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薩摩藩英国留学生のたどった道をたどるコース

  • 所要時間半日
  • 交通手段

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鹿児島中央駅から車で約20分 

楠公神社跡

 楠公神社跡

楠木正成は南北朝時代の武将ですが、尊皇の象徴として幕末の志士たちの崇敬を集めました。薩摩藩でも楠公神社が建てられ、石谷(現鹿児島市石谷町)の楠公神社は、文久元(1861)年、有馬新七が神戸の広厳寺より楠木正成の木像を譲り受けて建立したとも、石谷領主の町田久甫が広厳寺から譲り受けたものを有馬新七らが協議して祀ったともいわれます。現在は神社跡に記念碑が建てられています。

住所 鹿児島県鹿児島市石谷町913

車で約5分 

町田家の墓

 町田家の墓

慶応元年薩摩藩から英国に派遣された留学生の中に町田久成がいます。だった。彼は薩摩藩の洋学校・開成所の学頭でもあり、また石谷村(現在の鹿児島市石谷町)の領主でもありました。領地であった石谷の一族の墓は、今も茶畑に囲まれる丘陵にあって静かに守られている。

住所 鹿児島県鹿児島市石谷町3759

車で約15分

徳重神社

 
 徳重神社

 

関ケ原の戦いの「敵中突破」で知られる島津義弘の菩提寺に参詣する「妙円寺詣り」。西郷隆盛も大久保利通も参加していました。かつての妙円寺は廃仏毀釈により廃寺、現在徳重神社になっており、妙円寺も徳重神社の近くに妙円禅寺として再興されています。

住所 鹿児島県日置市伊集院町徳重1786
電話番号 099-272-3975
休日 無休

車で約25分

美山地区(薩摩焼の里)

 
 美山地区(薩摩焼の里)

美山(苗代川:現鹿児島県日置市)に、江戸後期薩摩藩の財政改革を行った調所笑左衛門広郷の招墓があります。調所は、もともと作られていた薩摩焼(陶器)と別に新たに染付白磁専用の窯(南京皿山窯)を築いたり、樟脳の製造にも着手したりして、この地域の産業の振興を図っています。

住所 鹿児島県日置市東市来町美山
電話番号 099-274-2112(日置市東市来支所地域振興課光課)
営業時間 8:30~17:00頃

鹿児島市街地まで車で約30分 

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