世界文化遺産を1日でめぐる

世界文化遺産を1日でめぐる

世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」♪鹿児島県の構成資産をあまねくめぐる!!

鹿児島中央駅から車で約20分

1. 旧鹿児島紡績所技師館

日本で最初期の木造西洋建築。西欧人たちがアジアなどの植民地によく建設したコロニアル様式の建物です。外見は洋風ですが、屋根裏の小屋組みが和小屋であり、見えないところに日本の建築技術も用いられていました。イギリス人の指示に基づき、日本人の大工が建てたと考えられています。イギリス人技師は3年契約で来日しましたが、予定より早く約1年で帰国。これは戊辰戦争がはじまったことや、薩摩の職工たちがすでに水車館で機械による作業を経験していたことから、技術を短期間で習得できたためといわれています。

徒歩3分

2. 集成館ガラス工場跡

島津斉彬はガラス製品を量産するため集成館にガラス工場を建設。1858年に集成館を見学したオランダ海軍の軍医ポンペはおよそ100名もの職人が働き、贅沢品から日用品まで幅広く製造していたと記録しています。1858年、斉彬の死に伴って工場は縮小。1877年頃にはガラスの製造が途絶えます。1986年、島津興業が磯にガラス工場を建設し薩摩切子の製造を開始しました。集成館事業が行われていた場所で現在も操業しているのは薩摩切子税造のみ。100年以上の時を経て復活した薩摩切子の製造を間近に見ることができます。

歩いてすぐ

3. 旧集成館機械工場

洋式船や蒸気機関の修理、部品製造を行った集成館の機械工場。この石造りの建物の責任者は、技術者・竹下清右衛門でした。竹下は長崎製鉄所などの西洋式の建物を参考に工場を建設。そのため屋根を支える小屋組が不完全で、和小屋のような太い梁や石壁の基礎部が神社建築によく見られる亀腹石であるなど、日本人だけの力で苦労してつくった様子がうかがえる建物になっています。工場内にはオランダやイギリスから輸入された最新式の機械を設置。現在は博物館(尚古集成館)として島津家や集成館事業の歴史を学ぶことができます。

歩いてすぐ

4. 高炉跡

鉄鉱石や砂鉄などから鉄を大量につくる製鉄施設は、反射炉と同様にオランダの技術書をもとに建設されました。高炉の高さは約7.2m。高炉による製鉄は炉の温度を1200~1500度に保つ必要があるため、水車動力を活用して大量の風を送風、炉内を高温に保ちました。水車は関吉の疎水溝からの導水を活用して回転させます。高炉は薩英戦争によって破壊されましたが、平成18年の発掘調査で水車に水を供給したと思われる水路跡が発見されています。

5. 仙巖園

 350年以上の歴史がある島津家の別邸は、1658年に島津光久が景勝地であった磯に造営。その後、島津重豪をはじめとする島津家歴代が整備などを行いました。桜島を築山に錦江湾を池に見立てた雄大な借景庭園で、琉球国王から贈られた望嶽楼など中国文化の影響も。隣接して島津斉彬が築いた日本最初の近代工場群「集成館」も置かれ、一帯では薩摩焼の研究や耐火レンガの製造、ガス灯や地雷の実験なども実施されています。また、藩における迎賓館として、集成館事業を視察した幕臣の勝海舟やカッテンディーケらオランダ人一行、イギリスのパークス公使一行の接待も行われました

6. 反射炉跡

オランダの技術書をもとに建設された、大砲の砲身をつくる施設。炉内部の天井や、壁に炎と熱を反射させて鉄を溶かすため反射炉と呼ばれました。反射炉の建設は製煉所で小型のひな型をつくり、鉄の溶解実験からスタート。実験は難航しましたが、斉彬は「西欧人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人もまた人なり(西欧人や佐賀人にできた反射炉製造が薩摩人にできないわけはない)」と藩士らを励まします。1852年に磯で建設された1号炉の建設は失敗に終わりました。2号炉が1857年に完成すると、鉄製砲製造にも成功しました。ただし、2号炉も薩英戦争で破壊されたため、現存するのは2号反射炉の基礎部分のみです。

車で約20分

7. 関吉の疎水溝

関吉の疎水溝は、江戸初期に農業用水のために建設。そして1722年、島津吉貴が仙巖園へ水を供給するために磯地区まで延長します。集成館では高炉や鑽開台の動力源として水車を使用していましたが、磯地区には大きな川がないため、島津斉彬は関吉の疎水溝の改修や整備を実施。取水口では川幅の狭い場所を利用し、江戸の土木技術により水位をかさ上げして水路に水を引き込みました。現地には今も当時の職人が岩盤を加工した痕跡などが残っています。現在の取水口は、幕末の取水口が大正時代の大洪水で流されたため上流部に移設したものです。

車で約20分

8. 寺山炭窯跡

【お知らせ】寺山炭窯跡見学における注意喚起!(7月1日現在)
 令和元年6月28日(金曜日)の石積み右面の崩落に引き続き、7月1日(月曜日)午前9時ごろ、炭窯北東側の遊歩道の上部側から土砂崩れが発生し、遊歩道を含む炭窯の大部分が埋没していることを確認しました。
 寺山炭窯跡および周辺一帯は、連日の雨により地盤が緩んだ状態となっていることなどから、さらなる被害を防止するため、近づかないようにしてください。現在、周辺一帯を立入禁止としておりますので、ご理解をお願いいたします。
※詳しくは、鹿児島市公式サイトをご覧ください。
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集成館事業で使用する白炭を増産するために建設した寺山炭窯の跡。島津斉彬は山元藤助を紀州(和歌山)に派遣して炭焼法を学ばせます。そして、木炭の材料となるシイやカシが豊富な寺山の山中に炭窯を築きました。石炭を産出しなかった薩摩藩において、炭窯は斜面を造成して凝灰岩を積み上げて建設。その大きさは国内最大級でした。火力の強い白炭は、集成館で高炉や反射炉、薩摩切子製造の燃料として使用。1858年に建てられた炭窯の碑には、斉彬に仕えた歌人・八田知紀が、2基の炭窯が完成し3基目が建設中である状況、斉彬が「大きな木だけを伐れ」と命じた旨が彫り込まれています。

鹿児島中央駅まで車で約30分

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