中薩摩 新波止砲台跡 島津斉彬が建設 鹿児島城下の主力砲台 鹿児島城下の防衛のために設置された主力砲台。島津斉彬が、1846年頃に建設されていた防波堤を改築し、凝灰岩の切石によって砲台を建設しました。薩英戦争時には、国内最大級の150ポンドボンカノン砲をはじめとする11門の大砲を配備。イギリス艦隊と…
中薩摩 仙巖園 近代化事業の実験の場にもなった島津家の別邸・仙巌園 350年以上の歴史がある島津家の別邸は、1658年に島津光久が景勝地であった磯に造営。その後、島津重豪をはじめとする島津家歴代が整備などを行いました。桜島を築山に錦江湾を池に見立てた雄大な借景庭園で、琉球国王から贈られた望嶽楼な…
中薩摩 反射炉跡 大砲の砲身をつくるための 金属溶解反射炉 オランダの技術書をもとに建設された、大砲の砲身をつくる施設。炉内部の天井や、壁に炎と熱を反射させて鉄を溶かすため反射炉と呼ばれました。反射炉の建設は製煉所で小型のひな型をつくり、鉄の溶解実験からスタート。実験は難航しましたが、斉彬は「西欧人…
中薩摩 関吉の疎水溝 集成館事業の動力! 水の取水施設 関吉の疎水溝は、江戸初期に農業用水のために建設。そして1722年、島津吉貴が仙巖園へ水を供給するために磯地区まで延長します。集成館では高炉や鑽開台の動力源として水車を使用していましたが、磯地区には大きな川がないため、島津斉彬は関吉の疎水溝の…
大隅 佐多旧薬園 薩摩藩がつくった 日本最南端の薬園 広さ約3000平方mで、薬園の中で唯一当時の姿が残っています。設置年代は明らかではありませんが、1687年にリュウガンを植えたという記録が残されています。藩が1843年に編纂した三国名勝図会には、「伊座敷村は藩の最南端に位置し、寒さに弱い植…
大隅 志布志砂鉄採取地 集成館の高炉で使用する 砂鉄を採取した夏井海岸 江戸時代から明治時代の志布志地域では、夏井海岸から砂鉄を採取し、盛んに製鉄を行っていました。ここ夏井海岸の砂鉄は、市内のたたら製鉄所に運ばれて製鉄されていました。この製鉄所で作られた鉄は、集成館にも運ばれて高炉製鉄の原料に使用されていました…
中薩摩 旧集成館機械工場 現存する日本最古の 西洋式機械工場 洋式船や蒸気機関の修理、部品製造を行った集成館の機械工場。この石造りの建物の責任者は、技術者・竹下清右衛門でした。竹下は長崎製鉄所などの西洋式の建物を参考に工場を建設。そのため屋根を支える小屋組が不完全で、和小屋のような太い梁や石壁の基礎部…
中薩摩 鹿児島紡績所跡 日本初! 蒸気機関動力による ヨーロッパ式の機械紡績所 薩摩藩英国留学生とともにイギリスに渡った、藩使節の五代友厚や新納久脩。彼らはプラット・ブラザーズ社に紡績工場の設計を依頼します。そして、機械を発注し、技師派遣も依頼しました。工場はプラット・ブラザーズ社の設計に手を加え、地元の凝灰岩を使った…
中薩摩 旧鹿児島紡績所技師館 鹿児島紡績所の指導者 イギリス人技師たちの宿舎 日本で最初期の木造西洋建築。西欧人たちがアジアなどの植民地によく建設したコロニアル様式の建物です。外見は洋風ですが、屋根裏の小屋組みが和小屋であり、見えないところに日本の建築技術も用いられていました。イギリス人の指示に基づき、日本人の大工が…
中薩摩 寺山炭窯跡 集成館事業のための 白炭をつくった炭窯 【お知らせ】寺山炭窯跡周辺一帯の立ち入り禁止について 令和元年6月28日(金曜日)の石積み右面の崩落に引き続き、7月1日(月曜日)、炭窯北東側の遊歩道の上部側から土砂崩れが発生し、遊歩道を含む炭窯の大部分が埋没しているため、寺山炭窯跡およ…
中薩摩 鶴灯籠 日本初のガス灯実験 仙巌園にある鶴の姿の灯籠 鹿児島の名勝である仙巌園には多くの灯籠がありますが、なかでも一番有名なものは鶴灯籠です。「鶴が羽根を伸ばした姿」に見えることから鶴灯籠と呼ばれています。島津斉彬は、蘭学者である松木弘安(寺島宗則)らに石炭ガスの製作法やガス灯に関する研究を命…
中薩摩 磯窯跡 耐火レンガを焼いた 薩摩焼の窯跡 耐火レンガの製造や薩摩焼の技術改良を行うために建設された登窯です。朴正官らは、「金欄手薩摩」と呼ばれる金を多用した、華やかな薩摩焼の研究を行いました。さらに、ヨーロッパ式の食器の生産も試みられたといわれています。窯は石垣の上に建設されており…
南薩摩 宮ヶ浜港防波堤 島津斉興が海商支援のため 築かせた宮ヶ浜港防波堤 捍海隄と呼ばれた防波堤・宮ヶ浜港防波堤。島津斉興が築かせた防波堤です。当時の宮ヶ浜は、指宿郷の地頭仮屋(役所)や商家群が建ち並ぶにぎやかな港町でした。また、濵﨑太平次が琉球や奄美大島との海運の拠点とした港のひとつでもありました。堤防は遠浅の…
中薩摩 大田発電所 串木野芹ヶ野金山のための 大田水力発電所 大規模な金山の近代化を図った五代龍作(五代友厚の養子)が、串木野芹ヶ野金山に電気を供給するために建設させた発電所です。当初の出力は250wで、神之川の水力と落差を利用して発電を行いました。ヨーロッパ風の石造建造物で、南側には六角形の塔がつい…
中薩摩 高炉跡 大量の鉄を生産する ヨーロッパ式の製鉄炉 鉄鉱石や砂鉄などから鉄を大量につくる製鉄施設は、反射炉と同様にオランダの技術書をもとに建設されました。高炉の高さは約7.2m。高炉による製鉄は炉の温度を1200~1500度に保つ必要があるため、水車動力を活用して大量の風を送風、炉内を高温に…
霧島・姶良 森山家住宅土蔵・主屋・旧作業場 集成館から移築されたと 伝わる鋳物工場 薩摩藩御用達の鋳物師であった森山家の本宅。森山家は、鍋釜などの製造が盛んであった加治木にて、藩に納める茶釜や、奄美の黒糖生産に必要な大鍋や機械類を鋳造していました。島津斉彬は、森山家に江戸の鋳物職人・西村道也を招き、藩のための大砲生産や鋳銭…