南薩摩 河野覚兵衛屋敷跡 薩摩の御用商人 河野覚兵衛の屋敷跡 河野家は薩摩藩の御用商人として多くの大船を所有し、琉球口貿易や黒糖専売に関与したり、藩の財政再建に貢献したりしました。また、覚兵衛ら海商は奄美大島へ生活物資を運ぶなど、島民たちの生活に無くてはならない存在でした。覚兵衛は、藩からの信頼が厚く…
南薩摩 宮ヶ浜港防波堤 島津斉興が海商支援のため 築かせた宮ヶ浜港防波堤 捍海隄と呼ばれた防波堤・宮ヶ浜港防波堤。島津斉興が築かせた防波堤です。当時の宮ヶ浜は、指宿郷の地頭仮屋(役所)や商家群が建ち並ぶにぎやかな港町でした。また、濵﨑太平次が琉球や奄美大島との海運の拠点とした港のひとつでもありました。堤防は遠浅の…
中薩摩 仙巖園 近代化事業の実験の場にもなった島津家の別邸・仙巌園 350年以上の歴史がある島津家の別邸は、1658年に島津光久が景勝地であった磯に造営。その後、島津重豪をはじめとする島津家歴代が整備などを行いました。桜島を築山に錦江湾を池に見立てた雄大な借景庭園で、琉球国王から贈られた望嶽楼な…
中薩摩 琉球館跡 薩摩藩の外交の場 貿易の拠点となった琉球館跡 毎年、琉球王国では春になると使節の派遣を行い、派遣された使節は琉球館に一年間滞在しました。また、島津家にめでたいこと、逆に災いなどが起きたときは特使が派遣されたといわれています。琉球館跡は琉球貿易の取引場所でもあり、薩摩藩の外交、貿易の拠点…
南薩摩 潟口の船溜り 肥後の石工岩永三五郎が築いた 石造りの突堤 薩摩藩が整備した港です。五間川と二反川が合流する河口部に建設されています。凝灰岩の護岸は、肥後の石工岩永三五郎が築いたといわれています。現在は砂が溜まって川底が浅くなっていますが、当時は大船が入って積み荷を小舟に下ろしていました。そして、小…
南薩摩 第8代濵﨑太平次の墓 薩摩の御用商人 8代目・濵﨑太平次の墓 指宿を拠点に活躍した、第8代・濵﨑太平次の墓。濵崎家は代々全国長者番付上位の海商でした。太平次は藩の御用商人として琉球口貿易に携わり、黒糖などの藩の特産品を大坂(大阪)で販売。多額の利益をあげて藩の財政再建に貢献しました。島津斉彬は、太平次…
南薩摩 指宿邑捍海隄記 建設の経緯を記す 宮ヶ浜港防波堤の記念碑 宮ヶ浜港防波堤(捍海隄)の完成にともなって建てられた記念碑。記念碑には、堤防建設の経緯について次のように記されています。「宮ヶ浜の海は遠浅で、船を安全に停泊させるところがなく、台風で船が転覆する恐れがありました。天保4(1833)年、それを…