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歴史トリビア・西郷さんに会いたい

西郷さんって、どんな人??

鹿児島へのご旅行を検討中の皆さん! 西郷隆盛のことはご存じですよね?? えっ? あまりよくご存じでない?? 鹿児島から出た幕末のヒーロー・西郷隆盛は、同じく鹿児島出身の大久保利通、山口県出身の木戸孝允とならんで、「維新の三傑」の一人にあげられるほどのV.I.P.(最重要人物)なんですよ。鹿児島の旧家では、西郷隆盛が座右の銘とした「敬天愛人(けいてんあいじん)」という言葉を今でも額に入れて飾っているお宅があるほど、西郷隆盛は地元の誇りであり、シンボル的存在なんですね。それでは、鹿児島県人が愛してやまない「せごどん」(鹿児島弁で「西郷さん」)の魅力を皆さんだけにそっとお教えいたしますね。まずは、大きな大きなその人となりについて、鹿児島市の城山に立つ銅像の写真を使ってご紹介しましょう。

西郷さんの特徴

西郷さんって、何をした人なの?

ところで西郷さんは、どうしてヒーローになったの? そんな疑問をお持ちの方もいるかもしれませんね。一言でいうと、江戸の幕府を倒して、新しい世の中をつくろうと考えていた人たちの連合軍を率い、大活躍をしたからです。

当時の日本は、それまで250年くらい続いていた江戸幕府の力が弱くなり、外国から大砲を載せた軍艦もやってくるようになって、平和な世の中を保てなくなるんじゃないかと多くの人が不安になっていました。そこで頭のいい人たちがいろんな知恵を出したり、血の気の多い若者は刀を振り回したりしていたわけですが、みんな「オレが、オレが!」といってケンカばかりしていたので、不安はさらに大きくなっていたんですね。

そこへ「一緒に新しいニッポンをつくろうよ!」と団結をうながしたのが土佐出身の坂本龍馬で、手を取り合ったのが薩摩藩代表の西郷さんと長州藩代表の木戸孝允でした。薩摩と長州、この二大勢力の軍隊をまとめ、抵抗する幕府軍を追いつめた、その先頭に立っていたのが西郷さんなんです。幕府の本拠地・江戸城を攻めた時には、幕府方の勝海舟と話し合って江戸の町を戦火から救ったという慈悲深いエピソードがあるところも、西郷さんが真のヒーローたるゆえんでしょうね。

西郷さんはなぜ、みんなに人気があるの?

どうして西郷さんが、みんなに愛されているかって? 好きな理由は人それぞれ違うでしょうが、一言でいうならば、身体が大きいばかりでなく、人としての器量がとてつもなく大きかったからでしょうか。

西郷さんは、幕府軍と戦った戊辰戦争でヒーローになる前、2度の自殺未遂と2度の島流しを経験しています。1度目の自殺未遂は、自分をかわいがってくれた薩摩藩のお殿様・島津斉彬が急死してしまった時。西郷さんは後を追おうとしましたが、京都・清水寺の月照というお坊さんに「生きて、斉彬公の遺志を継ぎなさい」といわれ、思いとどまりました。2回目は、その月照が幕府に追われ処刑されることになったので、一緒に海に身投げをしてしまったのです。その後、西郷さんだけが奇跡的に助けられましたが、幕府の追求を怖れた薩摩藩は、西郷さんに奄美大島行きを命じました。結局、3年ほど奄美大島で生活し、いったんは鹿児島への帰郷を許されますが、当時藩の実権を握っていた斉彬の弟・島津久光と折りあいが悪く、徳之島、さらに最果ての沖永良部島へとまた流されてしまったのです。

つらい経験を乗り越えた人には、強さがありますね。西郷さんも「自分にはまだやり残した使命があるから、天によって命を助けられたのだ。天が自分を生かしてくれているうちは、愛する家族のため、鹿児島のため、そして日本のために命をかけて働かなければならない」と、奄美の青い海を見ながら悟りました。その後の人生は、いつも「世のため、人のため」へと向けられ、一国を動かす大きなエネルギーを産み出したのです。

あの人が見た西郷さん

西郷さんの人としての大きな器は、同時代を生きた他のヒーローたちの言葉からもうかがい知ることができます。ここではその一部をご紹介しましょう。

西郷は、薩摩の貴重な宝物。ただし、独立心が強いので私以外に使いこなせる者はいない。/島津斉彬

幕末一の名君として幕府側からも絶賛されていた薩摩藩28代目当主・島津斉彬は、身分の低かった西郷さんの才能を見抜き、秘書にまで取り立ててかわいがっていました。美しき師弟愛です。

坂本龍馬の師匠として知られる勝海舟は、当時、幕府側の軍艦奉行を務めていましたが、江戸城無血開城のときを含めて2度ほど、西郷さんと対面しています。「怖い」というのは、どういう意味でしょうか? 巨人の西郷さんににらまれたから??

俺が今まで会った人のなかで、怖いと思った二人のうちの一人が西郷。/勝海舟
鐘のような人物。大きく打てば、大きく響く。小さく打てば、小さく響く。/坂本龍馬

このあと龍馬は、「自分の鐘木が小さかった…」と続けていますが、いやいやご謙遜でしょう。後に西郷さんを怒鳴りつけて、見事、薩長同盟を成し遂げましたからね!

西郷さんはどうして、悲しい最期をとげたの?

西郷さんが、明治新政府に対して叛旗をひるがえした西南戦争のことですね。西郷さんは日記を残していませんし、口数も少ない人だったので、その真意はさだかではありませんが、幕府を倒すためにともに戦った武士たちの多くが、新しい明治の世の中になって行き場を失ってしまい、そうした武士たちの不満を一身に背負って、行き着いた先が西南戦争だったようです。

先にも述べましたが、西郷さんの座右の銘は「敬天愛人」。天を敬い、人を愛し続けるということです。自分のことを慕ってくる人がいるかぎり、その人たちのために尽くして、死ぬなら本望。それが天命であるという生き方を貫きとおしたのが、西郷隆盛という人なんです。戦争をしなくちゃならないと心に決めた時、西郷さんは部下たちに「わしの体は、オマエたちに差し上げもんそ」といったといいます。この短い一言に、まさしく西郷さんの生き様が凝縮されているのではないでしょうか。

西郷さんの魅力は、まだまだ語りつくせませんが、続きはまた鹿児島で。あなたなりの西郷さんを発見してくださいね。

西郷さんの肖像画
写真提供:鹿児島県立図書館

星になった西郷さん

明治10(1877)年9月、西南戦争で西郷さんが最期の戦いを迎えようとしていた時、夜空にひときわ輝く星が現れました。これはその頃、地球に接近していた火星だったのですが、この明るい星のなかに「西郷さんの姿が見える!」という噂が立ち、「西郷星」と呼ばれて大騒ぎになりました。噂はどんどんヒートアップしていき、西郷さんの死後も「インドにいる」「いや、中国に渡った」とか、「ロシアで生きていて、ニコライとともに来日する」などと新聞等でも話題になるなど、人気者ぶりを大いに発揮しました。

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