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西南戦争激戦跡!西郷隆盛終焉の地を歩く[まち歩き]

西南戦争の激戦跡と、西郷隆盛の終焉の地を歩いてめぐります。

まち歩きマップはこちら

  • 所要時間1日
  • 交通手段徒歩

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城山公園(展望台・自然遊歩道)

 
 城山公園(展望台・自然遊歩道)
桜島や鹿児島市街地を一望できるのが魅力の城山展望台の歴史は古く、大正天皇が皇太子の時代、市街地を御観覧される際に設置されたのがはじまりとされます。天気の良い日には、霧島連山や指宿の開聞岳も望むことができます。
住所 鹿児島県鹿児島市城山町
電話番号 099-298-5111(観光交流センター)

西南戦争薩軍本営跡(ドン広場)

 西南戦争薩軍本営跡(ドン広場)
西南戦争の際には、この地に薩軍の本営が置かれました。 「ドン広場」の名は、その後この地に時報に利用された大砲が備えられたことからきています。
住所 鹿児島県鹿児島市城山町
電話番号 099-298-5111(観光交流センター)

西郷隆盛洞窟

 
 西郷隆盛洞窟
明治10(1877)年2月、鹿児島城下を出発した薩軍ですが、九州各地で転戦したのち、8月に解散。その後西郷隆盛の一行は九州の山間地を越えて鹿児島を目指し、9月1日、再び城下に戻り、城山に立て籠もりました。西郷が最後の五日間を過ごしたのがこの洞窟と伝えられています。
住所 鹿児島県鹿児島市城山町

西郷隆盛終焉の地

 
 西郷隆盛終焉の地
明治10年(1877年)9月24日、西南戦争の最終末にあたり、城山を包囲した政府軍は一斉に砲撃を開始。西郷隆盛率いる薩軍は、敵陣目掛けて岩崎谷を駆け下り、最後の抵抗を示しました。西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、別府晋介の介錯によって最後を遂げたと言われています。満49歳でした。
西郷隆盛に従った幹部である桐野利秋、村田新八、桂久武、池上貞固、別府景長、辺見十郎太、が自刃ないしは戦死したところとして記念碑が建てられています。
住所 〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町

私学校跡

 
 私学校跡
1873年に政変で下野した西郷隆盛は、鹿児島の士族たちのために、鶴丸城の厩(うまや)跡に私学校を創設しました。
生徒数は100人、市内に10を越える分校ができ、県下に136の分校がありました。
西南戦争の際、この私学校の石垣に多くの銃弾が打ち込まれ、今なお激戦の様子を伝えています。
1968年に県の史跡に指定されています。
住所 〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町

鶴丸城 御楼門

 
 鶴丸城 御楼門
鹿児島(鶴丸)城は、慶長6年(1601)頃に、のちに島津家第18代当主・初代藩主となる家久が建設に着手した島津氏の居城です。
住所 〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町7-2

西郷隆盛銅像

 
 西郷隆盛銅像
昭和2(1927)年、西郷隆盛没後50年を記念して建立が計画され、昭和12年に完成した銅像です。作者は郷土出身の彫刻家・安藤照。陸軍大将の正装の姿をうつしたもので、台座を含めた高さは14mあまりあります。
住所 〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町4-36

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