大隅 佐多旧薬園 薩摩藩がつくった 日本最南端の薬園 広さ約3000平方mで、薬園の中で唯一当時の姿が残っています。設置年代は明らかではありませんが、1687年にリュウガンを植えたという記録が残されています。藩が1843年に編纂した三国名勝図会には、「伊座敷村は藩の最南端に位置し、寒さに弱い植…
大隅 根占砲台跡 鹿児島湾の防衛のために設置 辺田海岸の砲台跡 設置当時は、鹿児島湾の防衛のために設置されたものの、大砲1門を備えるのみの小規模な砲台でした。しかし、1862年の生麦事件後、イギリス艦隊に備えて拡幅工事が行われ、現在の姿となりました。敵の砲撃から兵士や大砲を守る胸壁、火薬を保管する煙硝倉…
大隅 牛根造船所跡 洋式船を造船するために建設 波穏やかな牛根造船所跡 波が穏やかな鹿児島湾奥の牛根麓に建設さた造船所。島津斉彬は1853年、幕府の大船建造の解禁を願い出ます。そして、幕府がこれを認めると洋式帆船12艘、蒸気船3艘の建造計画を発表。牛根造船所では本格的な洋式帆船である鳳瑞丸と万年丸の建造がスター…
大隅 集成館製蒸気機関 刻印がある蒸気機関 集成館機械工場で製造 集成館製蒸気機関は製造年代は不明ですが、シリンダーヘッドに「鹿児島磯集成館製」の刻印があります。1917年に焼酎醸造会社の岩川醸造が入手し、昭和30年代中ごろまでは緊急時の発電に使われていました。現在は大隅郷土館に寄託され保管、展示されてい…
大隅 志布志砂鉄採取地 集成館の高炉で使用する 砂鉄を採取した夏井海岸 江戸時代から明治時代の志布志地域では、夏井海岸から砂鉄を採取し、盛んに製鉄を行っていました。ここ夏井海岸の砂鉄は、市内のたたら製鉄所に運ばれて製鉄されていました。この製鉄所で作られた鉄は、集成館にも運ばれて高炉製鉄の原料に使用されていました…
大隅 松崎砲台跡 薩英戦争に備えてつくられた 臨時の砲台跡 松崎海岸後方の砂丘地に薩英戦争に備えて建設された臨時の砲台。大砲3門が25メートル置きに設置されたと記されています。現地には凝灰岩の切石を3段積んでつくった、長さ13m、高さ1.3mの石積が残っており、これらは砲台の一部という可能性がありま…
大隅 瀬脇砲台跡 約170人の藩士が守った 瀬脇砲台の跡 雄川の河口部左岸にある小さな岬に設置された瀬脇砲台。設置当時は大砲1門が配備された小規模な砲台でしたが、薩英戦争の直前に拡張工事が行われると現在の姿になりました。薩英戦争時には、田代や大姶良、小根占郷から約170名の藩士が集められ守りを固め…
大隅 内之浦砲台跡 内之浦湾の防衛のために設置 砂浜にある内之浦砲台跡 内之浦砲台は、海岸近くの砂浜に設置されていました。『薩藩海軍史』には、12ポンドカノン1門、 20ドイム臼砲1門、700目野戦砲1門、500目野戦砲門の計4門の大砲が配備されていたと記されています。明治初期の絵図には、砲台とみられる範囲が描…
大隅 伊座敷砲台跡 3門の砲があったと伝わる 伊座敷砲台跡 対岸に設置された山川の砲台とともに、鹿児島湾に侵入する外国船に備えて設置されました。『薩藩海軍史』には3門の砲があったと記されています。当初、上之園川右岸の海岸近くに設置されていましたが、昭和21年の台風の際に大波によって破損したと伝えられ…