中薩摩 鹿児島紡績所跡 日本初! 蒸気機関動力による ヨーロッパ式の機械紡績所 薩摩藩英国留学生とともにイギリスに渡った、藩使節の五代友厚や新納久脩。彼らはプラット・ブラザーズ社に紡績工場の設計を依頼します。そして、機械を発注し、技師派遣も依頼しました。工場はプラット・ブラザーズ社の設計に手を加え、地元の凝灰岩を使った…
中薩摩 旧鹿児島紡績所技師館 鹿児島紡績所の指導者 イギリス人技師たちの宿舎 日本で最初期の木造西洋建築。西欧人たちがアジアなどの植民地によく建設したコロニアル様式の建物です。外見は洋風ですが、屋根裏の小屋組みが和小屋であり、見えないところに日本の建築技術も用いられていました。イギリス人の指示に基づき、日本人の大工が…
中薩摩 紡績機 五代友厚らが発注した イギリス製の紡績機械 1867年に竣工した鹿児島紡績所には、薩摩藩英国留学生とともにイギリスに渡った五代友厚、新納久脩が、当時世界最大の紡績会社であったマンチェスターのプラット・ブラザーズ社に発注した紡績機械一式が備え付けられていました。1897年に鹿児島紡績所…
中薩摩 田上水車館跡 水車動力で綿布を織る 薩摩藩の紡績所 田上水車館では、田上川の水を利用して直径6m程の水車を回し、その動力で長さ4m、幅2mの大型の機織機を4台動かして綿布を織っていました。田上水車館は郡元水車館の設備を田上川の近くに移転し、建設。島津斉彬もたびたび水車館を訪れては、職工たちを…
中薩摩 永吉水車館跡 水車動力で機織機を稼動 綿布をつくる紡績所 田上水車館とともに1858年に建設された永吉水車館。田上水車館同様、水車の動力によって大型の機織機を動かし、綿布を生産していました。ただし、田上水車館とは異なり、工場の規模など詳細については記録が残っていません。本来の水車館の位置は、石碑よ…