南薩摩 鳥越堀切 島津斉彬が祟りをも 恐れず命じた農業用水路 水の乏しい指宿の地で新田開発を行うため、池田湖から水路を引く灌漑事業を実施した島津斉彬。工事担当の郡奉行は、水神の祟りを恐れて工事をためらいます。ところが斉彬は「水神がどうして民の利益になることを妨げようか。そのようなことは妖しい噂である。…
南薩摩 河野覚兵衛屋敷跡 薩摩の御用商人 河野覚兵衛の屋敷跡 河野家は薩摩藩の御用商人として多くの大船を所有し、琉球口貿易や黒糖専売に関与したり、藩の財政再建に貢献したりしました。また、覚兵衛ら海商は奄美大島へ生活物資を運ぶなど、島民たちの生活に無くてはならない存在でした。覚兵衛は、藩からの信頼が厚く…
南薩摩 頴娃砂鉄採取地 集成館の高炉で使用する 砂鉄を採集した海岸 江戸時代の知覧地域では、主に頴娃の海岸から砂鉄を採取し、盛んに製鉄を行っていました。特に、頴娃村矢越の浜の砂鉄は良質であると有名で、厚地松山製鉄遺跡のほか、集成館にも運ばれて高炉製鉄の原料に使われていました。砂浜には砂鉄が集中する場所がある…
南薩摩 宮ヶ浜港防波堤 島津斉興が海商支援のため 築かせた宮ヶ浜港防波堤 捍海隄と呼ばれた防波堤・宮ヶ浜港防波堤。島津斉興が築かせた防波堤です。当時の宮ヶ浜は、指宿郷の地頭仮屋(役所)や商家群が建ち並ぶにぎやかな港町でした。また、濵﨑太平次が琉球や奄美大島との海運の拠点とした港のひとつでもありました。堤防は遠浅の…
南薩摩 頴娃別府砲台跡 外国船の侵入から防衛 頴娃別府の砲台跡 『薩藩海軍史』には、6ポンドカノン1門、700目野戦砲2門、500目野戦砲2門、石垣野戦砲3門が備えられていたと記されています。砲台のほかに火薬を保管する煙硝倉が設置され、石垣川河口部の左岸丘陵付近にあったいわれていますが、具体的な場所は不…
南薩摩 山川薬園跡 1659年に設置された 薩摩藩の薬用植物栽培園 山川薬園は、1659年に設置された薩摩藩の薬用植物栽培園です。広さ約5,600㎡で、レイシやハズ、キコク、カンラン、リュウガンなどの薬草が数多く植えられていました。現地に残るリュウガンは推定樹齢300年以上。鹿児島県の天然記念物に指定されて…
南薩摩 知覧塩屋砲台跡 外国船侵入を防ぐ 知覧塩屋の砲台跡地 知覧塩屋砲台は、永沢川河口部の左岸付近にあり、五百匁砲が配備されていたと伝えられています。西塩屋浦は薩摩藩公認の商業地区(浦町)であり、藩の役所が置かれいて、江戸時代から明治にかけて海運や商業の町として栄えていました。幕末、藩は財政再建のた…
南薩摩 五人番所跡(砲台跡) 薩英戦争でイギリス艦隊を発見! 鹿児島湾入口の見張所跡 外国船の侵入を防ぐために設置された施設は、5人体制で見張りをしていたことから「五人番所」と呼ばれていました。砲台は、山川湾への外国船侵入に備えて湾の入口に位置する五人番所と、対岸の山川郷の津口番所近くに設置されていました。薩英戦争の際は、五…
南薩摩 坊津白糖製造工場跡 島津斉彬が建設した 製糖工場 島津斉彬が白糖を製造するためにつくられた工場でしたが、斉彬の急死によって廃止されたため短期間の操業でした。工場近くに荷下ろしを行う船着き場がありましたが、1890年の台風によって流失しました。現地には、今も白糖製造工場に関連する、高さ約2m…
南薩摩 枕崎砲台跡 薩摩藩の初期の砲台 枕崎湾を防衛した枕崎砲台 枕崎湾の防衛のために設置された砲台・枕崎砲台。山川港に設置された松山砲台とともに、薩摩藩が設置した初期の砲台のひとつです。『薩藩海軍史』には6ポンドカノン2門、 20ドイム臼砲1門、700目野戦砲1門、500目野戦砲1門が配備されていたと記…
南薩摩 厚地松山製鉄遺跡 高炉操業を可能にした 薩摩の製鉄炉 厚地松山製鉄は、厚地川上流一帯に広がる江戸時代の大規模な製鉄所でした。頴娃の矢越の浜から砂鉄を運び、炉への送風に水車動力を活用して製鉄を行っていました。発掘調査では、水車を回す水路跡や製鉄炉、鍛冶炉が発見されています。水車を動力とし、炉の構…
南薩摩 潟口の船溜り 肥後の石工岩永三五郎が築いた 石造りの突堤 薩摩藩が整備した港です。五間川と二反川が合流する河口部に建設されています。凝灰岩の護岸は、肥後の石工岩永三五郎が築いたといわれています。現在は砂が溜まって川底が浅くなっていますが、当時は大船が入って積み荷を小舟に下ろしていました。そして、小…
南薩摩 第8代濵﨑太平次の墓 薩摩の御用商人 8代目・濵﨑太平次の墓 指宿を拠点に活躍した、第8代・濵﨑太平次の墓。濵崎家は代々全国長者番付上位の海商でした。太平次は藩の御用商人として琉球口貿易に携わり、黒糖などの藩の特産品を大坂(大阪)で販売。多額の利益をあげて藩の財政再建に貢献しました。島津斉彬は、太平次…
南薩摩 指宿邑捍海隄記 建設の経緯を記す 宮ヶ浜港防波堤の記念碑 宮ヶ浜港防波堤(捍海隄)の完成にともなって建てられた記念碑。記念碑には、堤防建設の経緯について次のように記されています。「宮ヶ浜の海は遠浅で、船を安全に停泊させるところがなく、台風で船が転覆する恐れがありました。天保4(1833)年、それを…
南薩摩 厚地松山製鉄遺跡出土品 伝統的な薩摩の製鉄の 出土品の数々 ミュージアム知覧では、南薩地域の製鉄遺跡の解説や製鉄作業で排出された鉄滓、炉の送風管として使われたフイゴの羽口を見学することができます。
南薩摩 堀井碑 島津斉彬が行った 治水事業をたたえる記念碑 島津斉彬は、1858年に指宿で起こった大干ばつを目の当たりにしました。そして、これに危機感を抱くと将来の干ばつに備えるために、奉行所の役人・東郷実友(東郷平八郎の父)らに97カ所の井戸を掘らせます。翌年、東郷実友らは井戸を掘ったことを記念し…
南薩摩 久志砲台跡 鹿児島湾の入口を防衛 久志砲台跡 『薩藩海軍史』には野戦砲3門が配備されていたと記されています。また、現地には海岸の岩礁の上に、砲台の護岸と考えられる凝灰岩の石積が残っています。久志集落には薩摩藩の御仮屋(役所)や、馬の放牧場のほか多くの寺院などがあり、砲台は久志湾への外国…
南薩摩 山川火薬製造所跡 薩英戦争に備えて設置 薩摩藩の火薬製造所 薩英戦争に備えてつくられた山川火薬製造所。火薬の原料となる硫黄や硝石、製造した火薬の海上輸送に適していた山川港近くに設置されました。硫黄は、山川から約55㎞南にある硫黄島から運ばれます。また、水車動力を利用するために、設置前に操業していた水…
南薩摩 松ヶ浦砲台跡 外国船侵入を防衛する 松ヶ浦砲台跡 「台場鼻」と呼ばれる港の東側にある小さな岬に設置された松ヶ浦砲台。五百匁砲(砲弾重量約1.8キロ)が配備されていたと伝えられています。松ヶ浦は薩摩藩公認の商業地区(浦町)で、藩の役所が置かれていました。そして、江戸時代から明治にかけて海運や…