客が訪れます。島津斉彬公... 祭神は島津家28代当主斉彬で、文久3年(1863)、天皇から照国大明神の神号が授けられ、翌年の元治元年(1864)、南泉院跡に社殿が建てられ、照国神社となった。明治10年(1877)、西南戦争により社殿、宝物を焼失、明治15年(1882)に…
中薩摩 美山地区(薩摩焼の里) 薩摩焼のふるさと。 薩摩焼の里として、多くの窯元の他、様々な工房や喫茶、飲食店が集まっています。奇数月の第1日曜日、朝9時から開かれる「美山の朝マルシェ」は人気で、多くの人出で賑わいます。また毎年11月上旬に開催される美山窯元祭りには、県内外から約6万人の人々…
霧島・姶良 歴史国道 白銀坂 薩摩国と大隅国の国境だった場所で、戦国時代には島津貴久や義弘などの武将たちがこの坂に陣を構えたといわれています。 姶良市脇元から鹿児島市牟礼ヶ岡までの石畳の坂道です。この坂のある山並みは、古代における薩摩国(旧吉田町側)と大隅国(旧姶良町側)の国境でした。また戦国時代には島津貴久や義弘などの武将たちがこの坂に陣を構えたといわれています。 江戸時代に入る…