野屋敷は、西郷隆盛が青年時代(別名:吉兵衛、吉之助)、困窮した家計を助けるために、開墾して里芋や甘藷(サツマイモ)などを植えた農地がまわりにあり、西郷がよく一人で滞留していたところでした。
(屋敷といえば広大な邸宅を想像しますが、6畳、3畳、4畳、2畳(いろり部屋)の田の字形の農事小屋でした。) 明治6年遣韓使節派遣がかなえられず、帰郷した西郷隆盛は、武屋敷に住んでいましたが、面会人を避けるため、暫し利用していました。
明治10年西郷が「西南の役」に出陣したあと、妻(いと)が11人の家族と生活していた場所でもあります。
この屋敷跡にある山モモや大名竹は西郷が植えたともいわれています。